とりあえず80歳へ  『古希からの田舎暮らし』も10年目になろうとし、喜寿も過ぎてゆき、さて……。

定年後は田舎志向。69歳のとき三木市で「田舎暮らし」をはじめました。田舎にとけ込もうと心掛け、菜園をたのしむ日記です。

落ち葉で池の水が濁っていました。

2017-04-30 06:56:20 | 日記
 ウールマットが届く前に「池の水浄化」にトライしてみようと、ふだん40センチ超ある水深が15センチになるまで水を抜いてみました。池をさらえると落ち葉がいっぱいです。池の底に積もって、腐葉土化しつつあります。これではいくら循環させても水は澄んできません。池をさらえて落ち葉を取りのぞき、水道水を入れました。
            
 写真はまだ濁りのとれていない池です。夜の間に水が循環して濁りがとれるか。いま深夜ですが朝になったら見に行きます。腐葉土化する落ち葉の「黒い濁り」はろ過してもとれません。落ち葉を掃除したので「泥の濁り」ならとれるでしょう。
 それにしても池の水をささえている「プールライナー」はなかなかのスグレモノ。池をつくって2年になりますが水漏れの心配はありません。メダカが生き残っているかは不明です。メダカさんにはわるかったけど、濁りをとるために仕方なく水を抜きました。
            
 この写真はニシキギの花のつぼみです。ニシキギというのは細い枝にヒレのようなものがついている低木です。ニシキギの花というのを見たことがありません。このつぼみはどんな花になるのか。たのしみです。
『世界三大紅葉樹』をずらっと裏山に植えて、看板でもつけて、眺めよう。と、数年前「モミジ」「ニシキギ」「スズラン」を植えました。篠山の多紀園芸で買った「モミジ」は山で高く伸びています。道子さんの友だちにもらった「ニシキギ」は立派になりました。スズランの樹はまだ60センチくらい。園芸店に売ってなかったので通販で買いました。枯れてはいませんが、やっと生きてる感じです。
「日本三景」とか「世界三大美女」とか「日本三名園」とかいいますが、誰が決めるのでしょう。テレビで「言ったモン勝ち」とだれかコメントしていました。自分で言うだけなら何でも言える。世間が賛成してくれるかどうか。そんなものに同調するのがバカらしくなり、いまは樹そのものを愛でています。

※ 午前5時30分に裏山の池をのぞいたら、濁りがとれて池の底まで見えました。

池の水をウールマットで浄化してみます。

2017-04-29 00:12:55 | 日記
 2年前の冬に、ビオトープをつくろうと裏山に池を掘りました。1年目は水のろ過装置(自作)がそれなりに役立って、水があまり濁りませんでした。しかし池への関心がうすれ、「ボーフラがわいて大変」という事態にもならず(わいたらメダカが食ってしまう)、2年目の冬は放置していました。
 春になったので、一度ポンプで池の水を全部抜いて、池の泥を掃除して、新たに水道水を入れて「またメダカを飼おう」と考えていました。ところが「いなくなった」と思ったメダカが泳いでいます。これでは池の水を抜くわけにはいかない。
 いまは自作のろ過装置に水を循環させているのですが、きれいになりません。(水の量は風呂桶で3~4杯くらい)ろ過材として砂を通すのはいいけど、目が詰んでいてなかなか落ちず、水がオーバーフローしてしまいます。だから砂は少しにして、防犯ジャリとか瓦を細かく砕いたジャリを通すのですが、それだけではきれいになりません。そこで、毛布とかフェルトの布をフィルターにしていました。これである程度は水が澄んでいたのですが、今回は黒っぽい水がきれいになりません。
 そこでフィルターを買って使ってみることにしました。
 厚さ20mm・幅50cm・(長さ5㍍)のろ過材として売っているウールマットを使います。マットをハサミで切り、筒状の袋にしてホチキスで止め、それを循環ポンプのホースにつけてみます。
 これで効果がなければ、ポンプで池の水を三分の一に減らし(メダカは残し)、水道水を入れる。それを繰り返してみます。
 母はショートステイで預かってもらい、毎日様子を見に行ってます。嚥下性肺炎の様子は変わりませんが、食事を食べられるので、体力は落ちていません。
 

朝、玄関の戸を開けると、緑の道が見えます。

2017-04-28 02:23:52 | 日記
ブログで「田舎暮らしを発信している」といっても、発信の半分は「田舎の景色自慢」です。
 2009年3月にブログ『古希からの田舎暮らし』を書きはじめて、足掛け9年目になります。『とりあえず80歳へ』と合わせて2000回くらい発信しており、まだ書きつづける材料があります。田舎は豊かです。
 で、一昨日の野鳥/昨日の野兎/につづいて、「田舎の景色自慢」を追加します。
 朝、新聞をとろうと玄関の戸を開けると、この景色が目に飛び込んできます。いいでしょう。
      
 左の柱の根もとにあるのは自作のポストです。軽トラと軽自動車の向こうに伸びているのは市道です。緑の道の先に、人家はありません。キジやコジュケイが散歩する道です。山桜は散り、藤の花がもうすぐ咲きます。
 道の向こうには田んぼが広がります。電柱も人家もなく、野球場がすっぽり入る広いスペースで、ゆうゆう凧揚げができます。
 玄関の戸を開けるだけでこんな景色が見える。
 なんでもないけど、なんかいい。
 もう一枚の写真はオオデマリです。裏山を部屋の窓から見ると3メートル先に立ってます。
      
 今年の花はびっしり。もう咲くところがないくらい。
 母のショートステイが終わって帰宅する日ですが、嚥下性肺炎になりました。入院しないで施設で見守っていただき、こちらで様子を見に行きます。あと8日で104歳になるのですが。

裏山に野兎がいます。

2017-04-27 01:31:28 | 日記
 きのうは裏山の野鳥のことを書きました。8年くらい前には一度、野兎が姿を見せたこともありました。
「たしか、子どもの野兎の写真があったなあ」
「よーし! ファイルを探してみよう。あの野兎のことを思い出して書こう」
 パソコンのファイルを開けて写真を探していたら、雨の裏山を見ていた道子さんが「ちょっと、何かいる」 …… 「何か動いてる」 …… …… 「鳥じゃない、何か」 …… 「ウサギみたい」 …… 。
 道子さんがガラス窓を開けようとするので、とめました。動物は気配に敏感で、すぐ逃げます。カメラを出し、ズームをいっぱいアップして、物陰を探しました。なにか動いてる。そちらを向けてシャッターを切り、あとで見たら野兎です。
 いやー、窓から裏山を見て、野兎を目撃できちゃった。まだ兎がいたんだ。すごいすごい!
 夕方5時半だし、雨でうす暗いのに、ちゃんと写っています。          
         
 すぐに竹藪に逃げ込みましたが、もう一枚撮れていました。
         
 うちのウッドデッキのそばで、アライグマを捕まえたことがあります。アライグマは気性が荒くて、他の動物を威嚇したり襲ったりします。それに兎なら狐も狙うでしょう。兎がまだ裏山にいたなんて。思ってもみませんでした。
 野兎がいるんだ! 感激しました。

    ※ 学校なんかで児童が飼うふつうの兎と野兎はちがいます。病気もあるし、「捕まえてペットにしよう」
      なんて考えないほうがいいです。
 
 

裏山の平地は《野鳥の楽園》です。

2017-04-26 03:59:51 | 日記
 うちの家の裏は山なのですが、山といっても平らな地面が10メートル超あって、そこから山の斜面がはじまります。もとは竹藪でしたが竹を伐ったので平地が現われました。芝生を植えて、笹や草がなるべく生えないようにしています。
 そこによく野鳥が飛んできます。
 きのうの朝、5時半頃に起きてロール・カーテンを上げたら、写真のような鳥夫婦が窓の先にウロウロしていました。
         
 まだ暗くてわかりにくいですが、夫婦の散歩をもう一枚。
         
 野鳥にくわしい(とぼくが思ってる)道子さんを呼んできいてみました。
 ハトくらいの大きさで、ふっくらまるい感じです。首のあたりに色がついています。
『コジュケイ』ですって。この夫婦、50メートルほど先の道をよく歩いてます。遠くてわかりにくかったけど、コジュケイですか。
 窓から野鳥が見られる。竹藪を伐ったからできることです。
 ついでにこの裏山でどんな野鳥を見掛けたか。道子さんにきいてみました。
 野鳥図鑑を見ながら彼女がリストアップしたのは。
 ウグイス / シロハラ / キジ / キクイタダキ / ホオジロ / ジョウビタキ / ルリビタキ / シジュウカラ / モズ / ヤマガラ / ホトトギス / カケス / キツツキ / コジュケイ / 
 カラスやヒヨドリも飛来するけどリストアップしたくない感じ。
 スズメ/ツバメ/セキレイ/などは裏山では見掛けたことがありません。畑におりるとよく見ますが。
 
 

「手づくり野草酵素飲料」を仕込みました。

2017-04-25 00:50:55 | 日記
 いい天気です。若葉がみずみずしい。
 今年春の「手づくり野草酵素飲料」には《「若葉」や「木の芽」をたくさん入れよう》。若葉が生長するよう少し遅めのきのう、仕込みました。
             
 若葉と木の芽だけで1キログラム超の植物採集ができました。垣根のレッドロビン、柿若葉、タカノツメ(唐辛子のほうでなくテンプラにするとうまい若葉)、裏山に植えたいろんな樹樹の若葉など。こんなに木の芽・若葉を仕込むのははじめてです。
 野草のほうもいっぱい採れました。畑は無農薬。安心してどんな草でも採れます。ちょっと少なかったハコベが今年は群生しており、たっぷり入れました。困ったのはギシギシです。葉っぱにムシがついてる。あるいは卵を葉の裏に生みつけてる。入れるのをやめました。でも野草の種類は多く、量もいっぱい。
 砂糖1キログラム⇒野草1キログラム⇒砂糖1キロ⇒野草1キロと10回重ねていくのですが、野草がかさばるので上までいっぱい。
 どんな飲料になるか。たのしみです。
 午後は軽自動車の冬用タイヤを付け替えました。ガソリンスタンドに頼むつもりでしたが、お向かいの看護ステーションの方が付け替えているのを見て「体力もあるし、80歳からはやってもらうとしても、今年は自分でやってみよう」。
 そのあと楕円テーブルの作り直しです。まず「壊れた天板を電動丸鋸で細く切って、燃やせるようにしよう」と作業にかかりました。幅40センチほどの板になったのを見て、ハッと気づきました。
〈廃棄する・処分する〉=〈燃やして灰にして存在を消す〉という思い込みが、ぼくにはある。この板は、燃やさなくてもいい。ぬかるむ小道に置いてもいいし、草の生える地面に置いてもいい。まだ役に立つ。  ……  反省しました。
 
 母は微熱がつづくようで、ステイ先に様子を見に行きます。

〈土手の草刈り・2017〉がスタートしました。

2017-04-24 00:21:04 | 日記
 畑仕事がいそがしくなります。デッキの〈楕円テーブルづくり〉ばかりにかまけておれません。
 きのうは南側土手の下半分と道路沿いを刈りました。「足場をつけて土手の草を刈るようになって10年目。今年はまだいけそうだ」と思いながら。
           
 畑のそばの山も美嚢川の川向こうの山山も、若葉でふっくらしています。秋の色づいた山山と今の季節がいちばんいい。ボチボチですが今年も畑をつくれそう。しあわせです。

「高柳芳夫」という人は1931年(昭和6年)生れで85歳になる作家です。作品を読んだことはありませんが、2016年6月号の『オール讀物』という雑誌に書いておられる一文を読んで、「過酷な境遇に置かれる人」の厳しさに慄然としました。引用します。

 私は、きっちり20年勤めて外務省を辞め(年金を受給できる。42歳)、大学のドイツ語の教師となって生活を確保し、3作目『プラハからの道化師たち』で乱歩賞を受賞した。 …… その後次第に執筆の依頼も増え、ほぼ10年間しゃにむに書きまくった。
 忙しい年月だった。とにかく大学との二股稼業だ。それに当時はパソコンはなく、原稿は手書きである。暇のあるとき、あるいは深夜書きなぐった原稿を妻が浄書する。悪筆でメチャクチャな文章を暗号のように解読して書き直してくれる。それに私の文章は一発で決まらない。何度も書き直すから、例えば500枚の長編なら2,3000枚は浄書するということになる。
 その妻が心臓病で倒れた。  ……  手術は6時間かかり、人工弁を埋め込んだ。2,3年は調子よかったが、ほどなく寝たきりになった。私は一人で介護した。食事、掃除、洗濯はもとより、風呂、排便、となんでもやった。小説など書く暇はない。そのうち痴呆も出て、訳の分からぬことを言い、夜ベッドから落ちる。排泄物でベッドを汚す。私は夜も昼も眠れず、突然の激しい耳鳴りで思考能力を失った。あちこち病気が出て倒れそうになるのを堪え介護した。そんな介護が15年間続いた。
 世間には、介護に疲れ、寝たきりの妻や夫を殺して自分が殺しました、と自首する高齢者が少なくない。そんなニュースを聞くたびに、胸が痛んで仕方がない。私も、妻を殺すことを何度も考えたからである。
 介護は辛い。まさに地獄である。しかし介護の辛さだけなら耐えられる。耐えられないのは、どんなに介護しても病人は快復しない。介護すればするほど、病人の命を先送りし、苦痛を先延ばしするだけ、むしろ介護は拷問だ、無意味だ。この意識に取りつかれたら絶望だ。私は毎夜、幽霊のように変わった妻の寝姿を見ながらこの絶望と戦った。
 妻が死んだとき、私は魂の抜けたような虚脱感に襲われ、歩行も不安定になり一週間ベッドに転がっていた。それから2年間、いろんな病気を発症して入退院を繰り返したが、ようやく回復してきた。 

11年目の楕円テーブルが壊れました。

2017-04-23 00:23:10 | 日記
 デッキ用に楕円テーブルを2つ作りました。1つはウッドデッキで10年使用していたテーブルでした。それを裏山の花見デッキに運ぼうとしたのですが、猛烈に重くて、途中で壊れてしまいました。10年も風雨・日光にさらされたテーブルですから壊れて当然でした。天板を貼り換えるだけで使おうとしたのが間違いでした。
 このたび用意した楕円形の天板(コンパネ2枚)はそのまま使えますので、脚の部分だけ杉材でつくります。電気丸鋸で細切りにして燃やす「10年使った天板」には長い歴史があります。このたび消滅する「あの天板の歴史」を、ここに記します。

 幅75センチ長さ120センチのテーブルの天板は、大豆畑トラスト『むーな村』近くの家庭の大型ゴミ処理場から拾ってきたものです。この処理場はトラストのメンバーの方がやっておられ、欲しいものは拾ってきたりしていました。天板を拾ったのばぼくでなく、トラストのメンバーの方でした。2000年頃、彼はその天板を肥料を混ぜる台として使っていました。
 見れば合板でなく細い木を接合した、重い、立派なテーブルの天板です。塗装は剥げていますが、そのテーブルを囲んだ家族の歴史がしみ込んでいます。一目見て「これに脚を付ければまた立派なテーブルになる」とその天板をもらうことにしました。
 神戸の家に持ち帰っていたのですが、なぜかこちらに引っ越すとき天板も引っ越し、脚をつけて素敵な屋外テーブルとして使いました。
 デッキテーブルとしてよく役に立ちましたが、雨風にさらされ、表面が傷んできました。何度かサンダーをかけて塗料を塗った記憶があります。そのうちに天板がさらに傷み、接合した細い木材が離れてきました。板がバラバラになります。で下から補修して使用していましたが、表面が荒れてどうにもならなくなりました。
 そこで塗装コンパネを上から貼って使用することにしました。はじめは快調でしたが塗装コンパネも荒れてきたのでサンダーをかけて塗装をしたことが何度もあります。このたびはそんな補修も限界だから、また上から塗装コンパネを貼ろうとしたのです。
 しかし運ぼうとして壊れ、この天板に寿命が来たことを悟りました。
 

裏山は花盛りがつづきます。

2017-04-22 00:30:19 | 日記
 ソメイヨシノは散りました。フワッと咲いているときは「ワーッ! 咲いた!」と声をあげたくなりますが、散ってしまうとあとが残骸っぽくて見たくない。そんな花です。
 かわりに裏山ではヤマザクラが満開です。ぼくらが植えたのでなく、もともと竹藪の中で生き延びてきた樹です。
            
 草花もいろいろ咲いていますが、レンゲの美しさには感心します。色といい姿といい、見とれます。
            
 こちらはクスノキ。ここに移住した頃「レモン屋」さんにいただき、竹藪の隅に小さい苗木を植えたのですが、5メートル以上に伸びてきました。クスノキはいま落葉の季節。新芽がかわいい。
            
「裏山にクスノキが生えている」というだけで、未来の大木がどっしり構えている気がします。
 竹藪をちょっと切り拓いただけでこんなにも豊かな世界がひろがる。
 あちこちの放置竹林をなんとかすれば、どこでもこんな世界が。

デッキ用テーブルを作りました。

2017-04-21 02:26:41 | 日記
 19日20日と2日間かけて、写真のようなデッキ・テーブルを2つ作りました。
「人数が増えても、みんなでおしゃべりできるテーブルが欲しい」と道子さんに言われて「塗装コンパネ」で丸みのあるテーブルを作ることを思い立ったのです。
            
 向こうのは、このデッキに置いていたテーブルの天板を換えただけです。2007年の1月にデッキを作って以来、10年間ずっとここに置いています。雨で天板が腐食したので、数年前に塗装コンパネを張りました。その天板も腐食してきたので、新しい塗装コンパネに張り替えたのです。
 このテーブルにはここでの10年間の生活がしみ込んでいます。
 思い立って田舎の景色を眺めながら昼食をとったり、バーベキューで孫たちが囲んだり、「どんな田舎暮らしをしてるんだ?」と訪ねてくる方を接待したり、軽トラで通りがかった方に長靴のまま寄ってお茶してもらったり、電動オーニングを繰り出して景色を見ながらおやつを食べたり、団地清掃で落ち葉掃除をしたときぜんざいや焼き芋でひと休みしてもらったり。いわば我が家の田舎暮らしの「メインステージ」です。
 そのテーブルを新調するのはもったいない。天板を張り替えるだけにしました。
「また風雨にさらされてダメになるよ」
「ハイ、数年でダメになるでしょう」
「また張り替えるのか」
「いえ、そんなことはもうしません。明日からカバーを掛けます」
「ビニールのカバーなんてすぐダメになる。前にもこのテーブルで体験してるだろ」
「ハイ、今度は『プール・ライナー』のカバーを掛けます」
 ※ プール・ライナー …… 裏山に池をつくった特別丈夫なため池用ビニールです。裏山の『花見デッキ』に置いているテーブルはプール・ライナーのカバーを掛けており、2年経過しましたが日光にも風雨にも落ち葉にもビクともしていません。
 で、新しく作ったもう1つの楕円形のテーブル(写真手前)はどこに置くか。
 裏山の花見デッキに置きます。道子さんはテーブルを見て「10人は座れそうね」。
 田舎のおじいちゃん・おばあちゃんの役目は、孫たちの成長につれて終わります。この地の方々とのお付き合い・交流も10年を経て深まってきます。「村の交流サロンとしてデッキや裏山の花見デッキがお役に立てばいいな」と思います。道子さんには「この楕円テーブルを囲んで、老いに向かいながら人生を語り合う笑顔」がイメージとしてあるのかな。

〈瞑想〉と〈電動ウオーキング〉はつづけたい

2017-04-19 00:02:07 | 日記
 いまは毎朝20分間の〈瞑想〉をしています。ここに移り住んでから朝起きて、ベッドで瞑想したことがありますが、それはダメでした。すぐ横になってしまい、瞑想になりませんでした。そこで去年の秋から別の部屋で、低いイス(座面の高さ15センチ)にすわって瞑想するようになりました。膝が痛いので瞑想の座り方ができません。また一人だとサボるので二人で声を掛け合うようにして。
 とにかく瞑目して20分座ります。TM瞑想の強化コースで習った呼吸法をしたり、マントラを思い浮かべたり、雑念が浮かべば「流れる雲を眺めるように」眺めたり、「今日一日の仕事をイメージ」したり。おでこのところに青い光が見える日も見えない日もあります。あとの気分がいいのでずっとつづきそうです。
 もう一つ、20日前からはじめたのが30分の〈電動ウオーキング〉です。のどかな田舎に暮らしているのに「室内で電動ウオーキング」とは。
 外を散歩するのは好きです。しかし、止まったり、別の道に行ったり、途中でやめて畑仕事をしたり、雨が降ると休むし、ウオーキング習慣が身に付きません。でもこのまま老いたくはない。
 ウオーキングは認知症予防にもなるらしい。健康寿命を伸ばすためにも〈電動ウオーキング〉を毎日つづけてみよう。
 20日前に思い立ちました。今日までつづいています。これからもつづきそうな予感がします。
 電動ウオーキングの機械は3年前に買って、使ったり使わなかったりでホコリをかぶっていました。ベルト用のシリコンオイルがきれていたのでメーカーに問い合わせたら、教えてくれました。「クレ・ポリメイト・クリア」ですって。
 こう「宣言したほうがいい」と思って書きました。やめてしまったら報告します。

下から鎌で刈ってから草刈り機で刈ります。

2017-04-18 01:58:53 | 日記
 カラスノエンドウが勢いよく伸びています。南の土手の上半分を刈りましたが、下半分のカラスノエンドウはすくすく伸びて盛り上がってしまいました。
        
 土手の下半分は足場板に乗って、腰をかがめて草刈り機で刈ります。しかしこんなに伸びてしまうと、草刈り機にからみつきます。エンジンを止め、たすき掛けのベルトから機械をはずし、からみついた草を取りのぞく。そんなことを、狭い足場板の上で何度も繰り返すのは危ない。
 で、考えました。
 まず土手下の地面に立って、下から草刈り機の届く範囲を刈る。次に足場板の下に残っているカラスノエンドウを、柄の長い鎌で下から荒く刈って掻き落とす。やっかいなカラスノエンドウをざっと刈ってしまえば、あとは足場板に乗ってきれいに刈れます。
 ぼくが生まれてはじめて草刈り機を買って、草を刈りはじめたのは1999年(62歳)。神戸市西区神出の休耕田で野菜をつくりはじめた年でした。あれから19年。三木に移り住んでいま3代目の草刈り機を使っていますが、ぼくにはぼくなりの〈草刈りの美学〉があって、刈るならきれいに刈りたい。しかし危ないことはしたくない。
 老人には時間はたっぷりあります。「時間をふんだんに使い、慎重に、きれいに刈りたい」思いはいまも変わりません。
 

〈ぼちぼーち〉 仕事をしたり休んだり。

2017-04-17 00:41:34 | 日記
       
 裏山のソメイヨシノは散ってしまいました。ミモザも花の盛りをすぎました。コバノミツバツツジは花盛りです。うちの裏山は、ほんとうはこれからが ”花咲き山” なんです。
 きのうは芝生のところを草刈りしましたが、ムスカリなんかいっぱい生えているので刈ってしまいます。ほどなくネモフィラも百合も咲きます。樹ではライラック/ヤマボウシ/ムクゲ/ブラシの木/など十指にあまる樹が花をつけます。
 花の好きな道子さんは、道路沿いの前庭を写真のように手入れしました。ここには白蝶草(ガウラ)を植えて、道の方にしな垂れさせていたのですが、ガウラの根を全部掘り出して花の小道にしました。「白蝶草」という名前と蝶のような花の姿から、なんとなく好意をもっていましたが、生育の勢いは旺盛で、宿根草の根はぐんぐんふくれ上がり、大きな株になってしまいます。白蝶草には裏山の奥のほうで咲いてもらうつもりです。
 写真の左のほうにソラマメの畝が見えます。数年後には「下の畑」は返して、ここを菜園にします。数年といってもすぐで、2~3年先になりそうです。そこで、道子さんは、キュウリ/トマト/ナスビ/など一部の野菜をこちらでつくることにしました。菜園をシフトする準備運動というところです。
 道子さんは体調回復期で〈ぼちぼーち〉仕事をしたり休んだりしています。ぼくも調子を合わせて〈ぼちぼーち〉草を刈ったり、思いついたほかの仕事をしたりしてすごします。
 ま、いかにも〈老後〉というペースですな。

「間がわるくて」仕事がはかどりませんでした。

2017-04-16 01:11:46 | 日記
 きのうは「午前中は晴れ、午後は雨が降る」という天気予報でした。
 畑の土手のカラスノエンドウは、日に日に伸びて刈りにくくなります。
「よーし、午前中だけでも土手の草刈りをしよう」と、草刈機を装着して土手の足場に立ちました。草刈り足場は去年18センチ幅の杉板にしました。だから草を刈りながらすり足で前進しても安定感があります。ただ刈ったカラスノエンドウが長靴の足にからみつくので、慎重に足を動かしてはらいます。80歳(あと数か月で)になると片足で立つ動作は不安定になり、体がぐらつくと「そのまま転んでしまう」ことがあります。動作に「ねばり」がなくなるのです。
 エンジンのかかった草刈り機をつけたまま土手を転げ落ちると危ない。
 怪我をしたら「治療して、治ったらまた草刈りをする」ことはできない。怪我をした時点で畑の草刈りは〈今の人生では〉やめなければならない。畑の耕作も終了しなければならない。
 自分にそう言い聞かせながら足場を慎重に移動して土手の上半分(40メートル)を刈りおわりました。
                
 すると雨が降ってきました。「午前中は晴れの予報だったのに雨か。仕方がない」。草刈りをやめて帰ってきました。しばらく家の中で休んで外を見ると晴れてきました。
 でも一度休んでしまうと簡単に草刈りを再開する気になりません。「午後は雨の予報だし……」と思ってそのまま。昼食後は予報とちがって晴れています。
 草刈りができそうだな。 …… と思ったらまた雨が降ってきました。 …… やっぱりダメか。
 一度すわるとまた晴れても立つ気がしません。
「サザエのツボヤキなんて間がいいんでしょ」という歌がありますが、きのうは「なんとも間のわるい日」でした。

〈2017畑の草刈り〉がはじまりました。

2017-04-14 03:07:49 | 日記
 畑の土手や遊歩道の草が伸びて、電気柵の電線にふれています。特に土手のカラスノエンドウはぐんぐん伸びて、刈ると草刈り機にからみつきます。早めに刈ると刈りやすい。で、きのうから〈2017畑の草刈り〉をはじめました。
 勢いのある草はカラスノエンドウとギシギシです。ギシギシについては思い出があります。
 1999年ぼくらは神戸市西区神出の休耕田で野菜づくりをはじめました。大豆畑トラストを立ち上げるまえのことです。耕運機を買って畝を立て、草刈機を買って土手の草を刈りました。62歳にして、はじめて農業機械を操作して、すごい性能に目を見張りました。
 特に草刈りの仕事は気分がよくて、畔や土手の草がなぎ倒され、見る見るきれいになります。ところがある日、足元のギシギシに目がとまりました。
「この土手はきれいに刈ったところだ。ところがこの草だけ(ギシギシのこと)もう伸びてる。オレに挑戦するのか」。ムラムラと怒りがわいてきました。「よーし、そういう態度でくるなら根を掘り出して滅ぼしてやるぞ!」。
 備中鍬で人参みたいな色の根を掘り出しました。掘っても掘っても根がつづきます。地中に長く伸びているので全部は掘れませんでしたが、ほとんど掘り出し、「どうだ! 参ったか!」という気分でした。
 ところがまた同じ場所にギシギシが生えているのに気づき、「ぼくの人生ではギシギシに降参することにしよう」と心を決めました。
 ネットでは「ギシギシに効く除草剤」とか「この薬剤でギシギシを退治した」とかレポートしてありますが、そんな強力な除草剤を畑に使うのでしょうか。人間はギシギシに敵がい心を抱かないほうがいい。
 いまでは草を刈っていてもギシギシに腹が立つことはありません。ギシギシもぼくもいっしょに生きてるんだ、という気持ちです。