氣まぐれ剣士の言いたい放題
520 極楽
「極楽」とは、読んで字のごとく、「楽しさを極める」ことですね。 トコトンまで楽しさを追求すると、その時その場所が「極楽」になるそうです。
決して、あの世に行くことや、酒池肉林の快楽の世界に溺れることが、「極楽」なのではないそうです。
「楽」と「楽しい」は、似て非なるものです。「楽」をすることを「楽しい」と勘違いしてしまうと、どんどん「楽」な方に流されていきます。
一方、「楽しい」ことを選び続けていると、時には辛いことも苦しいことはあるかもしれませんが、 自らの意志で流れに乗っていることがわかるかもしれません。
勝手に「流されている」のか、それとも自ら積極的に「流れに乗っている」のかが、「楽」と「楽しい」の違いだそうです。
自らを監獄に閉じ込めてしまうことを「地獄」と呼ぶそうです。
「楽」な方に流されていく先のことを、人は「地獄」と呼び、「楽しい」方向の流れに乗っていく先のことを、人は「極楽」と呼ぶのかも知れません。
「迷ったら、迷わず楽しい道へ行け」という言葉があります。
迷ったら、立ち止まって、どちらの道を選択すれば、自分が心の底から楽しくなるのかを考えると良いかも知れません。
周りが喜ぶ方ではありません。もちろん楽な方でも、得する方向でもありません。 自分の中の「楽しさ」を基準にして、それを選択し続けていくと、その先には「極楽」が待っているのです。
そうですね。楽しさを極めるのが「極楽」。ならば道を極めるのが「極道」ですね。でも「極道」というとヤクザ屋産みたいで、あまりいい印象はありませんね。小生、楽しさも、道も極めたいと思いますので「極楽道」と名づけたいのですがいかがでしょうか。“極楽への道”とも読めますが、“道楽を極める”とも読めますね。
いかがでした。
次回もお楽しみに。
以上
520 極楽
「極楽」とは、読んで字のごとく、「楽しさを極める」ことですね。 トコトンまで楽しさを追求すると、その時その場所が「極楽」になるそうです。
決して、あの世に行くことや、酒池肉林の快楽の世界に溺れることが、「極楽」なのではないそうです。
「楽」と「楽しい」は、似て非なるものです。「楽」をすることを「楽しい」と勘違いしてしまうと、どんどん「楽」な方に流されていきます。
一方、「楽しい」ことを選び続けていると、時には辛いことも苦しいことはあるかもしれませんが、 自らの意志で流れに乗っていることがわかるかもしれません。
勝手に「流されている」のか、それとも自ら積極的に「流れに乗っている」のかが、「楽」と「楽しい」の違いだそうです。
自らを監獄に閉じ込めてしまうことを「地獄」と呼ぶそうです。
「楽」な方に流されていく先のことを、人は「地獄」と呼び、「楽しい」方向の流れに乗っていく先のことを、人は「極楽」と呼ぶのかも知れません。
「迷ったら、迷わず楽しい道へ行け」という言葉があります。
迷ったら、立ち止まって、どちらの道を選択すれば、自分が心の底から楽しくなるのかを考えると良いかも知れません。
周りが喜ぶ方ではありません。もちろん楽な方でも、得する方向でもありません。 自分の中の「楽しさ」を基準にして、それを選択し続けていくと、その先には「極楽」が待っているのです。
そうですね。楽しさを極めるのが「極楽」。ならば道を極めるのが「極道」ですね。でも「極道」というとヤクザ屋産みたいで、あまりいい印象はありませんね。小生、楽しさも、道も極めたいと思いますので「極楽道」と名づけたいのですがいかがでしょうか。“極楽への道”とも読めますが、“道楽を極める”とも読めますね。
いかがでした。
次回もお楽しみに。
以上