哲学日記

八正道の正見とは何だとおもいますか

 ターン・プッタタート の法施図書室(Buddhadasa)

テーラワーダ仏教のいくつかの不思議なことー1954年ビルマで開催された第六結集にて
より引用させていただきます。

 

(八正道について)
正しい見解による正しく洞察する力は、かならずその人の知識を、正しい知識体系にします。必ずそうなります。だから正しい見解によって正しい目的を持つことができ、必ず正しい目的になり、言葉は正しい発言だけになり、行為(カルマ)はすべて正しい行為になり、生活は正しい生活だけになり、努力は正しい努力だけになり、サティは正しい方のサティだけになります。

かならずそうなり、そうならないことはあり得ません。いま述べた理由により、正しい見解の力によって、残っている六項目の実践は難しいことではなくなります。

(引用終)

 

 こんな素晴らしいパワーを持つ八正道の最初である正見

とはなんでしょうか。

 

 

正見とは、端的に云って

 

自分は死を超えられない

 

とはっきりと気づくことです。

端的に云えば、それだけです。

 

 

これは、世間知と真逆なのです。

世間は

口先だけ

人間は死ぬ。そんなの常識。小学生でも知ってる。

と言い、

心で

俺様は絶対死な~ん

と妄想してるからです。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る