とりあえず80歳へ  『古希からの田舎暮らし』も10年目になろうとし、喜寿も過ぎてゆき、さて……。

定年後は田舎志向。69歳のとき三木市で「田舎暮らし」をはじめました。田舎にとけ込もうと心掛け、菜園をたのしむ日記です。

「水素水」の機器を新しくしました。

2016-09-30 03:07:34 | 日記
              
 こちらに移住してから、水素水の機器で水を飲んでいます。10年になるのでこのたび新しい機器にしました。水素水についてはいろんなことが言われますが、うちはこれで人生の終着駅までいこうと思います。なお写真の右にある水(ボトルサーバー)は『縄文の水』で山形県から送られてきます。くわしいことは道子さんに。ぼくは飲むだけ。
 雨で畑に行けません。雨がやんだので「家のまわりの草でも刈ろうか」と思うとまた雨が降ってきたり。裏山の池を見るとまた池のシート(プール・ライナー)の下に地下水が入り、池の底がもちあがってます。水抜きのマスに吸水ポンプを入れて地下の水を抜こうと思うとまた雨が降ってきたり。
 もうすぐ10月。10日前後から山田錦の稲刈りがはじまります。しかしこんな梅雨みたいな天気では稲刈りができません。米づくりに精を出しておられる村の人たちは気が気でないでしょう。
 龍神さまに感謝とお礼のお参りをして、晴れてもらおうか。

出久根達郎の文章を読んで気持ちよくなる。

2016-09-28 03:44:25 | 日記
 作家・出久根達郎の家は貧乏で生活保護を受けていました。達郎は中学を卒業するとすぐ東京の古本屋に住み込みで就職し、家の父母に仕送りしました。現在は自分が作家兼古本屋になっています。
 彼の文章を読むと気持ちがいい。引用します。読んでみてください。


 私の元服は、まず酒と煙草で始まった。  ……
 生まれて初めてバーなる店に踏みこむ時の、怪しいときめきを、君よ知るや。
 こちらは田舎者の少年である。まず未成年ということで断られる恐れがあった。私は、いにしえ一世を風靡した「真知子巻き」を真似て、襟巻きで顔半分をおおった。早い話が、鞍馬天狗の頭巾である。何度もポケットのお金を確認した。目の前に「トリス・バー」がある。安全で安く飲めるバー、と先輩に教えられたのである。  …… 
 そうして幾度か逡巡ののち、目をつむり思いきって入口の扉を押した。十代の少年にとって、バーなるものの店屋がいかに遠かったか。私は母を尋ねて三千里も旅したマルコのように、扉を開けただけで、へとへとに疲れてしまった。
                             (『逢わばや見ばや』より)


 また出久根達郎の作品の中に、こんな文章がありました。前後を忘れたけれど、人に紹介されてどこかに出掛けた場面でした。

  ……  行った。  ……

 これで、言いたいことを伝える。なんという文の切れ味。

『曼珠沙華を植えたい熱』がヒートアップしてきました。

2016-09-27 19:59:16 | 日記
 きのうは歯医者さんに行く日でした。診てもらったあと 吉川町 ⇒ 細川町 を「曼珠沙華ドライブ」しました。ふだんは土手や畦を見てもどんな草花が生えてるかわかりません。が、秋のお彼岸前後は曼珠沙華が目立ちます。地域全体で「曼珠沙華を植えよう」と心掛けている東条町をドライブすると、とどろき荘の裏だけでなく「ここにも」「あそこにも」咲いています。
 三木市はどうか。
 歯医者さんから吉川町の湯谷に向かい、吉川のグランドに抜け、瑞穂町からなるべく村の旧道を走りましたが、曼珠沙華はたまに見かけるだけで、群生はわずかでした。谷口から豊地を通り、金屋のローソンへ。榎とお地蔵さんと曼珠沙華。ここは今年も見事です。
『高篠』のバス停をフレンズ側に曲がると川沿いに曼珠沙華が「数年後には群生しようとして」います。
 その写真です。
                 
 はじめて見ました。「土手を曼珠沙華の赤い帯」にしようとどなたか草を刈って、球根(鱗根)を四段に植えておられます。あと五年もすれば鱗根が増えて赤い帯になります。あの金屋の榎にまだ対抗できませんが、一〇年で逆転する可能性もあります。
「おぬし、やるじゃないか」
 ぼくも「曼珠沙華を植えたい熱」があがってきて、今年は「増し植え」します。神出のむーな村に植えた鱗根の塊りを掘り起こして、畑の土手に植えます。大きな花に咲いてもらおうと、さらにネットで一〇〇球購入しました。大きい鱗根です。七五〇〇円なり。
                 
 真冬に数日かけて500球植えてから7年。「この冬は植えよう」と毎年思いながらなんとなく時が過ぎてしまいました。おそらく人生最後の「植えたい熱」ヒートアップになるでしょう。頑張ります。 
 
 

 

イチゴの苗をリフレッシュします。

2016-09-26 02:21:09 | 日記
 写真は今年の4月23日、イチゴ・ネットハウスが完成した日に撮りました。今年はイチゴのなるのが早くて、ヒヨドリに食べられる寸前でした。このネット・ハウスは近隣に類を見ないほど強力です。アライグマがもし電気柵を越えてイチゴを食い散らそうとしても、ピンと張った動物ネットがはじき返します。カッターでも持参しない限り侵入は不可能です。
 丈夫な動物ネットにしがみついて揺さぶって潰そうとしても、天井にあがって陥没・侵入しようと跳びはねても、木材でしっかり骨組みを作りましたからダメです。アライグマとしては悔し涙に暮れるしかありません。
(去年アライグマにイチゴを食い荒らされて、「あんなヤツに負けてたまるか。絶対侵入できないネットハウスをつくるぞ!」と意地になってぼくがつくったネットハウスです)
 地面に杭を打ち込み、頑丈な骨組みにしましたから移動は無理。ネットもはずせません。この場所で土壌に手を加えて連作します。
 で、いまどうなっているか。写真は省きますが、イチゴのランナーで苗をとるためのスペースと、大豆・黒豆を「苗立て」した残りの豆が育っています。枝豆で収穫するつもりです。
 でも現実は厳しい。草ぼうぼう。防草シートでも防げないほど。
 道子さんはいま、イチゴのランナーから180株ほど苗をとって仮植えしているところです。(11月に本植えします)でも「今年は《宝交早生》の苗を数十株買って一部分リフレッシュしようか」と思案しています。
 このイチゴ、元は1999年に淡路島の村瀬さんという先輩が苗を20株送ってくださいました。あれから18年。ずっとつくり続けています。他の銘柄の苗を数株買って混ぜたこともありますが、宝交早生にはかないません。
 子や孫のために道子さんの心づくしの奮闘はつづきます。
 

刈っても刈っても。草の勢いはすごいぜ。

2016-09-25 00:53:57 | 日記
 出掛けたついでに東条町のコーナンに寄ったら、秋になって芝生が入荷していました。
「芝生を貼る季節になった。裏山の芝生を刈ろう」
 今年から芝生が広くなっているし《一週間に一度》も刈るのは無理ですが、草刈り機を新しい歯に替えて刈りました。刈るのは10日ぶりです。いくらか穴はありますがきれいになりました。芝生は「肥料食い」なので、フジワラファームの鶏糞を撒きます。
 午後は畑の草刈りです。きのうもタンク一杯のガソリンが空になるまで畑の草を刈りました。でも遊歩道を半分くらい。今日は大豆の畝間の草を刈りました。午前の芝生と午後の畑で、タンク2杯のガソリンが空になりました。タンク1杯で1時間半。合わせて3時間の草刈りをしたことになります。夕方はとどろき荘のお風呂に行くつもりでしたが、疲れて家でシャワー。
 お風呂大好きのぼくが近頃は入浴でなくシャワーですませることもあり、「入浴って結構体力がいる」と思うようになりました。
 ま、トシのことを嘆くのはやめとこ。
 
 10月のはじめに教え子の同窓会があり、「先生、出席してください」と電話がかかってきました。65歳になる子らです。79歳になるぼくでも「散髪ぐらいしことうか」と思うのですから、彼らは服装とかいろいろ考えるでしょう。考えてみると65歳は「勤め人なら仕事から離れる時期」だし「旅行とかグルメとか趣味をエンジョイする気力・体力の残っている年齢」だし「親の介護はもうちょっと先になるかも」だし。《65歳 ~ 75歳》 は「第二の人生のゴールデン・タイム」かも。
 ぼくはその年齢を過ぎたけど「古希からの田舎暮らし」10年は結構たのしんだなあ。

今年もぼくの『曼珠沙華の株数え』がはじまりました。

2016-09-24 03:20:52 | 日記
 畑の土手の肩にぐるっと曼珠沙華の鱗根を埋めていったのは7年前だったか8年前だったか。(120メートルくらいあります)500球植えました。あれから毎年花の時季になると「今年は何株咲いたか」。曼珠沙華の勤務評定をします。
 まず9月の上旬に、花が映えるように土手の草を刈ります。花は15日頃から咲きだします。「おー! 咲いてきたな」と思う20日頃から、毎年ぼくの『株数え』がはじまります。きのう数えてみました。283株。植えた鱗根の半分ちょっと。
 最終的には毎年350株くらいですから「平年並み」に咲くでしょう。時季は去年より遅めです。鱗根は毎年増えますが一つの鱗根は「一年おき」くらいに咲きます。赤いベルトになるのは10年先か。あの世から眺めるつもりでしたが、まだこの世にいそうなのでこの冬は「増し植え」補強します。

 東条図書館の入口には廃棄本が置いてあり、自由に持ち帰れます。先日は『父・丹羽文雄 介護の日々』(1997年発行・中央公論社)という本を持ち帰り、きのう読みました。著者は小説家・丹羽文雄の娘:本田桂子さんです。
 丹羽文雄は80歳くらいでアルツハイマーを発症し、100歳まで生きました。その妻は脳血栓で「まだらボケ」になりました。娘の本田桂子さんは、自分の家庭をもちながら近くに住んで、ボケた両親の介護をしました。有名な作家ですからお手伝いさんは2人いて世話をしたのですがそれでも大変だったようです。
 しかもネットで他の資料を読んでみると、娘さんは65歳くらいで急死してますから父親の丹羽文雄のほうが5年以上長生きしてます。
ですからこの本は、親の死を看取った手記ではなくて、ボケ老人介護の中間報告です。
 読みやすい文でひと晩で読めました。親のボケでも自分のボケでも参考になる気がしました。ベストセラーになり中公文庫に入っているようですが、読んでみようと思もわれる方はコメントにメールしていただけばこの本を送ります。
 

池の水位が下がったのは?

2016-09-23 02:45:32 | 日記
 裏山に掘った池(ビオトープのつもり)には浴槽に5杯くらい水が入っています。夏は水が蒸発して数センチ水位が下がることはありますが、先日見たら水がごっそり減っていました。
「プールライナーに穴があいて水が漏れたか」。
 大きなシートの穴を見つけるのはむずかしい。また上から全体にプールライナーを敷くしかない。池を空にして大仕事になる。

  よく観察して考えてみたら原因がわかりました。
 ひどい雨が降り、地下に浸み込み、プールライナーの下に雨水がたまり、池の底を押し上げていたのです。雨がやみ、たまった水が地下に吸収されると、池の底が下がった。池の水位が下がった。
 水を補充すればいい。やれやれ、助かりました。
 それにしてもどこかの地下の空間とか地下水の話、いつまでゴチャゴチャやってるんや。東京のことをなんで全国放送するんや。ウンザリ。

 雨で外仕事ができないので読書。藤田宣永という作家の『老猿』という小説を読みました。老人に近い人の話なので読みやすかった。でも老人は過去が長いからいろんなシガラミが出てくる。すると話が面倒になる。
 文が読みやすかったので同じ作家の『還暦探偵』と『左腕の猫』という小説も借りました。読むのが遅くなったけど、おもしろかったら読んでみようと思ってます。
 

曼珠沙華を「増し植え」したい。

2016-09-22 02:46:50 | 日記
 畑の土手の肩に曼珠沙華を500球植えて7年。鱗根は年々増えて芽を出してきましたが、赤いベルトにはほど遠い。せいぜい「オッ! 曼珠沙華を植えたな」とわかる程度。一株一株の鱗根は増えていますが、もう少し幅広い帯になって咲いてほしい。それには「増し植え」しかない。
 そこで「花が終わったら球根(鱗根)をもらって植えよう」と神戸市西区神出町紫合(ゆうだ)の「大豆畑トラスト」に曼珠沙華の下見に行きました。1999年から続いた大豆畑トラストは今年で解散することになりました。ここの大豆畑の土手にはいま曼珠沙華が咲いてます。16年前にぼくが植えました。それが年々増えて、写真のようになっています。
                
 あとひと月したら花はしおれ、葉が出てきます。その鱗根をもらってうちの畑に「増し植え」しようと思います。曼珠沙華はどこでも咲いていますが、まとめて掘るとなるとここに頼るしかない。(通販で買うと1球50円~100円します)草刈りの終わる11月以降にひと働きするつもりです。
 久しぶりに神出方面に出掛けるので、⦅楽農レストラン育みの里『かんでかんで』⦆で昼食をとろうと寄ってみました。相変わらず混んでいて、順番を待たされました。10年間ずーっと繁盛してるんですね。地元野菜中心で、素朴な味つけはかわりませんでした。
 
 
 

「敬老の日」に花が届きました。

2016-09-20 01:51:03 | 日記
 きのうは敬老の日でした。
 口吉川町の公民館で「敬老会」があり、75歳以上の ”お年寄り” には招待状と粗品が届きました。我が家は ”三老人” とも該当者ですが、最長老=妙子さんの世話で欠席いたしました。敬老会では小学生や地域の有志の演技、市長の唄などがあり、おやつとお茶も出て、それなりに心づくしの気持ちが伝わります。送迎にも心くばりをしておられます。
 家でテレビでも見ているほうが面白いかもしれませんが、このような”心づくし”の会が消えつつある時代です。地域の人たちがつくってきた伝統を「大切にしたい」気持ちと「いまどき敬老会なんて」という気持ちが交錯しますが、消えてしまったらもう二度と復活することはないでしょう。
 心づくしを素直にうけとる老人になって、来年は可能なら参加しようかな。
 103歳の母=妙子さんは5人の子(1人は3歳で亡くなりました)、8人の孫、8人のひ孫があります。遠くに暮らす孫の一家から、敬老の日に合わせてお祝いの花が届きました。
          
 記念写真を撮って「ありがとう」を伝えます。
 雨で畑仕事ができません。雨がやんだときにナスビやオクラだけ収穫してきました。

「敬老の日」は〈ささやか〉がいい。

2016-09-19 02:51:31 | 日記
 大志くん一家と萌ちゃん一家が寄って「BBQしよう」という話になり、また「連休はおじいちゃんおばあちゃんとこでなにかしたことに」かと思っていました。
 が、そうではありませんでした。「敬老の日」を意識してお祝いしようと。
               
 雨でBBQはできませんでしたが、お花を贈ってもらい、紅茶とケーキで敬老の気持ちを伝えてもらいました。その〈ささやか感〉が好ましい。
 簡易マッサージ機も贈ってもらい、これから畑仕事の疲れをほぐします。
 家には103歳のぼくの母上がいて、その世話のほうに気持ちが向いていますから、自分たちが敬老される歳になるなんて考えてませんでした。
「もうすぐ79歳と75歳になるし、敬老される側になるか」と感慨一入。
 それにしてもよく雨が降ります。もういいのに。道子さんが「降ってほしいときは龍神さまにお願いするのに、降ったあと感謝しないから。お礼参りもしないと」。
 そうだな。勝手過ぎたな。反省!

曼珠沙華の満開はちょうどお彼岸の中日くらい。

2016-09-18 02:00:53 | 日記
 子どもの頃、彼岸花を手折って持っていると「毒だよ。手を洗いなさい」としかられました。何度も書きますが鳥取県中部ではこの花を「シタマガリ」と呼び、「なめると舌が曲がる」毒の花と思っていました。道子さんはこの彼岸花を意識していて、車で走ってると「アッ! あそこに咲いてる」とよくいいます。
 で、きのうは軽トラにガソリンを入れるついでに、口吉川町・東条町の彼岸花開花状況を見てまわりました。ぼちぼち茎が伸びてきたところで、花はこれから咲きます。満開はちょうどお彼岸の中日ぐらいになりそうです。
 口吉川町では美奈木ゴルフ場への道と交差する旧道が一番の密生地。きのう見つけたのは、細川町の旧『フレンズ』(喫茶店)東の川沿い。ここは近年どなたか土手の草を刈って、曼珠沙華を3段に植えておられ、数年で群生地になりそうな勢いがあります。
 東中のうちの畑は、まわりの土手の肩に一球ずつ植えただけ。「ハハーン! 植えたな」とわかるけど赤いベルトになるのは10年さきでしょう。
 東条町は曼珠沙華を意識して早めに畦や土手の草を刈っておられるところが多く、あと数日で満開です。『とどろき荘』の裏は一番の群生地です。
 来年は埼玉県の巾着田(日本一の群生地)に行けたらいいな。 

曼珠沙華満開のお彼岸になりそうです。

2016-09-17 03:53:20 | 日記
 きのう金屋のローソンに寄って榎の土手を見たら、写真のように曼珠沙華の茎が伸びていました。「今年は夏が暑かった。曼珠沙華の開花が遅れそうだ」と思っていましたが、〈彼岸花 ⇒ 満開〉のお彼岸になりそうです。            
     
 このところ畑に出たら「うちの曼珠沙華は芽を出したか」と土手の上を一周するのですが、まだです。地中で満を持しているのでしょう。たのしんで待っています。
 畑も裏山も道子さんが花を植えている前庭も、草の勢いはまだしっかり。マムシには注意しないといけないので裏山にあがるときは長靴をはき、棒を持って歩きます。マムシに噛まれた人(2人)に話をきいたら、どちらの方も「草を抜こうとちょっと草むらに手を出したとき」です。気をつけます。 
 畑は土手の草は刈ったので、いま遊歩道や畝間の草を刈っています。イチゴ・ネットハウスの中がすごい草。今年は小さい蛙がたくさんいて、それをねらって蛇・マムシもいますから注意しないと。
 人間のDNAには「爬虫類はイヤ。キライ。ご先祖さまが大昔ひどい目に遭ったから」という情報が埋め込まれているのか、みなさんお嫌いのようです。ぼくたちもそう。
 早く冬眠してくれーーー!

『イノシシから畑を守る』を読んで

2016-09-16 01:55:59 | 日記
 図書館で江口祐輔著『イノシシから畑を守る』を借りて読みました。(2003年・農文協)
 著者はイノシシの生態にくわしく、電気柵に頼っているぼくも参考になりました。「電気柵の下はゴムシートのような絶縁体では効き目がない」と書いてあり、防草シートを敷いてるところはイノシシの足が地面に接するように「シートの幅を広くし過ぎてはいけない」と学びました。
 でも一番の問題は「イノシシの個体数が増え過ぎている」ことです。「イノシシを捕まえても近江屋(篠山のイノシシ肉屋さん)が『よう引き取らん』って言うらしい」と聞いたことがあります。罠や檻に多少は捕まる。しかしいくら捕まえても個体数が多くなれば畑荒らしはなくならない。しかも増え方に加速度がついています。
 イノシシにシカが加わるともうお手上げ。家庭菜園をやめるしかありません。佐用郡のほうに行ったときそんな地域を見て、暗い気持ちになりました。
          
 小芋を一株試し掘りしてみました。今年はとてもよくできており、これで一株。去年は掘り出して今年の3月まで小屋で保存しましたがもたなかった。やはり年内に食べたほうがいい。しかし35株も食べられない。サツマイモの芋掘りに来た人に手伝ってもらいます。
 

大豆の品種は『サチユタカ』と『タマニシキ』です。

2016-09-15 00:59:54 | 日記
 去年は大豆の樹が黒豆より大きくなって「ツルボケ気味」と思ったので、今年は「サチユタカ」に変えて直播しました。種はわざわざ水田種苗店(神戸の岩岡)まで買いに行きました。ところが播いた時期(6月26日頃)に連日雨が降り、半分も芽が出ませんでした。
 そこで7月に入ってから苗立てして移植しました。そのときサチユタカの種はわずかしか残ってなかったので、去年のうちの大豆を播きました。(品種はあとで「タマニシキ」と思い出しました)
 現在どうなっているか。
           
 写真・手前の畝の左がサチユタカで、右のタマニシキの半分ほどの高さです。タマニシキはツルボケでなく、もともと樹が大きくなる品種だったのです。サチユタカは樹は小さくてもしっかりサヤをつけています。
           
 以上、今年の大豆の作付けを、備忘録として記しておきます。
 来年の品種は何にするか。大豆の品種は220種あるらしい。収穫後に考えます。
 

雨の前に草をいっぱい燃やしました。

2016-09-13 01:38:36 | 日記
 今日=13日は一日中雨の予報です。きのうは刈って積んである畑の草を、燃やせるだけ燃やしました。草置き場はいっぱい過ぎて、畑のあちこちに刈った草の山ができています。これから雨が多くなり、刈った草は乾かないで中途半端に堆肥化し、燃やすのに苦労します。サツマイモのツルも処理が必要になります。
 そこで午前中に燃やして灰を掻きだし、午後も燃やしました。枯れた竹が燃料ですから火力は強く、堆肥化しかけた草も白い湯気を出して乾き、燃えて灰になりました。刈った草の山はまだあちこちに残っています。雨のあとしばらくは燃やせませんが、ちょっと片づいたかな。
 できた草木灰は畑に撒けばいいのですが、灰入れ箱はいっぱい。きのうの灰は雨に流されるままに。
 まだ草の勢いはあり、数日前に電気柵の下を刈ったと思うのにこの有様。
            
 草が伸びて電線にふれています。雨が降れば地面にアースしたようになり電気柵の威力が低下します。
先日防草シートを張った南の土手の電気柵はご覧の通り。新しいので見事に草を防いでいます。
            
 ところでCOOP瑞穂農園でもらった堆肥は、円形の堆肥箱に入れています。その堆肥箱の壁に、アシナガバチが巣をしています。
            
 これをどうするか。ムシ防除に苦心している道子さんは「畑のムシをとってくれるからもうしばらくこのままに」といいます。草刈り係のぼくは、近くの草を刈るときに巣を刺激してアシナガバチ軍団に襲われないかと心配です。スズメバチが畑のムシをとってくれた年は、アシナガバチの巣はスズメバチに襲われて空っぽになりました。今年はスズメバチが来ないので、11月までアシナガバチに幼虫退治を頑張ってもらうか。