「三度目の殺人」
これは名作だって、始まって数分でわかる映画ってあるよね。
この「三度目の殺人」なんかまさにそれだよ。
この映画、監督のオリジナル脚本だからね。
是枝裕和て、芥川賞とか獲る気になればすぐ獲れるレベルの人だ。
この映画を観て、聖書の「 汝、人を裁くことなかれ」はやはり至言だと思った。
俺・俺のもの病に何万年も長患いしてる人間には、決して守れない無理な要求だが。
俺・俺のもの病の人間の集まりである社会は、いじめや戦争で殺し合うだけでは足りず、司法の場でも、それぞれの俺・俺のものを守るために正義公正秩序の美しい名目で殺し合いを行っている。
「三度目」の殺人は、人間社会がシステマチックにやっている。
「三度目」の殺人は、人間社会がシステマチックにやっている。
[俺・俺のもの病]→「脳はなぜ信頼できないのか」
スマナサーラ長老。 YouTube「瞑想前の法話」
法話聞き取りメモ
脳細胞の仕事は他の細胞をとにかく生かすこと、それだけ。
脳は、自分は常に正しいと思って指令している。
脳には死を認識する力がない。自分の死を想像することも妄想することも不可能。
脳には真理か嘘かは関係ない。生きられるか(生きられ)ないかだけ。
怒り嫉妬憎しみ。自分が生きられるかないかというバイアスで判断する。
ブッダは脳を信頼していなかった。脳はまるっきり信頼できない。
ヴィパッサナーは脳のバイアスを取り除く智慧。智慧は脳細胞の働きではない。
脳はなぜ信頼できないのか。
脳は昔必要に迫られて偽造した自分意識(俺・俺のもの)に、今や逆支配されすっかり我欲の奴隷に落ちぶれている。
おもちゃを取れれた子が「ギャーッ」と叫ぶ。
あれは、おもちゃが欲しくて泣いてるんじゃない。
自分のものを盗った!!!
と怒ってるんだよ。
あんなかわいい子供がすでに我欲の奴隷になっている。
俺・俺のものが、でっち上げだという事実に、もはや気づくことさえできない間抜け。
そんなもの信頼していいわけがない。
(My Favorite Songs)