いまさらですが 『おくりびと』
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もうテレビで何度もやった国民的映画。
元ネタ本『納棺夫日記』は大昔読んだが、映画とはだいぶ違う印象だったとおもう(具体的内容はすっかり忘れたが)
国内外で多くの賞をとっただけあって、
映画自体はよくまとまっていて良い出来だ。
しかし、この「物語」に感動する社会には、根本的にとんでもないインチキが潜んでるとおもう。
「人は死んでも生きている」妄想は、人が死ぬたびに葬儀場で必ず確認しあうみんなの儀式になってる。
この共同妄想は今に始まったことじゃないが、「おくりびと」が世界的に評価されて気づくのは、その表白においてだんだん臆面がなくなってきてるという事実だ。
当時、世界的な映画大賞を獲り大ヒットもし、テレビ各局で「おくりびと」特集をやってた。
映画は必ずしもそれを主張してないかもしれないが、番組でコメントする有識者は、例によってワンパターンの結論「死んでも生きている」に犯罪的安易さで視聴者を誘導し、そうしておいてそれを日本民族が世界に誇るべき大発見・大見識のように言ってるのを見て、おれはあきれはてた。
次に、もう1本の映画『岸辺の旅』
…誰も死んでないことになってる。
Bande-Annonce: Vers l'Autre Rive - 岸辺の旅 (2015) de Kiyoshi Kurosawa
失踪中に死んだ夫が妻のもとに帰ってきて「俺死んだんだ」と言い、夫の思い出の場所巡りを二人でする話。
霊魂が不滅であるという考え方は、生ける人間の生命への執着と死者への愛着とのあらわれでありましょう
(川端康成)
この種の物語では、決まって
死者が「生きてる君のことが忘れられず、あの世から戻ってきた」と生者に言うのだが、
もちろん真相は逆だ。
生者の執着が死者を語らせてるにすぎない。
「あとから行くよ。また会おうね」
「うん、待ってるよ」
…已矣哉
いじめも戦争もなくなることはない。