氣まぐれ剣士の言いたい放題

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330 不機嫌

2006-04-22 22:26:49 | Weblog
氣まぐれ剣士の言いたい放題

330 不機嫌

  人は元々、機嫌良く生きられるように出来ています。われわれの「不機嫌」は、単なる甘えの問題だそうです。この世に自分を「不機嫌」にさせる人が存在するのではありません。

われわれは誰かかのセイで「不機嫌」にさせられたと想いたいかもしれませんが、われわれを「不機嫌」にすることが出来るのは、自分自身以外にはないそうです。

人間は元々、機嫌よく生きられるように出来ているそうです。機嫌は「起源」。我々の源は常にご機嫌であり、それは「ご喜元」に通じます。人間は元々、喜びの存在であり、その「起源」を見失ってしまった時、「不機嫌」という状態に陥ることになるそうです。

厳密に言えば、「不機嫌」になるのではなく、 われわれが「不機嫌」を演じているだけなのですね。
人間関係の中でわれわれが「不機嫌」を演じる時、そこには「不機嫌」な態度を相手に見せることにより、もっと自分のことを尊重し、自分に対して気を遣って欲しいという甘えがあります。

自分に対する自信の無さや自己重要感を相手に対してアピールするための手段として「不機嫌」な態度を示しているに過ぎませんね。

われわれがイライラと「不機嫌」な態度を示すことによって、確かに相手はわれわれのことを腫れ物に触るように丁寧に扱ってくれるようになるかもしれません。
しかしそれは決して、われわれの存在に敬意払っているからではなく、 われわれの「不機嫌」な態度に巻き込まれないように警戒しているだけに過ぎなのですね。

われわれは自分の存在を認めて欲しくて「不機嫌」な態度を示しているのかもしれませんが、「不機嫌」な態度を示せば示すほど、相手からの評価はますます低下するようです。

 たしかに、不機嫌になったり怒れば相手が納得してくれると思いがちですが、実は敬意を払っているわけではなく、警戒しているだけなのですね。
 そういえば、女房殿が「はい、はい、わかりました」と“はい”を2回言うときは、納得したからではなく、もう相手にしたくなかっただけなのですね。妙に納得しました。

いかがでした。
次回もお楽しみに。
以上