★My disease life★        ∞オペから今日まで~∞

☆2005.11.29に卵巣チョコレートのう胞のオペを経験、
治療過程の記録を綴っています☆

オペ翌日

2005-11-30 | 闘病生活
朝ナースに起こされた。
びっくりしたが、普通の生活パターンに引き戻される。
まだ鼻から管が通っていた。
これは、肺に唾液などが入らないようにするためらしい。
下のほうも管が通っている。トイレの代わり。

寝て起きての繰り返しで、あまり記憶がない。
意識ははっきりしてるので、携帯メールだけはやってたような(笑)
ただ、鼻の管は抜いてはいけないらしいが、私はアレルギー持ちのため、
管が通っていることで鼻のアレルギー症状が出てしまい、鼻づまりの状態。
これでは呼吸困難で逆に死んでしまう(笑)
ので、本来はずせないものを、無理言ってはずしてもらった。
寝る時横を向いて寝るように、先生に言われた。
肺に水分が入ると、とんでもない大きな病気になるらしい。

とにかくおなかが重くて、自分の体じゃないみたい。
自由がきかず、死んでるみたいだった。
背中から刺してある麻酔は3日間差しっぱなしということらしい。

オペ

2005-11-29 | 闘病生活
午後からオペの為、朝から絶食、下剤・浣腸などで体内の食物をすべて抜く。
死にそう
昼すぎに母親と妹到着。
全身麻酔でのオペになるので、何かあったら、ということで、家族の付き添いの為。
友達の母親がガンのオペをした際、オペ後に突然の吐血があり、緊急オペになったそう。
その際、家族の誰かがサインしなければならないので、オペ後もしばらく付き添いはあったほうが良いと思われます。

オペ前に紙製のシャワーキャップ?で髪をまとめる。
オペ用の服に着替える。これはマジックテープで色んな所が取り外しできるもの。
ちなみに、パンツだけ自前(笑)
移動用ベッドに寝かせられ、オペ室へ移動。

オペ室って、ホントにドラマに出てくるみたいな感じなのね。
意識のあるまま入るなんて思わなかったから、色々見てしまう。
そんな状態の中でも、立会いの医師や助手などの紹介がある。
それに、何か忘れてしまったが、サインさせられた
想像と違ってて少し驚いた。

ここからが本番。
まず、背中の脊椎の間に、無痛分娩にも使われるという、局部麻酔用の針先を刺される。
結構大きなもので、これが一番痛かった。
なんせ、背骨の間に刺すんだから…
左側を下に寝て、背中を丸めた状態で突き刺す。
ちなみにはずす時も背中を丸めないとはずれにくいです。後日談ですが。

その後、全身麻酔。
口に半透明なカップ状態のものをかぶせられ、
「吸って~」などと言われ、2回吸った所までは覚えてます…
凄いね、全身麻酔。。。ある意味コワイ

次に意識が戻ったのがこれまた凄い。
オペが終った瞬間、のどの吸引をされて「これで終わりですよ~」などと言われた瞬間だった。
のどからゴボゴボ~って音がした。歯医者でよく唾液の吸引に使うようなもので。
そこで気付く自分も凄いオペ中じゃなくて良かった(笑)
後日談ですが、輸血をしたらしいです。初回に採った自血400cc使用。

ベッドを移し変えられて、ガラガラと病室へ戻る。
体は麻酔で感じないが、意識はあった為、音でわかる。
エレベーターに乗ったのも記憶にある。
病室に着いてからの記憶がない。
オペは午後~夕方の多分2時間半程度だったと思うので、次に気付いたのが午後8時頃だったのかな。
両親がナースに「付き添いは必要ですか?」などの質問をして、帰ってもいいと言われたらしく、
冷たい事に母親は私を放って帰ったらしい(笑)
その時「帰るよ」と言われて、返事をした記憶はある。
後で聞いたのだが、オペ後両親は切除した部分を見せてもらったらしい。
妹は獣医科勤務の為午後の仕事に出ていて、父親と入れ替わっていたみたい。
両親は写メールなどわからないので、切除したものが見たかったが、私は見ることができなかった。残念!(ちなみに父親のガンは見たことあります。。。)

次に気付いたのは、多分深夜。
ナースが氷枕の交換に来たり、体を冷やしてたのかなあ?何かを持って来て取り替えたり、毛布をかけたり…
見えなかったのでわからないんだけど。
おなかの上に、おもりが乗っていた。
足はエコノミー症候群にならない為に、空気を送って膨らませたりするもので常に動かされていた。
その時ベッドの右側に、TVなどで良く見る病人につけてる機械があった。
血圧など自動で測るもの。
それ以外の記憶はない・・・。

入院

2005-11-27 | 闘病生活
日曜に入院。
父親の誕生日だったが無視(笑)して、病院まで車で送ってもらう。
家からは車で10分ほどで、バスもあるので便利。
私は初めての入院&個室のため、荷物がめちゃめちゃ多い。
海外旅行の1週間分どころではない。
夜逃げ?くらいの量はあったような…(笑)
寒くなる頃だったので、薄手と厚手両方の服やパジャマなどを用意したのもあるし、
毛布も持ち込み。
母親と一緒に、ナースに手伝ってもらって運ぶ。
部屋は815号室、眺めもいいし、個室にビジネスホテルとほぼ同じユニットバスが付いていた。
なので、一人暮らしをしている家よりも、快適かもしれない(笑)

AM10時頃病院へ着き、足りないものがあったりしたので、近所まで買い物へ行きたいと話すと、
すでに外出許可が必要だった。メンドクサイ。
オペ前の食事制限の為、昼食からすぐに病院食に変更と言われた。
…が、買い物ついでに入った喫茶店で、サンドイッチをしっかり食べて(笑)病室に戻りました。

母親が帰って、PM2時頃昼食をいただく。(写真参照)
ご飯はおかゆっぽい、流動食になりつつある感じ。
味気ない…。
すぐおなかが空く。
ダメだとわかっていながら、好きな菓子パンやケーキなどをほおばる。
勿論、消化の良さそうな物だけ(笑)
ホントはいけないんだろうけど、空腹で眠れないよぅ…
後はお湯で作るカップスープを具なしで。
そんな感じで入院生活が始まる。

【opening】 発見から入院まで

2005-11-24 | 闘病生活
まずはご挨拶です。
自分がオペをする事になった時、他の方のHPやblogで色々勉強させていただきました。
今後これを見られる方にとって、参考になれば幸いかと思い書かせていただきます。
適当な部分も多いかと思いますが、さらっと流してお読み下さいね(笑)。

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2005年9月某日。
会社からの希望受診で人間ドックへ。
かかりつけの内科にて検診。
数日後、他はどこも悪くないが、院長先生から「子宮だと思うけど」と。
超音波検査で7センチ大の影が写った。
7センチ!!!
痛みなどの自覚症状は全くない。
婦人科は元々よく行くし、検診も欠かさない。なのに7センチ???
確かに当時の仕事は春~夏にかけて忙しい会社だったので、その時期が過ぎたら
検診へ行こうと思っていたため9月だった。ォソィョ…
が、しかし、その前の冬に一度、婦人科へは検診に行っている。
その時は生理の症状が重くて行ったが、「気にするほどではない」とのことだった。
しかしその後、生理が軽くなった。ョヵッタ
調子が良くなったのかな?と勝手に推測していたが、これが最近知った事実、
某TV番組でやっていたが、
「卵巣に腫瘍などができると卵機能が低下するため、生理の量が減る(排卵が減るため?)」
だそうです。
無知って怖い~!ェェッ!

婦人科へ行くと、「多分、チョコレートのう胞だと思うけどねぇ」と。
何それ?初めて聞いたけど…
…と、ネットで調べた。
怖い!!!こんな病気があったんだ…と…。ォォォ…
冬に婦人科へ行った時の写真には何も写っていなかったのだ。
その時の所見では、子宮内膜症だったらしい。(覚えてなかった…)
その、子宮内膜症の出血が原因で、卵巣に血液が流れ込んで固まった状態、
これがチョコレートのう胞らしい。
簡単に言えば、血の塊だ。
でも、古い血が固まったまま卵巣内に溜まってる訳だから、体に良いわけがない。
人によっては、1回の生理でかなり大きくなったりするらしい。
【↓↓結構リアルな写真付きなので、弱い方は見ないでね ゥヮッ↓↓】
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hhhp/ovarial-tumor/ovarial-endometriosis.htm
それがこの時点で右卵巣に7センチ大。
私の場合は半年前後でこのサイズってとこだろう。
「切るのが一番いい」
この婦人科の医師は、性格が悪い。実は大嫌い(笑)
家から近いのと、夜も診察しているとのことで行っているが…
「1ヶ月様子を見ましょうか」という医師の提案でとりあえず1ヶ月待つ。
この1ヶ月がクセモノだった。
痛み出したのだ。
1ヵ月後、結果的に紹介状を書いてもらって、別の総合病院へ。
今思えば最初から総合病院へ行くべきだった。
(この婦人科の医師は院内で「自分はオペがあるから痛むなら救急車を呼びましょうか?」
などと医師免許を剥奪したくなるような事を言ったのだ。
医師にあるまじき行為。訴えられないのかな?)

10月某日、近所の総合病院へ行く。ォネガィシマス
担当は「助手」で女性の先生。結構ビックリ。ナースかと思うような人(笑)。
とりあえず、炎症を抑える漢方薬を処方された。
しかし、ここからが戦いだった。
色々な検査の結果、開腹手術をする事に決定。
日程も11月29日に決定。
(余談ですが、冬のボーナスの査定と、自分の趣味を謳歌するために日程をここに持って
きました…笑)
MRIやCTや血液検査の他に、オペ用の輸血用自血を採ることになった。
普段から内科で鉄剤を注射しているほどの貧血持ちの私には、「鉄剤を入れて血を抜く」という
かなり過酷な作業な訳です。
もともと血管も細く、血液が薄いということで献血もできない。
なのに、1回400mlもの血を抜く訳で…
1度目は11月の診察の後に突然採ることに。
それが、なかなか血管から血が出ない。かなり大変だった。
抜いたら次は点滴。500mlも入れると言うが…時間がかかりすぎる為、
400ml位ではずしてもらった。
最後に、それプラス鉄剤も入れる。
仕事を遅刻する予定で朝から行ったのに、全部が終わったのが午後3時過ぎ。
殆ど仕事にならなかった…
ナースには「仕事行くの?やめたほうがいいよ!」と。
普通は貧血でフラフラになるそうなので、突然血を抜くのはやめたほうがいいようですね(苦笑)。
2度目は内科できっちり鉄分補給をしてもらってから、予定の日に行きました。
1度目は翌日がしんどかったので、2度目もその覚悟で行きましたが、なんですかねぇ、慣れた?
のか、血の出も前回より良かったし、体もそんなに辛くなかったですね。
計800mlの輸血用自血確保完了。
ちなみに、オペの4週間前までの自血しか使えないそうです。初めて知りましたね。
その他、麻酔科で全身麻酔の説明だけ家族同伴ということで、母親と行きました。
ついでに婦人科でもオペの説明を受けました。
この頃すでに8センチ大の大きさになってましたね。
後は入院を待つだけとなりました。

入院は初めてだったけど、家族の入院が何度かあったのと、この夏に父親が肝臓ガンのオペで
3週間ほど入院していたので、必要なものなどはだいたい把握できていたため、入院までには
ほぼ揃えました。秋~冬の気候だったので、着る物などはちょっと調整が必要でしたが。
仕事は辞める事になっていたので、入院の直前まで普通に勤務し、入院へ。
(社会保険は仕事をやめても継続可能。保障も可能です。詳細は退院以降に書きます。)
ァトデネ