哲学日記

映画『赤い玉、』苦が苦聖諦に昇華できないとどうなるか

大学教員に就きつつも映画監督である時田修次は、新作の撮影に臨んで行き詰っていた。時田は、愛人・唯の美貌に癒されながら脚本を練り、あくまでも経験に基づく作品を撮ろうと考えるが、そういった自分の生き方が、まるで映画の中でうろつく役柄のような気がしてならなかった。ところが、女子高生・律子との出会いによって、時田の心と人生に異変が起こり始める。

 

 

 

 

 泥沼の中に居るのに1ミリも前進しない。
なぜか。
その自分の停滞状況に苦しむ以上に、けっこう夢中で楽しんじゃってるからだ。

 
つまり、四聖諦前半に始終しているが、
そのことに対する明晰な自覚
(サティ、マインドフルネス)
がない。
 
その為に、苦が聖にならず、たんなる苦でしかない。
集も聖にならず、たんなる苦の原因でしかない状態だ。

 
苦しみと苦しみの原因の無限サイクルの中に留まっていて、
当然何も解決せず、次第に追い詰められ悪化していく。

 
そのありさまが描かれているとおもう。

 

 

 

 

 ブッダは

苦であるものに夢中になっている人は、
当然苦から解脱できない

道破している。

 

(相応部カンダヴァーラヴァッガ 17巻39頁64項)HP「ターン・プッタタート」ブッダの言葉による四聖諦・完全版『五蘊は知り尽さなければならないもの』より引用します。

 比丘のみなさん。形に夢中になっている人は、
その人は苦であるものに夢中になっているのと同じです。
私は「苦であるものに夢中になっている人は、
当然苦から解脱できない」と言います。

 比丘のみなさん。受に夢中になっている人は、
苦であるものに夢中になっているのと同じです。
私は「苦であるものに夢中になっている人は、
当然苦から解脱できない」と言います。

 比丘のみなさん。想に夢中になっている人は、
苦であるものに夢中になっているのと同じです。
私は「苦であるものに夢中になっている人は、
当然苦から解脱できない」と言います。

 比丘のみなさん。すべての行に夢中になっている人は、
苦であるものに夢中になっているのと同じです。
私は「苦であるものに夢中になっている人は、
当然苦から解脱できない」と言います。

 比丘のみなさん。識に夢中になっている人は、
苦であるものに夢中になっているのと同じです。
私は「苦であるものに夢中になっている人は、
その人は当然苦から解脱できない」と言います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おまけ)

ベット・ミドラー。
本物の歌手であり、本物の女優。
「Boogie Woogie Bugle Boy」

 

 

 

映画「ローズ」でも「ステップフォード・ワイフ」でもベット・ミドラーはすばらしかった。

「ローズ」はジャニス・ジョプリンをモデルとしたベット・ミドラー主演の映画です。
「The Rose」

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る