世の中は夢か現か現とも夢とも知らずありてなければ (よみ人しらず 古今集)
メトロポリタン美術館まで行きはバス、帰りはセントラルパークを散歩がてら徒歩でホテルまで戻った。バスはアッパータウンに入るにつれ行き交う人々の服装が高級で小綺麗でおしゃれになってくる。白い大きな花束を抱えた黒人のおじいさんが乗ってきた。バスが揺れるたびお花が痛まないようにしっかり抱えてた。
私がお目にかかりたかったのはワトーの「メズタン」、西洋美術史でお目にかかる名画の数々をささーっと見るだけにして、学芸員の方に「ワトーのメズタンを」というと丁寧に場所を教えてくれた。
ワトーに最初に魅かれたのは彼の肖像画だった。斜に構えたようなニヒルな表情は気難しい彼の性格を語ってるよう。27才で当時の業病である結核にかかり余命を自覚したワトーは「他人にとってはどうにも付き合いにくい、躁鬱病的な、したがってひどくきまぐれな人物となってゆき、絵画の技術的処理のことなどはあまりかまわなくなる。と同時に、人の心に喰い入ってくる、黄昏の、いぶし銀のように沈んだ画調が生まれてくるのである」
たまたまこちらで、かの有名な「画商ジェルサンのための看板画」で、登場人物の一人一人の心理を解読したエッセーを読み、絵を文学的にも読める面白さを知った。で、バラ色のドレスを纏った若い女性の10頭身ともいえるような異常な身長の高さに、これはワトーがわざとしたのかしら、それとも死期が迫ったが故の幻覚のようなものがあったのかしらと、なんともいえぬ奇妙なアンバランスを感じた。
ワトーにだんだん魅かれてゆき、彼のデッサン帳を中古で手に入れ眺めながら、私には日本の少女漫画におもえ、いわゆるどれもが今風のカワイイキャラクターにみえてしまう。丸文字デッサンみたいな。
が、「彫刻家アントワーヌ、パテルの肖像」はワトーが観察眼の鋭い、腕の確かな男性的な力強い画家であることをみせてくれる。
で、何故「メズタン」かというと、彼と同時代の作曲家スカルラッテイーのギター曲をおさめたポシェットの絵がワトーのメズタン。恋する女のためにポロロンと愛を奏でても、その女はそっぽを向いてるかのような銅像が描かれている。「ワトーはコミックなキャラクターもあるんだろうな」と思わず笑ってしまった。左がCDポシェット、右が本物の写真
本物にお目にかかり嬉しかった。思ったより、ずっとずっと綺麗な色合いで、思ったより絵が生き生きとしていた。キャプションにあったごとく、複製からは伝えきれないギターを弾くその指先が生きてるようだった。楽器を弾いている絵画で、絵画から音楽が奏でてくるような作品は珍しい。
あまた居並ぶ名作の怒涛をかきわけ、そこだけがぽっと明るく輝いて見えた「メズタン」。お目にかかれてしあわせでした。