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キムの上海日記 (外伝)

2004年10月から上海に赴任。中国でのExcitingな生活を日記として掲載。

皇穹宇

2006年04月05日 04時07分40秒 | Weblog

「皇穹宇」と呼ばれる青い屋根の円錐形の建物です。周りは密の細かいレンガ(?だったと思う)で造られた円型の壁に囲まれております。この円型の壁は、回音壁と呼ばれ、音が反響する仕組みになっております。壁のどこかで小さな声で話した言葉は、壁に沿って円形に進み、壁の反対側に居る人にもはっきりと聞こえるのです。面白い。建物の中には先祖の位牌が祭られております。


電子ガイド

2006年04月05日 04時03分40秒 | Weblog

これです。
以前、紫禁城の日記を書いたときにも触れましたが、中国の多くの観光名所にて貸し出しされている電子ガイドブックです。貸出料は40~60RMB程ですが、Depositとして100RMBを最初に預ける必要があります。これは本当に素晴らしい。ICが組み込んであり、地図が埋めこまれた電子マップは今自分が何処にいるかを示してくれるし、観光スポットに来ると勝手にガイドを始めてくれるんだよね。ガイドはか~なり直訳日本語で、中国側がどういう見解でその遺跡を見ているかが良く分かるので、そういった意味でも面白い。不思議な日本語+ガイド以外の不思議な感想(・・・みたいな事も多く有りました。皇帝も楽では無いですね。)まで入っている。これ最高だよ。

あなたの中国親近感は?

2006年04月05日 03時58分51秒 | Weblog

キムです。
昨日の日記はちゃんと読めましたでしょうか?写真は見たけど、文章は読み飛ばしている人も多いだろうな~と思いつつ。歴史的背景ってのは知らないことが多すぎたりすると、意味が分からずに非常に詰まらなくなりますからねえ。ただ、今日実に嬉しいメールを貰いました。なんと、これまであまり中国史に興味がなかったんだが、この日記や写真を見るにつれて、中国史に興味を持ち始め、いろいろな本を読み出したとの事。うん、それはすばらしい。何が素晴らしいって、1人でも中国の歴史に興味を持つ人が増えたってのが嬉しいですね。歴史を知るって事は、文化を知ることで、文化を知る事で人はその相手・対象を尊重することに繋がります。よって、中国の歴史に興味を持った方は、少なからず中国の文化を理解し、ちょっと好意的に中国を理解する事でしょう。

今の中国が嫌いな人も、この長~い歴史を知れば知るほど、ここ数十年の中国など、中国のほんの一部である事に気付くでしょうし、変な誤解も生じなくなるんではないでしょうか?実は最近、日中間のギクシャクが理由で、いろんな案件に障害を生じており、仕事にもろ影響を受けちゃってるんだよね・・・。例えば、許認可。共産党支配化の中国では、何をやるにも政府や省庁の許可が必要になります。会社を作る、新しい事業を始める、工場を新設する、どれもこれも許可が必要です。この許可がね、下りないんですよ・・・日系企業が特に。当然最大の理由はK氏の靖国参拝。俺個人としては、人が何処に何しに行こうが知ったこっちゃ無いけど、公人には公人の義務と勤めがあるからね。明らかに国の関係を損ねることはするべきではないし、何らかの対応策を打つのは公人たる義務です。まあ、俺らかするとくだらない面子を張り合って義務を行っている彼に一国の元首たる資格は全く無いんだが、多くの国民がまだ支持してるっていうんだから、仕方ないですね。没有方法です。こんなことが切っ掛けで、最近の市場調査では対中国への親近感が急速に落ちているようですね。こちらのサイト(http://www.21ccs.jp/china_watching/KeyNumber_NAKAMURA/Key_number_23.html)を見てみると、ここ数年の靖国問題クローズアップ後、中国に親近感を感じると答えた人が十数ポイントも落ち込んでます。ちょっと寂しいですね。たしかにアホな中国人も沢山居ますが、日本の多くの文化は古来この中国より取り入れてきました。その文化のルーツを否定するってのはなんだか残念ですね。まあ、そんあ愚痴を言っても、全然許可が下りなくてビジネスがSlipしまくってるんだけどね。なんとかして欲しいです。今期の数字苦しい・・・。

さて、天壇です。中国の天壇は観光地としても非常に人気があるところで、平日でも多くの観光客であふれているところらしいです。確かに俺が行ったときも多くの観光客で賑わっておりました。この天壇は明の時代に造られ、歴代の皇帝達が天もしくは天帝に対して五穀豊穣を祈念する場所でした。毎年正月になると、皇帝は沐浴斎戒の上、この場所を訪れ豊作を祈り、その年の出来事を報告したのです。「天」や「天帝」といった考えは、中国に流れる考え方の源流を知る上で非常に大事な要素の一つです。古来より中国では「天」を万物を支配する絶対的な権威と認識してきました。このため、皇帝は「天子」と呼ばれ、天の代わりに地上をすべるものとして権威を保持してきたのです。「天意」や「天命」と言う言葉も良く使われますが、この「天」という概念を理解していなければその真の意味を汲み取るのは難しいかもしれません。庶民は天を仰ぎ、祈る事は出来ましたが、天を祭ることは皇帝だけに許された行いだったのです。皇帝は天子として、天を祭り、天の意向を地上に施政として施したのです。これは上古伝説の時代である三皇五帝の時代から脈々と続く考え方なのです。

そんな大事な場所でしたので、天壇は非常に豪華かつ、計算されつくされた構造を持つ建物が集まっております。例えば、「園丘」と呼ばれる石造りの建物は、大理石で出来た三層の建造物で、皇帝が天に祈りをささげる場所でした。最上壇の○い石壇の上で、話をすると、周りを取り囲む三重の石壁に声が反射し、自分の声が何倍にも大きくなって聞こえてくるのです。こうして(若干錯覚ながら)皇帝はたった一人でぶつぶつ言いながら天との会話を行ったのです。今ではこの場所も完全に一般に開放されており、歴代20数人の皇帝が立った正にその場所に同じく自分も立つ事が出来ます。永楽帝も乾隆帝もこの場所に立ったかと思うと、ちょっと感動してきます。当初あんまり興味の沸いてこなかった天壇ですが、思ったよりも良かったです。

※ 写真は天壇にある祈念殿です。メインの建物の一つで、皇帝が豊作を祈った場所です。奥に見える塔は円系の木造建築物で、高さ40m程もあるが、梁や釘を一切使わずに建てられているらしい。残念ながら、ここもご覧の通り、オリンピックを前に改修中でした。残念。



北京ダック

2006年04月04日 04時58分58秒 | Weblog

頤和園見学後ふと時間をみればもう昼を過ぎております。普段であれば、絶対に手を出さない中華料理。しかも北京ダックですが、そろそろ帰任を見据えて食べておくかってことで、この日は全聚徳でお昼ご飯してきました。本当は有名なシュウマイ屋に行く予定だったんですが、残念ながら工事中だったのです。このお店、さすがに有名店だけあって昼の13時を過ぎても順番待ちでした。20分程またされて、ようやく着席。取りあえず、北京ダック一羽。日本では考えられないようなオーダーですが、こっちでは当たり前。この一羽丸ごとでも大体200RMB程ですので、日本円にして3000円位。日本の中華料理屋で食うと、数枚のダック皮が何千年もしますよね?信じられません。ちなみに、俺らが食ったダックちゃんはNo115182090羽目でした。記憶していたよりもあっさりとしていて中々旨かったですね。

頤和園全景

2006年04月04日 04時50分44秒 | Weblog

工事中の仏香閣の隣の建物から眺めた頤和園の全景です。
見渡す限り全て「頤和園」です・・・。広いです。
昆明湖と呼ばれる眼前の人口池には沢山のボート浮いており、一時間40元くらいで貸し出しております。(ただし、足漕ぎ自走)

「おばさん」西太后と頤和園ご紹介

2006年04月04日 04時26分02秒 | Weblog

今日こそは脱線せずに、頤和園&天壇訪問記です。
さてさて、上海も北京もこの所非常に天気が良く、気持ちの良い日が続いております。上海では珍しい青空も見えるしね。北京でも先週も木曜日、金曜日は素晴らしい天気で、のんびり外で散歩するのが楽しい感じ。暑くも無く、寒くも無く。Tシャツ一枚に皮ジャンを着ているとちょっと暑いくらいの気候。だったのに・・・・観光しようと決めていた土曜日は残念ながらどんよりの曇天空。あ~、またコントラストを出し辛くいい写真が取り辛い日にあたってしまった。どうも北京で観光しようと思うと、毎回の様に天気が悪いんだよね。良かったのは、昨年行った万里の長城くらいで、後は故宮行ったときも、明の丘陵に行ったときもいっつもどんより空で、いい写真がが撮れない日でした。残念。こりゃまた行かなきゃな~と思いつつ、朝9時半にホテル出発です。

頤和園は北京市外から西北へ20km程はなれた場所にあります。元々明の時代に整備された離宮を清が引き継ぎ、清の六代皇帝乾隆帝の時代に当時の贅を尽くして建設されました。ところがその後ぼんくら皇帝が続く中、アヘン戦争に敗れた清は列国の侵入占拠を許し、この頤和園(当時は清蔬園)も殆どが焼き払われてしまった。この後数十年もの間この地は放棄されていたが、後に慈禧太后(俗に云う西太后)が権力を掌握後、巨額の費用を費やして修復し、名前も頤和園と改名した。頤和園は西太后の避暑地となり、夏季の暑いさなかにはこの場所で垂簾聴政を行ったのだ。よって、頤和園は英語ではサマーパレスなんて呼ばれている。なんとも味気の無い表現です。頤和園の由来である「頤養冲和」の奥深さは全く無いのね。その後、毎年の様に初夏にこの離宮に来ては秋に紫禁城に戻る生活を送っているまでは良かったが、この頤和園を修復する為に莫大な金を費やしてしまったのが、大きく歴史に影響を与えることになります。つまり、ただでさえ清末でお金が無く支配力が弱まっているところに、莫大なお金をかけて庭園を改築してしまったものだから、元々それらのお金を遣って清の海軍を強化しようとしていたものが全然強化できなかったのです。そこに、1894年の日清戦争が勃発。旧装備の清海軍は近代化の進んだ日本に及ぶ訳もなく、李鴻章と伊藤博文の下関条約へとつながります。この結果、清の威信は地に落ちて、その後転落の一途を辿ることになるのです。日本もまた、まぐれ的に大清に勝ってしまった為に、馬鹿な軍人や国民が大きな夢を見るに至り、帝国主義が助長されることになったのです。何とも、この戦争はどちらにとっても悪影響を与えたわけですが、その原因のおおもとが、西太后の頤和園改修の無駄遣いって訳ですね。歴史は実に興味深いです。西太后は人を操ることが非常に上手であったと言われておりますが、権力欲が以上に強く、庶民の生活を知らずに、今風に言えば「おばさん」感覚で国家を経営していたように思われます。これではいかに大清と言えども倒れざるおえなかったでしょうね・・・

さて、その後も頤和園の歴史は続きます。日清戦争により弱体化した清に今度は義和団事件が巻き起こります。当初は反カトリック、排外主義であった義和団を清側も弾圧する姿勢を見せておりましたが、義和団が「扶清滅洋」を標榜するにあたり、血迷った「おばさん」西太后は冷静な政治判断を下せずに、1900年6月21日に欧米列国に宣戦を布告しちゃいます。ここにきて、義和団事件は清vs列国の戦いへの移り変わったのです。焦った列国8国(日本・ドイツ・イギリス・フランス・ロシア・アメリカ・イタリア・オーストリア)は即座に中国に援軍を送り、2ヵ月後の8月には清の都北京が陥落し、西太后初め清の皇室は西安への逃避行することになります。この間に頤和園は列強の略奪・強奪にあい、庭園自体も多くが破壊されてしまったのです。ちなみに、この義和団を切っ掛けとした列強との戦争の敗北により、清政府は「北京議定書」を締結することになり、これがほぼ清滅亡へのSingということになった。まあ、キム的歴史観から云うと、つまりは、中国最後の帝国は歴史的定見をもたなかった西太后というひとりの「おばさん」によって潰れてしまったって所でしょうか。

講和条約締結後、西太后によって再度頤和園の改修が行われますが(おばさんは懲りないのね・・・)、完全修復には程遠いところで清は滅亡してしまうのです。そんな悲しい歴史を背負った頤和園ですが、現代に訪れても十分にその凄さに圧倒されます。まず、その広さ。290ヘクタールとも言われる敷地には200ヘクタールの天然池と数千に及ぶ部屋・建物が建てれらております。1998には世界文化遺産にも指定されております。市内からは20km程ですが、道が渋滞していた為に到着までには1時間ほどを要します。着いた先は東宮門のあたり。この頤和園、あんまりにも広いのでとてもとても全部を見て廻ることは出来ません。もし本気で全ての○○堂や××殿を見て廻ろうと思ったら、3日くらいは掛かりそうです。今回狙いを定めたのは東地区にある徳和園をはじめとする宣芸館や玉瀾堂、楽寿堂。それと万寿山の近くにある排雲殿や仏香閣です。徳和園は西太后が大好きであった京劇を観劇した場所です。また、楽寿堂は西太后の居室で、今でも現存する西太后の写真の多くが、この楽寿堂で撮られております。中を覗くと写真そのままの家具が配置されており、ちょっぴり感動しました。それと、玉瀾堂。これまた悲しい場所で、ラストエンペラーで有名な皇帝溥儀の前の皇帝で、実質的なラストエンペラーであった光緒帝が戊戌変法失敗後のクーデターで失脚した後、西太后に閉じ込められていた場所です。門にはレンガが積み重なり、外部との連絡を立たれた中に軟禁されていた光緒帝の様子が偲ばれます。

やたらと広い頤和園を一望するにはひと際高い場所に建つ仏香閣にのぼって見渡すのが一番ですが、残念ながら現在は改修中のために中に入ることが出来ません。張り紙を見ると、2008年のオリンピックに向けて改修を進めているとの事。そういえば、次に訪れた天壇も前回訪れた紫禁城もどこもかしこも改修中で入れない場所が結構ありましたね。あれは全部オリンピック向けの改築だったのです。たしかに、オリンピックともなれば、当然沢山の人が訪れるでしょうね。この日はただの土曜日でしたが、異常な人出で、マナーの悪く大声で騒ぐ地方からの観光客がうじゃうじゃ居ました。これがオリンピックともなるととんでもなく増えるかと思うと、ちょっと恐ろしいです。ゆっくりと歴史を感じながら観光を楽しむには、この時期を避けて、平日に観光しなければならなそうです。地方からの観光客は当然ながらあまりお金を持っていないため、庭園の入場料とは別途必要な入場料が必要な建物はグッと少なくなります。だから徳和園とか仏香閣なんかは比較的ゆっくりと見学することが出来ましたよ。改修が終わったらまた訪れたいな。

あぁ・・・またも書き終わりませんでした。北京の各遺跡や名には本当に深い歴史とドラマを背景としている為に、さらっと紹介するってのが難しいんだよなぁ~。上に述べたような事を知らずに頤和園を見ても、単なる庭園に見えてしまうかも知れないからなあー。難しいところです。

※ 写真は頤和園の入口に飾られる題字です。文字は悲劇の皇帝光緒帝の直筆と言われております。

北京の世界遺産巡り

2006年04月03日 04時20分28秒 | Weblog

キムです。

先日初めてハーゲンダッツの小豆味ってのを食いました。普段小豆なんか全く食わないんだけど、ちょっと気の迷いで買っちゃったんだよね。実は数年前にテレビでこのハーゲンダッツ小豆味の開発ドキュメンタリーみたいのやってたんだよね。そんで、いかに小豆の味を損なわずにアイスクリームにするか?しかもハーゲンダッツブランドの?ってが非常に難しくて、開発に何年も掛かったとかなんとかって番組だったと思う。はっきり覚えてないんだけど、あれは確かハーゲンダッツアズキ味だったと思うんだよな・・・。違ったかな?んでもって、感想はって言うと、ちょっと味が豪華すぎてあんまり小豆に合ってないような違和感を感じつつも、後味は悪くなかったかな。なんせ、小豆のアイスクリームなんて、子供の頃にモナカ状態のやつを食って以来だからね。ハーゲンダッツは個人的にはGreenTeaが一番好きなんだけど、俺の家の近くのローソンでは見かけたことが無いんだよな・・・。そもそも中国にあるのかな?

さて、ふと気付くとあっという間に4月ですね。日本では桜吹雪が舞っている頃でしょうか?2年も続けて花見をしていないのは本当に寂しい限りです。ただ、今週末は期せずして「桜」花見ならぬ、「梅」花見ができちゃいました。何してたかっていうと、北京観光です。先週は金曜日の夜に北京のお客さんとの接待が入ってしまった為、その日中に上海に戻ることが出来ず、土曜日の朝にそのまま上海に戻るもの癪だったので、飛行機を土曜日の夜にして1日北京観光をしてきた次第です。向った先は、これまで行けていなかった北京の二つの世界遺産です。ほんと、この北京って一体幾つの世界遺産があるんでしょうね?俺の知る限りでは、この北京近郊で大体6箇所か7箇所が世界遺産に指定されているようです。有名な北京原人遺跡(1)、万里の長城(2)、紫禁城を初めとする故宮(3)、先日訪れた明清朝の皇帝陵墓群(4)、そして今回訪問した頤和園(5)に天壇(6)です。いやあ、世界遺産だけでもこれだけのボリュームがあるのに、北京にはまだまだ見所が沢山あります。しかも、北京近郊と言えども、万里の長城や北京原人遺跡なんかは市内から100KM以上は軽く離れているので、チョロっと行って帰ってくる訳には行かないし。もし観光で北京を訪れて、これらを全部見るとしたら少なくとも4日か5日は必須でしょう。さすがに古代から燕の時代から続く歴史のある街です。元、明、清とこの燕京の地に首都を設け二十数人の皇帝を輩出しただけの重みが、この都市には確かに存在します。若干大げさに言えば、その辺りに生えている木一本、壁一つとっても歴史があり、ドラマが存在するのです。このあたりがアメリカあたりの歴史の浅い国との大きな違いでしょう。きっと自分達自身が尊重するべき文化を持たないが為に、簡単に他国に爆弾落っことしたり、文化を破壊したり出来るんでしょうね。

脱線しました・・。いずれにせよ、この積み重ねられた歴史と、その中で育まれた文明と文化こそが、何よりも中国の魅力の根源のように思います。近年数十年の共産党支配下の中国なんぞは長い歴史の中のほんの皮一枚に過ぎません。いずれ10年後、20年後には現体制は崩壊するでしょう。その時にどんな形になるのでしょうかね?まあ、一極集権の政府がなくなれば、幾つかの国に分離するんではないかとも思います。ところで、中国に来て実感した疑問の一つに、中国の文化、文明、文物の多くが、ごく一部の支配者階級による指導の下に造られた壮大な建造物、もしくはごく一部の知識階級(科挙の進士等)が成し遂げてきたんではないか?というものがあります。何故にそう感じるか?と言うと、現代の多くの中国庶民のあまりの「非文明さ」を強く感じるからです。中国の非文明さ加減に関しては、この日記にも何度か書いてきたのですが、日々生活していると本当に毎日の様に強くそのこと感じてしまいます。特に、街をゴロゴロしている田舎出身(と思われる)の文明度は相当低いです。歴史的に考えてみると明代などの中国の識字率などはヨーロッパなんかとは比べ物にならないくらい高く、明の市民は、同時代のヨーロッパでトイレも無いようなベルサイユ宮殿で暮らしているヨーロッパ人よりも文化的な暮らしていたように記憶しているが、現代の「庶民」からはあまりその気配を感じないんだよね・・・なんでだろう?これがここ数十年の共産党の教育に拠るものなのか、それとも元々実際はこんな感じだったのかってのは是非知りたいところだな。

いずれにせよ、現代の中国庶民が「非文明的」と云われるのは仕方ないだろうなあ。共産党支配の下、一般庶民の教育水準が上がる前に、経済発展と伴って近代文明を取り入れてしまった事が、現代の中国人が「非文明的」であると云われる大きな原因な気がします。通常であれば、庶民も含めて徐々に近代化していくというのが通常のプロセスですが、この国では半ば鎖国状態であったものが改革開放路線に伴って、一気に多くのものを受け入れ過ぎててしまったのではないだろうか?例えば、固定電話が家庭に普及していない状況であったのに、それをすっ飛ばして数年の間に一般庶民に携帯電話が普及し、毎日自転車を漕いで出勤していたものが、いきなり自動車に変わってしまった訳です。列に並んでいたらならば永遠に自分の順番や配給が来ない中で生活し続けて来た為に、普通に列に並ぶって事が出来ないのです。日本では明治維新と第二次世界大戦敗戦という大きな転換期を経て庶民も徐々に対応してきたのですが、中国では共産党支配が続いた為に、そのチャンスが無かったんですね。親が列に並ばず、街中で唾を吐き、自転車の様に車を運転している間は子供も同じように育つだろうから、残念ながらこの国が「文明的」と云われる様になるにはまだ時間が掛かりそうです。

あぁ・・・再び脱線してしまいました。この所、読んでいる本も、訪れる場所も、ぜ~んぶ中国の歴史漬け。帰任時期もそろそろと迫っており、なんだかいろいろとこの国に関して考えてしまうんだよね。古い歴史と同じように、今のこの国も好きで居たいしな。また5月にチベットあたりに行ったら見方が変わるかもしれないけど。ちなみに、今は「ダライ・ラマ自伝」と「中国はいかにチベットを侵略したか」って本を読んでいるところ。こちらの感想はまた次回にでも。

ってことで、本日は本題に触れられずにおしまい・・・

※ 写真は天壇にある園丘とよばれる3層の壇です。明清の皇帝達は毎年冬至に斎戒沐浴し、天帝に対してその年の出来事を報告したのです。今は一般人でも入れちゃいます。


旅の目的地

2006年03月28日 03時41分44秒 | Weblog

先日こんな記事が掲載れました。

「世界遺産」敦煌の壁画、劣化進む」
http://www.asahi.com/world/china/news/TKY200603250292.html
仏教美術の宝庫として知られる中国の世界遺産、敦煌・莫高窟(ばっこうくつ)の石窟内に描かれた多数の壁画の劣化が急速に進んでいる。剥落(はくらく)や亀裂、かびの繁殖による傷みのほかに、壁画の広い範囲が下地ごとはがれ落ちるなど瀕死(ひんし)の状態のものも少なくない。地元の敦煌研究院は、日本や欧米などの研究機関と共同で保護対策や修復作業を急いでいる。莫高窟の壁画は4世紀から約1000年の間、幾世代にもわたって描かれてきた。敦煌の文化は、シルクロードの乾燥した自然環境の中で生まれたが、最近の研究では、石窟内の地中にある湿気が塩分を溶かして化学変化をおこす塩害が壁画劣化の主な原因との見方が強まっている。敦煌研究院は今春から、すべての壁画の傷みの状態を把握できるカルテづくりに乗り出す方針だ。

敦煌っては、上のURLを見てもらっても分かるとおり、中国の甘粛省の左の方にある砂漠に囲まれた都市だ。詳しくは昔のログ(http://blog.goo.ne.jp/kimudiary/m/200506)を見ていただければ分かるが、ちょうど一年前のGWにシルクロードの一環で訪れた場所でもあります。まだ5月だというのに1日中日が照り続け、やたらと日焼けをして暑かったのを覚えております。全部で700を超える石窟はそのほとんどが修復中や立ち入り禁止となっており、現在敦煌に行っても生で見れる石窟は非常に限られてしまっているのが現実だ。訪れれたときにも幾つかの石窟しか観る事が出来ず、残念な思いをしたし、上の記事を読む限りこの状況が改善されることは当分なさそうですね。

これはつい先日の春節におとずれた集安にしても同じ。ここは丘陵の中に描かれた1600年前の壁画が有名なんだけど、これもまったく立ち入り禁止で観る事が出来ない。外から丘を眺めてもぜんぜん感動しないんだけどね・・・。そもそも1600年も前の壁画がそれ程の損傷を受けずに現代に現れたのは、この1600年もの間全く人目に触れる事無く、空気にさらされること無く密封されてきたからって事実があるんだが、上の記事にも書かれている通り、現代に発掘され、遺産の保存状態が変わってしまったことによりそれまでとは比べ物にならないスピードで劣化が進んでしまっているようだ。これは世界中のどこでも一緒だろうが、中国においてはその環境の変化がほかよりも著しいのだろう。沿岸部の経済の発展に伴い、これまで国内旅行など出来なかった人達がどんどんと国内を旅行する事により、各遺跡にも観光客が激増し、それに伴ってマナーの悪い観光客がごみを撒き散らし、撮影禁止の場所でフラッシュ撮影を行い、用を足していくのだから、遺跡郡もたまったものではないだろう。おまけに、重工業の発展により、空気汚染や水質汚染、地質汚染が進み自然の環境も悪化している。上記莫高窟の環境変化もこのあたりに由来するものがあるのかもしれない。

人類学的見地に立てば、遺跡の保存状態を守っていくことは非常に重要なんだが、いち一般人の見地に立てば、折角世界遺産と名のつく所に行ったのに、もっとも感動するべきものを観る事が出来ないなんて、ほとんど行く価値がないといってもいいだろう。少なくとも俺にとっては、実際に目にする事ができない遺跡や自然は全く評価出来ないから。世界遺産は素晴らしい取り組みで、是非続けて欲しいとは思うが、これに指定されてしまった為に「見れる部分・触れられる部分」が大分制限されてしまっているのも事実だろう。「保護」と「体験」という相反する二つを両立させるのは中々に難しい。ただ、やっぱり個人のレベルで言えば出来るだけ実際に見て、直接触れて体験したい。その為には・・・って考えたのが、もう既に制限されてしまっているものは仕方無いので、まだ制限がなされていない場所や物で今後制限が掛かってしまいそうな(世界遺産等に登録されてしまいそうな)物、場所なんかを優先度を上げて訪れないと駄目かもね。もしこの観点をもうちょっと早く持っていれば、屋久島の縄文杉に囲いが出来る前に訪れ、樹齢7000年とも言われるその御木に直接触ることが出来たろうし、中国黄龍のコバルトブルーの水の中にも自由に入ることが出来たんだろうな~。残念だ。中国だと四川のパンダ保護地区あたりは、世界遺産に指定されそうでありながら、まだ結構自由に入れるようなんで、ちょっと冒険しに行って野生のパンダに遭遇しておくってのはいいな・・・とかね。黄果樹瀑布や路南石林あたりも訪問必須そうです。日本だと小笠原諸島、八重山あたりは抑えておいた方がいいかもしれないな~などと思い次の旅の計画に思いを馳せる今日この頃です。

ちなみに、私の次の旅は4月中旬の西版双納+昆明です。西版双納では泰族の水掛祭りに参加し、昆明では世界遺産候補となった路南石林を観てまいります~。楽しみ。





上海でやるべきこと

2006年03月24日 03時29分26秒 | Weblog

今週は上のメイメイが上海に来ております。昨年の10月の母親来上海してから、これで家族全員が一度は上海を訪れたことになります。赴任が終わる前になんとかみんなこっちにこれて良かったかな。まあ、せっかく家族が海外に住んでるなら一度はその場所に行って見たいもんね。そんなこと言いながら、昔妹がフランスで料理の修業していた時には全然行ける感じがしなかったんだけどね。まあ、フランスに比べりゃ上海は近いし、文化的に似たところがあるんで、親父様なんかは喜んで来てたけど、母上様は中国は汚い国のイメージがあって、あんまり乗り気じゃなかったみたい。まあ、想像していたよりは良かったって言ってたけど。そりゃあ、車も貸切で綺麗な場所しか案内しなかったからなぁー。下のメイメイは一昨年の秋頃(俺がこっちに来て直ぐに)に上海に来ているので、あんまり案内していない気がするけど、まっいいか。

この上の妹妹は初めての上海ってことで、色々やりたいことがあるらしくて、ひっさしぶりに色々と手配してしまいました。雑技団とか、返信写真の予約とかね。最近もお客様が減った訳ではなかったんだけど、男だけの集団だったり、リピーターの客が多かった為、考えてみると雑技の手配するのは今年初めてくらいかもしれない。手配のやり方忘れそうになってたよ・・・。やっぱり、リピーターともなると上海市内を漠然と見たり、雑技を見たりっていうよりも、もっと目的を持って来るケースが多いもんね。車借りて近くの水郷を巡ったり、杭州や蘇州に行ってみたりってのが多いかもね。大体、上海で何するか?って改めてリストアップしてみると、結構やる事無いんだよな・・。参考の為に列記してみると、こんな感じかな~。ちょっと思い出したら書き足してみようかな。今後上海に来る予定の人は、まあ下記を参考にやりたいことを組み合わせればいいでしょうね。その内、上海お薦めレストランでもまとめてみますかね。駐在員キムも太鼓判レストランとスペシャル一品料理ってことで。どう?

・中華料理
  上海料理、江南料理、四川料理、火鍋、上海特色XiaoChi(小龍包・・・)
・おしゃれスポット
  新天地、BarStreet、茂明南路、バンドエリア
・観光スポット
  寺系、上海博物館、テレビ塔、豫園、グランドハイアット、上海バンド
  日本租界、動物園、水族館、魯迅公園、
・買い物
  各種中華グッズ、生地系、シノワグッズ、お茶、チャイナドレス造り、
  日用雑貨品、偽DVD、淡水パール、藍染グッズ、
・市場系
  偽物市場、布市場、食品市場、骨董街
・上海近郊
  蘇州、上海近郊の水郷(周荘など)、杭州
・その他
  マッサージ、エステ、中国茶喫茶、チャイナ服変装写真、ゴルフ+α(内緒)

しかしこうして並べてみると、何度も上海きてもやる事ないよな~。これといった観光地がないってのがまた微妙なところだな。それにしては多くの友人達に来て貰えましたね。感謝しないといけませんね。

ところで、この上のメイメイ、実は沼津に住んでいるの。海の近いのこの場所は海産物が豊富。何よりも美味いのが干物!これが本当にすんばらしい。魚の旨い場所は日本各地にあるけれども、ここまで干物の旨い土地ってのは珍しい。採れる魚の脂ののり、天候、天気、塩これらがすべて合わさってあの旨みが醸し出されるんだろうなぁ。いずれにせよ、メイメイに沼津から運ばせてきた干物やっぱりサイコー。これまた中華なんか食ってる場合じゃないね。土鍋で炊いた魚沼産のコシヒカリと沼津の干物。これにまさるご馳走は上海駐在員にはありまへんねー。ご馳走様~。

キム

春ですね~

2006年03月22日 02時08分50秒 | Weblog

春ですね~。
ボーっとNHKを観ていたらいつのまにか桜の開花情報が流れておりました。日本に居た頃はあんまり気にしておりませんでしたが、毎年この時期になると日本では桜の開花情報や桜前線の話題が流れますね。四季を愛でる日本の心を良く現してますね。テレビであっても満開の桜の映像を観ると心が和んでしまう俺はやっぱり日本人なんだろうな。昨年は中国に居た為に花見が出来ず残念な年でしたが、今年もやっぱり中国に居ることになりそうです。残念ですが、汚い中国の空気の中ではあんまり花見って気分にはなりませんよね。そもそも桜の木なんて観た事ない気がするし。逆に三国志で有名な「桃園の誓」とか、「桃源郷」って言葉に出てくる通り、中国では「桃」は非常にポピュラーな木だ。昨年S先生と西安に行ったときには、道端のどこにでも桃の実が売っていたのが懐かしい。当然道端の奥には桃畑が連なっているのだ。ってことは、今頃あの辺りを訪れれば、可憐な花をを咲かせた一面の桃の木に出会えるような気がする。中国で桜の花見はしっくり来ないけど、桃の花見は良いかもしれないな~。満開の桃の木の下で、チャイナ服の小姑娘さん達に白酒でもお酌して貰えばあっという間に酔ってしまう事請け合いですね。

日本では本日祝日の様で、いつもなら最低でも日に100通は届く日本からのe-mailも今日はほんの20通くらいしか送られて来ませんでした。まあ、仕事が減るんでいいんだけど、こっちは普通に仕事しているかと思うとちょっと悲しい。おまけに、今日は朝から晩まで良く働いた~。通常だと一日で廻るお客さんって多くても3箇所くらいなんだけど、今日はなんと倍の6顧客を訪問。こんだけ訪問数が多いと、事前準備も結構大変で、なにやらバタバタとした出張になりました。ラッキーだったのは、予定していたお客さんとの夕食がキャンセルになってしまった為に、ネクタイ外して仲間内だけで飯を食いに行けた事。HKオフィスの友人に案内してもらって連れて行ってもらったのは、創業150年以上の老舗の洋食屋さん。洋食って言っても、日本の洋食とはちょっと違う。そもそも日本の洋食って言えば、銀座の煉瓦亭や日本橋のたいめい軒みたいな場所を指すと思うんだよね。ハヤシライスとか、オムレツとか、メンチカツとか、ハンバーグとかそんな感じね。一方香港で言うところの洋食ってのは、ちょっと雰囲気が違う。かなり中華風にアレンジされたカレーや、餡かけ風のヌードルなんかが良く出てくる。中でもこのお店で旨いのが、鳩のオーブン焼きと手羽先のスイスソース煮込み。これがもう絶品!鳩って日本だとフレンチとかでしか食わないけど、広東料理では結構メジャーな食材。これをちょっと西洋風にオーブンで焼いて、中華風の醤油ベースタレを付けて食べるの。鳥よりも大分肉薄だが、旨みと甘みが凝縮されており、実に美味。またスイスソースと名づけられた(なぜスイスかは不明)醤油ベースの甘タレに漬け込まれた焼き手羽先がまた素晴らしい。止めはデザートのサフレ。注文してから30分程時間がかかるこのデザートは一見すると異常にでかく、とても数人で食えるような代物に見えないのだが、メレンゲを主成分とするようで、ふわふわと軽く、結構簡単に食えてしまう。甘さも控えめでなかなかに宜しいのだ。いやあ、今日も旨いものを食ったな。

ちらっと日本のニュースを眺めていたら、なんと雌阿寒岳が噴火しているのと事。雌阿寒は北海道の中でも道東に近く、俺も何度も訪れているエリアだ。何度も訪れ居る理由は当然温泉で、あのあたりには良質な温泉が沢山ある。例えば日本5大滝湯の一つであるオンネトー温泉や、素晴らしい硫黄泉の野中温泉などもこの辺りにある。直ぐ横にある雌阿寒湖は今回話題の雌阿寒岳が湖面に綺麗に映ることが有名で多くの観光客や写真家が訪れることで有名であるが、これもまた、湖のどこかで湧き出ている温泉の効果によって、湖面に綺麗に影を写しているのだ。そんなこんなで、非常に思いで深いエリアであるが、噴火によってこれらの温泉が影響を受けないことを切に願います。湯温のちょっと低かったオンネトーが適温になっちゃったりしたら、それはそれでGoodいんふるえんすだけどね。



初めてのゴルフ

2006年03月21日 02時34分37秒 | Weblog

キムです。
今日の白鵬と琴欧州の取り組みは力が入りましたねー。いやあ、良かった。今どきの相撲は朝青龍が強すぎるし、日本人は出てないしで、ちょっと詰まらなそうなイメージがあったんだが、ニュースでたまたま見たこの取り組みは実に良かった。こういう相撲ばっかりだったら、相撲人気も復活するかもしれないなあ。ちなみに、本日は今月二度目の香港に来ております。113時出発のKA(DragonAir)でしたが、機体の関係か出発が1時間ほど遅れての出発でした。いつものように、周りは外人だらけのフライトだったんで、あまり出発が遅れてもDragonAirの従業員に詰め寄る人が少なかったな~。これが中国国内だったり、ChinaAirだったりすると大変だからね。なんでこの香港便に外人が多いかっていうと、理由は簡単。中国からアメリカへの直行便が無いからなの。だからアメリカに行くには、香港とかシンガポールとかでトランジットして飛び去っていくのよね。直行便が無いって不便ですね。

ところで、今日飛行機に載っていたらプチ事件発生。乗客が全員搭乗して、離陸の為に滑走路に向おうとしていた途中の事。とつぜん4つか5つくらい後ろの席から「Help!!」「He~lp!」という女性の甲高い声が聞こえてくる。機内は急に騒然となり、シートベルトを締めて座っていたスッチーが大量にすっ飛んでくる。つい一週間程まえに偽DVDで「フライトプラン」を観ていた俺は、えっ?マジ?テロじゃないよね?やめて~!って思って後ろを振り返ると、禿げた外人のおっさんが顔を血まみれにして真っ白になっている・・・。何じゃこりゃ~??周りも人々もざわつきまくり。一体どうなってんだ~?と思っていると、どうやら誰かに打ん殴られた訳でもなく、単純にいきなり大量の鼻血か吐血をしたみたい。前者と後者ではだいぶ違う気がするけどね。おっさんは前の方に運ばれていき、飛行機の勢いは留まる事無くそのまま離陸したって事はそんな大事じゃなかったんだろうなあ。なんだったのか気にはなるけど、変な事件とかじゃなくてほんとに良かったよ。こういう妙な事が起きて、ちょっと考えたけど、飛行機の事故とか事件ってホントに防ぎようが無いもんな~。気をつけようが無いけど、気をつけないと。

結局、夕方頃に付く予定が、すっかり暗くなってからの到着となってしまった為に、予定していたHK島での買い物を諦めて、カオルンサイドのヤウマティ(油麻地)やモンコック(旺角)あたりで買い物しておりました。このGWのチベットに向けて、新しい靴とズボンを探していたのですが、なかなか良いものが見つからず、今日は断念。またあさっての午前中に時間を見つけて買いに行こう。中国もそうだけど、この香港も本当に買い物天国。何が天国って、値段だけじゃないのよね。とにかく便利。営業時間一つとって見ても、日本なんかとは比べ物にならない。所謂ブランドショップなんかも早くても21時くらいまでは営業しているし、普通のお店であれば23時くらいまで平気で開店している。これなら仕事が終わって、お客と一杯やってからでも十分買い物できてしまうのだ。これに慣れちゃうと、日本のお店ってすべて怠慢に見える。デパートに至っては19時とか20時に閉まってしまうイメージだけど、そんなん有り得ないもんな。なんで遅くまでお店あけておけないんだろうかね?人件費の問題かな。

そいうや、話が変わりますが先週末は会社の先輩、後輩が上海に遊びに来ておりました。またぞろ引きづり廻されて、相当金と時間を使って遊びました。特に土曜日には久しぶりにゴルフに付き合わされたんだよね。本当は全然行く気無かったんだけど、中国語の出来ない彼らだけでほっぽり出す訳にも行かず、仕方なくお付き合い。これがまた異常に遠くにあるコースで、7時50分スタートの為に5時半起きの6時出発。金曜は3時過ぎまで飲んでたってのに、こりゃさすがにキツイ。更に、コースがまた異常に難しい。海沿いのリンクススタイルで、風が異常に強い。フェアウェイはうねりまくりで、コースのど真ん中にバンカーやら湖並みにでかい池やらが置かれまくり。グリーンもほとんど砲台グリーンで、疲れるったらありゃしない。全く練習もしてないのに、これには本当に参りました。この異常に難しいコースで後輩は38-36で廻ってました・・・化け物め。後半に至っては全てパーセーブ。なんだか神業を見るようでした。やっぱり体育会ゴルフ部出身は違うよなあ~。ここまで余裕があると、俺が変な所に打った球もぜ~んぶ探してくれるし、クラブは持ってきてくれるしで、俺も大名ゴルフ。先輩で良かったな~とつくづく思いました。そんなこんなで、日曜日は2時間ばっちりマッサージを受けたものの、まだ背筋がちょっと筋肉痛です。ゴルフって普段使わない筋肉使ってるんだよな~。よく考えれば、これって中国初ゴルフかも・・・。まあ、何事も経験だから良しとするか。中国のゴルフはまだまだ競技人口が少ないために、全部スルーで廻ることが出来る。日本のようにハーフの後で飯食って、ビール飲んでっていう間延びした時間が無いのは非常に好感。面白かったのは、キャディさん。80RMB、100RMB、120RMBの3つのランクがあるんだけど、出てくるのは何のことは無いZhongGuoXiaoJieなんだよね。田舎から出てきたばっかりの様なネーちゃん達が中国語でガイドしてくれるの。数字とは微妙に英語なんだけど、か~なり聞き取りづらい。例えば、119ヤードと190ヤードでは大分違ってきちゃうんだけど、よっく聞いてないと聞き間違えちゃう。たまには渡されるクラブも間違ってたり。このあたり、やっぱり中式なんだけど、日本人のおっさんの中には日本のようにおばちゃんが出てくるよりも、こっちの方が全然良いって言う人も居るみたい。後輩と先輩はちょっと大変そうだったけど。


今日の晩飯は何にしようかな~

2006年03月15日 02時29分40秒 | Weblog

なんだかまた寒い陽気になってきました。
若干背中に寒気を感じます。こりゃ、薬呑んでとっとと寝た方がいいかもしれない・・・。手洗いウガイは欠かしてませんが、用心するに越したことは無いですね。

先週の金曜日、月曜日とたった2日しか会社を休んでおりませんでしたが、今日はなんだか随分と久しぶりに仕事をしたような気がしました。やるべき事盛りだくさんで、朝から晩まで必死こいて球を投げ返してました。仕事に加え、今週のお客さん用の接待用意、ゴルフ場の予約、GWの旅行の計画、帰任計画等々いろいろと考えなければいけない事が多すぎて困ってしまいます。どうしてこう忙しさってのは一度に連続してやってくるんでしょうね?暇な時に一個づつ考えられたら楽なんだけどね。まあ、同時にパラレルで幾つもの事に対応出来るかどうかが(社会における)優秀な人間の必須条件だと思いますので、日々これ訓練ってことで、じっくり考え素早く決断しながら対応していきたいです(希望)。ところで今日メール書いていて疑問に思ったんですが、「誰がボールを握っているの?」って英語ではなんて表現するのが的確なのでしょうか?知っている人いたら教えてくださいませ。

さて、今日は久しぶりの上海ナイトってことで、何の飯を食うか散々迷いました。日本から買って帰って来た北海道産の「筋子」と水戸の「藁納豆」をおかずに家で飯を作るか?それとも外へ食いに行くか?思い悩んだ挙句、向かった先は・・・「牡蘭峰餐飲」なんて読むのか分かりません・・・振り仮名の代わりにハングル文字が書かれております。そう本日の夕食は、今話題の北朝鮮料理屋さんです。昨年くらいから上海にも北朝鮮料理屋が出来ているって噂を聞いては居たけど、先日ふとした切っ掛けでお店の場所が判明したのです。通常の焼肉屋とかであれば、日系のフリーペーパーなんかを見れば大抵の場所が分かるんだけど、北朝鮮のお店って日本人を対象にしていないからなかなか場所が判明しなかったんだよね~。向かった先は古北の虹梅路、いんちき温泉マッサージで有名な小南国の近くにあります。ホテルっぽい建物の二階に入っているんだけど、俺らが着いたときには演奏の真っ只中。それもあの丹東で見たのとお~んなじ!!平日だって言うのに、席は殆ど一杯で、みんな拍手喝さいで演奏を見ている。感極まったおっさん達が例の造花の花束を持って舞台に進み、唄っているねーちゃん達に渡しまくっている。おねーちゃん達はお店の服務員も兼務している。これも一緒。服務員も兼務っていうよりも、服務員が歌を歌っちゃってる感じかな。それも全て北朝鮮の人民さんらしい。顔立ちが全く異なっているので人目で分かる。そういえば、お店のお客もその大部分が韓国系みたい。どれもこれも、全くもってこの間の東北旅行で見た景色と一緒。しっかし、な~んであの造花を渡すんだろうね~?不思議。メニューはと言えば、結構普通な韓国料理で、焼肉系や、チゲ、スープ等々です。キムチを水に浸してある水キムチと、平壌冷麺がそこそこ旨かったかな。ビールなど呑みつつ、お会計は2人で350RMBでした。まあまあかな。初めての人だったら結構楽しめちゃうかも。

ちなみに、近年この北朝鮮店が中国全土に大進出しているらしい。その理由としては、一言で言えば北朝鮮の外貨稼ぎって訳だ。どういうことかって言うと、こういう北朝鮮系のレストランってのはほぼ例外無く中方と北朝鮮の合弁会社になっているのです。北朝鮮はレストランに出資することで、お店の売り上げの一部を還元してもらう事になっているのだ。アメリカ主導の経済封鎖の中、こういった外貨を稼げる場ってのはますます重要になってきているんだろうな。一つ疑問なのは、アレだ。丹東も集安も今日のお店もそうだったけど、お店の全ての従業員が女性だって事。ホールもキッチンも。まあ、可愛いねーちゃんが居るイメージで売っている部分はあるんだろうけど、それにしても北朝鮮のオトコ共は何してるんでしょうね?

※今夜は貰ったOB戦のDVDを家で見てました。なかなか良いね、これ。去年のだけど・・・。今年のはいつ出来るんでしょうかね?

我在日本滑雪

2006年03月13日 00時30分11秒 | Weblog

今月はなんだか日本月間のようで、実は今週末も日本に来ております。今回はお仕事はま~ったく関係なく完全にOFFです。何してるかって?って言うと、先週に続いて長野の夜間瀬でスキーをしております。今週末は所属していた大学時代のスキー部のOBOG対現役対抗戦ってのが開催されていたので、これに参戦していたって訳ですね。正直今シーズンは年末の数日以外全く滑っていなかったので、今週末はあんまり乗り気では無かったのですが、先週末のあまりの天気と雪の良さにやられてしまい、ノコノコ参加して来ちゃいました。もう一つ大きな理由は、帰国にあたってHomeLeave制度を利用出来た事。HomeLeaveって何かって言うと、「一年以上海外赴任すると、一年につき1回帰国費用を会社が提供する」って制度で、簡単に言えば一年に一回分飛行機代を会社が出してくれるって話だ。丁度JALもダブルマイルキャンペーンやってるし、帰るかな~って事で思い切って帰国。完全OFFだと、スーツもカバンも必要ない為、荷物も軽くて結構らくちん。帰りは食料品でかなり重くなるのは間違いないけどね。そんなこんなで、今週木曜日の便で日本に戻ってきました。思えば先週は月曜日に日本→香港、火曜日に香港→上海、木曜日に上海→日本→長野って事でだい~ぶ、移動した感じ。やたらと乗り物に載った為とスキーのせいでちょっと腰痛が復活気味。こまめにお湯に浸かりながら神経痛を併発しないように気をつけております。

肝心の大会ですが、金曜日曜共に先週と同じく晴天に恵まれて素晴らしい環境での練習・大会となりました。やっぱり晴れている日はやる気倍増になります。これで雪でも降られた日には一気にやる気なくなるからな。金曜日は一日学生の練習に参加させてもらい、午前午後とGS(大回転)の練習を行いました。ちょうど志賀高原にてWC(WorldCup)が行われていたので、そっちの結果を気にしながらの練習でした。佐々木、皆川、どちらも大活躍の二日間みたいでしたね。特に金曜日の佐々木のレースは是非行きたかったな~。二本目終わった時点でトップ。上位が次々に破れていくのをゴールエリアで一緒に見てたら最高に盛り上がったに違いない。結局2位だったけど、もう優勝も時間も問題になって来た感があるよね。日本人初のWC優勝、実に楽しみです。んでもって、こっちの大会はって言うと、現役とOBOG併せて30人ほどのこぢんまりとした大会ですが、懐かしい顔が何人も混ざり楽しい雰囲気です。セット的にはインターバル短めの振り振りセットで、リザルトとしては近年定位置になりつつある3位に沈みました・・・。確か、去年も一昨年も2位だか3位だかだった気がするし。なかなか勝てないんだよなぁ。1本目は現役の若いのに続いて、2位に付け、2本目で逆転を狙って果敢に攻めてみましたが、残念ながらDF(途中棄権)。それどころか2本目ではライバルであり可愛い後輩の1人であるMにまくられてしまい、0.26秒差で3位に後退。唯一良かったことは去年まで負けていた後輩Hを負かしてやった事くらいかな。午後にはSL(回転)競技を行いましたが、こっちも微妙な結果。GSではやっつけてやった後輩Hと勝負する事に。途中若干リードしたものの、焦りすぎて片反(片足通過反則)で負け。諦めきれず、再度挑戦するもやっぱり途中棄権。これでSL2連敗。がっくり・・・。SLでちょっと良かったことと言えば、後輩Mを2勝1敗で負かしてやったことくらいかな。また来年も勝負するからなっ!。チームとしてはOBOGチームが現役チームに勝利したものの、なんだかイマイチすっきりしない結果でした。まあ、俺ももう32歳だし、今年は練習して無いし、怪我もしなかったし、現役の学生と互角に戦っただけでも善しとするかと、なんとなく消化。

レース自体はお昼の一大イベントではあるけれど、OBOG対現役戦のメインコースは夜の打ち上げ。懐かしい仲間が久しぶりに顔を会わせて、レースやって酒飲んでってこれまた最っ高!ですね。こうして学生時代の仲間(全然学年被ってないメンバーも沢山居るけど)と一緒に馬鹿やるってのは楽しいですね~。毎年毎年飲みすぎ飲ませ過ぎになっちゃいますが、一年に1回なんでそれも良いでしょう。去年に引き続き中国の白酒も大好評(?)あっという間に蒸発してしまいました。レース自体はどこまで続けられるか分かりませんが、仲間と酒飲むのはいつまででも出来るので、今後も良い関係を築いていきたいものです。

今日も本当は大会エントリーしていたものの、全く起きる意思と気配を感じずにDS(Did not start)となりました。朝の4時過ぎまで本気飲みしているのに、6時半とかに起きて飯食ってスキーなんていける訳無いっての。おまけに大雨?大雪?だし。無駄な参加費払っちまったな・・・。来年は止めとくかな。結局今日は11時頃起きて、まず温泉へ。夜間瀬の日進の熱い湯が俺の体から酒を抜いてくれる。昼は蕎麦屋でざる蕎麦。部屋でだらだらしながらレース参加者の帰りを待つ。(あれだけ飲んで翌日ちゃんと朝起きてレースに参加した現役+一部OBOG連中、キミ達すんばらしいよ。)マージャンなど打ちながらゆっくりしていると皆の用意も整い、夕方宿に別れを告げました。この日は昨日と打って変わって、馬鹿みたいな大雪。ちょっと車を放置しただけでもガンガン雪が積もって雪下ろしが必要なくらい。本当は雪見温泉にしたかったが、諏訪で降りて毒沢温泉に浸かり、念願の「鰻 古畑」を食した後帰宅しました。いや~いい休暇になった。大会を運営してくれた現役に感謝。集まった仲間に感謝。往復の運転してくれたMに感謝。

※ 写真は湯田中駅の近くにある俺のお気に入りの蕎麦屋さん。もうかれこれ十数年通っている蕎麦屋です。夜間瀬に来たときは必ずここに寄ってざる蕎麦を食します。田舎風の粗挽き蕎麦で実に味と香りがあるんだよね。好き。