哲学日記

ブッダの「神聖」論 『神聖』とは自己を修養すること。

聖(sacred) お釈迦様が解説する〈神聖〉の世界|スマナサーラ長老の初期仏教テーマトーク(07 Nov 2021 ゴータミー精舎)


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作成されたチャプター

から引用させていただきます。

強調処理は私です。

 

2:03:59 

自分を島にする(自灯明) 仏陀は自分が自分の島になること、灯火になることを教える。 自分で自分の一切の束縛を破れと説く。 自分の無知で、欲望で、期待・願望などで、束縛されているのだと説く。 誰かがバチを与えているのでもなく、誰かが自分を束縛して奴隷にしているわけでもない。 人は自由を求めて奴隷になっている。 生きることに壮大な矛盾がある。その矛盾を解く。

 

2:10:10 

価値ある生き方 自分を開発する生き方にこそ価値がある。

道徳を守らず、精神的に混乱して千年生きるより、道徳を護り、精神的に落ち着いて一日だけ生きることが良い。」(Dh.110)

 

智慧がある、こころの統一がある人の一日は、俗世間で千年生きるよりも価値がある。」(Dh.111)

 

現象は生滅し、変化し流れるのだと知らず千年生きるよりも、生滅変化を発見して一日だけ生きることに価値がある。」(Dh.113)

 

2:14:26 

……「百年のあいだ、月々千回ずつ祭祀を営む人がいて、またその人が自己を修養した人を一瞬間でも供養するならば、その供養することのほうが、百年祭祀を営むよりもすぐれている。」(日本語訳:中村元 以下同)

『神聖』とは自己を修養すること。

 

2:20:05 

……「百年のあいだ、林の中で祭祀の火につかえる人がいて、またその人が自己を修養した人を一瞬間でも供養するならば、その供養することのほうが、百年祭祀を営むよりもすぐれている。

 

2:22:22 

……「功徳を得ようとして、ひとがこの世で一年間神をまつり犠牲をささげ、あるいは火にささげ物をしても、その全部をあわせても、(真正なる祭りの功徳の)四分の一にも及ばない。行ないの正しい人々を尊ぶことのほうがすぐれている。

人格を正した人にする供養が功徳になる。

 

2:28:40 

……「つねに敬礼を守り、年長者を敬う人には、四種のことがらが増大する。すなわち、寿命と美しさと楽しみと力とである。

一般人が、宗教を信じることで期待する結果は、信仰する宗教から得られない。 〔釈尊は〕人の希望が叶う方法を説かれた。

 

 

(ブッダの「神聖」批判のまとめ)

2:33:20 

何を言う?

人類の信仰・宗教・迷信などを中心にした生き方を簡単に却下されている。

しかし、見事に人々のプライドを傷つけない。

仏陀が一切の宗教を否定していることに、人々は未だに気づいていない。

しかし、個の行為の結果を個が受けるのだという類いの教えは少々マシだと言われている

仏陀の「神聖」批判:終わり

 

〈以上引用終〉

 

 

ブッダは究極革命を成し遂げた

天上天下唯我独尊の存在だ。


よく誰某は仏教に革新をもたらしたなどというが、

ブッダの教えに革新が必要な欠陥などない。


「革新」したら、それは必然的に改悪になる。


ブッダの教えの正直な励行が、

あらゆる実現可能な革命の究極完成形だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

サッチモの
「この素晴らしき世界」


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「この素晴らしき世界」で、なにしてる?

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