今年は、特に日本全体が猛暑の夏になっています。8月は、日本人にとって大切な月ですが、それは従来のお盆に加えて終戦の日、原爆の日があるからです。アメリカの大統領として初の広島訪問をしたバラク・オバマ氏は、追悼の後演説をしました。日本人の中には、謝罪があるのかという期待を持った人もいたようですが、オバマ氏は、歴史を振り返り、世界を俯瞰した人類としてのやるべきことを述べられました。
日本は昔から島国である故の国民性がとかく言われて来ていると思います。アメリカは、新大陸発見から多くの国の人の移住により、多民族国家とか民族のるつぼなどと言われるほど多国籍の人の集まりで有名です。そのアメリカを代表して地球全体を席巻する人類のこれからの道を考えたのです。
オバマ氏は初めに、当時広島に居合わせた外国人を含む広島市民の犠牲者の魂が私たちに内省を求めていると述べ、いまだに悲惨な目に遭った方々の霊に心を寄せています。そして人類の祖先も、石や木の道具を狩猟だけでなく人を攻撃するのにも使い、罪のない人が犠牲になり忘れ去られているけれど、71年前広島島、長崎の残酷な終結をもたらした大戦は、世界の豊かな国同士の戦いでその紛争の原因は支配したいという、祖先から繰り返されて来ている基本的な本能でもあるとおっしゃっています。それもわずか数年で6000万人の子供から大人まで苦しめられながら亡くなっているー正義と調和の思想を提唱した思想家がいたにも拘わらず、人を自然から引き離し自然を変える力が比類ない破壊をもたらす結果になったーグローバルな考えを私たちに想起させます。つまり、戦いの規模が増大して犠牲になる方が増えるのは、人の持つ支配欲で、物質的進歩や社会革新が自分と異なる人々を弾圧し、科学が効率的な殺人マシンになることが可能な時代になってきたということです。原子の分裂を可能にした科学の革命には、倫理的な革命も必要であると述べています。
広島はそういう真実を教えてくれるからここを訪れ、原爆投下の瞬間を想像し、子供たちの恐怖を感じ、声なき叫び声に耳を傾ける、更に戦争の犠牲になった罪のない人々を忘れないと述べています。日本では、原爆の犠牲者がその苦しさを叫んでも耳をかされず、差別さえされたという話を聞いたことがあります。そしてその風潮が、平和利用の名目で原子力発電所の林立をもたらし、大震災で同じ放射能の被害を受けるという結果を招きました。亡くなった方の声なき声どころか、生存者の声をも活かさなかったことになります。
広島の記憶のおかげで私たちの倫理的想像力に火がつき変わることが出来るけれど、人間の悪を行う能力をなくすことはできないかもしれないともおっしゃっています。世界で目のあたりにするテロや残虐行為、抑圧などです。自衛のために核を保有する国は恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持つべきとも述べています。戦争自体の考えを変え、外交を通じて紛争を回避し相互依存の高まりを、暴力的な争いではなく平和的な協力を生むものであると、これは3年後の今でも世界に向かって通じる重要な内容ではないでしょうか。
アメリカの物語は次の簡潔な言葉で始まったそうです。「万人は平等に創られ、生命、自由及び幸福追求を含む不可譲の権利を、創造主から与えられている」このあとオバマ氏は次の所見を加えています。{こうした理想を実現することは国内でも容易ではないが、取り組む価値はあり、大陸や大洋をも超えます。人類というひとつの家族の一員であるという基本的で必要な概念でもあります。だから人は広島を訪れるのです。71年前に大切な人々と食卓を囲んだ子供の笑顔やぬくもりがあったことを知ることができます。犠牲になった方々は、私たちと同じです。戦争を望んでいません。科学の感嘆すべき力を、人の命を奪うのではなく生活を向上させるために使ってほしいと思っています}
戦争で犠牲になるのは普通の一般市民ー戦争を望まない子供を含む市民達です。オバマ氏はそれを人類という一つの家族とおっしゃっています。私は幸福追求ができる若者たちが、望まない戦いで犠牲になった事も忘れられません。世界が平和を目指した人類という家族なら戦いを起こすことは考えないでしょう。
オバマ氏は、世界の平和を世界に向けて発信して下さったのではないでしょうか。そのために広島を訪れたとおっしゃっています。そして3年後の今、この講演をもう一度見直すことが望まれます。
他にこのようなグローバルな平和論を講演できる人は何人いるでしょうか。広島を忘れなければあとで続いたアフガン戦争、ベトナム戦争イラク戦争は避けられたのではないでしょうか。
今年の11月にはカトリックの大司教が来日されるそうですが、大司教が長崎の原爆で死んだ弟を背負って、焼き場の順を待っている少年の写真をご存じで、戦争の回避に理解されやすい写真とおっしゃっていると聞きました。オバマ氏の「広島と長崎は核戦争の夜明けではなく、私たち自身が倫理的に目覚めることの始まりとして知られるようになるでしょう」という講演の結びともリンクされると思います。オバマ氏の美しい英語を駆使した講演のすべてを申し上げることは不可能ですが、このような考えが各国のリーダーの間にも浸透することを祈らずにはいられません。
日本は昔から島国である故の国民性がとかく言われて来ていると思います。アメリカは、新大陸発見から多くの国の人の移住により、多民族国家とか民族のるつぼなどと言われるほど多国籍の人の集まりで有名です。そのアメリカを代表して地球全体を席巻する人類のこれからの道を考えたのです。
オバマ氏は初めに、当時広島に居合わせた外国人を含む広島市民の犠牲者の魂が私たちに内省を求めていると述べ、いまだに悲惨な目に遭った方々の霊に心を寄せています。そして人類の祖先も、石や木の道具を狩猟だけでなく人を攻撃するのにも使い、罪のない人が犠牲になり忘れ去られているけれど、71年前広島島、長崎の残酷な終結をもたらした大戦は、世界の豊かな国同士の戦いでその紛争の原因は支配したいという、祖先から繰り返されて来ている基本的な本能でもあるとおっしゃっています。それもわずか数年で6000万人の子供から大人まで苦しめられながら亡くなっているー正義と調和の思想を提唱した思想家がいたにも拘わらず、人を自然から引き離し自然を変える力が比類ない破壊をもたらす結果になったーグローバルな考えを私たちに想起させます。つまり、戦いの規模が増大して犠牲になる方が増えるのは、人の持つ支配欲で、物質的進歩や社会革新が自分と異なる人々を弾圧し、科学が効率的な殺人マシンになることが可能な時代になってきたということです。原子の分裂を可能にした科学の革命には、倫理的な革命も必要であると述べています。
広島はそういう真実を教えてくれるからここを訪れ、原爆投下の瞬間を想像し、子供たちの恐怖を感じ、声なき叫び声に耳を傾ける、更に戦争の犠牲になった罪のない人々を忘れないと述べています。日本では、原爆の犠牲者がその苦しさを叫んでも耳をかされず、差別さえされたという話を聞いたことがあります。そしてその風潮が、平和利用の名目で原子力発電所の林立をもたらし、大震災で同じ放射能の被害を受けるという結果を招きました。亡くなった方の声なき声どころか、生存者の声をも活かさなかったことになります。
広島の記憶のおかげで私たちの倫理的想像力に火がつき変わることが出来るけれど、人間の悪を行う能力をなくすことはできないかもしれないともおっしゃっています。世界で目のあたりにするテロや残虐行為、抑圧などです。自衛のために核を保有する国は恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持つべきとも述べています。戦争自体の考えを変え、外交を通じて紛争を回避し相互依存の高まりを、暴力的な争いではなく平和的な協力を生むものであると、これは3年後の今でも世界に向かって通じる重要な内容ではないでしょうか。
アメリカの物語は次の簡潔な言葉で始まったそうです。「万人は平等に創られ、生命、自由及び幸福追求を含む不可譲の権利を、創造主から与えられている」このあとオバマ氏は次の所見を加えています。{こうした理想を実現することは国内でも容易ではないが、取り組む価値はあり、大陸や大洋をも超えます。人類というひとつの家族の一員であるという基本的で必要な概念でもあります。だから人は広島を訪れるのです。71年前に大切な人々と食卓を囲んだ子供の笑顔やぬくもりがあったことを知ることができます。犠牲になった方々は、私たちと同じです。戦争を望んでいません。科学の感嘆すべき力を、人の命を奪うのではなく生活を向上させるために使ってほしいと思っています}
戦争で犠牲になるのは普通の一般市民ー戦争を望まない子供を含む市民達です。オバマ氏はそれを人類という一つの家族とおっしゃっています。私は幸福追求ができる若者たちが、望まない戦いで犠牲になった事も忘れられません。世界が平和を目指した人類という家族なら戦いを起こすことは考えないでしょう。
オバマ氏は、世界の平和を世界に向けて発信して下さったのではないでしょうか。そのために広島を訪れたとおっしゃっています。そして3年後の今、この講演をもう一度見直すことが望まれます。
他にこのようなグローバルな平和論を講演できる人は何人いるでしょうか。広島を忘れなければあとで続いたアフガン戦争、ベトナム戦争イラク戦争は避けられたのではないでしょうか。
今年の11月にはカトリックの大司教が来日されるそうですが、大司教が長崎の原爆で死んだ弟を背負って、焼き場の順を待っている少年の写真をご存じで、戦争の回避に理解されやすい写真とおっしゃっていると聞きました。オバマ氏の「広島と長崎は核戦争の夜明けではなく、私たち自身が倫理的に目覚めることの始まりとして知られるようになるでしょう」という講演の結びともリンクされると思います。オバマ氏の美しい英語を駆使した講演のすべてを申し上げることは不可能ですが、このような考えが各国のリーダーの間にも浸透することを祈らずにはいられません。