哲学日記

坐禅すると童心に帰る

昨日の「赤ちゃん時代の自由を思い出せ」の補足です。

 

「坐禅すると童心に帰る」質問NO.27 - YouTube

 

 

「童心に帰れ」「先入見なしに世界を観よ」は、曹洞宗僧侶遊心・道宣両氏も注意されてる通り、人の口に上がり過ぎてすり減り、矮小な「わがままの勧め」に陳腐化し、さらには「本能のままに動物として生きる」にまで腐敗が進むこともある。

 

実際にそれを地でいく長老級高僧の怪聞も昔から絶えない。出家でさえこれなら、世俗の有様などはいうに及ばない。

 

道元禅師「八大人覚」大人だいにんの教えと酷く乖離し、完全に真逆になってる。

 

(道元禅師 正法眼蔵八大人覚)

から引用させていただきます。

一つには少欲
かの未得の五欲の法のなかにおいて、広く追求せず。名づけて少欲となす。…

二つには知足
已得いとくの法の中、受取、限りを以てす。称して知足といふ。…

三つには楽寂静ぎょうじゃくじょう
もろもろのかいにょうを離れ、空間に独処す。楽寂静と名づく。…


かい閙」=喧噪けんそう(さわがしいこと)

四つには勤精進ごんしょうじん
諸の善法に於て、勤修無間、故に精進と云ふ。
精にしてまじらず、進んで退かず。…

五つには不忘念ふもうねん
また守正念しゅしょうねんと名づく。法を守って失わず。名づけて正念と為す、また不忘念と名づく。…

六つには修禅定しゅぜんじょう
法に任して乱れず、名づけて禅定といふ。…

七つには修智慧しゅちえ
聞思修証もんししゅしょうを起すを智慧となす。…

八つには不戯論ふけろん
証して分別を離るるを不戯論と名づく。実相を究尽す。すなはち不戯論なり。…

これ八大人覚はちだいにんがくなり。
一一各八を具す。すなわち六十四あるべし。ひろくするときは無量なるべし。略すれば六十四なり。

[以上引用終]

 

 

 

 

 

 

 

「童心に帰れ」「先入見なしに世界を観よ」

この掴みどころのない教えの本質は、

ゆる言語学ラジオ

決まり切ったパターン認識以前の自由な赤ちゃん

を理解すると、解像度が一段上がり、具体的に把握できるので、世俗的矮小化の罠を回避しやすくなるとおもう。

 

それを踏まえて、

23:09 赤ちゃんは低打率

赤ちゃんは悟った人じゃなく、

「これから迷う人」

に過ぎない。

この点は、必ず留意すべきだ。

 

この留意がないと、

「童心に帰れ」

の前段しか分からず

結局「わがままの勧め」

に落ち込んでしまう。

 

 

しかしまずは

誰もが体験したことのある

赤ちゃんに学ぶといいよ

といえるとおもう。

 

 

それが「八大人覚」の大人と、童心を融合一致させる道の入口だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

The Who - Magic Bus - Live At Leeds HQ - YouTube

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