一昨日の記事でこう書いた。
「人間は死ぬ定めだ」と情報知識で得るだけではだめだくらいは、当然多くの人が気づいてるはずだ。この知識を智慧に育てないとなんの助けにもならないと、とっくに気づいてる。
では尋ねます。智慧とはなんでしょう。
それは天才的な一瞬の閃きなどではなく「聞思修証を起すを智慧となす」(道元・八大人覚)
つまり聞(これが情報知識)→思→修→証と油断なく持続する地道な実践のことだ。
(以上)
知識は単なる「聞」で、智慧は「聞思修証を起す」ことです。
この峻別があいまいな人が意外に多いかもしれません。
このあいまいさから出てきたとおもえる質問に、親身に応えるスマナサーラ長老の法話をお聴きください。
なぜ解脱を目指すのか? 捏造世界からの自由|スマナサーラ長老の切り抜き法話(初期仏教Q&A)#悟り #涅槃 #jtba ※テロップ入り
だから私は一応質問しますよ
では、あなた、それを知ったから
あなた、これから問題を作らない人間になったんですかね?
妄想して悩み苦しみを作らない人間になったんですかね?
自我は成り立たないと あなた言っていますけど
あなた、本当にそれ発見しているんですかね?