ばーばのケベック日記

ケベック在住、ばーばの気まぐれ日記、日常に関する雑文が主です。

2017年07月31日 | 暮らし

 古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉

ベースメント寝室のペンキ塗り終えた。カエルのぬいぐるみから色を選んだ、というより数年前に使った薄緑色のペンキの残りをどうせだめだろうと開けてみてかき混ぜたらまだいけそう。それで小さな部屋だし、大きな缶を買わずに小さな缶で塗れるかもとあれこれ考えて、スリートンカラーになりました。。買ったのはピンク色の小さな缶、ドア枠はキッチンの戸棚に塗ったスカイブルーの残り。これですべて無駄なくペンキを使い切りました。シングルベッド2台のうち古いのを一つ処分しました。もう一つも鉄パイプの頭部分を取り去り処分しました。ベースのベッド台にマットレス2枚乗っけて終わり。

カエルのぬいぐるみは姪の子供の誕生日に買ったのに、私が気に入ってしまいついに送らずじまい。結果として子供部屋みたいになりました。

8月は夏の天気で暑くなるとの予報。今朝の収穫はナスとピーマン。調理するまで水盤プールで涼んでます。

ペンキ塗りパート3はベースメントのバスルーム。少し休んでからにします。

 


ニンニク 大蒜

2017年07月29日 | お子ちゃま菜園

 大蒜の茎鶴首のごとく睥睨す

大蒜の茎が伸びて先っぽが鶴首のようになった。刈り入れ時かなと検索して調べたら「ここが我慢のしどころ、茎を切りニンニクの球が大きくなるよう待つこと」との教え。茎は豚肉と炒め食したが、姿形の面白さに数本一輪挿しに活けた。青梗菜の種、蕪の花、野草を添えた。

朝夕は涼しいというより寒いくらいだがお天気が良く野菜がやっとこさ実をつけ始め、オクラ、ピーマン、ナスが食べれるまでに育った。

さて今年の野菜ニューフェースは水菜、シソ、さやえんどう。水菜とさやえんどうは直播き、育ってます。

今日で寝室ペンキ塗りを終えよう。


2017年07月28日 | お子ちゃま菜園

 我が庭に 虹立つごとく 花開く

昨日の午後、夕立のあと素晴らしい虹がみられた。我が菜園も野菜よりは花が次々と開いてる。前庭用に買っておいた球根やらを裏庭に移し替えたもの。草取りもだいぶ進んだが、次から次と生えてくる。永久脱毛のごとく永久脱草したいが、草が生えるのは大地が生きてる証拠、死んだら人間も毛が生えないと同じで土地も死んじゃうんだ。毎日の草取りで右手指がこわばってきた。

冬の寒い日々、夏になったらどんなにか幸せだろうとこがれる、その夏の最中にいる。こうして半袖で外で働ける喜びを身体いっぱい吸い込まなければじきに秋になる。あれこれと身体を使う喜びを習慣にしたいと思う。そう思えば、することが山ほどある。

 


冷麦

2017年07月22日 | 手仕事

 酒の瀑布冷麦の九天より落るならむ 其角

箸からたれる冷や麦と酒のがぶ飲みとからめ李白の瀑布もってきたとか。

ペンキ塗り終わった。アルバイトなら、めいいっぱい働かされ一日で3部屋を2度塗りしたことがある。自分ちなのでマイペースでラジオ聴きながら塗り、疲れたら、あるいは飽きたら止めて畑に出る。2週間かかった。ペンキに「EVOLUTION-進化」と書いてありペンキも進化するんだと目が開く思いがした。塗っていてとても楽だった。ダラダラ垂れないしペンキの伸びは気持ちよいほどで通常なら1缶で1部屋要するのが十分どころかもう一部屋塗れた。夫の事務所を塗ってあげるよと提案したのに、重い書類ケースなどあり動かすのめんどくさいから要らないということで自分の部屋を塗りました。ついでにミニマリスムにしてみようと壁に2つのカレンダーのみ残し後は撤去。ゴッホの色というよりはカレー色。カレーハウスみたいです。ボケかかったおつむにカレースパイスを利かそう。左からベースメントのキッチン、私の部屋、使用したペンキ、トータルで1万円ぐらいの出費。

夫は不器用で、お手伝いしたい気持ちはわかるけど、菜園に出ると芽が出たばかりの花を踏んづけたり、壁にぶつかって洋服にペンキべったりつけたりと正直言って足手まとい。それで「私が好きで楽しみでやってるんだからどこか遊びに行ってちょうだい、そばでうろうろされても有難迷惑」と、きついこと言ってしまいました。すごすごどこかに出かけ、帰りはいつもビールかワインを買ってくるのね、ご苦労さんと。ペンキ代のためにビールとワイン断ってたのが、ここんとこ毎晩飲んでました。其角には負けるけど。一仕事の後はいつだって美味い。

あした結婚式があり、それが終わったらペンキ塗り第二弾、ベースメントの寝室塗りに入ります。


夕すずみ

2017年07月18日 | 暮らし

 夕すずみよくぞ男に生まれけり 其角

今年は冷夏で行きつけの一つの園芸店が7月中旬で店じまいした。新聞で今年の園芸はぺけ、人気なのは南国への旅行と映画館。我が菜園,キューリとトマトがやっと花開いた。

夜は冬物のパジャマを着て、午前中はカーデイガンを羽織る日もあったが、昨日、今日は夏日和。壁のペンキ塗りを終えたがこれからが細かい作業に入る。食器棚の引き出しのペンキ塗りなど。今日はプレラーと壁の間に桟を打ち付けた。のこぎりでぎこぎこ。いいんだわ下手くそでも。ベストをつくすということにしよう。汗が出るけど、男のように上半身裸で仕事というわけにはゆかない。暑い夏、男性はラッキー。

裏庭の草取りが終わらないうちに前庭の草取りおわる。一週間かかった。何故って、お隣さんからせかされちゃって。お隣さんの今夏のチャレンジは「君んちのの前庭を素晴らしい芝生に変身させたい」。なにしろ血の繋がらない親戚だもんね。お花畑にしようと球根や花の種を仕入れておいたのが、義家族とお隣さんから説得されて芝生にすることになりました。また、私自身、前庭のお花まで(人通りがあるゆえ綺麗にしておかないと)手が回る自信がなくなりました。それでお隣さんの監督指導のもとに夫とともに働いてます。こちらの人はしゃがむという姿勢が苦手なので草取りは私の担当。整地など力仕事は夫とお隣さん。素晴らしい働きアリとほめられました。女王アリにはなれないタイプ。でもね、もくもく草抜く仕事嫌いじゃない。夕暮れ時の草取りなどパラダイスに入る幸福感に包まれます。静かにゆっくり夜のとばりが降りてゆくあのひと時、草とたわむれるのが好き。

草取り初めの頃は太ももが痛くなり立ち眩みしてたのが今は平気。やはり夏は身体を鍛えるのがいい。

 

 


妖怪

2017年07月15日 | 暮らし

 塗り壁と 呼ばれし妖怪 仁王立ち

塗り壁とは日本民話に登場する妖怪。夜、歩いていると突然目の前に壁が出現し立ちはだかり通行の邪魔をするという。

することがいっぱいあり壁が立ちはだかってるよう。今日からベースメントのペンキ塗りがはじまった。いつもなら2日で終えるのに、ちんたらちんたら一週間かかってる。月曜日は釘とか鋲とか抜く。火曜日はできた穴ぼこを石膏で埋める、水曜日は壁を平らにするために紙やすりでごしごし、木曜日はペンキを選ぶ、金曜日はペンキを買う。そして土曜日の今日やっとこさペンキ塗り。塗り壁が立ちはだかってるようだった。そして年を感じる。ぱぱっとできない。根性もなくなった。そのことを受け入れ、これからは何でも時間をかけてゆっくりゆっくりゆこう。

選んだ色は「ゴッホの麦畑」という色。いかにもゴッホの色なのよ。一回目の塗りに3時間かかった。明日は2回目。左から見本カタログ、実際の色。

 そのうちにと言いながら何年たったんだ地下のペンキ塗り。梯子に登ったりしながら条件反射が鈍ってるのを感じる。肉体労働は老いのレヴェルをはかるにぴったし。今塗らないと、ますます億劫になるのは目に見えてる。

さて、ペンキ代(ケチらずにトップのペンキを買おう、しっかり壁に張り付く)どう捻出するかというと、大好きなビールとワインをおあずけにして回す。完成したら乾杯しよう。

 


ニューヨーク6 蚊と蚤

2017年07月10日 | 旅行

 蚊は名のりけり蚤は盗人のゆかり 其角

雨降りが多いこの頃。やぶ蚊に刺され耳や首がかゆい。「その昔、夏の嫌な奴の四天王は、蚊、蚤、虱、南京虫ときまっていた」と半藤一利さんは回顧する。ニューヨークのホテルを探してるとき、いろいろな人から虱がでるホテルに注意してねとアドヴァイスされてたので、検索すると、かつて虱の出たホテルの名前が出てきた。また、子供の頃に夏になると蚊帳を吊るし寝てたことなど思い出し、こんなひょんなことから其角のこの句を楽しめる。

ニューヨーク旅行6へ

ニューヨークの最終日はお互いに自由行動で野良猫な私はただただほっつき歩く。ふと、ここはニューヨークなのかモントリオールなのか、はたまた東京なのか、日本の地方都市のショッピングセンターなのか、いろいろなイメージが錯綜した。デリカテッセンに行くと日本人の方が握ってるお寿司パックが買えカウンターに座って食べた。ファッション店もH&M、ZARA、ユニクロと日本でもみかけるお店がたくさん。

ほっつきあるきながら、人間の幸福は相対的なものだなーとつくづく感じた。私は東京に行くと3日で疲れ田舎に帰りたくなる。家賃は高いし、人込みはすごいし、せわしないと、、、が、その東京がニューヨーク滞在中、素晴らしい都会に見えてきた。家賃は安いし( ニューヨークのように40万でベッドルーム1つってありえない)、安全で、食べ物は豊富で安くて美味しい、街並みは清潔で内装は綺麗でどのお店に入っても工夫され手入れされている。あらゆる文化施設に恵まれ古今東西文化なんでもお目にかかれる。人々は親切で優しい。東京の、あの疲れると思っていたごちゃごちゃ感が、美味しい美味しいちらし寿司に見えてきた。

村上龍が「日本には何でもある、ただ一つないのは希望だ」というようなことを語っていたが、今回の旅行で、希望というより幸福を感じる力が希薄なんだと思った。いわゆる庶民と呼ばれる階層(庶民はフランス語で中産階級と訳している場合もある)が長い歴史の中でこれほど贅沢に暮らせた時代はないんではなかろうか。3度の食事、お洒落(たとえスーパーしまむらで買おうと)、旅行(庶民が海外旅行にでかける)、、、何の不足があろうと。小屋暮らしの人たちでさえ、戦火で農地を手放し難民となった人たちに較べたら、自分の土地を持ち、小屋を建て、地主に搾取されることなく自給自足できる生活はパラダイスに見えると思う。もしかして日本は希望いっぱいの国ではなかろうか。考え1つでいくらでも幸福感を感じれる国ではなかろうか。

帰りの車窓からみえたアメリカ庶民の家々は昭和の家々とだぶった。一つの時代が終焉に向かってると。古い家はリノベーションするか、壊し新しく建てるしかないように、私の家もおつむも夫が言うように頑固保守から少しでも一歩踏み出さないと廃屋になる。今回のニューヨーク旅行は私にとって人生のターニングポイントになった。

以下、帰りの車窓から見えたいかにも典型的な庶民の家と田舎町の風景。ケベックと同じ光景。こういった家々は昭和の古臭いイメージでリノベーションがどんどん進んでる。

ニューヨーク旅行記終わり。


紫陽花

2017年07月08日 | 食べる

 紫陽花と青梗菜が並び咲く

菜園は面白い。去年、今年用に取り分けておいた種の残りをコンポストの側に捨てて置いたら、そこから、ひまわりと青梗菜が芽を出し育ってる。ひまわりは別の場所に移し替えた。青梗菜は食べきれずにほっといてたら花が咲いた。つまりは、粘土団子すらいらない、種をばらまいてくだけで翌年に育つんだ。

今日、カステラを焼いた。普段とはちがうあまりの美味しさに(長崎カステラとそっくりな味)思わず美味しい。たぶん、これまで作ったデザートの中でNO1。もぐもぐ食べながらおいしさの謎がとけた。

美味の秘密は卵。

Tさんのお友達のスイス人の方が育ててる、無農薬雑穀を食べ、放し飼いで遊んでる鶏が産んだ卵を使ったから。色も鮮やか。長崎カステラもきっと最高級の卵を使用してるとおもう。簡単カステラは、卵、牛乳、小麦粉、砂糖、はちみつだけで作った。今度は多めに卵を買って多めに焼き冷凍しておけば、食べたくなったらいつだって長崎カステラがそこに。

 


ニューヨーク5 夏衣

2017年07月06日 | 旅行

 はたはたと 風にはためく 夏衣

草取りが4分の3ほど進む。昨日から同時に前庭の草取りにも取り掛かる。草を取ってると鳥の影や、洗濯物の影が揺れて映り、小さな虫やカエルに出会ったり、どうしてもっと早くに菜園に目覚めなかったのかと悔やまれるが悔やんでもせんないこと、今を楽しもう。周囲から「あんたには無理」と言われ、当初はほんの庭の一隅をと思ってたのが、少しづつ少しづつ広がってきた。ついでに夢も生まれる。

ニューヨーク旅行5へ

エンパイヤステートビル(セキュリテがすごく、安全のためにお手洗いがなかった)を見学してから夫と別れ近代美術館MOMAに行ってきた。夫は美術館が好きじゃない。気持ちわかる。個人的に美術館は霊廟と思ってる。そこは何世紀も前からに渡る累々とした死者の遺品保管所。画家は亡くなり、注文主であり所有者でもあった王侯貴族なりブルジョアなりも亡くなり、かつて宮殿や館を飾った壁から取り払われ、流浪の旅を経て美術館に収まってる。だから、2重に3重に死者の匂いがする。おまけに、世界中の美術館に貸し出しということもあり、出稼ぎに駆り出され神経すり減らしてるようにも見える。でも、例えば、父は亡くなったが私にはいつも生きてるように、好きな画家となら交感しあうものがあり、その時、絵は生き生きとあたかも生者のごとく息を吹き返すと思う。音楽然り、文学然り。そして人生で好きなものがあるというのは幸せなことと思う。

MOMA これを見たいというのがなかったので、ざっと一周しただけなので印象のみを。

ジャクソンポロック。知人がかつて本物に出会ったとき「涙が止まらなかった」と話したのを覚えており、悲劇的な死を遂げたポロックと彼女の私生活がだぶった。プール付き家が3件ある人だったが不幸だった。ちなみに彼女のお宅に招待されたとき贅を尽くした生活なれど半日で飽きた。その時私は自分は庶民育ちだし、庶民の生活が好きなんだと悟った。で、ポロックの作品、正直ぴんとこなかった。何でも感動するには出会う時期、出会う心理があると思う。人は変わってゆく、好みも変わってゆく。でも、芸術家って美的センサーが発達した繊細な神経してるなと思うし、それが自分にない故、逆に魅かれるのかなと思う。人はないものに魅かれる。

これがモネかと思った睡蓮の絵。ダイナミックで粗削りで男性的なタッチを感じた。絵描きというとやわなイメージがあるが、モノを生み出すというのは、絵でも音楽でも文学でも芸術と呼ばれるものは、気力、体力、知力がいる大仕事と思う。

意外に良かったのはマルセル デユシャン。美術界を揺るがす先駆者の作品というのはそれなりのものがあると思った。

バスキアの絵が一番ニューヨークに似合ってると思った。

メトロポリタン美術館で見た絵の洪水に、絵は時代のコンテクストを知らなければ、今の時代感覚で観るから、夫のようにつまらなく思う人が多いのもわかる気がする。近代絵画と呼ばれる作品でさえ正直色褪せて見えた。が、今回の2つの美術館訪問で、現代美術への関心が湧いた。なんてったって今生きてる人が製作してるから。それに、よくわからない世界だから目を向けてみようかな。

最後にエンパイヤステートビルからの光景は、白と黒とのジグソーパズルを思い出させた。地震がないから、高層建築をバンバン建てても心配ないんだろうな。高層建築に私はとても住めない。地面を這ってるのが好き。

 

 

 


夏野菜

2017年07月05日 | お子ちゃま菜園

 夏野菜 白いお皿に 色を添え

今年は冷夏でいつもなら冬の避暑地であるキューバ、メキシコなど南国への旅行者が多いという。夏を満喫しようと。菜園も寒がり、去年はキューリが食べられたのに未だ花さえ咲いてない。が、レタスとラデイッシュが食べれるまでに育った。去年植えたニンニクは6月末が収穫と書いてありためしに引っこ抜いたらまだ小さかった。それでお昼ご飯は、豚肉のニンニクみそ焼きに、レタスとラデイッシュの胡麻和えサラダ。こなふきジャガイモのハーブまぶし。今年はハーブを植えない。去年乾燥して保存していたのがまだまだたくさんある。自分ちでとれた野菜は美味い。

去年は開墾でへーこらしてたが今年は草取りでへーこら。草の美しさにめをみはる。後で名前を調べようとおもうけど、何でも後でという悪い癖。



ニューヨーク4 世の中は

2017年07月03日 | 旅行

 世の中は夢か現か現とも夢とも知らずありてなければ (よみ人しらず 古今集)

メトロポリタン美術館まで行きはバス、帰りはセントラルパークを散歩がてら徒歩でホテルまで戻った。バスはアッパータウンに入るにつれ行き交う人々の服装が高級で小綺麗でおしゃれになってくる。白い大きな花束を抱えた黒人のおじいさんが乗ってきた。バスが揺れるたびお花が痛まないようにしっかり抱えてた。

私がお目にかかりたかったのはワトーの「メズタン」、西洋美術史でお目にかかる名画の数々をささーっと見るだけにして、学芸員の方に「ワトーのメズタンを」というと丁寧に場所を教えてくれた。

ワトーに最初に魅かれたのは彼の肖像画だった。斜に構えたようなニヒルな表情は気難しい彼の性格を語ってるよう。27才で当時の業病である結核にかかり余命を自覚したワトーは「他人にとってはどうにも付き合いにくい、躁鬱病的な、したがってひどくきまぐれな人物となってゆき、絵画の技術的処理のことなどはあまりかまわなくなる。と同時に、人の心に喰い入ってくる、黄昏の、いぶし銀のように沈んだ画調が生まれてくるのである」

たまたまこちらで、かの有名な「画商ジェルサンのための看板画」で、登場人物の一人一人の心理を解読したエッセーを読み、絵を文学的にも読める面白さを知った。で、バラ色のドレスを纏った若い女性の10頭身ともいえるような異常な身長の高さに、これはワトーがわざとしたのかしら、それとも死期が迫ったが故の幻覚のようなものがあったのかしらと、なんともいえぬ奇妙なアンバランスを感じた。

ワトーにだんだん魅かれてゆき、彼のデッサン帳を中古で手に入れ眺めながら、私には日本の少女漫画におもえ、いわゆるどれもが今風のカワイイキャラクターにみえてしまう。丸文字デッサンみたいな。

が、「彫刻家アントワーヌ、パテルの肖像」はワトーが観察眼の鋭い、腕の確かな男性的な力強い画家であることをみせてくれる。

で、何故「メズタン」かというと、彼と同時代の作曲家スカルラッテイーのギター曲をおさめたポシェットの絵がワトーのメズタン。恋する女のためにポロロンと愛を奏でても、その女はそっぽを向いてるかのような銅像が描かれている。「ワトーはコミックなキャラクターもあるんだろうな」と思わず笑ってしまった。左がCDポシェット、右が本物の写真

本物にお目にかかり嬉しかった。思ったより、ずっとずっと綺麗な色合いで、思ったより絵が生き生きとしていた。キャプションにあったごとく、複製からは伝えきれないギターを弾くその指先が生きてるようだった。楽器を弾いている絵画で、絵画から音楽が奏でてくるような作品は珍しい。

あまた居並ぶ名作の怒涛をかきわけ、そこだけがぽっと明るく輝いて見えた「メズタン」。お目にかかれてしあわせでした。