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日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

かじやさん

2013年11月02日 | インポート
佐世保市矢峰町から雲仙市愛野町の実家まで帰る途中で佐世保市三河内町(みかわちちょう)を通る。

三河内町には「三河内焼美術館」というのがあることを道脇に表示してある看板で知っていた。

3連休の初日は、そこの見学に充てようと思い妻を誘ったら、喜んで付き合ってくれた。

10時半ごろ車で家を出発して、11時40分ごろに東彼杵町の「彼杵の荘」にトイレ休憩のために立ち寄った。

出店のテントがたくさん設営してあって、大勢の人が集まっていたが、その中で「かじや」という表示が懐かしく、その出店に行ってみた。

包丁などの刃物が展示してあり、その中に研ぎこんで小さくなった、果物ナイフの様に細くなった刃物が置いてあり、興味を引いた。

なんだろうと思って見ていたら、出店のおかみさんが説明をしてくれた。

包丁の金属部分の全体に鋼(はがね)が叩き込んであり、研いで細くなってでも包丁として最後まで使えるという製品であるとの説明だった。

東彼杵町三根郷の「森かじや」さんで、息子さんが後をついで「かじや」をされているということで、修理などもやっているということだった。

「かじやさん」の包丁だったら信頼できると思い、購入させてもらった。

ついでに頑丈そうな、少し太い枝まで切ることができるという剪定ばさみも購入させてもらった。

予想外の買い物をした後、三河内町の「三河内焼美術館」に行ったが見学者はほかにおらず、妻とふたりだけで色々な陶芸家の焼物を見学させてもらった。

焼物美術館の隣りに「佐世保バーガー」の店があったので、そこで佐世保バーガーなる物を食べてみた。

濃いめの味で、若い人には好まれる味かなという感想。

帰りに波佐見町の道路わきで、陶器の展示即売をしていた「つちくら」という店に寄って、ご飯茶碗や焼酎などを飲む時に使える陶器を購入させてもらった。

その店では、商品を購入した客に対して、コーヒーを振舞うサービスをしている。

それも、カウンターの後に展示してある普段では使うことの無いような、高級なコーヒーカップの中から自分が好きな物を選んで、そのカップにコーヒーを入れて出してくれる。

なかなか素敵なサービスだと思う。

好みのコーヒーカップで、普段はめったに飲むことが無いコーヒーをいただかせてもらった後は、波佐見町の「やきもの公園」まで行ってみた。

テントがたくさん設営してあって、明日の「炎祭り」というイベントの準備中だった。

そこまで行ったら、以前働かせてもらっていた組織での業務で何回か行った事がある道だったので、記憶をたどりながら、やきものの里の「中尾山交流館」まで足を伸ばしてみた。

そこで、「三河内焼き」と「波佐見焼き」の違いについて説明してもらった。

三河内焼きは平戸藩のお殿様や大名への献上用に制作されてきた歴史があり、唐子などの絵付けに特徴がある。

それに対して波佐見焼きは、一般的に使用する陶器として制作されてきたのだということだった。

そこでも、庶民価格の茶碗と取手付きのカップを購入させてもらった。

山里の奥のやきものの里(陶郷)という風情が心地良い空間だった。

帰りに大村市を通ったので、竹松遺跡の発掘現場を妻に見せてから家に戻ったら、外は暗くなっていた。

穏やかな秋の一日を、のんびりと幸せな気分で過ごすことができた。



豊田一喜











新米

2013年10月27日 | インポート
1.1ヘクタールの田んぼを知人に耕作してもらっているが、それらの田んぼからの上米(あげまい)の一部を本日届けてもらった。

30kg入りの米袋で、新米15袋を届けてもらったが、本日中に5袋は、友人・知人に買ってもらった。

1袋7000円で買ってもらっている。

4人の人に定期的に買ってもらっているが、全部で41袋の上米があるので、自家消費米等を差し引いても、平成24年産米は4袋ほど残った。

ということは、平成25年産米も4袋ほど残ることになるので、もし欲しいという方がおられたら、1袋30kg入り新玄米を7000円でお分けします。(4袋あります。電話連絡申し込み先着順。)

また、平成24年産米(古米)は、精米して1袋28kg入り(精米すると米ぬかとして出る分が減る)を5000円でお分けします。(4袋あります。電話連絡申し込み先着順。)

ただし、雲仙市愛野町の私の家まで、土曜日か日曜日に取りに来る事が可能な方に限ります。

米の品種は「にこまる」です。

と、宣伝はこのくらいにして、早速近くのコイン精米機にて300円を投入して30kgの新玄米を精米し、夕飯としていただかせてもらった。

つやがあり、粘りがあっておいしい。

親が苦労して耕作して残してくれた土地のおかげで、労せずして銀シャリをいただかせてもらうことができている。

その土地を維持して行くことが自分の役目だと自覚している。

秋の味覚として、サンマ、柿、梨、栗、サツマイモ等々あるが、日本人的には新米も秋の味覚の代表選手かも。

昼間の日差しは夏の名残を思わせる程度に強かったが、夕方になると少し肌寒くなるように、秋が少しずつ深まってきている。

四季の移ろいのある美しい日本の国土を、嘘で塗り固められた原子力発電所から排出される処理不能な汚染物質で汚して欲しくはない。

政治家や資本家の愚かな判断は、いつの時代にも国民を不幸にする。



豊田一喜


















小魚たくさん

2013年10月26日 | インポート
小魚の三杯酢漬けが食べたくて、諫早市飯盛町の結の浜までその材料調達に出かけた。

平たく言えば、魚釣りに行ったということ。

目標とする魚は鯵子(あじご)だったが、私の釣竿に釣れてくれたのは、たくさんのクロの子など。

先週の魚釣りで、クロの子の釣り方は分かっていた。

見えている魚は釣れないと言うが、まさにそのとおりで、撒き餌をして、うじゃうじゃと湧いてくる小魚は、サビキ仕掛けの擬餌針にはなかなか喰らいついてはくれない。

そこで色々と試してみたら、撒き餌のアミを投げ入れて、そこに群がっている小魚の遊泳層の深さに、渓流仕掛けのハリス0.4号の釣り針にアオイソメを釣り針の長さより少しだけ長めに付けたものを投げ入れれば、群がっている魚群の中の一匹がそれに喰らいついてくれるということが分かった。

その方法で、小さなクロの子などが次々と釣れてくれた。

小さな魚はリリースしなきゃという考えの人もいるかと思うが、私の技量では大きくなった賢いクロなどは釣り上げる事はできないので、私の技量で釣ることができる小さい魚を、唐揚げの材料の海の恵みとしてありがたく持ち帰ることにしている。

秋晴れの、のどかな海原を眺めながら、小魚に遊んでもらえる環境にいられることをとても幸せに感じることができる。


本日の釣果(クロの子:50匹 バリの子:5匹 鯵子:2匹 いわし:4匹)
(画像をクリックすると拡大する)
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人間ドック

2013年10月24日 | インポート
職場から、特定の年齢に達する者に対して、人間ドックを受診するようにとの達しがあっていた。

今年度中には60歳になるので、私も人間ドック受診対象者になっていた。

指定された県内の病院の中から、自分に都合がよい病院を選び、そこで受診する事ができるようになっていたので、実家の近くの諫早市の病院を選んでおいた。

本日がその人間ドックの受診日だったので、年休を取って休ませてもらった。

前日の夜の9時以降は絶食しておくようにとのことだった。

自分は、日常的に朝と晩の二食しか食べない食習慣なので、昨日の朝食を食べた後、夜の9時前までに晩御飯を食べるつもりだったが、仕事をしていたら、夜の9時前までに晩御飯を食べなければならない事を忘れてしまっていた。

昨日は午前7時ごろに朝ご飯を食べただけだったが、たいして空腹感も感じなかった。

蓄えられている皮下脂肪などで、体力の維持は賄えているのかもしれない。

仕事を終えて夜の11時過ぎに佐世保市を出発し、本日の午前1時より少し前に雲仙市愛野町の自宅に到着して、それからすぐに眠った。

毎朝の習慣として、午前6時前には目が覚める。

結構正確な体内時計を有しているのかもしれない。

朝風呂に入り、諫早市内の病院に行く仕度をして、7時20分頃に家を出て、8時頃には諫早市の病院に到着した。

基本検査のほかに、血管の硬さを判定できる検査や、MRIによる脳の輪切りの検査も申し込んでおいたので、通常の基本検査とは別に、結構高い検査料を払って検査してもらった。

人間ドックに入って体の調子を検査してもらうということは、めったにないことなので、この際少しお金はかかっても自分に対する投資だと思ってそのような検査をしてもらった。

で、ゲボゲボしながら胃カメラによる胃の検査を受け、もろもろの検査を受けたあと、MRI検査が終了したのは午後1時30分ごろ。

それから着替えて会計を済ませ、病院内のレストランでの食事券をもらって、やっと30時間ぶりぐらいに食事を摂る事ができた。

案外、一日一食でも、たいした空腹感も感じることなく過ごせるものだという事が分かった。

人間ドックでの検査の結果、経過観察というのが一箇所、要請蜜検査というのが一箇所見つかった。

やってみる物だという事を思った。

60年近く生きていると、体のあちこちにガタが出てくるのだろうが、そのガタの兆候を早目に見つける事ができれば手の打ちようもあるだろう。

神様から与えてもらっている今の環境の中で、命を大切に維持して行けたらと思っている。

それにしても、30時間ぶりの食事はとてもおいしくいただく事ができた。


豊田一喜






ゴミ処理

2013年10月20日 | インポート
庭の芝や雑草や落ち葉などを、使わなくなった紙の米袋に入れて小屋の中に置いていた。

それが10袋にもなっていたので処理しなければならない。

旧諫早干拓の田んぼで燃やして処理することにした。

水田地帯では稲刈りの真っ最中で、有明川の上空にはラジコン飛行機が飛んでいる秋晴れの日。

この辺の地域には台風の直撃も無く、豊潤な実りの秋を迎えている。

北風が吹いていて、水田に並べたゴミはよく燃えた。

旧諫早干拓に保有している2枚の田んぼは、同じ排水路に面しているが、その排水路を拡幅するということで、先週の土曜日に県央振興局の職員の方が2名で用地買収交渉に自宅へ来られた。

もちろん契約書に記名・押印させてもらった。

水路拡幅のために買収される部分の土地の所有権は公的な物になるが、その水路敷きの一部の管理は耕作組合にゆだねるのだという説明だった。

ということは結局、個人で管理しなければならないということに繋がる。

現況の畔の部分より少しだけ耕作地に入るぐらいの区域の買収だから、その部分の草払いぐらいならたいして時間もかかりはしないのだが釈然としない。

その部分に草が生えないような処理はできないのかと問うたが、それはできないというような返答だった。

現況の素掘りの排水路は側壁が崩れている箇所もあるので、そこにコンクリート製品をはめ込んだ幅1.8mの水路にしてくれるということなのでありがたいとは思うのだが・・・・・。



豊田一喜








クロの子とバリの子

2013年10月19日 | インポート
「アジゴ(鯵子)を釣ってみたい」と妻が言ったので、今週も諫早市飯盛町の結の浜に出掛けた。

この前の日曜日の魚釣りで、妻には鯵子が1匹も釣れなかった。

今日はふたりして、鯵子は1匹も釣れなかった。

釣れてくれたのはクロの子とバリの子(アイゴの子)だけだったが、のんびりとした楽しい半日を過ごす事ができた。

バリ(アイゴ)の子は、ヒレに毒を持っているので、釣りあげたらすぐにハサミで背びれ、胸びれ、腹びれを切り落とすことにしている。

バリの子は、煮付けにすると骨も少なく、身が骨から離れやすいので食べやすい。

バリ(アイゴ)が釣れると捨てている人がいるがもったいない。

おいしい魚なのに。

クロの子は唐揚げに、バリの子は煮付けにした。


本日のふたりの釣果
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豊田一喜







稲刈りのにおい

2013年10月18日 | インポート
佐世保市から雲仙市愛野町の自宅への帰り道の途中で、諫早市森山町を通る。

夜なので国道のまわりの景色は暗闇の中でよく見えないが、島原鉄道の森山駅を過ぎて少し走ったあたりから国道の左右に水田地帯が広がっていて、少しだけ開けている車の窓から、「稲刈りのにおい」が入り込んでくる。

今頃の季節になれば、子どもの頃から慣れ親しんだ「稲刈りのにおい」。

たわわに実った稲穂で覆われていた水田の、水を落とした後の稲を刈り取った後のにおい。

わらのにおいと潟土のにおいが混じったような、懐かしいにおい。

あと10分もすれば我が家へ帰りつけるという安堵感の中で、懐かしいにおいに出会う。

子どもだった頃には、稲刈りの季節になるとノコ鎌を持って手刈りで稲刈りをしていた。

バインダー(稲刈り機)やコンバインなど無かった50年ほど前の頃の話。

そのような作業の中で、一日中感じていたにおいだから、自分の中では稲刈りのにおいとして脳みその中に記憶されている。

農作業が機械化された今の農業に比べれば、昔の農作業は何倍もきつくて大変な作業だったのだと思う。

農業をやっていた人たちへの肉体的な負担は相当に大きかったものと思う。

それでも多くの兼業農家の方々も含めて、農業従事者の方々が地道に勤勉に働いて、それぞれの田畑を維持し続けて来たことによって、中山間地域における水田は天然の保水施設としての役目を果たしていた。

そのような農業従事者の方々の勤勉さによって維持されてきた日本の農業を、一握りの大規模農家を優遇するような方向へ農業政策を変えようと政府はしている。

私は間違っていると思う。

山腹やその裾野に広がっているわずかな平地を水田にして営まれてきた日本国の農業形態をきちんと把握していれば、農地を集積化して個別の農地面積を増やし、農業の国際競争力を強化するなどというような発想がいかに荒唐無稽なことかということは分かるはずだが、そのような認識を有していない人たちが日本の農業政策を策定しているという不幸。

そのような人たちが策定してきた農業政策によって、勤勉な小規模農家の人たちは翻弄されてきた。

自国民の胃袋を満たすための農業生産力さえ有していない脆弱な日本国の農業で、国際競争力云々を言ってもどうしようもない。

まずは食糧自給率を100パーセントにするような政策が先決であるはずだが、そのような事柄は論じられない。

誰かがどこかで何とかしてくれるだろうというような発想が根底にあるのだろう。

それでもおかしな農業政策に関係なく、「稲刈りのにおい」は勤勉な農業従事者の人たちの働きによって、今年も日本国中に漂っている。



豊田一喜








唐揚げの素

2013年10月14日 | インポート
秋晴れの良い日和だった。

一般の床屋さんは定休日だったので、愛野町の3Q(さんきゅー)カットという1000円床屋さんで髪の毛を切ってもらった。

自分が希望していた髪形とは微妙に違ったが、短く切ってもらったのですっきりとはなった。

私のような庶民としては、散髪代が、一般的な床屋さんの3分の1の値段なのでとても助かる。

3連休の最後の日なので、精神的リフレッシュのために、午後は妻と魚釣りに出掛けた。

妻と一緒に魚釣りに出かけたのは、子どもが小学生だった頃以来だから、20年ぶりぐらいになる。

諫早市飯盛町の結の浜の防波堤には、魚釣りを楽しんでいる人たちがたくさんいた。

潮時は干潮の時間帯を過ぎて満ち潮になりつつあった。

サビキ仕掛けのオモリカゴにアミを詰めて海中に投入すると、クロの子が湧いてきて、水中に拡散したアミをむさぼる。

が、サビキ仕掛けの擬餌針には食いつかない。

何投かする内に、妻の仕掛けにクロの子が喰らいついた。

小さなクロの子が、その後も妻の仕掛けにポツリポツリとかかってくれた。

自分のサビキ仕掛けには何も釣れてくれないので、サビキ仕掛けの方は置き竿にして、渓流仕掛けにアオイソメをつけて試してみた。

すると、小さなクロの子が釣れてくれた。

午後3時過ぎ頃から、まわりで型のいい鯵子が釣れ始めた。

渓流仕掛けの餌を竿一本分ぐらいの深さに落として待っていたら、明確な魚信あり。

慎重にあげてみると、そこそこのサイズの鯵子が釣れてくれていた。

置き竿にしていたサビキ仕掛けにも一度だけ型のいい鯵子が釣れてくれた。

その後も、ふたりとも退屈しない程度に小魚たちが遊んでくれた。

餌のアミを使い切ってしまったので、午後4時ごろに納竿。

海の恵みの「唐揚げの素」を、ありがたく持ち帰り、帰宅後から揚げにしてから三杯酢に漬けた。

のどかに過ぎ去った秋晴れの一日だった。



本日の釣果(唐揚げの素)画像をクリックすると拡大する
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豊田一喜











日曜大工(その2)完成

2013年10月13日 | インポート
先週の日曜日にやり残していた木材加工の続きを午前中に行なった。

息子と交代で、電動丸鋸の刃では届かない部分を、手鋸で切り落としていく。

幅20cm程度の直方体の木材を、斜めに切断するのにかなりの作業時間を要した。

スロープの上り口用の切断面を、電動カンナで息子が綺麗に仕上げる。

二つの木材の部材の横の両面を、金具で連結して固定する。

さらに底面にも補強のために金具を打つ。

最後に車止め用の部材をモクネジで固定して、自動車の整備時に使うためのスロープの完成。

試しに妻の軽自動車をそのスロープに載せてみる。

大丈夫だった。

材料費(1,568円):連結金具16枚(98円×16=1,568円)


完成した自動車整備用のスロープ(画像をクリックすると拡大する)
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完成したスロープに軽自動車を載せてみたところ(画像をクリックすると拡大する)
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豊田一喜


行ってみたい催し

2013年10月12日 | インポート
私が「蕪池の仙人様」と勝手に呼ばせていただいている方が、自ら制作されたステンドグラス製品や友人の方が制作された木工製品を展示した、「ステンドグラスと木工展」を催されている。

期間は、平成25年10月12日(土曜日)、要するに本日から11月4日まで。

場所は、長崎県西海市西彼町喰場郷(オランダ村とバイオパークの中間付近で、かめだけ郵便局斜め前の「ギャラリーくつろぎ」)で。

2年前から3年前までぐらいには、その当時働かせてもらっていた組織での仕事の現場管理のために、よく通った道筋になる。

久し振りに西彼半島に出向いてみたくなった。

是非とも行ってみたい催し。

詳しく知りたい方は、「田舎暮らし」「ステンドグラス」で検索すれば、蕪池の仙人様の「田舎暮らし」というホームページを見ることができます。

または、ここをクリックすれば「田舎暮らし」のホームページが開きます。

竹松遺跡の発掘作業員の皆様、昨年、共に汗を流して遺跡の発掘作業をされていた方が催されている展示会ですので、ちょっと足を伸ばしてみられてはいかがですか。



豊田一喜


行って来ました。「ステンドグラスと木工展」

今日の午後、息子とふたりで西海市西彼町で、「蕪池の仙人様」と私が勝手に呼ばせて頂いている方と、その友人ご夫婦が共同開催されている、「ステンドグラスと木工展」に行って来ました。

雲仙市愛野町の自宅から車で2時間少し走った所にある、西海市西彼町喰場郷にある、亀嵩(かめだけ)郵便局から国道を隔てて斜め前にある、「ギャラリーくつろぎ」という、農産物等の直売所の右側の建物で開かれています。

骨組みだけプロの大工さんに建ててもらって、後の内装等は蕪池の仙人様の友人ご夫婦の自作という建物。

その中の落ち着いた、意識的に照明を落とした空間の中に、「蕪池の仙人様」のステンドグラス職人としての素敵な作品と、その友人ご夫婦が制作された、温かみのある木工製品が展示されています。

直売もされていて、売約済みの札がかかった作品も何点かありました。

香りのいいコーヒーをいただきながら、「蕪池の仙人様」とゆっくりとお話をさせていただきました。

妻や息子の友人用のお土産として、世界でたった一つしかない、手作りの温かみのある木工製品やステンドグラス製品を購入して帰りました。

行き帰りの道中で、息子とゆっくり話ができて、お元気そうな仙人様ともお話させていただくことができた、とても楽しい一日でした。


下の写真が、お土産に購入させていただいた、写真立て、ろうそく立て(キャンドルスタンド)、手鏡、木製の匙、木製のティッシュケース(画像をクリックすれば拡大する)
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豊田一喜










くやく(公役)と日曜大工

2013年10月06日 | インポート
朝の8時から、旧諫早湾干拓の愛野耕作組合のくやく(公役)だった。

稲刈り前の水路周辺の除草作業が主な内容だが、その作業に取り掛かる前の耕作組合長の報告等の話の時間が長い事はいつものパターンで、本日はそのお話が50分近くも続いた。

それからやっと本題の除草作業に取り掛かり、60名近くの組合員が刈り払い機を使うと、予定通りに20分間で作業は終わった。

作業が終わると自由解散となるが、私は自分の田んぼの畔の草刈と田んぼ脇の道路の草刈をしてから家に戻った。

10時半頃に家に着き、それからは息子に車のオイル交換とフィルターの交換をしてもらった。

その後は、息子とふたりで日曜大工。

必要な物があれば、可能な限り自分たちで作るようにしている。

材料と道具さえあれば、プロの人が作るように上手にはできないが、機能的には遜色の無い物を作る事ができる。

今回は、ジャッキアップしなくても車の底での作業ができるように、車を乗り上げる事ができる木製のスロープを作成した。

20cm×25cm×60cmぐらいの家にあった木材を斜めに切断して、スロープの上り部分の部材を作るという作業にかなりの時間を要した。

家にある小さな電動丸鋸では、5cmの深さまでしか切ることはできない。

可能な限り、その電動丸鋸で切れる所は切り、後は手作業で手鋸とノミを使って、不要な部分を切り落としていく。

そのようにして切り落とした切断面を、これまた小さな電動カンナで綺麗に削って、スロープの上り面を仕上げる。

その後、スロープ部分の木材と、別の20cm×25cm×60cmの直方体の木材とを金具で連結して完成となるが、今回はスロープ部分の木材の切断に多くの時間を要したために、片方の分しか完成しなかった。

続きはまた来週の休みの日にということで、心地よい汗をかき、夕食をおいしくいただく事ができた。


豊田一喜


寄り道

2013年10月05日 | インポート
昨晩は職場の飲み会で佐世保泊。

朝の5時頃佐世保を出発、自宅へ向う。

矢峰から柚木方面へ走り、山越えで三河内方面へ抜けて、波佐見を通り川棚駅近くの国道に出るルートで。

川棚からは海岸沿いの国道を走り、東彼杵町を通り抜けてから大村市に入る。

大村市に入ると、昨年の6月から今年の3月までの9ヶ月間を、遺跡発掘のアルバイト作業員として働かせてもらった竹松遺跡の発掘現場近くを通る。

朝の爽やかな空気の中を走っていると、ちょっと寄り道をして、竹松遺跡の発掘現場を見てみたくなった。

昊天宮という神社の手前で左折してJRの踏切を越えれば、その左手側に懐かしい発掘現場はある。

今年の3月には別の会社の発掘作業員の方々の駐車場になっていた区域も発掘が進んでいる。

先のほ方に進むと自分たちの休憩棟があった場所に、又同じように休憩棟が設置してあった。

土曜日で、発掘作業は休みの日なので、当然誰もいない。

こちらの方も、作業員の駐車場だった区域の発掘が進んでいた。

ただただ懐かしく、その場にいるだけで心が落ち着く。

発掘作業では、米軍の不発弾や旧日本軍の不発弾が出てきているという話を聞くが、古代から近世まで、色々な時代の遺物が出土しているようで、興味深い。

発掘作業により、過去のその地での人々の生業の一部が解明されていくことでしょう。

日中は日差しが強い日もまだありますが、「古代の風」を感じながら、発掘作業を楽しんでください。

私は今日、寄り道をして、少しだけ「古代の風」を感じさせてもらって家に帰りました。



豊田一喜




鯵子9匹

2013年09月29日 | インポート
車が使えるようになったので、車の試運転も兼ねて諫早市飯盛町の結の浜に鯵子(あじご)釣りに夕方出かけてみた。

15時30分頃に結の浜に到着した。

大勢の人たちが竿を出して、魚釣りを楽しんでおられた。

その様子を眺めていると、あちこちで鯵子やコノシロやその他の魚が釣れていた。

人がいない船溜まりの隙間に陣取り釣り始めると、何か見覚えのあるような顔の人が、釣りを終えて帰られていた。

近くまで来られたらはっきりと分かった。

竹松遺跡の発掘作業員をやらせてもらっていた時の現場代理人A氏だった。

A氏も私の事を覚えていてくださっていて、「あ、どうも」ということでご挨拶をさせていただいた。

先週、ベルコン班のKさんに、結の浜に連れてきてもらったのだと話されていた。

出掛けた場所で、顔見知りの人に出会うと、何となく嬉しくなってしまう。

竹松遺跡の方は、今年はあまりたいした遺構や遺物は出ていないと話されていた。

サビキ仕掛けのオモリカゴにアミを詰めて沈めてしゃくっても、反応がない。

隣りで釣っている中学生とそのおじいちゃんは型のいい鯵子をコンスタントに釣り上げている。

どうして自分の仕掛けには釣れてくれないのだろうかと思いながら、座り込んで、深めに仕掛けを落としてみた。

その時に、あたりが手に伝わった。

久し振りの魚の感触。

急いで上げてみると、体長15cm弱ぐらいの鯵子が釣れてくれていた。

その後も、ポツリポツリと鯵子が釣れてくれて、17時過ぎぐらいにアミ餌がなくなる頃までに9匹の鯵子が釣れてくれた。

結の浜の美しい眺めの中で、楽しい時間を過ごさせてもらった。


本日の釣果(鯵子9匹)
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豊田一喜


久し振りの対面

2013年09月28日 | インポート
久し振りの対面といっても人と会ったわけではない。

故障したので修理に出していた車との久し振りの対面。

息子の車に、諫早市飯盛町にあるその修理工場まで乗せてもらい、2週間ぶりで愛車との対面ができた。

車が使えなかったので、週末(金曜日)の移動はJRを使った。

佐世保・諫早間は、快足電車のシーサイドライナーで、所要時間が1時間10分。

料金は1250円。

そのシーサイドライナーの車輌は、世界中で30台しかなくて、その全部が、佐世保・長崎間で走っているそうで、ローカル線の電車としての馬力は日本で一番だという説明書きが、運転席の後方に貼ってある。

対面式座席にできる様式は、新幹線の座席でも、シーサイドライナーを参考にして作られたのだということも書いてある。

通常であれば車で走っている道路にほぼ並行して走っているので、それらの道路の側方を電車内から見る事ができる。

佐世保駅を出ると、日宇・大塔・早岐・ハウステンボス・川棚・彼杵・竹松・大村・諫早の順に停車する。

諫早駅から雲仙市愛野町へは島原鉄道があるが、区間の距離に対して料金が高いし、1時間に1本程度しか便数がないので、諫早駅まで妻に車で迎えに来てもらう。

家に帰ると、一週間前から予定していた息子の職業訓練校の友人たちとのお疲れ様会で、家の座敷の中がにぎわっていた。

彼らの事は訓練校の中では、通称「オヤジ組」ということで通っているということで、息子も含めて6人がそれぞれに個性的な社会経験をしている。

俗にいう、敷かれたレールに乗らないで、少しだけ途中下車をしてから職業訓練校に集まった青年たちである。

20歳から30歳までの年齢の青年たちで、前期の試験が全て終わり、6人が全員及第点を取ったことに対する「お疲れ様会」ということで、私もその飲み会の中に加えてもらった。

前期試験が終わって、これからは来年の3月ごろまでに就職先を決めなければならないということで、それぞれが就職に関してそれぞれのきちんとした考えを持っている。

私は彼らとは初対面だったが、それぞれが長幼の序をわきまえていて、「オヤジ組」の中でも年上の人に対してはきちんと敬語を使うということが自然になされていた。

ゆっくり飲みながら夜中まで話を聞かせてもらった。

ふと思う。

今のような国策で、彼らが親になり、家庭を持った時に、果たして安心して安全に生活できる国家であるのだろうかと。

原発、TPP、雇用者側に有利な雇用形態などなど、憂慮すべき事柄が数多くあるように思うが、彼らに幸せと思う事ができる時間が多く訪れてくれる事を祈っておきたい。


豊田一喜










オリンピックと原発

2013年09月22日 | インポート
我が国の今のリーダーは、世界中に向けて、自国にとって都合の良い、デタラメな情報を発信してしまった。

要するに世界を相手にして「大うそ」をついてしまった。

オリンピックを自国に誘致するためと、既得権益者側の利権を維持し続けるために。

福島の原子力発電所の汚染水は、適正に管理されていて、湾内の0.3平方キロメートルの範囲内に封じ込めているのだと。

水に含まれた汚染物質が海中に放出されている現状を、余りにも安易に考えているというよりは、一国を代表するリーダーとしては無責任の極みのような発言をしてしまった。

いかにも、福島原発の事故は技術的に解決されていて、収束しつつあるようなデタラメを言葉にしてしまった。

東京電力の心ある技術者が、正直に「コントロールできている状況では無い」と発言したことが全てを表わしているように思う。

ご丁寧に政府はその発言を、政府側にとって都合がよいように訂正してしまった。

典型的な情報操作の事例でもある。

テレビなどの報道で映し出される福島原発の敷地内における汚染水の貯留タンクの林立状況を見て、日本人は何も思慮する事はできないのだろうか。

あの林立するタンクの内部には、処理技術も確立していない原発の汚染水がどんどん貯留されていき、それらが満杯になるとさらに貯留タンクを増設しなければ対応できないということをどれだけの日本人が理解できているのだろうか。

そのうちに、日本のあちこちに、そのような核廃棄物や汚染水の貯留タンクが林立するような光景になるのだという想像をする事がなぜできないのだろうか。

原子力発電所が稼動している限り、そのような処理不能な核廃棄物なり汚染水なりを生産し続けるのだという事実を把握できておれば、一刻も早く原子力発電所の稼動を停止しなければ、未来の日本にとって取り返しのつかない事態になっていくのだという認識を持てるはずである。

自分が責任を持つなどとのたまわっているが、事故の発生から2年半も経っているのに、いまだに汚染水の漏出が続いているという現状が何を物語っているのかということが理解できていない。

要するに、事故を起こした原発の制御など全くできていないし、これからもできないのだということに皆が気付いて、一刻も早く原子力発電所の稼動を停止し、廃炉にするという選択をしなければ、私たち庶民が、安心・安全に暮らせる国土となることはありえない。

日本という国家は、国策による結果に対して、国民に責任を取るということを曖昧にすることが多い国家であるとつくずく思う。

第二次世界大戦の後始末に対しても、その実行を最終決定した日本国最大の財閥一族が罪に問われることもなく、その財産を没収されることもなく今も君臨している。

国策により、有無を言わせずに戦場に駆り立てておきながら、異国の地で戦死された方々の遺骨を収集して母国へ連れ帰ることすらも真剣にしようとしないような国家である。

国家のため、家族を守るためという洗脳的教育を子どもの頃から受けさせられて、純粋に命を賭して戦い戦死なされた方々に対し慰霊の念を持つことすらも、外国からの批判に遠慮して抑制するようなおかしな国家である。

家族と別れ祖国を離れて、異国の地で飢餓や病気や死ぬことに対する恐怖と戦いながら、いつ終わるかも分からない戦争状況の中で、望郷の念を抱きながら、家族と二度と会うことも祖国の土を踏むこともかなわずに戦死なされた方々の無念さはいかばかりだっただろうか。

自国が始めた戦争であるから、その根本の責任は、その事を決定した者たち(国家)にあるということは、誰が考えても分かる。

それを無批判に肯定し、賛同した人々にもわずかばかりの責任はあろうかと思う。

それに至った理由付けはいろいろあろうし、そのような決定を下した者たちはそれを正当化するしかない。


原子力発電所の建設・稼動に関しても同じようなことである。

国内産業の発展のための電力供給のためには必要不可欠であり、クリーンエネルギーで安全であるという情報の流布により始めた国策である。

物事の本質を偽り、国民の賛同を得て、運用してきた結果が現状に繋がっている。

何度も繰り返すが、処理技術が確立されていない核廃棄物や汚染水を生産し続ける施設は、日本国にとっては最大の環境破壊施設であるという強い認識を持つべきであり、いずれ何とかなるだろうという問題では決してないということを、強く認識すべきである。

原子力発電による電力がなければ、日本国の必要電力はまかなえないという虚偽の情報操作により、そうなのだと思い込まされている多くの人たち。

現実に今は、日本国中の全ての原子力発電所が、定期点検等のために稼動を停止している。

それでも日本国の電力事情は正常であり、国民生活に支障は無い。

少し以前の事例でも、そのような事は実証されている。

要するに無くてもほとんど支障の無い物を、それが無ければ国民生活や産業活動に支障をきたすという情報洗脳を受けて、原子力発電所の稼動もやむなしという考えの方々が数多くいるものと思われる。

原子力発電に頼らない電源の開発に、国策として舵を切れば、海に囲まれた我が国においては、その資源は相当多くあるのではなかろうか。


2020年には東京でオリンピックが開催される事が決定した。

数多くの日本人がその決定を飛び上がるほど喜んだことだろうとおもう。

しかし私は、東京でオリンピックが開催されることに決定した事を喜ばなかった数少ない日本人のひとりである。

国策の誤りによる原発事故によって、本来穏やかに平凡に暮らしておられるふるさとに、住むことすら許されずにいる多くの日本人の方々がおられる。

国策の誤りによって引き起こされた事故の犠牲者の方々である。

オリンピックの誘致やその開催のために投資する資金があるのであれば、まず第一にやらなければならない事は、国家を挙げてそのような方々が、事故以前の生活形態に戻れるような方策のために使うべきだと私は思う。

世界に向けたイベントで外国に対して国力を誇示するよりも、全ての国民の普通の生活形態を維持し続けることに軸足を置くべきだと強く思う。

オリンピックは自国での開催でなくとも、競技選手はその能力さえあればそれに参加する事は可能である。

すぐ先の未来の日本という国家のあり方に対して、そのうちに何とかなるだろう的な安易な考え方は払拭すべきであり、今この機会に、国家としての正しい方向性の選択をしなければ、狭い日本国の中のいたる所で危険な核廃棄物や汚染水のタンクが林立するような状況になっていくことは否めない現実となる。

地下300mの場所に、核廃棄物をコンクリート等で封じ込めて埋め、核廃棄物が無害になるまでの10万年の時を待つというような計画が、まことしやかに言われているが、コンクリートの耐用年数そのものが、たかだか100年程度でも疑問符がついているというのに、何と言う無責任な計画であろうかと私は思う。

津波の被害から既に2年半が経過したというのに、建設を計画している仮設住宅は、その計画総数の1%より少し多いぐらいの4百数十戸しか完成していないという。

そのような事実を知ると、国家は本気で被災した東北地方の復興に向けて動いているのだろうかと疑問に思えてしまう。

今回の東京オリンピック誘致の興奮で、被災された東北地方の方々の事が隅っこの方に追いやられて、やがては忘れ去られてしまうかもしれないという懸念があり、「絆(きずな)」という言葉に日本人が酔っているだけなのかと思ってしまいたくもなる。

7年後の東京オリンピックの開催までに、福島や東北地方で、国策による人災(原発事故)で被災された方々が、ふるさとに戻って日常の生活を取り戻し、オリンピックのテレビ中継などを見られる事ができるように祈りたい。

津波は自然災害であり防ぎようが無いが、原発事故は明らかに国策による人災である。

津波被害だけであれば、勤勉な東北地方の人々は既にかなりの復興を遂げられているはずであるが、放射能による汚染では民の力では対処のしようが無い。


オリンピックを東京湾の埋立地の中を主会場として計画しているそうだが、地震や津波に対する備えは大丈夫なのだろうか。

近いうちにかなりの確率で大地震がある事が予測されている。

7年以内にそれが無いという保証は誰にもできない。

東京オリンピックの開催ということで浮かれていて良いのだろうかと、日本国民のひとりとして強く思う。




豊田一喜