昨日のテレビで、アメリカインデイアンのフィロゾフィーを紹介しながら、日本のアイヌの子孫の方との交流を見せてくれました。私にアイヌの血が流れているかもという確信に似た思いがあるので興味深くみました。
知人の家庭科の先生が北海道出身で、子供の頃、アイヌがクラスメートにおり苛められていたと話していました。アイヌを日本人がいかに扱ったかは宮本常一監修の日本残酷物語などでも伺えます。番組で「アイヌ人であることを恥ずかしく思い、日本人になろうと一生懸命頑張った。だがある日、アイヌのフィロゾフィーを知るにつけ、だんだんアイヌ人であることを誇りに思うようになった」と語っていました。とりわけアイヌのどの家庭にも手作りの楽器があり、自分達でつくった楽器で遊ぶ民族を誇りに思うと話していたのが印象的でした。
というわけで、モントリオール現代美術館で開かれているインデイアン展「BEAT NATION」を観てきました。先入観で、なんていうかステレオタイプのインデイアン文化に現代風の味付けをしたぐらいのもんだろうと期待していませんでした。
が、ひさびさにがっつーんとくる展覧会でした。先ず以下のパンフレットの写真、ビデオインスタレーションからの映像ですが、伝統的なインデアンダンスが見事に現代に再生されてました。かっこよかったです。しなやかで強靭なボデイが、自由自在にくねくね一瞬のむだなく動くんです。ほれぼれ。
絵画は、天体望遠鏡で捉えた宇宙の写真をガラスケースに収め、その上にインデイアンの伝統的モチーフをコラージュしたもの。スケールがでっかくて、宇宙と人間が交感してるというか、人間のなかに宇宙が宿ってるような感覚。
自転車だってインデイアンスタイル。楽しくて軽やかで、このまま街に走り出したら拍手が湧きそう。
木で作ったレコード、木の音楽が流れます。
若いインデイアン達もネットの住人。自分達のアイデンタテイーを堂々と民俗学的遺物に固形させることなく生き生きと創造している。
少数民族であることの誇り、それは希少であり、文化の多様性の一部であり、全体を無限に膨らませるもの。
昨日の番組みなければ行かなかったかも。外の宣伝、いかにもステレオタイプに毛が生えたみたいだったから。
この美術館、メデイアをにぎわすスキャンダルがあって、館長、副館長、秘書の3人が辞任しました。それでパンフレットも、いつもなら館長の言葉が巻頭を飾るのですが今回なし。スキャンダルは、誰かが情報公開を求めて露見したものです。文化がいかに政治とからんでるか、嫌だなーと思う反面、これが現実なんだと目をそむけないようになりました。