トンネルという、言葉がある。これは、鉄道のトンネルが普通一般だが、恐ろしい意を含蓄している。自爆テロリスト、狂信者、いやはや企業戦士、受験生にまで応用されている。どういうことかと言うと、閉ざされた小世界の価値観が絶対となる。ある種の視野狭窄となり、それだけを夢中になって突進する。目的に向かって頑張っていた時は夢中だったが、後で考えると、何のためにそんなことをしたのか疑問に思うことがないだろうか。
トンネルはある期間、目的に向かって集中させることだ。これは知らず知らずマインドコントロールを施すことになる。受験エリートはしばしばカルトの犠牲になる。寄宿舎での生活や合宿は外界と遮断する。無関係な情報を減らす。
大人、 子供をゾンビ化しているのが現代だ。過剰情報付け。テレビ、漫画、ゲーム、携帯、ネット等で。自分で考える暇をなくしてしまうのだ。我々大人が一対、自分でどれだけ一人で考える時間を持てたか反省すると一目瞭然だろう。
ささいな事も自分で決められない人も多い。交際相手を自分で決められず、母の目にかなった人物を選ぶ。自分で学校を選べない、会社も自分で選べないで親に任せる。果ては今日の昼食も選べないで上司と一緒の物にする。これは相当な異常現象だ。
1970年代から80年代に奇妙な事が起こった。真面目な学生が突如姿を見せなくなり、家族とも連絡をとれなくなった。その内に大学中退し、街頭で物売りをしたり、大学キャンパスで気安く声をかけたりする姿に変わった。彼らは、自分の貯金、車などを宗教団体に寄付し、教団で共同生活しだした。家族が引き戻そうとしても頑として動じないのだ。その活動の実体は霊感商法で、壷の販売や高麗人参茶、印章を販売している。多くの当時の人は売り込みを受けた経験があるはずだ。昭和58年には青森弘前市で、水子となった子供の霊が成仏できないということで、1200万円支払わせたという事件まであった。
これら霊感商法に関わった多くは、前途有望な若者だ。折角入った大学や一流企業を投げ捨て、預金を寄付し、自ら無一文で、教団の活動をする。不十分な栄養、三時間ほどの睡眠。これら若者は多くは真面目で、なぜ、年寄りや善良な市民を騙したのか。それは暴力を嫌う優しい性格の若者が、なぜ自爆テロリストになったのかと共通する場面が多い。そこには「トンネル」が関わっている。自分の意志でその道を選択したが、いつの間にかマインド・コントロールされてしまっている。一番騙された本人が騙されたと思っていないのだ。
マインド・コントロールは相手が騙されたと気づかないで騙す方法だ。なぜ、騙されるのか。その原初的なものは、親しみを抱くことに始まる。皮肉なことに、人間は、相手を信じる生き物のようだ。
マインド・コントロールされやすい人は第一に依存性の強い人だ。すぐに、相手の言う事に相槌をうつ。相手への気遣いがすごい。相手に嫌われたくない、ぶつかったりするのを避けたい人だ。協調性が高く、自分に不利益なことも、意志に反することも受け入れてしまう人だ。平気で保証人になったりもする。他人の支えがなければ生きていけないという思い込みが強烈だ。ささいな事も自分で決められないで、すぐ相談する。その人の言われるまま行動する。これらの性格の人は幼い時に、自分を抑えすぎ、重要な事は親の言うとおり行動した人が多い。要するに過保護に育てられた人物だ。
第二に暗示にかかりやすい傾向の人だ。入ってくる情報を批判できないで、全ての情報を信じてしまう。自らの意志で行動できないで、与えられた指示のまま行動してしまう。このタイプの人は催眠にもかかりやすい。身心深く、迷信を信じてしまう。大げさに話したり、虚言癖がある。一般人口の四分の一は催眠にかかりやすいという。
第三は挫折や病気、離別や経済的苦境で心が弱っている時に、マインド・コントロールを受けやすい。いつもの本人なら餌食にならないのに、どういうわけかそういう時にマインド・コントロールの罠にはまってしまう。
第四は、本人が孤立し、安定した支え手がいない人だ。かつて新左翼のターゲットになったのは地方から都会へ出た青年だ。彼らは孤独で、方言の壁があるため、学友と気楽に話せない。田舎では秀才だが、都会ではただの凡才。そこで親しげに話しかけ、人生や社会の議論をふっかけ、彼らをはっとさせる手法だ。最初は警戒するが、話し始めると相手を信頼してしまうのだ。
さて、マインド・コントロールの手法として、第一に理詰めの正論で相手を打ち破るのはかなり難航する。そこで、善意の第三者としての見解を小声でささやくのだ。「あなたはなろうと思えば、社長にもなれるのに」と予言めいたことを耳にすると、心を動かされる。これは説得する意図を持っていないかのように振舞うことだ。
第二はダブルバインドとう手法がある。何かやって欲しい時、それをやるかやらないかではなく、やることを前提にして選択肢を用意し、質問する。選択肢を用意するが、どちらを選んでも同じ結果になる。この技法は営業や販売で多く見られる。まだ車を買うかもわからない客に、「このオプションをつけましょうか」と話をされたことがあるはずだ。買うか買わないかという迷いが逸らされて、細かい検討を出しているうちに、いつの間にか買うことになってしまう手法だ。これを知るとダブルバインド技法だと思って引っかからなくなる。
この手法は他に応用できる。勉強しない子供に「勉強しなさい」と言っても強要されたと思い抵抗される。こうした時に、「国語、算数どちらからしようか」とか「宿題、ママと一緒にやる、それとも、一人でやる」と尋ねると、子供はどちらかを選んで、勉強しだす。とにかく「する」と答えさせる。自分から「する」と言わせると、行動への抵抗は突破される。他にも、大学受験生が昼間からぐうたらしているとしよう。それで勉強しろといっても無駄である。だが、「来年の今頃は、こんなふうに家族でゆっくりできなくなるな、大学一年が一番忙しいからな」と言ってみる。これは、本人が大学に合格することを前提にしており、命令ではない。心に抵抗が生じにくいのだ。「こんなふうにゆっくり」などという言葉から、自分がゆっくりしていることへの焦りが生じやすい。さりげない言葉で、その人の琴線をかき鳴らすのだ。「勉強しないと、A大に落ちるぞ」と脅すよりも、「頑張れば、A大に合格できるかも」と、ぼっそと言ってみるのだ。
非行少年には、改善が困難な場合、「君の行動がどんなふうに変わるのか想像もつかないね」と言ってみる。少年が変わる事を前提にして、決めつけない。これを聞くと少年の中には、はっとする者もあるはずだ。少年のプライドをくすぐらせるのだ。
第三は、イエス・セットという技法だ。相手がイエスと答える質問をどんどんすると、信頼性が高まり、最終的質問にも、イエスとなる。これも営業に多く使われている。付加疑問で尋ねるのだ。「彼と別れたいと思っていますか」の代わりに、「彼と別れたいと思っていませんよね」と尋ねるのだ。
第四に相手の抵抗する力を逆に利用する手法だ。例えば、相手が「あなたとは話したくない」と拒否するとしよう。それで、「ちゃんと話をしろよ」と、無理に言わそうとしても、心を開いてくれない。そこで、こう言ってみる。「話したくないか、君はなかなかはっきりものを言うね。意志がしっかりしていて、いいねえ。昔から、そんなふうなきっぱりした性格だったかい」といった具合だ。あるいは、「話したくないか、話したくない人と話すことなど出来ないからな。でも、困ったな。どうしたら、いいのかな。どうしたらいいか教えて欲しいよ」と、こちらが困っている状況を描写して、同情を引かせて、話の糸口を見つけることができる。両方とも、相手に敬意を払うことだ。最初、頑なに抵抗していた人も、無欠開城してしまう。
トンネルはある期間、目的に向かって集中させることだ。これは知らず知らずマインドコントロールを施すことになる。受験エリートはしばしばカルトの犠牲になる。寄宿舎での生活や合宿は外界と遮断する。無関係な情報を減らす。
大人、 子供をゾンビ化しているのが現代だ。過剰情報付け。テレビ、漫画、ゲーム、携帯、ネット等で。自分で考える暇をなくしてしまうのだ。我々大人が一対、自分でどれだけ一人で考える時間を持てたか反省すると一目瞭然だろう。
ささいな事も自分で決められない人も多い。交際相手を自分で決められず、母の目にかなった人物を選ぶ。自分で学校を選べない、会社も自分で選べないで親に任せる。果ては今日の昼食も選べないで上司と一緒の物にする。これは相当な異常現象だ。
1970年代から80年代に奇妙な事が起こった。真面目な学生が突如姿を見せなくなり、家族とも連絡をとれなくなった。その内に大学中退し、街頭で物売りをしたり、大学キャンパスで気安く声をかけたりする姿に変わった。彼らは、自分の貯金、車などを宗教団体に寄付し、教団で共同生活しだした。家族が引き戻そうとしても頑として動じないのだ。その活動の実体は霊感商法で、壷の販売や高麗人参茶、印章を販売している。多くの当時の人は売り込みを受けた経験があるはずだ。昭和58年には青森弘前市で、水子となった子供の霊が成仏できないということで、1200万円支払わせたという事件まであった。
これら霊感商法に関わった多くは、前途有望な若者だ。折角入った大学や一流企業を投げ捨て、預金を寄付し、自ら無一文で、教団の活動をする。不十分な栄養、三時間ほどの睡眠。これら若者は多くは真面目で、なぜ、年寄りや善良な市民を騙したのか。それは暴力を嫌う優しい性格の若者が、なぜ自爆テロリストになったのかと共通する場面が多い。そこには「トンネル」が関わっている。自分の意志でその道を選択したが、いつの間にかマインド・コントロールされてしまっている。一番騙された本人が騙されたと思っていないのだ。
マインド・コントロールは相手が騙されたと気づかないで騙す方法だ。なぜ、騙されるのか。その原初的なものは、親しみを抱くことに始まる。皮肉なことに、人間は、相手を信じる生き物のようだ。
マインド・コントロールされやすい人は第一に依存性の強い人だ。すぐに、相手の言う事に相槌をうつ。相手への気遣いがすごい。相手に嫌われたくない、ぶつかったりするのを避けたい人だ。協調性が高く、自分に不利益なことも、意志に反することも受け入れてしまう人だ。平気で保証人になったりもする。他人の支えがなければ生きていけないという思い込みが強烈だ。ささいな事も自分で決められないで、すぐ相談する。その人の言われるまま行動する。これらの性格の人は幼い時に、自分を抑えすぎ、重要な事は親の言うとおり行動した人が多い。要するに過保護に育てられた人物だ。
第二に暗示にかかりやすい傾向の人だ。入ってくる情報を批判できないで、全ての情報を信じてしまう。自らの意志で行動できないで、与えられた指示のまま行動してしまう。このタイプの人は催眠にもかかりやすい。身心深く、迷信を信じてしまう。大げさに話したり、虚言癖がある。一般人口の四分の一は催眠にかかりやすいという。
第三は挫折や病気、離別や経済的苦境で心が弱っている時に、マインド・コントロールを受けやすい。いつもの本人なら餌食にならないのに、どういうわけかそういう時にマインド・コントロールの罠にはまってしまう。
第四は、本人が孤立し、安定した支え手がいない人だ。かつて新左翼のターゲットになったのは地方から都会へ出た青年だ。彼らは孤独で、方言の壁があるため、学友と気楽に話せない。田舎では秀才だが、都会ではただの凡才。そこで親しげに話しかけ、人生や社会の議論をふっかけ、彼らをはっとさせる手法だ。最初は警戒するが、話し始めると相手を信頼してしまうのだ。
さて、マインド・コントロールの手法として、第一に理詰めの正論で相手を打ち破るのはかなり難航する。そこで、善意の第三者としての見解を小声でささやくのだ。「あなたはなろうと思えば、社長にもなれるのに」と予言めいたことを耳にすると、心を動かされる。これは説得する意図を持っていないかのように振舞うことだ。
第二はダブルバインドとう手法がある。何かやって欲しい時、それをやるかやらないかではなく、やることを前提にして選択肢を用意し、質問する。選択肢を用意するが、どちらを選んでも同じ結果になる。この技法は営業や販売で多く見られる。まだ車を買うかもわからない客に、「このオプションをつけましょうか」と話をされたことがあるはずだ。買うか買わないかという迷いが逸らされて、細かい検討を出しているうちに、いつの間にか買うことになってしまう手法だ。これを知るとダブルバインド技法だと思って引っかからなくなる。
この手法は他に応用できる。勉強しない子供に「勉強しなさい」と言っても強要されたと思い抵抗される。こうした時に、「国語、算数どちらからしようか」とか「宿題、ママと一緒にやる、それとも、一人でやる」と尋ねると、子供はどちらかを選んで、勉強しだす。とにかく「する」と答えさせる。自分から「する」と言わせると、行動への抵抗は突破される。他にも、大学受験生が昼間からぐうたらしているとしよう。それで勉強しろといっても無駄である。だが、「来年の今頃は、こんなふうに家族でゆっくりできなくなるな、大学一年が一番忙しいからな」と言ってみる。これは、本人が大学に合格することを前提にしており、命令ではない。心に抵抗が生じにくいのだ。「こんなふうにゆっくり」などという言葉から、自分がゆっくりしていることへの焦りが生じやすい。さりげない言葉で、その人の琴線をかき鳴らすのだ。「勉強しないと、A大に落ちるぞ」と脅すよりも、「頑張れば、A大に合格できるかも」と、ぼっそと言ってみるのだ。
非行少年には、改善が困難な場合、「君の行動がどんなふうに変わるのか想像もつかないね」と言ってみる。少年が変わる事を前提にして、決めつけない。これを聞くと少年の中には、はっとする者もあるはずだ。少年のプライドをくすぐらせるのだ。
第三は、イエス・セットという技法だ。相手がイエスと答える質問をどんどんすると、信頼性が高まり、最終的質問にも、イエスとなる。これも営業に多く使われている。付加疑問で尋ねるのだ。「彼と別れたいと思っていますか」の代わりに、「彼と別れたいと思っていませんよね」と尋ねるのだ。
第四に相手の抵抗する力を逆に利用する手法だ。例えば、相手が「あなたとは話したくない」と拒否するとしよう。それで、「ちゃんと話をしろよ」と、無理に言わそうとしても、心を開いてくれない。そこで、こう言ってみる。「話したくないか、君はなかなかはっきりものを言うね。意志がしっかりしていて、いいねえ。昔から、そんなふうなきっぱりした性格だったかい」といった具合だ。あるいは、「話したくないか、話したくない人と話すことなど出来ないからな。でも、困ったな。どうしたら、いいのかな。どうしたらいいか教えて欲しいよ」と、こちらが困っている状況を描写して、同情を引かせて、話の糸口を見つけることができる。両方とも、相手に敬意を払うことだ。最初、頑なに抵抗していた人も、無欠開城してしまう。