風倶楽部 絵本の会

風の吹くまま気の向くままに。月に1度吉祥寺で集まって絵本について語り合ったり作ったりしています。

第一回「舟崎克彦さんを語る」 その3(最終回)

2016-03-18 21:02:42 | 議事録

『星の帆船』(作・絵:ウィリアム・M・ティムリン 訳:舟崎克彦 1983年立風書房)
原題:「THE SHIP THAT SAILED TO MARS」初版は1923年。火星に行く夢を生涯持ち続けた老人と妖精たちが織り成すファンタジー。

相馬奈於(翻訳家)
舟崎先生の研究室でもりのおはなしシリーズを見つけた時に「私はこれで育った!」と思いました。大学院では主に翻訳の勉強をしていて、先生に絵本の翻訳を見て頂いた時に「うまい!」という感想がついていたのがとても嬉しく、すぐに写メをして友達に送りました。自分ではちょっと原文とは離れすぎているかなと?と不安だったのですが、先生が褒めてくださったことで自信が持て、「この道を突き進んで行って良いんだ!」と思えました。卒業しても翻訳を続け、今に至っているのは舟崎先生のお陰です。
修士論文は挿絵についてで、その時ティムリンの妖精画について調べていると日本語訳では『夏の帆船』しか出ていませんでした。それがまさかの舟崎克彦先生の訳だったので驚きました。舟崎先生が「これはもう古いし、君が訳しなおしたらいいんじゃない?」とおっしゃったので、今はそれが目標になっています。

『ぽっぺん先生』 シリーズ(作絵:舟崎克彦 1973年~1994年 ちくま書房ほか)
深民(大学院生)
私が好きな舟崎先生の作品はぽっぺん先生シリーズです。白百合女子大学に入学してすぐに舟崎先生にミヒャエル・エンデが好きなことを話したのですが、その後あまりお話する機会がないまま4年生になりました。でも、舟崎先生は私がエンデが好きなことを覚えていてくださって駅でばったり会った時にはエンデの話をしてくださいました。私は大学院に進んでから創作や翻訳を始め、短い作品を舟崎先生に見て頂くようになりました。色々ご迷惑をおかけしたのに逆に優しくして頂けたのが想い出に残っています。
中川純子(イラストレーター)
「ぽっぺん先生」シリーズが好きだったので風倶楽部にずっと行きたいと思っていましたが、子育てなどで参加できず、最初に声をかけて頂いて15年経ってから参加できるようになりました。私はネイリストの資格を持っていて、10本の指の爪にイラスト描いてストーリーを表現する「ストーリーネイル」を考案したのですが、舟崎さんにお話をしたら「面白い」と言って頂けたので、商標登録をしました。舟崎さんの優しいお人柄は『児雷也太郎の魔界遍歴』で四谷怪談をハッピーエンドにされたところにも出ていて、とても素敵な方だと思いました。


『スカンクプイプイ』(作:舟崎克彦 舟崎靖子 絵:舟崎克彦 1971年あかね書房)
スカンクのプイプイが、いまとってもほしい風ぐるまを町までさがしにいきます。

S藤(印刷会社勤務)
私はあまり関係ない業界ですが、舟崎さんとは話が弾みました。舟崎さんは聞き上手で話し上手でもありました。神宮輝夫さんとの対談本にサインをお願いすると、ご自身の写真のおでこにサインをされるというお茶目なところもありました。
私は正直、子どもの頃舟崎さんの本はあまり好みではなかったのですが、家庭文庫で借りた『スカンクプイプイ』は好きでした。子どもの頃の読書記録は通っていた「けやき子ども文庫」の貸出しカードや自作の記録ノートに残っています。




風倶楽部勉強会「第一回 舟崎克彦さんを語る」はこれでおしまいです。
次回のテーマは「第二回 神宮輝夫さんを語る」
4月9日 17:30〜19:30
アルトバウ(吉祥寺駅 / 徒歩2分)
http://www.atticroo m.jp/altbau/
1ドリンクオーダー制(¥500〜)
※貸し切りで一番奥の部屋です。





第一回「舟崎克彦さんを語る」その2

2016-03-14 22:43:38 | 議事録


『雨の動物園 私の博物誌』(作・絵:舟崎克彦 1974年 偕成社)
少年と小さな生き物たちとの出会い、ふれあい、別れを彼の日常の中で描きながらその特性を解説している。母親を失い野鳥の飼育にのめりこんだ7歳の少年とは作者自身のこと。

ナシエ(イラストレーター)
私が舟崎さんと出会ったのは第一回の風展(2011年2月)がきっかけです。コピス吉祥寺4Fにあった「ソーラーギャラリー」のこけら落とし展示をした際、舟崎さんがいらしてくださって。「ここで風展をしたらよいのでは?」ということで翌年開催した第一回風展’11に私もご一緒させて頂きました。
最初の印象は「存在感があって、気を使ってくださる人」。風倶楽部で白百合女子大学のことを知りましたが「白百合ってすごい」って思いました。私は美大出身ですが、白百合のように親身になって面倒を見てくれる先生はいなかった…私もそこに入れば良かった~みたいな。
K藤:舟崎先生に人生相談をしてくる学生もいたから。
やた:精神科医みたいでしたよね。
甲木:育ちが良いっていうのもあると思いますよ。
S藤:貴族の義務みたいな感じですかね?
やた:舟崎先生の少年時代を知りたいならば『雨の動物園』を読むのが一番です。
K藤:これは名作です。



『ナスビだよ~ん』『ネギでちゅ』(作・絵:舟崎克彦 2003年 ポプラ社)
長い体の犬「ナスビ」と玉ねぎ色の猫「ネギ」。犬と猫の「こんなことができるよ」が描かれた最後のオチは…?

やたみほ(アニメーション作家)
私が在学中、舟崎先生は非常勤講師でしたが、授業は人気で他学科の学生も大勢選択していました。出版社に就職することを先生にご報告すると風倶楽部にいらっしゃいと言ってくだって。1年半後に退社をしてアニメーション作家の道に進みましたが、今の私があるのは風倶楽部のお陰です。風倶楽部に参加しなかったら、アニメーションの世界に入ることも絵本を出版することもできませんでしたから。
私のバイブルは『これでいいのか、こどもの本!!』(風濤社 2001年)です。先生の作品を挙げるときりがないのですが、作と絵ともに先生がかかれた絵本を持ってきたので、ここで日南田さんに読んで頂きたいと思います。



やた:「だよ~ん」や「でちゅ」というのは大学にいらした時の舟崎先生からは想像ができなくて。酔った時に出る言葉のような気がしました。
K藤:「だっちゅーの」なんておっしゃっていましたからね。
やた:どういう時にこういう発想をされるのでしょうか?
K藤:夜中にお酒を飲みながら考えて、明け方まで書くという生活スタイルだったそうです。体調を崩されてからはおやめになったようですが。
甲木:『ネギでちゅ』で猫が玉ねぎに変化するところはアニメっぽいですね。
やた:メタモルフォーゼですね。『これでいいのか、子どもの本!!』に自分はテレビっ子だったからビジュアルが先に出ると書かれていましたから、この絵本もビジュアルが先だったのかも知れませんね。


『トンカチと花将軍』(作:舟崎靖子 絵:舟崎克彦 1973年 福音館書店)
少年トンカチは飼い犬のサヨナラを探しているうちに森に入って不思議な生き物と出会う。ナンセンスの児童文学。

甲木善久(評論家)
小さいころから本が好きで、日本の作家だと神沢利子さん、松谷みよ子さん、安藤美紀夫さんをよく読んでいました。舟崎さんの本は自覚的には読んでいませんでしたが、小学生の時にぽっぺん先生がアニメーションになっているのを見た記憶があります。
大学の児童文学サークルにいた時、学習院の文芸サークルの友人から「面倒見の良いOBがいるけど知ってる?」と言われたのが舟崎さんを知るきっかけでした。
大学4年の時、猪熊葉子先生に「IBBY(国際児童図書評議会)の東京大会に参加したい」と頼んだらボランティアスタッフとして使ってもらうことができました。その時初めて舟崎さんとお会いすることができましたが、男っぷりがよくて口だけではなくちゃんと行動している人だという印象を持ちました。
事務局のスタッフが用事でいない時、窓口は留守電になっていたのですが、留守に限って電話がたくさん鳴る。どうしてかというと、留守電の応答メッセージを舟崎さんが何パターンも作っていて、それをみんなが聞きたがっていたからです。例えば、西部劇ヴァージョンだと馬が「パカラパカラ」と遠くから走ってきて「メッセージをどうぞ」という台詞の後に去っていくという感じ。きっとお椀を使って馬の蹄の音を出していたのでしょう。自宅で一人録音していたと思うと可笑しいですよね。
卒業後、新聞で書評を書くようになると福音館書店から『トンカチと花将軍』の復刊の解説依頼が来ました。緊張しながら打ち合わせに行ったのを覚えています。その後、お礼状を「舟崎克彦先生」宛で出したらすぐに返事が来たのですが「君はもう一人前の物書きなんだから作家相手に『先生』は使ってはいけない。平等な立場でライバルでもあるのだから。」と厳しいお言葉で書かれていました。
その後、季刊誌『ぱろる』を創刊するという時に声をかけてもらって編集長をやらせてもらいました。
K藤:舟崎先生は子どもの本の評論誌が死に絶えることに対して危機感を持たれていました。ちゃんと書評をつける人がいないと児童書は衰退するとおっしゃっていましたよ。


今回はここまで。残りの4人の分は「その3」でお伝えします。
舟崎さんの懐の深さ、人と人とをつなぐことに天性の才能をお持ちだったことが分かりますね。


第一回「舟崎克彦さんを語る」その1

2016-03-13 20:03:54 | 議事録
風倶楽部 絵本の会 

「風倶楽部」は1980年代後半から児童文学作家・舟崎克彦さんの呼びかけの元に集まった編集者や作家・クリエイターたちの集いです。2011年から隔年でメンバーによるグループ展「風展」を開催。2016年からは毎月第2土曜日に吉祥寺で絵本や児童文学の勉強会を開くことになりました。このブログでは、その議事録を公開させていただきます。

第一回「舟崎克彦さんを語る」
日時/2016年3月12日(土)17:30~20:30
場所/吉祥寺武蔵野市本町コミュニティセンター

参加者は10人。司会と書記をじゃんけんで決め、いよいよ第一回勉強会スタート!舟崎さん作品と共に出会いのきっかけや想い出を語っていきました。




『ギャバンじいさん』(作:舟崎克彦 絵:井上洋介 2006年パロル舎)
<あらすじ>
吹雪の夜、狩人のギャバンじいさんの元に次々と動物がやってくる。ギャバンじいさんは笑いが止まらない。だが夜中にもう一人のギャバンじいさんが現れて語りかけてきた。

日南田淳子(アーティスト)
私と舟崎さんとの出会いは、一昨年のせんがわ劇場です。地域連携事業のイベントで、私は劇団どろんこ座としてゲスト出演させて頂きました。(劇団どろんこ座:篠塚浩と日南田淳子の夫婦。オリジナルの紙芝居や二人芝居を全国各地で上演している)その際、白百合女子大学の教授であった舟崎さんは『ギャバンじいさん』を朗読されました。
絵本の『ギャバンじいさん』は井上洋介さんの絵ですが、朗読では舟崎さんがこのために新たに描きおろした絵をスライドにし、音をつけてスクリーンに投影しました。
私たちは舞台のバックステージからモニターで見ていましたが、とても良い声だと思いました。(舟崎さんは昔役者をされていらしたそうです)また、とても気づかいをされる方という印象があります。イベント当日は私の誕生日でもあったのですが、寄せ書きに詩をつけてくださったのを大切にとってあります。


『ガヤガヤムッツリ』(作・絵:舟崎克彦 あかね書房 復刊創作幼年童話 1972年)
<あらすじ>
にぎやかなガヤガヤと静かなムッツリのお話。対照的な性格の二人は誕生日が一緒で、ムッツリは家で静かに誕生日を祝いたいと願い、ガヤガヤに邪魔されるのを避けようと「家にいないと悪いことが起きる」という手紙を出す。でもガヤガヤはムッツリの家でケーキを作るならば大丈夫だろうと材料を持ってムッツリの家におしかけてきた。ケーキ作りをするが間違って火薬を入れてしまい、家にはケーキの花火があがった。

『のうさぎミミオ』(作・絵:舟崎克彦 あかね書房 わくわく幼年どうわ 2005年)
<あらすじ>
ウサギの子ミミオが謎の物体の正体を探っていく。それがオオカミの入れ歯だと分かって家に届けに行く。食べられそうになるが、無事に家に帰れ、後日オオカミから手紙が届く。

K藤(編集者)
私の幼年期は周りに本がほとんどない環境だったので、学級文庫にある舟崎先生の作品を読み倒していました。小6の時、図書館で舟崎先生の本を読んでいたら奥付の作者の欄に住所が書いてあったので、その住所宛にファンレターを出しました。そこに書かれていた住所からは引っ越されていたので戻ってきてしまいましたが、いつか会うことができたら渡したいと思い、その手紙を大事に取っておきました。
大人になって出版社に就職し、舟崎先生に会って渡すことができました。先生は小6の私宛にお返事を書いてくださいました。
私が子供の頃に好きだった『ガヤガヤムッツリ』『スカンクプイプイ』(1971年)は絶版になっていましたが、あかね書房から日本の創作童話として復刊することができました。絵は印刷所に残っていたフィルムから起こしました。
舟崎先生の『児雷也太郎の魔界遍歴』(作:舟崎克彦 絵:荒木慎司 2015年静山社)を読んでお手紙を書きましたが、残念ながらお渡しすることが出来ませんでした。いつか渡せる日が来るかもしれないと最後の手紙も手元にとっておいています。


『Qはせかいいち』(作:舟崎克彦 絵:東逸子 1982年 偕成社)
<あらすじ>
ものおきごやでくらすネズミ
のQ(キュー)。フランス人形の「マリィ」はたった一人の友達。人形のマリィは口をきくことができないので、Qはいつも退屈だったがある日奇跡が起きた。

横田沙夜(画家)
私は白百合女子大学で舟崎ゼミにいました。舟崎先生に私の絵を見せたら「ツヴェルガーを参考にしたらいい」「古典名作の絵にふさわしい」とアドバイスを下さったり、味戸ケイコさんの絵を参考にしたらよいと言って味戸さんとの打ち合わせに同席させて下さったりしました。
卒業してからも個展を開く時は大きなお花を贈ってくださいました。舟崎先生の喉の調子が悪い時、授業のアシスタントをしたこともありました。頂いたアルバイト代はとてもありがたいものでした。
先生の作品に絵をつけられるならば『Qはせかいいち』が良いです。東逸子さんの絵が綺麗で素晴らしくて。昨年「森のどうぶつ」シリーズで『もりのじてんしゃやさん』の絵を購入したら「病室で描いた思い入れのある作品。購入してくれてありがとう」という内容のお手紙を下さいました。私は昨年末、園部えつさんの小説『パパ』(2015年双葉社)の装丁画と挿絵を手がけたのですが、舟崎先生にご報告できなかったのがとても残念です。


こちらの3人の話からしても舟崎克彦さんの情の深さが見受けられますね。