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 平敷屋のエイサー   また、沖縄へ。2 

2011年08月27日 | Weblog
  旭橋駅の那覇バスターミナルから、平敷屋へ。
 沖縄に来た目的のひとつは、平敷屋エイサーを見るためだ。

  旭橋駅前バスターミナルの一角に、岩山のようなものが遺されている。
 ここだけ異様で、何やらパワースポットらしからぬ気配がある。

  

  小さな祠のようなものがあり、当時の信仰が伺える。
 バスターミナルになる前、ここは「仲島」と呼ばれた遊郭であった。
 その後、辻の遊郭と統合されるまで栄えたという。
 当時の遊女たちも、手を合わせに来たのだろうか。
  嘉手苅林昌の「島尻口説」で、‘仲島ああのを~‘と節を変えて唄うくだりを思い出す。
 バスに揺られながら、‘仲島ああのを~・・‘と何度も唸ってみる。
 ちなみに、登川誠仁の「島尻口説」では、節は変えないで唄っている。

  さて、うるま市の平敷屋まで、2時間かかった・。
 運賃1,280円。
 小高い町の中心部まで、聞えてくる指笛を頼りに歩いてゆく。



  整然としていて、昔ながらの念仏踊りを彷彿とさせるエイサーだ。
 じっくりとした動きの中にも、熱い情を包括している。
 整然としながらも凄然なるものが伝わる。
 沖縄の古来の風も感じながら、猥雑でもあり、それでいて矜持だ。
 カオスと聖なるものが混在しているのが、より迫力を増して魅力。
 ユーモラスで怪しくて、そしてやさしく懐かしい。
 「これは、一体なんだ!?」
 見物人はそれを見極めたくて、食い入るように見つめている。

 平敷屋の青年団。
 「いいね!」
 青年団は、R25の若者たちだ。

 エイサーの晴れ舞台を見つめる、子供たち。
 エイサーの響きを子守唄で寝る赤ん坊。

 沖縄は、いい。
 沖縄は、子どもたちがいい。
 活きがイイし、あちこち子沢山だ。
 沖縄にくると、子どもを作って育てることなど、なんだかどーてことなく思えてしまう。
 大らかで、ユーモラスで、かつ聖なる・・。

 平敷屋のエイサーと、子どもたち。

 ここのエイサーは、2日間あるが、見に来るなら初日がいい。
 エイサーの大会よりも、地元で見るのがイチバンだ。

  深夜、ホテルまでの道程を迷い歩いていると、タクシーに声をかけられた。
 「あいー、どうしたね。迷ってるねえー」
 タダでホテルまで乗せてくれた。
 お礼に、法王沖縄訪問の記録のDVDをあげた。

 なかなか充実した一日であった。


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