哲学日記

苦聖諦を得た人がすべき事

一昨日の記事
の補足(続き)です。

 

 苦聖諦を理解できたら、アナパナサティ(入息出息への気付き)瞑想を実践する必要が生じます。実践方法は他にもたくさんありますが、アナパナサティはブッダ一押しの方法です。

 アナパナサティ自体は別に難しくない。
ただ自分のしている呼吸に気づけばいいだけです。
長く息を吸ったら『長く息を吸った』と知り、長く息を吐いたら『長く息を吐いた』と知る。短く吸ったら『短く吸った』と知り、短く吐いたら『短く吐いた』と知る。これだけです。

 ところが苦聖諦の理解が浅いと、
この簡単な法が、簡単すぎてできないのです。
難しいと「難しすぎてできない」と言うくせに、
簡単だと「簡単すぎてつまらん。アホらしくてできない」と言う。
アホらしいのはお前だろ。

 

実は、苦聖諦の理解を深める一番の早道がまた、このアナパナサティなのです。
つまり、
 
苦聖諦がアナパナサティを完成させ、
アナパナサティが苦聖諦を完成させる
 
とも言えます。
 
ループバグですか?
 
いえ、ループですが、バグではありません。
 
というのも、この種のループは、
正しい認識が、あるレベルに達すると、必ず顕れるパターンで、
その意味において、必然で正常だからです。
 
 
 
ここは、呆然と立ち尽くさずに、決意して強行突破すべき場所です。
各人の頑張りしだいで、道が天と地に別れる関頭ですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (My Favorite Songs) 

ポール・マッカートニー&ウイングス
『007 死ぬのは奴らだ』主題歌 

www.youtube.com

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