3月31日、石中同窓生と飲んだ。
場所は例のごとく新宿である。
午後5時半に新宿駅西口に集合。今日のお店は西口にある紀州屋というお店である。
メンツは写真の通り、ガンジ、トッショロ、ケヅカ、ガビゴ、私、それと今回は新しくドイベンとボデヒが参加であった。ドイベンとボデヒとは12月の池袋での同窓会に続いてであった。
この時すでに震災一周年の3月11日を過ぎていたが、私の場合は昨年9月以降帰石していなかったので、お正月に帰省した人の話がまずは興味深かった。
大晦日の紅白歌合戦で長淵剛が門小のグラウンドで歌ったそうだが、前夜にサーチライトらしき光が空を駆け巡っていて、秘密裏に準備が進められたはずが結構バレバレだったそうだ。それでなくても日和山近辺に住まわれている方はだいたい知っていたそうで、新聞で彼の歌う順番から時間のアタリをつけ、現地に見に行ったそうだ。
また、野球の甲子園選抜大会に石工が出場したのもこの3月であったので話題になった。私もビデオで見たが、なかなかいい試合をしたのではないかと思う。(選手宣誓があんなに長くなっているのにはかなり違和感がありましたが時代ですかね。)そもそも石巻勢が甲子園に出場するのは久しぶりだったし、21世紀枠とはいえ、それに選ばれるまでには、秋季大会でベスト4には行かなければならないだろうから、がんばっているなと思った。そういえば数年前にも石商(ケンちゃんやジュンコちゃんの母校)も、もう少しで21世紀枠で選ばれるところまで行ったはずだから、石巻勢は今はレベルが高いのかもしれない。そのあたりは金森と会う機会があればまた聞いてみたい。
ちなみにオトミさんの関係の方が出場されていたらしく、それゆえオトミさんも甲子園に応援にかけつけていたとのこと。いやあ、いいですねえ、スゴイですねえ、なんて話をしていたら、早速ガビゴがオトミさんにメールをしたらしく、そしたら早速オトミさんから返信があったらしく、その場の盛り上がりを仙台のオトミさんとシェアしたのであった。
後で聞くと、甲子園での石工の試合当日は、大文字屋のあるアイトピアの旧生協の建物でパブリック・ビューイングがあり、兄に「店を閉めて絶対見るように」との厳命を受けたキクちゃんは、「なんだい、オラいいべっちゃ…」とブツブツ言いながら観戦に行くと、またしてもテレビのインタビュアーにつかまり、「あらー、店閉めて見に来たんだよ~」みたいなことを言いながら全国放送にしっかり映っていたそうだ。仙台のモコちゃんからは「朝からウケた」と速攻でメールをいただきました。
石巻については復興の進捗具合が気になるところであるが、関東在住の私には、いろいろ伝わってくる部分となかなか伝わって来ない部分とあり、もどかしいところがある。私の情報源としてはウェブで河北新聞(正式には河北新報)のサイト、石巻市のサイト、復興関連ブログなどを見ること、同窓生(森口くんや木村くんや高橋くんや坂本くん)がメールで送ってくれる情報に接するぐらいであるが、正式に文書になっていないものは上がってきにくいだろうから、現地のようす、雰囲気は、やはり現地にいないとわからないだろうな思う。ただ、ちょうどこの飲み会の前日の3月30日に、「石巻復興整備計画」が市から発表された。大枠ということになるだろうけれど、歩みを進めたことはたしかである。(4月19日に帰省したので、そのあたりは近々書きたい。)
石巻復興整備計画…従来の都市計画と接続しながら平成24年~32年を復興期間としています。(どんどんクリックしてPDFをクリックして開くと見られます。)
何の拍子か覚えていないが、トッシュロと石巻人の気質の話になった。なんでもトッシュロの知り合いで石巻にボランティアで訪れた人が、現地でただの作業員のごとく扱われ、あまり感謝の言葉ももらえず、ショックを受けて帰ってきたという。私は、松尾芭蕉が「奥の細道」で石巻の人が冷たかったと書いたのは旅の辛さを演出する創作だという説を疑っているクチなので、石巻の人は結構そういうところがあるのではないかと思っている。少なくとも人に冷たい、少なくとも無愛想に見えるところはあるのではないかと思う。
私の大学時代に東京の友人が川開きに遊びに来たとき、私が周りと話しているのを聞いて、「なんでみんな喧嘩してんの?」と言ったことがある。これは言葉づかいが早口なズーズー弁であることで、ひどく乱暴に聞こえたということらしい。これは言葉の問題である。
石巻は昔は北上川の海運で江戸と直接の往来があり、仙台とは別個に発展してきたところがある。その分独立意識というかプライドの高いところがあるのではないか。気候は温暖でその面の苦労がない。地域的に狭い活動範囲を動いて、仙台のように中央の脅威を感じることもない。そんな中で、大らかではあるが、接する相手に対してあまり気を遣わない。それで通ってしまう。それゆえに相手に冷たくしても平気になり無愛想になる。そういうところがあるのではないか。(それはオレだ! と思わないでもないが。)そんなふうに思っている。だから、石巻が観光都市として町興しをするなら、いっそのこと「世界一愛想の悪い観光地」と自虐ネタ的にでも銘打って宣伝してもいいのではないかなどと秘かに思っていたりする。(もう「秘か」ではないが。)
こういう私の考えが当たっているのかどうか今のところ分からないが、機会があれば調べてみたいとも思う。
その話とどちらが先かは忘れたが、市内の地区ごとの意識についても話した。私たちの時代、地域ごとの意識があって、たとえば山小の子から見ると石小の子はおぼっちゃん・おじょうちゃんに見えたという。私なんかはあまりそうは思わかったと言うと、そう思わないところが余計にそうなのだなどと混ぜかえっされたりする。なるほど。それはわかる。(差別意識とはそういうものだ。)私自身は、小学校時代にしても中学校時代にしても高校時代にしても、それまで接することのなかった地域の人間と接するようになった時、あまり特別な意識を持たないところがあった。しかし一方で、石巻幼稚園、石巻小学校、石巻中学校…という自分の属した学校の名前の連続性を少し得意に思っていたところもある。そしてたぶんそれは「自分は中心にいる」という意識ともつながっていたであろう。
そういう意識は、ある時は逆の形で現れてくる。たとえば、私が高校時代ぐらいに仙台の人間の話すのを聞いた時、妙に標準語とチャンポンに聞こえ、ヘンに格好をつけてかえって格好悪いものだと感じたことがある。その時の意識に通じる。そこで私は初めて仙台に対して対抗意識のようなもの、コンプレックスを持ったのである。その意識は、仙台の方が石巻より上だということを前提していた。そういう感じ方だった。その時はじめて私も、山小の子が石小の子に持ったのと同じ意識を持ったのかもしれない。(そういうことをトッシュロから指摘された。)
ガンジが中学時代に作った「必殺からくり人 一九七五」の話。これにはボデヒも出演していて、本人曰く「やはりおざなりに台詞を言っているのが気になる、もうちょっとちゃんと言ってりゃ良かったねえ」。ケヅカとトッシュロが新たに録音しなおして音を足しているところがあるとか、続編があるとか、私も聞いてあらためて驚いた。
ブログにいただいたコメントからわかったこと。
毎回話題になる焼きそばの「ヤスリヤ」の場所が、寿町の気仙屋旅館の向かい側を寿福寺方面に抜ける細道にあったこと。
最近のことであるが仲上くんの昔の知り合いの方から消息を知りたいという問い合わせがあり、私が動く前に連絡がついたこと。
その後、ケヅカとドイベンと私は、十代に何を考えていたか、小学・中学時代の女子の覇権争い(?)、だれがだれをどう思っていたか等々話していた。部活の話をしていてドイベンのテニス部姿を思い出した。ケヅカは何げに女子とよく話をしたらしくその方面(?)に明るかった。
この店には日本酒のいいのが結構あった。私は墨廼江(石巻)の純米大吟醸と、紀州和歌山のこの店のウリである紀土(キッド)の純米を飲んだ。どちらもたいへん美味しかった。
こうして新宿西口の一隅に出現したリトル・イシノマキは10時過ぎに一旦姿を消した。
その後、ガビゴ、ボデヒ、トッシュロ、私は、新宿3丁目の池林房に。
日本酒を語って撃沈したガビゴをタクシーに乗せた後、残る三人で、今度は同じ三丁目にある方言を店名に使ったバーに飛び込む(マスターは岩手出身だった)。解散したのは2時ぐらいであったろうか。
今回も次々と新事実が明らかになる飲み会だったのだ。
付記1
これもブログにいただいたコメントについて。被災した方の知人からゆかりの品を渡してもらうよう頼まれ、故あって鈴木くんに託すことになった。そういうわけで鈴木くんには早く会う時間を作ってほしいと思っている。(カッチャン、早くね。忙しいだろうけど。)
付記2
付記3
ガンジがなぜ「ガンジ」なのか、ガビゴがなぜ「ガビゴ」なのか、そのあたりも分かった。
毛塚くんが6月15日に石巻でチャリティコンサートを行うとのことで記事をあげました。
よろしかったら読んください。
復興状況としては公の面、とりわけインフラについてはそれなりに進んでいるわけですが、私、個の面ではそれぞれがまずは生きていかなかればならないですから、それぞれでがんばっているというところでしょうか。私の実家もそういうところですが、なかなか一言では言えないところがありますね。
私が4月帰省した際は旧市街の被災建築物の解体作業が目立ちました。これは当該建築物に関して無料で解体できるからですが、新たな建築物や商業施設については計画自体がなかなかまとまらないようです。これには官民それぞれの事情が入り組んで存在しているからですが、そのあたりメディアにも載らないので、わかることがあればブログにも載せてみようかと思っています。
忙しいところいつも連絡いただき感謝です。
こちらは相変わらずで、時に帰省して石巻を定点観測です。
いい陽気になってきましたからそのうち繰り出したいですね。