昨日は阪神大震災から19年が経った一日でした。
私は、今年、長男のことだけを書きたくて、日記にしました。
それは、書いていても、心の半分が痛い日記でした。
心の半分は喜んでいます・・・子どもの誕生日ですから。
心の半分は悲しんでいます・・・それは、亡くなった日に片方では喜ぶ人かいるという辛い思いが、痛いほど分かりますから。
肉体を持って生きる、ということは、こういう中に、存在し、生きていくということなのでしょう。。。。。
blogを書くということも、、、よく思います。
これを書いたら、辛い思いをする人、違和感を持つ人、共感してくださる人、支えにしてくださる人、悲しい人、苦しい人、、、読んでくださる人の数だけ、その尊い思いが生まれる、と思っています。
誰もが、今ここのさまざまな思いがあり、それは仕方のないことだと、いろいろ思いを馳せながら、書きます。
だから「私は・・・・こう感じる、思う、考える、行動する、、、」というところにしっかり立って書いていくことを大切にしています。
時に複雑な思いを抱えますが、それもまた私の人生の歩みだと、そう思っています。
そして、私自身も、他の人のblogの読者でもあります。。。
前置きが長くなりました
NHK「あさイチ」で1月16日に放映された中で〝阪神淡路大震災19年 思いをつなぐ歌 無き息子へ捧げる絵本″がありました。
「しあわせ運べるように」公式サイト ⇒ ☆
作者さんの思いはサイトをご覧くださいね。
東日本大震災の被災地でも歌われているそうです。
鎮魂、癒し、復興、希望、ささやかな小さな優しい光を灯し続けて歌い継がれている歌ですね。
映像で心に残ったところはここです。
震災を経験していない、または、記憶にないほど小さい頃に震災にあった、若い先生たちが、この歌をいかに子どもたちに教えていくか、、、
単に、音楽の授業で他の歌と同じにサラッと歌う歌ではない、でも、何をどう伝えたら、この歌が特別な歌になるんだろうか、子どもたちの心に響くのだろうか、
手さぐりの中で悩みながら授業の準備をされる一人の先生が取材されていました。
経験者で教え続けている先輩教師は彼に言いました。
お父さんの言葉『この景色を忘れてはいけない』それを聞いてあなたが感じたことを、まず子どもたちに伝えればいい。
お父さんにもその時のことを聞けばいい、自分が体験したことをまず言葉にして伝えればいい。
経験から伝わることほど大きなものはない。
飾らなくてもいい、そのまままっすぐに、その時何を感じたか、それを話せばいい。
彼はお父さんにその時の思いを聞き、子どもたちに自分の感じたことなど授業で伝えました。
経験の重み、感じたことをそのまま伝える、言葉は手段でしかないし、語るには尽くせない、けれど、その人の思いが伝えられる時、言葉はわき役になり、思いが主役となって大切な真実が伝わっていくのでしょうね。
感じるから伝わる思いが伝え続けられる、時を経ても、思いを馳せて、あたたかな灯りになり、優しく広がっていきますね。
絵本「優しいあかりに包まれて」への思いがつづられた取材記事 ⇒ ☆
絵本についてはこちらをどうぞ ⇒ H.P. 「オフィス優しいあかりに包まれて」
「子どもが死んじゃったのに、なんで(私は)生きてるの?なんで生きていなきゃいけないの?」テレビを見ていて、最初に飛びこんできた言葉でした。
子どもを見送る誰もが感じる罪悪感、食べることさえ、息をすることさえ、生きるための本能さえも罪悪に感じる辛さ、それは経験しているからこそ痛切に感じることです。
本当に、本当に、苦しくて、辛くて辛くて仕方のない、やり場のない自分自身との戦いが始まります。
19年の年月を経ても語る言葉とともに涙が溢れています。
この取材映像を見る中で、私の印象に残ったのはここでした。
「家族の中にあの子も一緒に描いてほしい。空から見守るという位置でもなく、天使って感じでもなく、生きている家族と一緒にね。」
お二人が同じ思いを共有されていました。
「あ~、見守る、天使っていう存在になった、という捉え方は辛いんだなぁ、現実としてどんな捉え方をしていらっしゃるのかなぁ?」と私は思いました。
でも、絵本の最終打ち合わせでは、お二人ともが「やっぱり家族の中ではなく、見守る存在としてあの子を描いてほしい」という思いに変わっていらっしゃいました。
そう、、、、そう、、、、悲しいけど、それがこの世で生きている家族からの現実の位置なんですよね。
今の私の感覚は後者ですけど、認めたくない反面、認めざるを得ない現実なんですよね。
それを、描くということ、描かれた絵を目にするということ、それは、現実を確認する一瞬でもあるんですよね。。。
時間をかけて、自分の中に、落とし込んでいく作業は辛いです。
でも、その人なりの現実を落ち着かせる場所が、心のどこかに必ず生まれてくると信じます。
今、辛くてそんなことは夢のような話、また、辛くてそんなわけない!と怒りの湧くような話、である人もいらっしゃるでしょうけれど、過ごし方にもよりますが、時を経ていくということはいろいろな作用をしてくれます。
「悲しみは消えないけれど、私は幸せ」最後におっしゃってました。
深く共感する思いでした。
そう、悲しみは悲しみなんです、でも、幸せも同時に存在するようになるんですよね。。。必ず。
だから、心は振り子のように行ったり来たりしながら、両方を認められるように、自分のものとできるようになるのだと感じています。
後の解説でこんなお話がありました。
震災は一つの出来事ではなく、亡くなられた方の数だけ、ご家族の数だけ、関わられて人の数だけ、それだけたくさんの数の出来事なのです。
そして、その日から、毎日毎日、続いていく出来事なのです。
ニュースで取り上げられるのは、だんだん少なくなっても、19年経ったよ、と流れても、その重みは、その日たった一日では語りつくせませんね。
言葉で語りきれない思い、それを表現するには歌はとてもよい手段。
思いが歌と一緒に伝わっていく、聞いている人も同時に癒される。
そうですよね、、、私は、今は歌が辛いので、少し距離を置いていますが、また、距離が近くなる日がくるかもしれませんね。
何かの方法、形(今回は絵本)で自分の悲しみ苦しみを表現していくことは、現実を受け入れていく一つの方法として、とても大切なこと。
それは、まゆから糸を紡ぎ出すような、細くて長い糸を作るような、生きる目標を新しい形で受け止めるための作業。
心の深いところへすぅっと染み込んで、優しくあたたかく広がっていきました。
二日遅れになりましたが、、、、
阪神淡路大震災で亡くなられた方の魂が安らかにいらっしゃいますように。
被災され心に深い傷を負われた方の魂が癒されていきますように。
生き続けるための支えと光をもたらされますように。
そして、東日本大震災で亡くなられた方や被災された方々にも届きますように。
小さな幸せ探しができますように。
心からの祈りを込めて。。。
長い日記をお読みくださりありがとうございました。
明日は親の会、子どもたち、いつもありがとう、よろしくね