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騙されないために

2013-03-05 05:55:54 | 日記
 トンネルという、言葉がある。これは、鉄道のトンネルが普通一般だが、恐ろしい意を含蓄している。自爆テロリスト、狂信者、いやはや企業戦士、受験生にまで応用されている。どういうことかと言うと、閉ざされた小世界の価値観が絶対となる。ある種の視野狭窄となり、それだけを夢中になって突進する。目的に向かって頑張っていた時は夢中だったが、後で考えると、何のためにそんなことをしたのか疑問に思うことがないだろうか。
 トンネルはある期間、目的に向かって集中させることだ。これは知らず知らずマインドコントロールを施すことになる。受験エリートはしばしばカルトの犠牲になる。寄宿舎での生活や合宿は外界と遮断する。無関係な情報を減らす。
大人、 子供をゾンビ化しているのが現代だ。過剰情報付け。テレビ、漫画、ゲーム、携帯、ネット等で。自分で考える暇をなくしてしまうのだ。我々大人が一対、自分でどれだけ一人で考える時間を持てたか反省すると一目瞭然だろう。
 ささいな事も自分で決められない人も多い。交際相手を自分で決められず、母の目にかなった人物を選ぶ。自分で学校を選べない、会社も自分で選べないで親に任せる。果ては今日の昼食も選べないで上司と一緒の物にする。これは相当な異常現象だ。

1970年代から80年代に奇妙な事が起こった。真面目な学生が突如姿を見せなくなり、家族とも連絡をとれなくなった。その内に大学中退し、街頭で物売りをしたり、大学キャンパスで気安く声をかけたりする姿に変わった。彼らは、自分の貯金、車などを宗教団体に寄付し、教団で共同生活しだした。家族が引き戻そうとしても頑として動じないのだ。その活動の実体は霊感商法で、壷の販売や高麗人参茶、印章を販売している。多くの当時の人は売り込みを受けた経験があるはずだ。昭和58年には青森弘前市で、水子となった子供の霊が成仏できないということで、1200万円支払わせたという事件まであった。
これら霊感商法に関わった多くは、前途有望な若者だ。折角入った大学や一流企業を投げ捨て、預金を寄付し、自ら無一文で、教団の活動をする。不十分な栄養、三時間ほどの睡眠。これら若者は多くは真面目で、なぜ、年寄りや善良な市民を騙したのか。それは暴力を嫌う優しい性格の若者が、なぜ自爆テロリストになったのかと共通する場面が多い。そこには「トンネル」が関わっている。自分の意志でその道を選択したが、いつの間にかマインド・コントロールされてしまっている。一番騙された本人が騙されたと思っていないのだ。
マインド・コントロールは相手が騙されたと気づかないで騙す方法だ。なぜ、騙されるのか。その原初的なものは、親しみを抱くことに始まる。皮肉なことに、人間は、相手を信じる生き物のようだ。
マインド・コントロールされやすい人は第一に依存性の強い人だ。すぐに、相手の言う事に相槌をうつ。相手への気遣いがすごい。相手に嫌われたくない、ぶつかったりするのを避けたい人だ。協調性が高く、自分に不利益なことも、意志に反することも受け入れてしまう人だ。平気で保証人になったりもする。他人の支えがなければ生きていけないという思い込みが強烈だ。ささいな事も自分で決められないで、すぐ相談する。その人の言われるまま行動する。これらの性格の人は幼い時に、自分を抑えすぎ、重要な事は親の言うとおり行動した人が多い。要するに過保護に育てられた人物だ。
第二に暗示にかかりやすい傾向の人だ。入ってくる情報を批判できないで、全ての情報を信じてしまう。自らの意志で行動できないで、与えられた指示のまま行動してしまう。このタイプの人は催眠にもかかりやすい。身心深く、迷信を信じてしまう。大げさに話したり、虚言癖がある。一般人口の四分の一は催眠にかかりやすいという。

 第三は挫折や病気、離別や経済的苦境で心が弱っている時に、マインド・コントロールを受けやすい。いつもの本人なら餌食にならないのに、どういうわけかそういう時にマインド・コントロールの罠にはまってしまう。

 第四は、本人が孤立し、安定した支え手がいない人だ。かつて新左翼のターゲットになったのは地方から都会へ出た青年だ。彼らは孤独で、方言の壁があるため、学友と気楽に話せない。田舎では秀才だが、都会ではただの凡才。そこで親しげに話しかけ、人生や社会の議論をふっかけ、彼らをはっとさせる手法だ。最初は警戒するが、話し始めると相手を信頼してしまうのだ。

 さて、マインド・コントロールの手法として、第一に理詰めの正論で相手を打ち破るのはかなり難航する。そこで、善意の第三者としての見解を小声でささやくのだ。「あなたはなろうと思えば、社長にもなれるのに」と予言めいたことを耳にすると、心を動かされる。これは説得する意図を持っていないかのように振舞うことだ。
 第二はダブルバインドとう手法がある。何かやって欲しい時、それをやるかやらないかではなく、やることを前提にして選択肢を用意し、質問する。選択肢を用意するが、どちらを選んでも同じ結果になる。この技法は営業や販売で多く見られる。まだ車を買うかもわからない客に、「このオプションをつけましょうか」と話をされたことがあるはずだ。買うか買わないかという迷いが逸らされて、細かい検討を出しているうちに、いつの間にか買うことになってしまう手法だ。これを知るとダブルバインド技法だと思って引っかからなくなる。
 この手法は他に応用できる。勉強しない子供に「勉強しなさい」と言っても強要されたと思い抵抗される。こうした時に、「国語、算数どちらからしようか」とか「宿題、ママと一緒にやる、それとも、一人でやる」と尋ねると、子供はどちらかを選んで、勉強しだす。とにかく「する」と答えさせる。自分から「する」と言わせると、行動への抵抗は突破される。他にも、大学受験生が昼間からぐうたらしているとしよう。それで勉強しろといっても無駄である。だが、「来年の今頃は、こんなふうに家族でゆっくりできなくなるな、大学一年が一番忙しいからな」と言ってみる。これは、本人が大学に合格することを前提にしており、命令ではない。心に抵抗が生じにくいのだ。「こんなふうにゆっくり」などという言葉から、自分がゆっくりしていることへの焦りが生じやすい。さりげない言葉で、その人の琴線をかき鳴らすのだ。「勉強しないと、A大に落ちるぞ」と脅すよりも、「頑張れば、A大に合格できるかも」と、ぼっそと言ってみるのだ。
 非行少年には、改善が困難な場合、「君の行動がどんなふうに変わるのか想像もつかないね」と言ってみる。少年が変わる事を前提にして、決めつけない。これを聞くと少年の中には、はっとする者もあるはずだ。少年のプライドをくすぐらせるのだ。
 第三は、イエス・セットという技法だ。相手がイエスと答える質問をどんどんすると、信頼性が高まり、最終的質問にも、イエスとなる。これも営業に多く使われている。付加疑問で尋ねるのだ。「彼と別れたいと思っていますか」の代わりに、「彼と別れたいと思っていませんよね」と尋ねるのだ。
 第四に相手の抵抗する力を逆に利用する手法だ。例えば、相手が「あなたとは話したくない」と拒否するとしよう。それで、「ちゃんと話をしろよ」と、無理に言わそうとしても、心を開いてくれない。そこで、こう言ってみる。「話したくないか、君はなかなかはっきりものを言うね。意志がしっかりしていて、いいねえ。昔から、そんなふうなきっぱりした性格だったかい」といった具合だ。あるいは、「話したくないか、話したくない人と話すことなど出来ないからな。でも、困ったな。どうしたら、いいのかな。どうしたらいいか教えて欲しいよ」と、こちらが困っている状況を描写して、同情を引かせて、話の糸口を見つけることができる。両方とも、相手に敬意を払うことだ。最初、頑なに抵抗していた人も、無欠開城してしまう。

気分をよくしよう

2013-02-18 09:05:29 | 日記
「ムカツク」という言葉がある。いったん、この言葉を言うと、これを多様するようになる結果、殺伐たる気持ちになる。発展性がない言葉や愚痴は自己管理上マイナスだ。ブログやネットで誹謗中傷しているが、ストレス解消には繋がらない。悪口を言う事で、むしろ負の感情が増加してしまうのだ。愚痴めいたら意識的に生産的な方向に変える必要がある。
 トラブルが起きるとマイナスと考えるが、反対に、別の意味でプラスもあり、全体でとんとんだと思ってみる。例えば、寝過ごして会社に遅刻する。遅れることは悪いが、別の時間帯の電車で悠々座って行ける。体の具合もいい。プラスもあったと。何事もトラブルがあれば総体的に見ていい面を思いつく習慣をつけよう。
 やる気を起こす方法がある。自己鍛錬で肉体的に鍛えるのは足だ。どうも私は上半身を鍛えても、知的な刺激がないように思っている。下半身は違う。特に、足裏を刺激したり、走ったり、レッグプレスをすると、頭にいい効果があると思う。
 次に、身の回りにエネルギーが湧くような物を置いてみる。万年筆でもいい、自分の好きな絵でもいい。これを使ったり、見たりするとエネルギーが湧く代物だ。
そして、自分の手で紙に漢字を書いてみよう。書いていて、自分が好きだな、いいなあと思える文字がある。普段、パソコンを使っていると、こういう経験はわかない。しかし、意識的に変えてみよう。美が気持ちいい人もあれば、信がいいという人もいる。そういう字を何度も書いてみる。自分の心が求めている文字をセレクトして書いてみる。心の声をじっくり聴いてみよう。そして、座右の銘に行き当たれば、それも何度となく書いて口にだしてみよう。俳句、和歌でもいい。意味がわからなくても、読んだ響きがいいなあと思うものがあるはずだ。それを書いてみる。
 フロイトは不快な肉体状態の時、身体のすぐれないときに、いいものが出てくるという。不快な刺激も発奮材料になる。嫌な事を言われたりすると、反対にやる気がおこりやすい。 会議などで緊張関係になるときがある。そういう時は、身体を緩めリラックスして、余裕を持つと、自分の意見に固執しなくなる。身体が硬くなると、肋骨をグラインドするように回したりスライドさせてみるとよい。いやな感情が出たなと思うと、すぐに身体活動を軽く行うのだ。
 悩みがあると、映画をたてつづけに観るのもよい。自宅でDVDで見ていると、二時間三時間観ている間に邪魔が入る。宅急便や電話が鳴る。そのために金を払って映画館へ行くのが良い。
 喫茶店で読書をしたりして疲れると、足裏を揉みほぐすと、俄然力が湧いてくる。
 ロウソクの炎が消える瞬間や線香花火にタナトスを感じる。死への本能があるからだろう。ギャンブル、賭け事、登山、冒険もタナトスがあるからするのだろう。

腹立ちについて

2013-02-15 06:44:52 | 日記
同じ嫉妬でも、ジェラシーの場合は負けたときの悔しさをバネにして「いつかは勝ちたい」という気持ちが努力の動機になるが、反対にエンビーは相手を貶めることで不満を収めようとする、相手が凋落することで満足を得ることになる。しかし、相手が落ちぶれても自分のメリットは何もない。嫉妬はプラスに働く怒りとマイナスに働く怒りがある。エンビー型の嫉妬にとらわれて、足の引っ張り合いをするよりも、「相手を見返してやろう」「相手に勝ってやろう」というジェラシー型の嫉妬で自分を高めていくのが、幸せな生き方でしょう。

 メランコ人間は、自分が頑張ってダメだったら自分を責めるが、シゾフレ人間は、運に頼り、出会い次第で運命が変わると考える。ダメなら運が悪いとか、誰かが邪魔をしたからだと他罰的に考える。つまりメランコ人間は、上手くいかないと怒りが自分に向くのでうつになりやすい。シゾフレ人間は上手くいかないと世を恨むのです。だいたい1955年以前に生まれた人はメランコ人間が多く、65年以降生まれた人はシゾフレ人間が多い。
 アクテイブで闘争心の強い人は社会では成功しやすい反面、心臓、血管の病気になりやすい。交感神経優位になり、顆粒球が増えすぎた状態では、自己細胞を破壊するので、癌になりやすく、胃潰瘍をおこしやすい。
 反対に、リンパ球が活性すると、癌予防になる。副交感神経を優位にさせるのです。怒ってばかりいる人はリンパ球が減るのですから、怒っている状態を繰り返す人は癌になりやすいのです。
 怒っていると、神経伝達物質が激しく出ます。中高年になると、神経伝達物質は出にくくなるので、激しい怒りの後、うつになりやすいのです。ハイテンションで仕事をすると中高年にうつが起こりやすいのです。
 怒りを制御したい場合、重要なポイントは時間を稼ぐ事です。怒っていると感じると、ごくんと唾を飲み込むとか、深呼吸をしてみる。怒りのテンションが多少下がるのです。
 反対に、正しい怒り方がある。仕事の場合、相手がどんなに嫌な性格の奴でも関係がない。嫌な奴がいい提案をしたら、「お前にしちゃ、珍しくいい提案じゃないか」と受け入れる度量が、上司や責任者には大事です。仕事は結果で判断されるからです。
次に、愛されていると思えば、仕事であろうが、教育であろうが、激しい怒りをされても許されるのです。好きな先生から体罰は愛の鞭と感じるし、仕事上では尊敬する人から怒鳴られても自分だけ特別なのだと嬉しくなる。愛情が担保されていれば、激しく怒っても許されるのです。お互いの信頼関係が強烈だからです。中日の星野監督下の選手はいい例でしょう。
 今の日本社会のマスメデイアの怒り方は、特定個人への怒りになっている。悪い奴が出ると、血祭りにたたく。ホリエモンだったり、鳩山前首相だったりする。つくり上げた悪人を叩くことで正義の味方になった気分を味わう怒り方が、いまの日本人の怒り方です。
 テレビに芸能人が参加したバラエテイ番組はまじめな話を茶化す。

鍛えることの大事さ

2013-02-13 06:02:45 | 日記
修養した人とやっていない人の違いは見た目にはわからない。いいご馳走を食べさせた羊と、普通の餌を与えた羊とでは、見た目には変わりはない。ところがいざ肉にすると、その差は歴然としている。いいご馳走の羊肉は美味しいし、毛の質もいい。人間も同じ。その人の価値は、ちょっと見ではわからないが、いざという時にわかる。
 新渡戸稲造先生は「修養した、しないというのは、何か起こった時にしかわからない。修養では、あっ、ここだなということろが重要なのだ」と言っています。
 次に、今の人は平気で謝ります。が、簡単に誤ったらダメです。どんなに怖くても、自分が悪くなかったら謝らないことです。
 豊臣秀吉は恐れがなかったようだ。信長の死後の非常時も、発想はいつも前向きです。恐怖心なく生きられたら、こんな素晴らしいことありません。
 渡部昇一氏は二十年ほど前、北朝鮮や韓国の批判を平気でやっていました。剃刀の脅迫状も自宅に届いたそうです。当時、北朝鮮を真正面から批判した人は少なく、渡部氏は修養のおかげで悪いものには決して謝らないという信念がありました。毅然とした態度をとれるかどうかで、その後のあり方が変わるのです。

 新渡戸稲造先生は、毎朝、水をかぶりました。北海道でかぶっている。百歳を越える塩谷信男先生も、毎日水をかぶるそうです。すると、勇気が湧き、やる気が起こるのです。斉藤一人氏は
「ありがたい」「やればできる」などの言葉を千回言っていれば、千回目に自分を取り巻く環境が変わると、述べています。とにかく、何かを繰り返し続けることに意味があります。 健康の貯蓄というものがあります。「健康を大切に使わなくてはならない。健康だからといっていい気に使うと酷い目にあう」と新渡戸稲造先生は言います。曽野綾子さんのエッセイにも小説界でデビューした時、飲助が多かったようです。徹夜で飲むなんて平気。ところが振り返ってみると自分の亭主以外、今では死んでいると、書いてある。渡部昇一氏も今は八十歳を越えていますが、同窓会へ行くと、出席者と死亡者の数が同じだそうです。若い時に、ものすごく丈夫な者が早く死んでいる。一病息災といいますが、おそらく病気が一つぐらいあった方が体をいたわるのでいいようです。
 日本は黙想しにくい国です。朝早く起きる以外無理でしょう。七時にもなると、隣近所の声、身内の声、テレビ、携帯電話など黙想を邪魔する音に悩まされます。田舎などではアポイントなく自宅に平気で押しかけてくる。セールスマンは都会にも平気で自宅に来ます。電車の案内放送、商店街の放送はやかましくありませんか。当然わかっていることを何度も繰り返す。これはどうやら日本の特異現象のようで、ヨーロッパではありません。
カーライルは「ミツバチは暗いところでなければ蜜をつくらない。同じように人間は沈黙をしている時しかアイデアがわかない」と言っています。落ち着きを取り戻すには、「肉体に食べ物が必要なように、精神も食べ物が必要」なのです。精神の食べ物は黙想です。 アレキス・カレルは『人間この未知成るもの』という本があります。この中で、「スポーツ選手の神経は昔の人に比べてもろい」と言います。例えば、日本のマラソン選手の高橋尚子選手や野口みずき選手っは非常に速く走れますが、代わりに、身体管理しないと何もできません。ちょっと無理すればアキレス腱が切れます。肋骨にひびが入ります。今のスポーツ選手はある意味、もろいのです。ところが、岐阜の大垣にいた豊臣秀吉軍は琵琶湖の北の賎ケ岳かで戦いが始まると、一晩で、槍を担いで駆けつけ、翌朝から戦っている。隊の速さはマラソンより遅いでしょう。しかしマラソン選手は槍を担いでいません。マラソン選手は厳密なコーチがいて、競技終了後、半年は走りません。休まなければいけない。翌日から戦争は考えられない。
 また、カレルは、身長が伸びるのは、進化でなく退化ではないかと言っている。例えば、今の日本人は昔より背が高く肉体的に進歩しています。しかし、今の日本人に日露戦争はできない。三十キログラムの背嚢を背負い、鉄砲を担ぎ、歩いて大きなロシア兵と戦って勝つ。今では、ちょっと歩けば豆ができ、へたばってしまう。当時は皆、背の低い小男です。しかし耐久力は抜群にありました。
 人間は死ぬと、一日もたたないうちに腐ります。呼吸をしていると腐りません。息をすることが生きると同じ語源であり、長寿法が呼吸法と関係あると書いてあります。そして、「適応能力は鍛えなければダメだ。人間が適応能力を高めるには、意志の力が必要で、寝たいだけ寝て、食べたいだけ食べたらどうなるか。適応能力が下がる。だから空腹に耐え、眠たいのを我慢して仕事をすることが大事だ」と主張しています。
 現代、皮膚病の人が多い。皮膚の発疹は副腎ホルモンが作用している。皮膚にぶつぶつができたり、アレルギー症の人は、ステロイドを注射したり塗ったりする。恒常的になると、副腎がさぼります。では、副腎を強くするには、冷水をあびるのがよいと、カレルは言います。冷たいからブルッと震えます。この刺激が副腎を強めるのです。だから昔の子供は今みたいな皮膚病はなかった、と言います。
 ヨーロッパでは十二世紀から十四世紀にペストがはやります。場所によっては90パーセントが亡くなります。残りの10パーセントの人はコレラ菌がつかないわけでもないが、生き延びた。コレラ菌に襲われても死なない身体を獲得した。この連中が後で新大陸の発見など未知の世界に出かけるのです。
 日本でも昔は、5、6人の子供を持つ事が普通でした。しかし、たくさん死にます。肺病で死にます。しかし生き残った人間は丈夫なのです。だから日露戦争も勝利した。とにかく「どんどん弱くなる方向に人間は向かっている」と


、カレルは80年前に指摘しているのです。知能、感情、道徳観は全部鍛錬で強化されると言っています。
 カレルは、遠く離れた所に病人がいたとします。その病人のために遠方から祈ると治ることもあると言います。「祈られたほうは祈られることを知らない。だから精神的なものがなくて、こちらで祈ったことが向こうに生理的に働かせえる何かがある」と言います。彼は「ルルドの奇跡」を実際見ています。年間300万人訪れる巡礼場です。奇跡はたくさん起こっています。
 最近の研究によると、ゲームを長時間している人は切れやすく、認知症老人の脳波は同じだそうです。一度も大脳を使っていないのです。人間は普段から瞑想したり、考えたりする点で猿とは違い、人間になるのです。

発想の変え方

2013-02-06 09:02:09 | 日記
牛の耳は角の前にあるか、うしろにあるかご存知だろどうか。画家なら「うしろにある」と即座に答えるでしょう。しかし、牛を飼っている人は毎日見ていても分からない方が多い。つまり、「見学の見ると観察の観るは違います。ものをつくる人間はあっ観察のの観るをしなければいけない。」と本田技研の創業者本田宗一郎は言います。本田さんは会社引退後、虎の絵を描きに動物園へよく行きます。虎の檻の前で何時間も座り、描いたそうです。
 我々は実はいろいろ見ているようで全く観ていないのです。自然溢れる山や川を見る場合、同じ場所でいいのです。行く毎に全く違う発見できるのです。発見できるかどうかで実は今の精神状態がわかるのです。よく人は旅に出かけます。あそこも行った、ここも行ったと自慢げに言う人が多いですが、実は観ていないのです。旅行する場合、ある一箇所ないし二箇所に的を絞ってじっくり観る方がいいのです
 奈良や京都の仏像を見学に行きますね。座って仏像を見る場合と立って見る場合では表情が違うのです。白日の下でと薄暗い蝋燭の下で見る場合でも違います。
 これは他でも応用が利きます。少し目線をずらせばいいのです。世の中には男だからかわいい商品に目を向けるのはおかしいとか、女だから模型造りするのはおかしいという理由で排除します。それを取っ払う心がけで世の中の見方が変わります。
今の自分の思い込みはどれだけあるか普段からノートに気づき次第つけるのもいいでしょう。それを日々書いて、取っ払う工夫をする。
 今、街を歩いて知らない人とたくさん会います。しかし、「これは今しかない。もう二度とこの人と会えない」と言い聞かす。すると、日々会う人が新鮮に見えてきます。今、見ている夕焼けも、花も、鶯のなき声も、あらゆるものは今この一度だけ。もう二度とない。死を前にした人の一期一会を若い頃から経験する。これは実に人生深く生きられる手段です。
 会社の会議もそうです。座ってするのが世のあり方です。でも、立って会議をしてもいいではないかと発想してみる。あるいは、座ったり、立ったりしながら会議してもいいではないかと考えてみる。視線をずらしてみるのです。小学生の頃、席替えが楽しみじゃなかったでしょうか。毎日が同じというのが発想によくない。できるだけ変えてみる。世界は立つ位置によって見方が変わります。「立つ位置を変える」を日々自分で言い聞かせる。これで今まで思いつかないアイデアが出ます。 司馬遼太郎は「自分は生涯一書生だ」と言っています。大作家として権威的に振舞わない。生涯勉強し続けるという意志がはっきりしています。司馬さんは大作家の位置より書生の位置に落としてものを考える。通常の位置では見えないものが見えてくるのです。
 宅急便の開発者小倉昌男さんも、最初、荷物を配達をしたが、不在が多いと嘆いたそうです。そこでどうしたか。「配達したが相手が居ないから仕方ない」という立つ位置を「居る時に配達してほしい」という受け取り側の立つ位置に変えることで、時間帯を細かく分けたのです。売る側の人間が買う側の人間に立つのです。ここにいいアイデアが無数に広がっているのです。
 鈴木敏文さんは「仮説と検証」というのがあります。日々の仕事の中で毎日、仮説を立てるのです。小さい仮説でいいから立てる。例えば挨拶の仕方を日々変えてみる。相手はどう反応するか仮説を立ててみる。そして、実行してみるのです。
 また、欝気分になったとしましょう。本屋の本が普段、「いいな」と思うのに、「何でこんなに本があるのか」と暗い気持ちになることがあるでしょう。それは、体が少し運動を欲求しているのです。体を少し揺さぶる、小走りする。眼球運動をしてみる。トイレへ行くとき軽くジャンプしてみる。首、肩甲骨を回してみる。それだけで全然違います。やってみてください。笑いは体が緊張していては生まれません。反対に、緊張をといてやわらかくすると生まれるのです。男性より女性の方がよく笑います。おそらく体が男より柔らかいからです。
 緊張している時は「二秒吸って三秒止める。十秒で吐く」をやってみてください。反対にこれから元気だしたいときは、「はっはっは」と息を一気に吐く。これを10回繰り返す。かなり、やる気がおこります。そして「ミッション、パッション、ハイテンション」と合言葉を呪文化してください。テンションが上がります。
 弓道は弓を射ることより、立ち方、呼吸法といった胴づくりに時間を割きます。構えを大事にするのです。勉強する場合、勉強に入る前にこの構えをしっかりさせる事がいかに大事かわかります。
 ところで、昨今、東北で大地震がありました。この時人々は「けが人、死者が出たのだからそれを乗り越えなければならない」と非常に前向きな気持ちが生まれました。トラブルはチームを結束させるのです。トラブルはすべて悪い発想ではいけない。チームを発展させる事があるのです。
 最後に努力の回数は多ければ多いほど実りに近づきます。テニスプレイヤーの松岡修造は「百回たたけば開かれる扉があったとする。人は百回たたくのが、わからなければ、99回であきらめるかもしれない。夢がいつ実現するか、わからないのです。僕は、いつ開かれるかわからない扉を、開くまでたたき続ける」と言っています。この一回一回のたたき具合も少々かえながらやってみるのです。ああこれかわかったぞという瞬間が必ず来ます。それを待つのです。本についてもそうです。同じ本を何回も読む。読めば読むほど内容が定着します。いつか質的変化が来るのです。英語を読む場合もそうです。一度辞書なしで読んでみる。分からない単語は読み飛ばし想像する。これを繰り返すうちにいつかスピードもつくし分かった瞬間が来ます。やってみてください