話し方教室 of 東京

kikikata.com【東京話し方教室】で起こる日々の出来事や感想や感動を綴ります。

ナターシャ・グジーで思ったこと

2008-08-07 06:18:38 | Weblog
NHK教育で放送されている視点・論点ってご覧になったことありますか?

そうでした、今日(っていうか、本当は昨日)は8月6日。
原爆が広島に投下された日だったのですね。

でも、私は忘れていたの、R45や、授業や、明日ブログに出すようなことに紛れて・・・。

でも、たまたま、その番組の後半を観られた。

余りに美しい外国人女性(後にウクライナ人と知る)が、余りに美しい日本語で、視聴者に正面から向き合って語りかけていたので。
私は本当に胸打たれながら、画面に食い入るように見入りました。

チェルノブイリとヒロシマ
と題したその語りは、非常にゆっくりしたテンポで、多くを語らないけど、本当に深く深く私の胸に沁み込んできました。
途中からだから、論旨がはっきりしなかったのに、深い悲しみを伝えてくれるには、いくつかの名詞と見つめる眼差しだけでいいのだと思えた程でした。

最後は彼女は歌を歌いました。
きっと、元々の速さよりゆっくりしたテンポで。

千と千尋の神隠しの主題歌。
私はその歌を初めて歌詞を追いながら聴いたのですが、又しても深い感動を与えられました。

胸がずんって沈むような感じ。
まるで、胸がいたいような・・・。

そんな深い感動を、論旨がはっきりわからないのに得る、というのが、ものすごいと思った。

無論、放射能の恐ろしさを訴えているに違いないし、最後の彼女の主張は、その恐ろしさを忘れないでもらいたい、ということだったので、ヒロシマの隣の県に生まれた私は、予備知識もある分、情緒的にすら平均的日本人より多くを感受し得たかもしれなかったのですが。

最後に、その番組が「視点・論点」だったことを知り、更にびっくり。

あの番組って、論者のほとんどが原稿読みするか、それに近い印象じゃない?
その人が言いたいことなんだ、という点はわかるけど、そんな読み上げる?って。

でも、今回のナターシャ・グジーのは、眼差しを私達に向けてくれていたから、本当にそれで私は見入った。

感動は、論旨からよりも、より、情緒に訴えられた時強く与えられるのかなと、今回は思わざるを得なかった。
その「情緒的感動」は、
1)見つめる視線
2)外観(彼女が美人だったこと)
3)外国人が実に正しい日本語で話した事実からくる驚き
4)ゆっくりした語り口
5)歌から与えられる真に情緒的そのものである感動

と分析しました。

3)や5)は、どうしても無理だけど、2)は、服装で補ったり、と、スピーチが与え得る感動を考える上で大いに参考になるように感じました。
特に1)の視線の強さ。
(ごめん、これって、美人が見つめて話せば、どんな論旨も通るって意味?(゜o゜)??m(__)m)
m(__)mm(__)mm(__)mm(__)mm(__)mm(__)mm(__)mm(__)m

それだけで、今しも、不思議な感動に包まれている気がします。
そうして、原爆が引き起こした深い悲しみに思いを致し、忘れてはならない、と、もう一度心に言葉を言い聞かせる私がいました。
ナターシャの意図は余りに強く私に届いたのです。

尚、今ウエッブで調べると8/15に茅ヶ崎で平和コンサートを無料で開催される模様。
水晶のような澄んだ声は聴く価値あり、でしょう。