ばーばのケベック日記

ケベック在住、ばーばの気まぐれ日記、日常に関する雑文が主です。

リニュアール

2013年11月28日 | 買い物

クリスマスパーテイーシーズンがぼちぼちスタート。先週、夏のグループ展をオルガナイザーしたエレーヌさんからメールがあり、パーテイーは例年のように夜でなく朝食会に変更。プレゼント交換は、各自家にある材料、もしくは100円ショップレベルの費用で、お金をかけず作ったものという内容。

あれこれ考えながらぴんとこなくて、昨日、中古店をのぞいたら、あらま、これだと思うものに出会いました。靴型をした指輪とイヤリングを掛けるもので200円。これを針金をひんまげたり、色を塗ったりしてリニュアール。プレゼントがあたった人、気に入ってくれるといいな。

リニュアール前

リニュアール後

夫が、「日本残酷物語だって、なんで気が滅入るような本読むんだい」と言うけど、これ読むとね、今の私達の生活って、お大名生活に思えるの。3度のご飯、洋服だってあれこれあるし、本もCDも買う予算がなければ図書館にある。何でもあるのに、なんだか足るをしらないというか。子供の時、毎日が生きてるだけで楽しかった。だから、中古品をリニュアールするように、おつむもリニュアールできるかしら。


ファン気質

2013年11月26日 | 音楽

ほんまもんのファンというのは、極端にいえば、アイドルが犯罪犯して刑務所に入れられても差し入れを持って行くぐらい、「何故か知らねど好き」というもので、あれこれ注文をつけないの。かといってミズリーみたいな変質的愛情でなく、良い事があれば大いに喜び、悪い事があれば陰ながら応援するというもの。ホモだってなんのそのです

今月号のCLASSICAはアレクサンドルタローさん特集。今週金曜日のコンサート前に届き、もしチャンスがあればこの雑誌見せて一緒に写真撮りたい。

タローさんてなかなか複雑な人。顔が語ってる。コンセルヴァトワールをトップで出てもどこからもお声がかからず、普通だったら更なる研鑽を積むためマエストロについて勉強を続けるのだが、お金もなく穴倉のようなところで自分のピアノ演奏を録音し自分で批評していた。たまたまお声がかかるかと思えば、自腹で飛行機代を払い無料で演奏するオファーだった。でも引き受けた。自分をピアノ界に要らない人間と感じたこともあるという。

こういった10年にもわたる孤独な生活は逆に彼の世界を醸成した。タローさんだっていつもベストじゃない。酷評されるCDや演奏会もある。今回のタローさんの新曲は批評家が与える最高の4つ星を獲得。

彼が15歳の時最初に買ったCDはグレングールド演奏のバッハのゴルドベルグ変奏曲。彼も大のグールドファン。今週の金曜日のコンサートで弾きます。彼ね、ケベックで老いたいというほどケベックが好きなの。これで、ずっと彼を追っかけられる。私80歳になったら彼の好きなチョコレート持参で会いにゆくって決めてる。門前払いを食らったら泣きをいれるかも。

以下、新発売のCDより一曲

http://www.youtube.com/watch?v=zvDdSPzXj4Q

 


5巻揃う

2013年11月24日 | 読書

少しづつ読み揃えていた宮本常一他監修の「日本残酷物語」全5巻が揃った。驚愕することのみ。民草の人生も日本の歴史。又、悲劇が大きければ大きいほど人々は早く忘れる。

これからの日本はどこに向かおうとしているのだろう、富国強兵というシナリオ通りに進むのだろうか。

 

 


ミスマッチのマッチ

2013年11月23日 | 暮らし

義母が語るに、どんなに生活が苦しくても子供達に中古品を着せた事がない。安物でもいつも新品。だから私の中古好きが理解できない。が、そこはケベック人、各人の嗜好を尊重してくれる。最近は、私が手に入れた中古品の値段あてを義父として楽しんでいる。

今回の自慢の品はカップとソーサー。てんでばらばらで揃ってないので格安、驚くなかれ、一個25円、5個で125円。ミスマッチながら、絵柄の違うカップとソーサーを組み合わせたら華やかで見事にマッチ。ミスマッチのマッチ。嬉しくなりました。日によってカップとソーサーを取り替えて楽しめます。

以下ばらばらな状態。

これがこうなります。

これから寒い季節、ミルクテイーが美味しくなりそう。


トミー

2013年11月21日 | 暮らし

親御さんの仕事のせいか、3人の子供が他の子供達に先んじて早めに着いてスクールバスを待っている。だから3人と一番の仲良し。ここ一週間ばかり9歳の男の子トミーがおかしかった。ゲームのルールを無視したり、線を消したり、突然寝転がったり、、、そうこうしているうちにスクールバス到着ぎりぎりに着くようになり遊びにも加わらなくなった。

トミーを車で送ってきていたのはママとママの恋人。車から降りるとき、ママはいつも一緒に降りて、トミーを抱きしめキスしていた「ジュテ-ム、私のトレゾール(宝物)」と。それが、ママ一人で来るようになり、もう抱きしめたりキスしない。トミーがコートを着るのに手間取ってるのに手伝おうともせず携帯電話みてる。

トミーにおはようと言ってもあいさつしなくなった。「おばちゃん、トミーの返事なくてさみしいよ」というと「おはよう」と大声で乱暴に怒鳴った。次の日もあいさつしない。「おばちゃん、トミーになんか悪いことしたのかな、だったらあやまるからお早うの返事ほしいよ」というと、ぽつんとした小さな声で「おはよう」と言った。

太陽のようないたずらっ子のトミーから笑顔が消えた。なぜか怒りがこみ上げた。


おば友

2013年11月21日 | 暮らし

夫がケベック市に出張で、仕事休んで一緒においでよ、仕事中、君は美術館めぐりでもしたらと誘ってくれたが、やはり仕事を休むというのは気がひけてお断り。そのかわり、我が家でオバちゃん達でお茶のみしました。

皆さん家に集まったとき、私は、いかに子供達の観察力がするどいか話しました。

子供がね、こんなこと言ったの。

 - おばちゃんの手袋、ぼくのおばあちゃんの手袋とおんなじ。( おしゃれよりも実用本位になった服装への好みと言うか、外見はどうでもいいやというオバちゃん心理を見透かされたようでギク)

 - おばちゃん、鼻水がたれてるよ。( これってね、ほんとショック、ああ、これからテイッシュペーパー持参でゆこうと思いました、老いと共に清潔を心がけなくちゃ)

こちらに長くすむと、知らず知らずにいろんなこと感化されてる。その一つに、人間は平等で向かい合うという感覚。若い人や、子供とすら話しても「私はそう思わない」と反論が返ってくる。いいか悪いかは別にして、ケベック人は、地位があるとか名誉あるとかいってもそういったものにへへーと頭を下げる文化がきわめて少ない。このことに関して、加藤周一は、日本人は、相手方との上下関係で態度を変えるというような事を指摘している。つまり、相手が上だと自分をへりくだり、相手が下だといばり、人間が、対等に人として交流するという伝統がないと。

昨日お会いした方達は、なんていうか日本人がすごいという選民意識がなく( けっこう、これある人多いの)、日本も他の国のなかの一つと客観視できる方達で、ケベックを下にみることなく(けっこう、これある人多いの、日本は世界一優れた民族みたいな)、人間としていろんなこと考えてゆこうというビジョンがあり偏狭なナショナリスムがないのが嬉しいです。

夫いわくオタクな私は、一人で本を読んで音楽を聴いてれば幸せだけど、人と会うといろんなこと刺激になります。そうよね、どの人も、毎日いろんなこと感じ暮らし生きてるんだもの、他の人と接触することはやっぱり大事。

 


冬木

2013年11月19日 | 暮らし

いまだに折りあるごとに3.11の津波の映像が浮かびます。

東北震災はいろいろなこと考えさせました。自分に問うたのは、家や本やCDや今ある物をすべて失ったら、着の身着のままで路上に放り出されたら、いったい私という人間はなんだろうということです。美容師さんは罹災者の髪をボランテイアで刈っていました。大工さんは次々と仮設住宅を建てました。公共風呂を作った方もいます。そんななかで私は、何の能もない、体力すらない、ただのでくの棒に思えました。手品でもできたら子供達を喜ばすことが出来たかもしれない。ヴァイオリンでも弾けたら何か楽しい曲を弾けたかもしれない。友達のようにヨガやダンスを教えれたかも知れない。布ぞうりをつくれる母のほうが私よりもずっと役に立つ。

あれから、こうして生かしていただいてることに感謝を覚え、毎日の日々の取るに足らない営みがありがたく幸せに感じられ、以前よりずっとずっと生きてることが楽しくなりました。いい年なのに、いったいでくの棒の私はこれからどこに行くのだろう。

 さっぱりと 葉も実も落として 冬木立つ

 


ドヌーヴは偉かった

2013年11月17日 | 映画、ビデオ

カトリーヌドヌーヴ主演の「ELLE S EN VA」という映画観ました。かつて天下に名を馳せた世界的美女のドヌーヴが、でっぷりと腰まわりも肥え、その老けぶり、老醜振りを隠すことなく見せ、それだけでも脱帽。個人的にドヌーヴは大根役者と思ってました。その割りに、彼女主演の映画を観てきたのは、何考えてるのかさっぱりわからない、それでいて存在するだけで存在感のあるドヌーヴを、このような女優さんもいるんだなと思っていたから。彼女から、人間が発露する自然な感情を読み取れなかった。でくの棒的なマネキン人形を感じてた。それなのにドヌーヴが出ているというだけで観たいと思わせる女優さん。

今回の映画で初めてドヌーヴを役者と思いました。演技を感じさせない自然体でありながら、初めてドヌーヴに血の通う生身の人間を感じました。

映画の内容は3行でまとめると、60代のおばさんが、若い女に走った恋人に逃げられ、おかしくなって車をぶっ飛ばし、孫を道連れにしたり、かつてのミスコンクール入賞者の記念写真会に参加したりと、あちこちぶんぶんぶっ飛ばしながら、最後は新しい恋人をゲットしベッドインしハッピーエンド。

女性はいくつになったって、やはり自分の醜態をさらしたくないという女心があるが、ドヌーヴは偉かった。ぶよぶよになった腕や脚、目じりのしわしわ、そのまんまをそのまんまに見せた。これだけでもすごいよ。

あの「昼顔」の美女がここまでおばさん化するなんて、もうちっと体型維持したいという願望がなかったのかしら、いや、だからこそドヌーヴは彼女の知られざる一面をみせたかったのか。

夫は具合が悪くなり( お昼の海鮮丼の食あたりかも、まさか半額で買ったサーモンじゃないだろうと疑われた )20分ほどで帰った。会場はなぜかおばさんばかり。

以下YOU TUBEより、

http://www.youtube.com/watch?v=hlFtcLIp_wE


Beat Nation

2013年11月16日 | アート

昨日のテレビで、アメリカインデイアンのフィロゾフィーを紹介しながら、日本のアイヌの子孫の方との交流を見せてくれました。私にアイヌの血が流れているかもという確信に似た思いがあるので興味深くみました。

知人の家庭科の先生が北海道出身で、子供の頃、アイヌがクラスメートにおり苛められていたと話していました。アイヌを日本人がいかに扱ったかは宮本常一監修の日本残酷物語などでも伺えます。番組で「アイヌ人であることを恥ずかしく思い、日本人になろうと一生懸命頑張った。だがある日、アイヌのフィロゾフィーを知るにつけ、だんだんアイヌ人であることを誇りに思うようになった」と語っていました。とりわけアイヌのどの家庭にも手作りの楽器があり、自分達でつくった楽器で遊ぶ民族を誇りに思うと話していたのが印象的でした。

というわけで、モントリオール現代美術館で開かれているインデイアン展「BEAT NATION」を観てきました。先入観で、なんていうかステレオタイプのインデイアン文化に現代風の味付けをしたぐらいのもんだろうと期待していませんでした。

が、ひさびさにがっつーんとくる展覧会でした。先ず以下のパンフレットの写真、ビデオインスタレーションからの映像ですが、伝統的なインデアンダンスが見事に現代に再生されてました。かっこよかったです。しなやかで強靭なボデイが、自由自在にくねくね一瞬のむだなく動くんです。ほれぼれ。

絵画は、天体望遠鏡で捉えた宇宙の写真をガラスケースに収め、その上にインデイアンの伝統的モチーフをコラージュしたもの。スケールがでっかくて、宇宙と人間が交感してるというか、人間のなかに宇宙が宿ってるような感覚。

自転車だってインデイアンスタイル。楽しくて軽やかで、このまま街に走り出したら拍手が湧きそう。

 

木で作ったレコード、木の音楽が流れます。

若いインデイアン達もネットの住人。自分達のアイデンタテイーを堂々と民俗学的遺物に固形させることなく生き生きと創造している。

少数民族であることの誇り、それは希少であり、文化の多様性の一部であり、全体を無限に膨らませるもの。

昨日の番組みなければ行かなかったかも。外の宣伝、いかにもステレオタイプに毛が生えたみたいだったから。

この美術館、メデイアをにぎわすスキャンダルがあって、館長、副館長、秘書の3人が辞任しました。それでパンフレットも、いつもなら館長の言葉が巻頭を飾るのですが今回なし。スキャンダルは、誰かが情報公開を求めて露見したものです。文化がいかに政治とからんでるか、嫌だなーと思う反面、これが現実なんだと目をそむけないようになりました。


遊びの発生

2013年11月16日 | 暮らし

子供達と鬼ごっこしながら、いかにも悪がきな二人が地面に臥して私の両足を片方づつ捕まえた。かなりの腕力で、「離せ、助けてくれ」などといっても「敵を捕まえた」と言っておまけに倒そうとする。バスが来て中止となったが、それから子供達は校庭への小さな入り口に二人組みで身を伏せる形でうつぶし、通過する子供達の足をひっぱてる。すばやく通り抜けたものが勝ち、捕まった者は役を交代する。雪の日だったので洋服も汚れづこれからの遊びにいいかも。子供達が自分達で考えた遊び。

次は、校庭を囲うフェンスの穴から指で子供のほっぺをつついたら私の手袋の指をひっぱって脱げた。それが面白いらしく、もっと他の指出していうから、あちこち移動しながら指をすばやくだしたり引っ込めたりした。それで、今度は子供同士で手袋した指を引っ張り合いしてる。手袋を脱がせたほうが勝ち。これも子供達が考えてルールを決めていた。

ちっちゃな男の子が、いくら名前を聞いても教えない。それで、みんなが名前あてをする。アレクサンドル( ふふふ、どうしてもタローさんの名前が浮かぶ)でしょう、フィリップでしょう、ケビンでしょう、、、最初の頃はいいが、だんだんエスカレートして、ホットドッグでしょうとか、スパゲテイでしょうとか、バットマンでしょうとか、あらゆる名詞が飛び交いそのたびに子供はNONとあたまを振る。

遊びの発祥に居合わせた気持ちで、とても新鮮だった。いろんな子供の遊びはこんなふうにして生まれたんだろうなと思いました。


主婦の友

2013年11月14日 | 暮らし

主婦の友の誘いでスローフード専門店に行ってきました。地元の食材で手作り、ロープライスで値段の安さに驚きました。ベトナム人のユーが見つけたお店です。彼女は、20歳で結婚し5人の子供さんを育て上げた専業主婦。50歳過ぎても若々しく少女のようにお茶目で活発な女性です。健康食に関しては玄人はだしで、彼女の助言を受け食生活を改善し健康体になったケベック人もいます。

このお店で驚いたのは、何でもコンフィチュールになるということ。生姜から赤ピーマン、お酒のポルトーからシェリー酒まで数え切れないほどあり、ジャムがわりにトーストに塗れます。味見しましたが、どれもこれも美味しい。お料理って、なんでも冒険できるんですね。ユーがお茶代わりに持ってきたのは、チキンでだしをとり味噌と生姜混ぜたオリジナルスープ。身体が温まるとの事。

帰りは日暮れ時で、小さな村々を通り抜けながら、日本でもケベックでもたそがれ時はなつかしい子供時代を思い出させるねと言うと、ケベックにこの黄昏時を「犬と狼の間の時間」という表現があるそうです。つまり、日が暮れ、犬はお家に入り、狼が出てくる間の時間と。

皆さん専業主婦ですが、あれこれ古着店や健康食材店などの情報交換したり、子育てが一段落した後のこれからについて話したりと楽しかったです。「夫が働いてるのに楽しい小旅行して申し訳ない気持ちになるね」というと、「妻も、たまに気晴らしをして、夫の帰宅時に明るくお帰りと迎えるために精神衛生上必要な事」とのことです。義母に生姜のコンフィチュールをお土産に買い届けたら、風邪防止になると喜ばれました。

主婦の友

スローフード店

マリネの種類だけでもわんさか

フランス直輸入のスローフードパテもわんさか

 

 

 


新エネルギー

2013年11月12日 | メデイア

去年、マロワ新政権が原子力発電所廃炉について記者会見を行った時、その理由のひとつに原発は時代遅れという項目がありました。ケベック電力会社に勤める姪のツレが新しいエネルギー開発中といってましたが、昨夜のニュースで発表され今朝の新聞の第一面をかざりました。

新エネルギーは、ダムもいらないクリーンで低コストの水力発電です。河の流れを利用した水中の水車みたいなものかしら。姪のツレによると、海風や海流を電力にかえる研究も行われているそうです。新エネルギーはアメリカボーイング社と提携し、国際市場を見込んでいます。また、新エネルギーの工場は、廃炉になり仕事を失った地区に建設予定です。これで以前と同等の仕事を生みます。

新マロワ政権もあれこれ非難を浴びていますが、功績のひとつにこの思い切った原発廃炉があります。

以下、昨夜紹介された新エネルギー紹介

http://www.youtube.com/watch?v=FHHrbuf8VFs

 


4世代

2013年11月10日 | 暮らし

義父の誕生日で全員集合。80歳という節目でホテルでお祝い。夫と車で迎えに行き、車中何を話したかと言うと棺おけの値段について。取っ手がついてると値段が張るとか、木の種類についてとか、お布団でも買うような会話。

初ひ孫にあたる姪の子供を入れて4世代がそろった。ひ孫のロラリーが87歳まで生きれば2100年、私も生前お目にかかった義父の母は確か1900年ごろの生まれ。200年の開きがある。こう計算すると200年なんてほんの一瞬ともいえる。2100年に、こうして集まった私達はこの世にいない。その頃には、ロラリーの子供や孫達が私達を写真でみて、「この人誰?ふーん、こんな人もいたのね」と一瞥するのみだろう。

私達は未来からみたら過去の人、そして過去の人かたみたら未来である現在を生きている。時間の不思議さ。

 世の中は夢かうつつかうつつとも 夢ともしらずありてなければ ( 古今集 よみ人しらず )

この歌を大岡信は以下のように現代語訳している

 世の中は夢だろうか 現だろうか 現とも夢とも知らずさ この身ひとつ今ここにある一瞬も   刻々にうつろっている わたしは在りつつ無くなっている