哲学日記

呼吸さえあれば、誰だって修行できます。

 

 悟りとは、滅苦の実現だ。
滅苦の実現に、苦聖諦の実感は必須の前提だ。
苦聖諦の実感によって生じる特別なエネルギーだけが、
サティの持続を可能にするからだ。
呼吸さえあれば、誰だってその場ですぐに

サティを始められるが、
それが3分と続かない、

苦聖諦の助けなしでは。

 

 

 

「命とヴィパッサナー
それは一つなのです」
とカンポン・トーンブンヌムさんは教えてくれる。

カンポン・トーンブンヌムさん「死・それは命の最後の授業」 


www.youtube.com

 

 気づきの実践1ヶ月で悟ったカンポンさん。

脊髄損傷で首から下がほとんど動かなくなったカンポンさん。

滅苦を求めて十六年間仏教を本で学んだが、
「ただ知識だけでした。苦しみはそのまま」
「地図はあるけれどまだ旅には出ていない、そんな感じでした。行きたい目的地には程遠かった」


しかし、過酷な体験で苦聖諦を体得したカンポンさんは、手のひらをひっくり返す感覚に気づき高めていく正しい実践を1ヶ月ほど必死に続けて、ついに「今ここ」を体得し滅苦を実現する。
1ヶ月!!

 

ブッダは
「放逸にふける者は 生命ありとも すでに死せるにひとし」(ダンマパダ21)と説いてる。
「サティが失われている間は死人に等しい」という意味だ。

「命とヴィパッサナー
それは一つなのです」
も、そういう意味だ。

 

 

 

サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること

 
 
 
 
 
 
 
 
 

(My Favorite Songs)

[和訳] Oh, Pretty Woman - Roy Orbison 


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(過去記事編集再録)
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