歌声かふぇ はっぴ&麦わら帽子

歌声 はっぴうさぎさん

うさぎさん  東京タワー

2005-12-25 23:43:41 | Weblog
ジングルベル、ジングルベルとクリスマスもあと少しですね、あちこちの家庭が、今年はクリスマスのライトアップできれいでしたね。何年か前に横田基地に住んでいる、家族にクリスマスに招待され、出かけた時に部屋の中の大きなツリーには驚きました、

また、ライトアップされたツリーを見に夜基地を一週したときは、あまりにもきれいでびっくりしたものでした。今では、基地でみた頃より、家庭の飾りは、凄いです、素晴らしいですね。
去年は、クリスマスの夜景を見に首都高にのり、レインボーブリッジからのお台場付近のの景色は客船や屋形船など、最高に綺麗でしたねので、今年は、東京タワーを見に出かけました、ちょうど高速で、芝公園を降りた時間が、夜8時
そうですあのライトダウンストーリーで電気が消えました。消えた時に、願い事をすると願いが叶うとか、、、。
可愛いハートが点灯しましたね。凄い人だかりで、車も停められませんでした。しかし夜の東京タワー流石お見事です、綺麗でした。

うさぎさん ベートーベン3の世界へ

2005-12-25 16:41:14 | Weblog

               ベートーベン3
ベートーベンは耳がきこえなくなる病気にかかり、音楽家として、致命傷を負い、一度は死のうとまで思いつめていましたが、彼の前に新しい世界が開けてきたのです。風、花、日の光など、、、、、自然の全てのものが、彼に生き生きと語りかけてく
のです。苦しんだ者しか、この美しさは分かるまい、、、、、。

彼は生きる喜びを、音楽にするために、せっせと作曲のペンを走らせるのでした。
しかし彼は段々とへんくつに、なっていきました。子どもの頃に、彼の身の上に起こった様々な不幸が、そうさせたのかもしれません。

しかし彼は残酷な運命乗り越えて、次々と素晴らしい曲を作り出していきました。やがて、耳が全く聞こえなくなり,演奏の指揮が出来なくなり、再び絶望しかけましたが、「交響曲第九番」の発表会の時、この曲が発表されると聞いて、大勢の人々が

会場につめかけました。そしていよいよ、彼が指揮台にのぼり、演奏がはじまりました。客席は、静まりかえって、せき、ひとつ聞こえません、一時間を超える演奏が終わり、人々は、心からの、拍手をおくりましたが、ベートーベンは気がつきません

でした。演奏者に教えられて、初めて、それを知り普通三回のアンコールに五回も応えたの事です。客席は大変な騒ぎになり、ブラボー!天才だ!ベートーベンは自分の喜びと観客の喜びがひとつになり、拍手はいつまでもいつまでもなりやみませんでした。           

作品 三大ソナタといわれる、月光、悲愴、熱情 。第三交響曲(英雄)。第五交響曲(運命)。エリーゼの為に。歌劇(フィデリオ)そして最後に第九交響曲。弦楽四重奏。56歳でウイーンでなくなりました。

昨日でしたか、テレビで「ベートーベンの特集」があったそうですね。このブログとはちがったところがあったかと思いますが、ベートベンにはたくさんの説があり、調べるともっと奥深いものが、、、、。!みなさ( ̄_J ̄)ん?も是非ベートーベンの伝説の世界を覗いてみては!

 


うさぎさん ベートーベン2

2005-12-23 11:26:34 | Weblog

       ベートーベンの続き
その頃、オーストリアのウイーンの人たちは、軽くて、気どった曲がだいすきでしたが、ベートーベンんの荒々しい、力に溢れた、迫力ある演奏は人々の心をひき感動させていました。

そんなある日のこと、ボンから母が危篤という知らせが届き、あわててベートーベンは馬車を飛ばし帰りましたが、優しいお母さんは息をひきとってしまいました。ベートーべンが17歳のときでした。

お母さんが、亡くなった後、ベートーベンは、まるで何かにとりつかれたように、音楽の世界にのめり込んでいきました。お金の為に、お抱えの音楽師として、リヒノフスキー公爵家に雇われたこともあります
が、家族や気どった客の前での演奏に、あまりにも自分と違う世界に我慢がならなかったのです。

ある日、ボンからお父さんの死と、あの美しいエレノーレが結婚したことを知らされ、ベートーベンの胸は、張り裂けんばかりでした。幸せのあじを知らない、彼に取って、彼女は心の奥の宝物でした。それからは、もう昔のことは全て忘れよ

うと、作曲に打ち込む毎日でした、やがて人にどう思われようが、身なりも、食事もかまわず、夜中に大声で歌って戻ってきては、部屋に閉じこもりの生活でした。
ところがこの頃、ベートーベンに残酷な大きな不幸がやってきました。音楽家なのに耳が聞こえないという、、、。「聞こえない、耳が聞こえなくなってしまった!、ああもうダメだ自殺しょうと!」彼はある日、ついに遺書を書きはじめました

が、なぜか、次の朝、夜明けの光とともに心に鳴り響く音楽をきいたのでした。音はだんだん、ふくらみ、そうだ心の耳でこんなすばらしい音楽が聞けるじゃないかと思い、、、、、、。その後もベートーベンは、次々と名曲を作り出しました。続く

 


うさぎさん  第九

2005-12-21 00:54:36 | Weblog

  この時期、日本の各地で、よく第九を歌う合唱団がおり、あちこちで「第九」などがが歌われていますね。これは「第九交響曲」あの有名な楽聖と呼ばれた、大作曲家ベートーベンの曲です。

それではベートーベンの生い立ちから、
ベートーベンは今から200年前、ドイツ(ボン)の貧しい音楽一家に生まれ、おとうさんももおじいさんも音楽家でしたので、もちろんベートーベンも小さいときから音楽の勉強ばかりさせられました。
父は宮廷のお抱え歌手でしたが、大酒のみで、外で酔っぱらっては通りで倒れていました、それを迎えに行くのがいつもベートーベンの役目でした。

父はベートーベンには才能がある事を知り、音楽家に育て、金儲けしょうと考え、そこでベートーベンを毎日、何時間も厳しい練習をさせ、一時は音楽が嫌いになる程でした。そのかいもあったのか、わずか13歳でお金持ちの由緒ある家の、音楽教

師になり、お金を稼ぎました。その家にはエレオノーレという美しい、女の子がおり、その子に、ベートーベンは恋をしたようでした。

父は、ついにお酒で、声をつぶし歌えなくなりました。そこでベートーベン は家族のために、一生懸命働きました。

やがてベートーベンは音楽家になるために芸術の都ウイーンに行きました。
ウイーンではモーツアルトに認めてもらい、やがてモーツァルトの先生のハイドンの弟子になり、作曲の勉強に励みました。つづきはまた


うさぎさん、大人も楽しもう、絵本

2005-12-17 02:24:10 | Weblog

            マッチ売りの少女   つづき
そのとき、スーッと星が流れました。「あっ流れ星だ!きっと誰かが死ぬんだわ!」少女は、亡くなった優しいおばあさんが、星が流れるのは誰かの魂が天にのぼって行くときなんだよ、と教えてくれたのを思い出したのです。

「おばあちゃんに・・・・。」なんだか急におばあちゃんに会いたくなって少女は、またマッチをすりまりた。それはまた寒かったからではありません。たとえ少しの間でも、楽しい夢をみたかったからです。するとマッチの炎の向こうにに、おばあさ

んが立っているではありませんか「おばぁちゃん!おばぁちゃん!私のおばぁちゃん」少女はどんなにうれしかったでしょう。世界中でたった一人、少女を可愛がってくれた、大好きなおばあさんが、そこに立っていたのですから。「おばぁちゃ

ん、行っちゃいや!私も一緒につれてってーっ!」こうして、マッチ売りの少女は、おばあさんの胸にしっかりと抱かれ、光と喜びに包まれて、高く高く天へのぼっていったのです。

翌朝、少女の周りにはたくさんのマッチの燃えかすが落ちていました。

「かわいそうになぁ、どんなに寒かったろう!、、、、、。」集まった人々は、そっと囁き会いました。しかし多ぜいの人々に囲まれた少女の顔は、かすかにかほほえみを浮かべで安らかに眠っているようなやさしい顔でした。。

誰も少女がみた美しい夢やおばあさんに連れられてどんなに楽しい気持ちで天国へのぼったことは、誰一人として知るよしもありませんでした。  おしまい。

日本もついこの間(そうでもないかな?)まで、貧しい家の子供たちの姿が
あったような気もしますが、現代の豊かな生活では、貧しいという言葉はもう死語になるのでは、タイムスリップして、何もない時代に、ちょっと戻ってみたいですね

世の中、暗い話、殺伐とした事件がつづき、もううんざりですね、
こんな時は、本屋さんで心温まる絵本でも探してみてはいかが?
今はクリスマスでシーズン、素敵な絵本みつけて?大人も楽しもう!


うさぎさん  続 マッチ売りの少女

2005-12-14 01:13:05 | Weblog
         「マッチ売りの少女」
少女の小さな足は、寒さのために、赤くなったり青くなったりして、指がちぎれるかとおもうほどでした。しかし家に帰るにも、マッチの一束も売れない子は、父に家に入れてもらうことができません。
しかたなく、少女は、また、氷のように冷えきった体を引きずるように、歩き始めました。
外は、もう誰も通っていません。寒い雪の夜道を、とぼとぼと歩き出しました。どの家のまども、暖かそうな明かりがともり、美味しそうなクリスマスのご馳走がただよってきます。
少女はあまりの寒さと疲れで、一歩も歩けなくなり、とうとうしゃがみこんでしまいました「ああ寒ーい。あったかーい火にあたりたいな。ちょっぴりでも火があったらな、、、、、、。」「あっ、そうだ!マッチをすれば火

がつくわ!一本位なら、、、、。」そういうと、マッチを、一本いきよいよくすると、目の前がパーッと明るくなりました。「あったかーい!なんて気持ちがいいんでしょう、、、そうだ足もあたためましょ」しかしちいさなマッチの火はいつまでもついていません、消えてしまいました。

また一本マッチに火をつけました。すると暖炉のある部屋に、クリスマスのご馳走、七面鳥やあたたかいスープがテーブルいっぱいに並び、今にもと手が届くというときに、又真っ暗になりました。するとまた3本

目のマッチをすりました今度は、大きな、クリスマスマスツリーがあらわれました。あっプレゼントだわ!少女が手を伸ばすと、またもや、炎が消えてしまいました。でも少女は、夜空の星になった気持ちになりました。 つづきは、また、、、、。

うさぎさん マッチ売りの少女

2005-12-13 00:51:55 | Weblog
本棚を片づけていたら、懐かしい絵本がたくさん出てきました。きょうはそこで、今の時期にピッタリのみんながよく知っている。アンデルセンの童話といったら、そうです、あの有名な「マッチ売りの少女」です、ご存じとは思いますが紹介します。

アンデルセンは デンマークの靴職人の子に生まれ、満足に学校にも行けなかった貧しい境遇に育ちましたが、コペンハーゲン大学を卒業し、何度も仕事に挫折し夢破れたようですが、その後イタリリアに文学を学ぶために渡り30歳にして「即興詩人」がやっと認められるようになり、それからは、次から次へと美しい作品を残し、世界中の子供達に愛され親しまれ、童話の父とも呼ばれたようです。貧しく苦労しただけに同情にあふれた作品が多いようです。(人魚姫、みにくいあひるの子、はだかの王様などなど)
             「マッチ売りの少女」
それはそれは、雪の降りしきる、寒い日でした。きょうは待ちにに待ったクリスマスイブの日です。人々は,楽しそうにに語りあいながら、手に手にたくさんのプレゼントの包みをもって家路を急いでいました、その夕暮れの中を一人の少女が、帽子もかぶらず、靴も履かずに裸足で歩いていました。「マッチはいかが?」「マッチはいかが?」「おじさん、マッチはいかが?買ってください、、。」    それはマッチを売る小さい女の子でした。少女は朝から寒い中を一日中あるきまわっているだけで、マッチは一束も売れません、「せめて一束だけでも買って、、、、。」「マッチなんかいらんよ。」と だれひとりとして、少女に振り向いてもくれません。
寒い雪のなか、あるいてもあるいても、だーれも、わずか一シリングのお金さえ恵んでくれる人もいません。朝から何も食べていない少女は、もう、お腹がぺこぺこになってしまいました。

続きはあした。

うさぎ 津軽三味線 さとうきび畑

2005-12-12 02:40:01 | Weblog
昨日は、前に住んでいたマンションの仲間と津軽三味線を聴きにでかけました。生の演奏で若い人達が一生懸命汗を拭きながら、津軽三味線を弾く姿には、迫力が

あり圧倒されました。若い方が夢中になる気持ちがわかります。民謡、津軽三味線、会場はしーんと静づまり聞き惚れてしまいますね。洋ものもいいですが、和も心が温まりホットしました。、感動です。

今日は家でお掃除です、年の瀬も迫り大掃除と思うのですが、最近では若い時の様に一度にやってしまう程の根性もなく、暇をみては台所、洗面所、ガラス窓、もの

入れ、といろいろありますが、少しづつ計画的にやるようにしています。毎日30分でも1時間でもとやるようにしています。皆さんも少しづつやっておくと楽ですよ。

今日はお掃除頑張ろうと思いましたが、休憩ばかりで捗らず2時間位しかできませんでした。でも棚の整理ができすっきりしました。

今日はお掃除をしながら新垣勉(盲目のテノール歌手)のCDを聴きました。何年か前にコンサートに行った時に購入したものでした。久し振りに聴きましたが、何か自

分の遠い昔の思い出が走馬燈のように蘇ってくるような そんな懐かしい思いがするようないい歌声でした。

新垣勉より
ほんの少しばかりの不幸を恨んだって仕方がない。それよりも自分に与えらた幸せに感謝したほうが、ずーっと幸福に過ごせる。

彼は声が美しいのに、目が不自由だったことで、辛く、悲しく、たとえようの無い苦悩の人生だったと思います。その事を乗り越え、あの素晴らしい歌は歌声

は、多くの人の勇気や励ましになったことでしょうね。

うさぎさん マジックの世界へ

2005-12-06 23:22:26 | Weblog
マジックバー「八時」に行ってきました。四ッ谷駅から迷路のようなお店で、やっと見つけて入りました。

テレビでお馴染みかとおもわれますが、凄ーくおもしろく楽しかったですよ。
関西人のようなアスカさんというマジシャンがおもしろ、おかしく、まるで

漫才を見ているような、おしゃべりトークで、みんな大笑いでした。まず
、始めに例の口の中からトランプをずらずらと出す、マジックでした。一瞬

でしたが驚きましたねこれは結構、レベルの高い芸だそうです。一番びっくりしたのは、一枚のトランプを引きそれを当てるのですが、その一枚

と同じトランプのミニサイズが、いつの間にか仲間の肘の裏に貼りつけられたのには、驚きました。いつ何処で?と不思議でした。

うさぎさん 明日 マジックバー

2005-12-03 02:24:04 | Weblog
明日は、いよいよ今年初めての忘年会です。
息子の高校の時の役員(広報部)の仲間です。

明日の予定は、いつもは、昼間から始まるのですが、今年は、まとめ役のMさんに初孫が出来、それどころではありません。(国際結婚な
       
ので、とても可愛いお孫ちゃんです) 可愛いくて、たまらないのでしょうね。羨ましいな 。我が家にもそんな日がくるのでしょうか?という事


で今年は私が提案をし、笑って笑って年を越そうと、四ツ谷にある、マジックバー「八時」に予約をしました。¥6500コースでどんなお料理
                        
とテーブルの上や、目の前で、どんなマジックが演出されるのか、今から楽しみで~す。口の中からトランプが、だあーーーーーっと出てく

るのかな、明日、不思議な世界に迷い込んで来ま~す。