百畑キクリの古代史を探る

一位ヶ岳・湯の華観音(山口県一の俣)レイラインの研究

古代史を、通説に囚われずゼロから考えて行きます

史家の考察の網に掛からない一位ヶ岳と湯の華観音塚

2024-07-17 08:27:53 | 古代史
 

 私の研究では、一位ヶ岳と湯の華観音はセットであり、約1700年前に朝鮮半島の百済から
渡来したイスラエル失われた10支族のダン族の一団が、当地一の俣の里を最終地に選び住み着いたと考える

 ダン族は、イスラエル王を守護する役目を負う武族で、秦氏系がそうであり、王(または末裔)と共に当地に渡来(逃れ)した後、主を湯の華観音塚に葬ったと考える




 秀峰一位ヶ岳の名前は「いちいの木」が語源であり、一の俣の語源も同様で、アイヌ語「イチイマンタ=キリストの野原」が変訛したと考える

 「櫟(いちい)の木」はイエス・キリストの象徴である
 
 その語音(いちい)を山に名付
ることで、キリスト教(おそらくユダヤ教から分離した原始キリスト教)を信仰する一族一団であることを残したかったのだろう

 一の俣の里には、「丸に剣方喰(かたばみ)」家紋の家が数軒ある

 三枚の方喰の葉と三本の剣でイスラエル6亡星、

 方喰はダン族シンボルの蛇を
表すと考える

 また、湯の華観音堂守の本家と分家が直線上に並べてあるのにも、何らかの意図を感じる

 秋田県に、黒又山(通称クロマンタ)という古代ピラミッド説の山がある

 「黒又」はアイヌ語の「クマンタ」が変訛したと考えられ、「クマンタ=神の野原」を意味するらしい

 前述のように、「一の俣」は「イチイマンタ」の変訛であり、

 一位ヶ岳・出雲大社・黒又山
が直線上に並ぶ(レイライン)構成に納得できる

 
 黒又山の北東の、大石神ピラミッド、伝キリスト墓(新郷村)とも、ほぼこの直線上に並ぶことも判明した

 研究上、一度行かなくてはならない場所である




 古代の一の俣の地は、原始キリスト教徒の一大ユートピアの里だったはずである

 当時、一位ヶ岳の噴火は既に止んでいただろうが、
 一位ヶ岳を霊山と仰ぎ称え、その南に位置する観音塚に眠る被葬者を弔ってきたのであろう





 最近、湯の華観音の場所が、星座の大犬座の口にあたるシリウス星になっていることが解った

 当地に、シリウス信仰に基づく星座地上絵が描かれていたことになる










 地上絵と言えば「ナスカ地上絵」が有名である

 昭和時代に、山口県在住の郷土史家の原田美凉氏は、県内に
「山・神社を使った地上絵」の
存在を提唱している

 その規模はナスカを凌ぐと言う

 私は、原田氏の「武人図地上絵」を研究に引用させて頂いた結果、「大犬座地上絵」を発見することが出来た
 又、「万倉大岩郷」(山陽小野田市)と「吉部大岩郷」も天然記念物ではなく、人工構造物(墓?)である結論に辿り着くことが出来た


 先人の研究のお陰である

 又、山口市在住の池畑孝次郎氏は、中国五行思想と風水に基づき、「北斗図、鳳凰図、五形図」なる地上絵を発見している

 湯の華観音「大犬座地上絵」が、これらの地上絵とも関連していることは想像に難くない

 原田氏は、山口県豊田町の町境線が「鳳凰」を表し、同町が「大和飛鳥」の原型モデルだと
も言っている

 私達が知る、奈良を中心とする大和飛鳥地域が、実は元々あった「アスカ・豊田町」という古代都市を模して造られた、後発の地域名になるのかも知れない

 このように、「一の俣」の地が、古代の重要地である可能性が高いにも関わらず、古代史研究者の目に全く止っていないことは逆に不思議と言わざるを得ないのである

 そう遠くない日に、

全てが白日の下に明らかになることを願っていますし、其れが研究の原動力なのです

 


※ 研究に関係する情報をお持
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 しています。

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