哲学日記

悪行為をしてもすぐに結果が出るわけではない

ダンマパダ71偈~悪行為をしてもすぐに結果が出るわけではない - YouTube

 

[感想]


(曹洞宗 修証義 第一章総序より引用させていただきます)

因果の道理歴然としてわたくしなし


悪を造りながら悪にあらずと思い、悪のほうあるべからずと邪思惟じゃしゆいするにりて悪の報を感得せざるには非ず。
(以上)




 世間では、悪を悪と知らずにした過ちは、悪と知りながらした悪より、罪は軽いはずだというずうずうしい考えがある。法律にも、このずうずうしい考えを助長する愚かな一面がある。

これは全く間違いだ。


悪を悪と知らずに行うと、知って行うより重い報いがある。



 無知により、悪を悪じゃないと思い込んでいたり、 これは悪だが報いなどないと自分勝手に強く信じても、悪の報いを軽減することは一切できない。

 

 

無知は人を助けず破滅させる。

無知は懺悔を妨げるからだ。

 

 

 

 

 

【道元 『正法眼蔵』三時業】より引用させていただきます。

いはゆる善悪之報有三時焉、といふは、三時、一者順現法受、二者順次生受、三者順後次受、これを三時といふ。仏祖の道を修習するには、その最初より、この三時の業報の理をならひ、明らむるなり。

 

悪をつくりながら悪にあらずとおもひ、悪の報あるべからずと邪思惟するによりて、悪報の、感得せざるにはあらず。悪思惟によりては、きたるべき善根も、転じて悪報のきたることもあるなり。悪思惟は無間によれり。

 

 

三時業 - つらつら日暮らしWiki〈禅・仏教関連用語集〉

より引用させていただきます。

【定義】

①原因としての善悪の業(行い)によって報われる結果を、報われる時世での遅速にしたがって3種類に分類したもの。現世で報いを受ける業を「順現法受業」。次世で報いを受ける業を「順次生受業」。第三世以降で報いを受ける業を「順後次受業」とする。簡単に、「順現報・順次報・順後報」という「三報」ともする。また、このような時期が定まらない不定業も合わせて4種類とする。この詳細は『倶舎論』巻15「分別業品第四之三」にて説かれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

アヴィーチーのビデオからは
歌詞を超えたメッセージ
が伝わってくる。
 

意味のないことを繰り返す人生。

それでいいのか。

 

 

(過去記事統合増補編集再録)

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