河北潟湖沼研究所の高橋さんからご案内を頂き、
さる1月8日(日)、宮城県石巻市を流れる北上川で行われた「ヨシ刈りボランティア」に参加させて頂きました。
北上川には日本有数の美しいヨシ原約200ヘクタールが広がっており、
1月から3月にかけてのヨシ刈りは冬の風物詩でもあります。
川の水と海の水が混じりあう汽水域で育つ北上川のヨシは硬くて丈夫。
茅葺き屋根やヨシ簾の資材として最高級のヨシが採れる場所でした。
しかし震災時、川湊として栄えた石巻の町も、ヨシ原も甚大な津波の被害に遭われました。
大切な人の命も失われ、そしてヨシ原の半分も土砂に埋まったり、
地盤沈下で水に沈んだりと打撃を受けたのです。
このヨシ刈りボランティアを主催されたのは震災を機に石巻に設立された「NPO法人りあすの森」です。
その中心は石巻市北上町にある茅葺屋根工事一式・熊谷産業の熊谷秋雄さんです。
湖沼のヨシを守る団体に声がかけられ、鳥取、滋賀、石川、栃木などから18名が参集しました。
熊谷産業さんご自身も茅葺き屋根の社屋や倉庫を流されてしまい、
一時は金沢に避難されていらっしゃったそう。
震災当時社員の方々はヨシ原でヨシ刈りの最中でしたが、
先代社長の「津波がくるから逃げろ」の一言で、皆さんご無事だったとのことでした。
この熊谷産業さんの対岸には、児童74名、教職員10名がお亡くなりになった大川小学校があります。
熊谷さんは以前から子供と自然を結ぶ学校づくりを想っていらっしゃいましたが、
この大川小学校のことをうけ、
「子供たちの命に報いるためにも、本当の教育が受けられる学校を作りたい」と考え、
「NPO法人りあすの森」を設立されました。
熊谷さんの復旧、復興への気概は、補修をおこなったこの倉庫にも現れていました。
どうでしょう、わかりますでしょうか。
壁が、なんと茅葺き、ヨシで葺かれているのです。
近づいて・・・・
近づいて・・・さらに近付くとこんな風。
熊谷さんが説明くださいました。
手にされているのはヨシ。長いまま葺いてあるのです。
新築の茅葺き民家が今も普通にあるオランダから、
日本茅葺き文化協会に依頼してオランダの茅葺き職人さんを招いてもらい、
その茅葺き技術を教えてもらいながら葺き上げられました。
オランダの職人さんたちも復旧復興のためならと、
快諾され遥々と来て下さったそうです。
熊谷産業さんの事務所と倉庫を見学しヨシ原に向かう前、
大川小学校にお参りにうかがいました。
川からすぐ、低い土地に建てられた学校。
玄関部分は3階建てですが、校舎のほとんどは2階建て。
杉の植林がされた裏山は急な斜面で、大人でも登るのは容易ではありません。
ぱっと見渡して裏山を除く高い場所といえば北上川にかかった橋でした。
色んな不幸な事象が重なって、尊い命が失われてしまいました。
鳴らされた慰霊の鐘の澄んだ音色、子守りの像が、
より哀しみを誘いました。
お参りのあと、小学校から3キロほど上流の比較的被害の少なかったヨシ原へ向かいました。
ここも津波の折は漁船が打ち寄せられていたと聴きしました。
そのため今もヨシ原には瓦礫がのこっており、ヨシ刈りのほか瓦礫の取り除きもしました。
途中、先代の社長さんも寒いなか、ヨシ原に。
風が冷たいから風邪をひかないようにと労いのお言葉をいただきました。
このヨシ原をフィールドに、ヨシの果たす水質浄化や生物を研究されている大学教授のお話によると、
地盤沈下している箇所に土を盛り、ヨシの復活を実験する予定だとお話されていましたが、
以前のようなヨシ原の姿にもどるのは、ずいぶんと時間がかかることと思います。
けれどもヨシ原のなかには、5センチほどに伸びたヨシの新しい芽もしっかり育っていました。
津波にも負けずヨシの芽が伸びるように、石巻の町も必ずや活気を取り戻していくと信じます。
それにはこれから本格的に動き出される「りあすの森」の活動に、
心を寄せて少しでもお手伝いできたらと思います。
「りあすの森」は事務局の方がtwitterもされています。
アカウントは@riasnomori
どうか応援ください。
#K