【聖ジェンマ・ガルガーニが実践した聖時間】
ジェンマ・ウンベルタ・マリア・ガルガーニ( Gemma Galgani :1878~1903 享年25歳)は、当時のイタリア王国の女性で神秘家であり、カトリック教会の聖人。イエス・キリストの受難を体験したとされ、このことから「受難の娘」と呼ばれる。祝日は4月11日。 敬虔なキリスト教徒として育ったジェンマは御受難会の修道女になることを願ったが健康上の理由などで実現しなかった。
この聖時間は福者エレナ・グエラ(Blessed Elena Guerra)の『祈りましょう』と題された信心手引書から取られたものである。
この書はその後シルヴィオ・デルーカ(御受難会)によって英訳され、『ザ・サイン』1928年12月 Vol 8. の中に掲載された。当サイト管理人はその記事を快く提供してくれたニュージャージー州ユニオンシティのパッショニスト・アーカイブスに感謝したい。
聖ジェンマの自叙伝と日記の中に、彼女が毎木曜に聖主の御受難と園における御苦悶とを崇敬して聖時間を行なっていたことが伺われる [1] 。彼女はその聖時間を死に至るまで毎週忠実に実行した。この聖時間に関して彼女は自叙伝の中で次のように書いている。「毎木曜(夜)、私は聖時間をし続けました。しかし、時々は、イエズス様が私と共におられたために、翌朝の2時までも続くことがありました。そして彼は、ほとんど常に、私のとても多くの罪と全世界の罪とをお示しになりながら、彼が園でお感じになられた御悲嘆を私に共有させ給いました。その御悲嘆はほとんど死の苦悶に等しいものでした。」
日記の中では次のように書いている。(1900年7月19日、木曜日)「前回の木曜日以来、イエズス様が来られなくなってから6日後、ようやくこの晩を迎えて、私は十字架上のイエズス様の御事を考えつつ、祈りの時間を始めました。そして、それは起りました。私はお苦しみになる彼と共にある自分に気づきました。そして、自分も苦しみたいとの大きな望みを感じ、イエズス様にその恵みをお与え下さるようお願いしました。彼は与えて下さいました。彼は私にお近づきになり、御頭から冠を外し、私の頭に乗せ、そして脇に行かれました。
私は、たぶん彼はもう私を愛しておられないのだ、冠を以前そうしたようには私の頭に強く押し付けないから、と思い、黙って彼を見つめました。すると、イエズス様は私の考えていることをご覧になり、それを私のこめかみに強く押し付けて下さいました。それは痛いけれども幸せな時でした。その後、私はイエズス様と共に一時間を過ごしました。私は、できるならば一晩中でも彼とそうしていたいと望んだことでしょう。しかし、イエズス様は従順を非常に愛されます。彼は、彼御自身、常に従順に服されます。そのため、時間が来た時、彼は私をお離れになりました。通常、イエズス様は、お離れになる時に冠を私の頭からお外しになります。けれどこの度は、彼は冠を翌日の午後4時まで私の頭にお残しになりました。」
この聖時間は、ルッカの聖霊の姉妹オブレート会(聖ジタ姉妹会としても知られる)の創立者である福者エレナ・グエラが著わした『祈りましょう』と題された信心手引書からのものである。それはまた『ゲッセマニで苦しまれるイエズスとの祈りの一時間』(Un'ora di orazione con Gesù agonizzante nel Getsemani)という題によっても出版された。
ジェンマは福者エレナが創立した学校の生徒だった。そして、福者エレナは一時期、ジェンマの教師の一人だった。二人のこの学校での結びつきのために、また二人とも生涯にわたりルッカで暮したので、聖ジェンマと福者エレナは非常に親しくなった。そして、ジェンマとエレナが二人とも同じ日──4月11日(ジェンマは1903年、エレナは1914年)──に帰天したということは、神の聖なる御摂理の、また御自身の召使いに対する彼の愛の、何と奇跡的な印であろうか。そして、更に奇跡的であり摂理的なのは、ジェンマとエレナが共に4月11日に帰天したばかりでなく、どちらも聖土曜日が4月11日に当たる年──その間はちょうど11年離れており、どちらも聖土曜日の祝日であった!──に帰天したということである。
話を再び福者エレナの聖時間の小冊子に戻せば、ジェンマは結局、重い病のために福者エレナの学校を離れなければならなかった。その病は1898年に彼女をほとんど危篤の状態にまで運んだ。彼女がこの病にあった時、彼女が奇跡的に癒されることになる数日前に、彼女は聖ジタ学院のシスターの一人、シスター・ジュリア・セスティーニの訪問を受けた。シスターは大きな苦しみの内にあったこの気の毒な若い女性を助けるために、この聖時間をするように励まし、それが収められた祈りの本をジェンマに与えた。私達が彼女の自叙伝と日記の中に読むように、彼女が最も素晴らしい恵みを受けたのは、彼女がゲッセマニの主の御苦悩を崇敬するこの信心を実践していた時である。
ジェンマと聖時間については、彼女の霊的指導者であった尊者ジェルマーノ神父がこう書いている──「彼女はこの信心をたとえベッドから離れられない状態になっても実践し続ける決心をした・・・ジェンマはそれを宝とみなした。そしてそれを最初に受けた時、彼女はイエズスに、もし健康を回復することができれば毎木曜の夜にこの聖時間を実践すると約束した。」
神の御摂理によって、彼女は1899年の聖木曜日に初めてこの聖時間をした。そして、それのためによく準備するために、自分の全生涯に関する総告白を初めてした。このことは、彼女が聖時間をどのように考えていたか、またそれをどれほど大事に思っていたかを伺わせるものである。
この信心の目的は、その祈りの全時間にわたり、その黙想のために、私達の聖主イエズス・キスストのゲッセマニでの御苦悶を生き生きと描き出すことである。この信心はいつ行なわれてもよい。けれども特に木曜の夜に適している。
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この聖時間は福者エレナ・グエラ(Blessed Elena Guerra)の『祈りましょう』と題された信心手引書から取られたものである。
この書はその後シルヴィオ・デルーカ(御受難会)によって英訳され、『ザ・サイン』1928年12月 Vol 8. の中に掲載された。当サイト管理人はその記事を快く提供してくれたニュージャージー州ユニオンシティのパッショニスト・アーカイブスに感謝したい。
聖ジェンマの自叙伝と日記の中に、彼女が毎木曜に聖主の御受難と園における御苦悶とを崇敬して聖時間を行なっていたことが伺われる [1] 。彼女はその聖時間を死に至るまで毎週忠実に実行した。この聖時間に関して彼女は自叙伝の中で次のように書いている。「毎木曜(夜)、私は聖時間をし続けました。しかし、時々は、イエズス様が私と共におられたために、翌朝の2時までも続くことがありました。そして彼は、ほとんど常に、私のとても多くの罪と全世界の罪とをお示しになりながら、彼が園でお感じになられた御悲嘆を私に共有させ給いました。その御悲嘆はほとんど死の苦悶に等しいものでした。」
日記の中では次のように書いている。(1900年7月19日、木曜日)「前回の木曜日以来、イエズス様が来られなくなってから6日後、ようやくこの晩を迎えて、私は十字架上のイエズス様の御事を考えつつ、祈りの時間を始めました。そして、それは起りました。私はお苦しみになる彼と共にある自分に気づきました。そして、自分も苦しみたいとの大きな望みを感じ、イエズス様にその恵みをお与え下さるようお願いしました。彼は与えて下さいました。彼は私にお近づきになり、御頭から冠を外し、私の頭に乗せ、そして脇に行かれました。
私は、たぶん彼はもう私を愛しておられないのだ、冠を以前そうしたようには私の頭に強く押し付けないから、と思い、黙って彼を見つめました。すると、イエズス様は私の考えていることをご覧になり、それを私のこめかみに強く押し付けて下さいました。それは痛いけれども幸せな時でした。その後、私はイエズス様と共に一時間を過ごしました。私は、できるならば一晩中でも彼とそうしていたいと望んだことでしょう。しかし、イエズス様は従順を非常に愛されます。彼は、彼御自身、常に従順に服されます。そのため、時間が来た時、彼は私をお離れになりました。通常、イエズス様は、お離れになる時に冠を私の頭からお外しになります。けれどこの度は、彼は冠を翌日の午後4時まで私の頭にお残しになりました。」
この聖時間は、ルッカの聖霊の姉妹オブレート会(聖ジタ姉妹会としても知られる)の創立者である福者エレナ・グエラが著わした『祈りましょう』と題された信心手引書からのものである。それはまた『ゲッセマニで苦しまれるイエズスとの祈りの一時間』(Un'ora di orazione con Gesù agonizzante nel Getsemani)という題によっても出版された。
ジェンマは福者エレナが創立した学校の生徒だった。そして、福者エレナは一時期、ジェンマの教師の一人だった。二人のこの学校での結びつきのために、また二人とも生涯にわたりルッカで暮したので、聖ジェンマと福者エレナは非常に親しくなった。そして、ジェンマとエレナが二人とも同じ日──4月11日(ジェンマは1903年、エレナは1914年)──に帰天したということは、神の聖なる御摂理の、また御自身の召使いに対する彼の愛の、何と奇跡的な印であろうか。そして、更に奇跡的であり摂理的なのは、ジェンマとエレナが共に4月11日に帰天したばかりでなく、どちらも聖土曜日が4月11日に当たる年──その間はちょうど11年離れており、どちらも聖土曜日の祝日であった!──に帰天したということである。
話を再び福者エレナの聖時間の小冊子に戻せば、ジェンマは結局、重い病のために福者エレナの学校を離れなければならなかった。その病は1898年に彼女をほとんど危篤の状態にまで運んだ。彼女がこの病にあった時、彼女が奇跡的に癒されることになる数日前に、彼女は聖ジタ学院のシスターの一人、シスター・ジュリア・セスティーニの訪問を受けた。シスターは大きな苦しみの内にあったこの気の毒な若い女性を助けるために、この聖時間をするように励まし、それが収められた祈りの本をジェンマに与えた。私達が彼女の自叙伝と日記の中に読むように、彼女が最も素晴らしい恵みを受けたのは、彼女がゲッセマニの主の御苦悩を崇敬するこの信心を実践していた時である。
ジェンマと聖時間については、彼女の霊的指導者であった尊者ジェルマーノ神父がこう書いている──「彼女はこの信心をたとえベッドから離れられない状態になっても実践し続ける決心をした・・・ジェンマはそれを宝とみなした。そしてそれを最初に受けた時、彼女はイエズスに、もし健康を回復することができれば毎木曜の夜にこの聖時間を実践すると約束した。」
神の御摂理によって、彼女は1899年の聖木曜日に初めてこの聖時間をした。そして、それのためによく準備するために、自分の全生涯に関する総告白を初めてした。このことは、彼女が聖時間をどのように考えていたか、またそれをどれほど大事に思っていたかを伺わせるものである。
この信心の目的は、その祈りの全時間にわたり、その黙想のために、私達の聖主イエズス・キスストのゲッセマニでの御苦悶を生き生きと描き出すことである。この信心はいつ行なわれてもよい。けれども特に木曜の夜に適している。
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聖 時 間
導 入
ああ、敬虔なる霊魂、あなたの最愛の救い主の面前に、あなた自身を置きなさい。そして、イエズスがあなたの食物となすべく御聖体を制定され、使徒たちと共に高間を離れ、オリーブの園に向かわれ、そこで御自身を世界の救いとなすべく最も残酷な御受難を始められたその夜のことを思い巡らしなさい。
死のような悲しみが、その御額の上に浮かび、また悩まれるイエズスの御言葉に現われています。死のような青白さが、つい先程までは天国的な美で輝いていたその聖顔を曇らせています。そして、悲しみに包まれた救い主は、まるで次のように言っているかのように、あなたをじっと見つめます──「親愛なる霊魂よ、私にとってこれほどまでの苦しみの原因となっている者らよ、一時間だけわれと共に留まれ。そして、わが悲しみのような悲しみが他にあるかどうかを見よ。・・・そして、わが苦悶のその夜に、私は自分を慰める者を探したが無駄であったということを知りなさい。私は私を慰める者を探したが、誰も見出さなかったのである。」
ああ、崇むべきイエズス、いったい、ゲッセマニの園で、あなたの御受難の夜の暗闇の中で達成された、それらの計り知れない苦しみと愛の神秘を覚えていながら、御身とただ1時間さえ共に居ることを拒絶するような、そこまで恩知らずで心の頑なな被造物というものが在り得るものでしょうか? ああ、善きイエズス、御前にいる私に御目をお留め下さい。どうか、あなたの痛みの大きさを、そして私の罪と全ての人の罪のために御自身を生贄とし給うたあなたの溢れる愛を私に開示して下さるよう、伏してお願い申し上げます。
ああ、敬虔なる霊魂、あなたの最愛の救い主の面前に、あなた自身を置きなさい。そして、イエズスがあなたの食物となすべく御聖体を制定され、使徒たちと共に高間を離れ、オリーブの園に向かわれ、そこで御自身を世界の救いとなすべく最も残酷な御受難を始められたその夜のことを思い巡らしなさい。
死のような悲しみが、その御額の上に浮かび、また悩まれるイエズスの御言葉に現われています。死のような青白さが、つい先程までは天国的な美で輝いていたその聖顔を曇らせています。そして、悲しみに包まれた救い主は、まるで次のように言っているかのように、あなたをじっと見つめます──「親愛なる霊魂よ、私にとってこれほどまでの苦しみの原因となっている者らよ、一時間だけわれと共に留まれ。そして、わが悲しみのような悲しみが他にあるかどうかを見よ。・・・そして、わが苦悶のその夜に、私は自分を慰める者を探したが無駄であったということを知りなさい。私は私を慰める者を探したが、誰も見出さなかったのである。」
ああ、崇むべきイエズス、いったい、ゲッセマニの園で、あなたの御受難の夜の暗闇の中で達成された、それらの計り知れない苦しみと愛の神秘を覚えていながら、御身とただ1時間さえ共に居ることを拒絶するような、そこまで恩知らずで心の頑なな被造物というものが在り得るものでしょうか? ああ、善きイエズス、御前にいる私に御目をお留め下さい。どうか、あなたの痛みの大きさを、そして私の罪と全ての人の罪のために御自身を生贄とし給うたあなたの溢れる愛を私に開示して下さるよう、伏してお願い申し上げます。
最初の15分間
イエズスの御悲しみ
「わたしの魂は悲しみのあまり死ぬほどである!」
死の痛みに比較し得るもの以上の苦しみはないというのは本当です。今、私達の救い主、不謬の真理であられる救い主は、ゲッセマニに入られ給うた時に彼を圧迫し始めた苦しみの甚だしきを私達に理解させようと、彼の魂は大きな悲しみの下に押し潰されている、彼の堪えている苦悶はあまりに厳しく、彼に死を引き起こすほどである──「わたしの魂は悲しみのあまり死ぬほどである!」──と言われます。そして、そう言われてから更に園の奥に進み、かつて祈りの内に夜を過ごすことに慣れていた場所に至り、彼の忠実な使徒たち(彼の苦しみの証言者とするために園にまで伴い給うた人達)に目覚めつつ彼と共に祈れと勧告なさいます。次いで、彼らから石を投げて届くあたりに退かれ、最も痛ましい、またそれと同時にかつて地上でなされた祈りの中で最も寛大な祈りを始められるために跪かれます。
イエズスの御悲しみの第一の原因は、大嵐に襲われた海の凄まじいうねりのように短時間の内に彼の上に殺到した、侮辱と激怒の恐ろしい塊でした。
事実、彼は、間近に迫った御自分の受難──使徒の内の一人による裏切り、恥辱、嘲り、中傷・・・更に、彼をまさにその骨に至るまで裸にせんとするほど残酷な鞭打ち──の痛みと流血の全ての恐ろしき情景が御自分の心に映じた時、その最愛の使徒たちの傍を離れることがほとんどおできにならないほどでした。しかしこれだけではありません。彼の神聖なる御頭は茨の冠で苦しめられねばなりません。それは彼の死に至るまで彼の御頭に押し付けられたままでなければなりません。更に、殴打、つば、嘲り。しかしこれだけではありません。彼は法的非難の悪名を運ばねばなりません。そして御自分が御自分の民の内の重要な人物たちによって、また御自分の人々によって忌み嫌われるのを見なければなりません。
そして、それほど甚だしき苦しみによって瀕死となりながら、彼は引き裂かれたその御肩に十字架を担い、そのあまりの重みに半死半生の体で何度も倒れながら、犠牲の山頂まで御自分を強いなければなりません。彼は苦い胆汁を飲まなければなりません。無礼な群衆の只中で衣を剥がされなければなりません。御自分の御手と御足に釘が打たれるのを許さなければなりません。三時間もの間、それらの鉄釘によって吊るされ、人類の罪を言語に絶する苦しみによって贖うため、天国と地上の間に宙吊りにされたまま、そこに放置されなければなりません。しかしまだこれだけではありません。これらの恐ろしい痛みの上に、最もひどい嘲り、最も心を切る侮辱と愚弄が加えられなければなりません。身を焦がす渇きは酢によって更に大きな苦しみとならなければなりません。御父からの遺棄、最愛の御母の果てしなき悲しみ、もの凄き、寂寞たる死!
贖われた霊魂よ、イエズスの残酷な苦痛によって買い戻された霊魂よ、苦しみの深い穴に押し倒されたあなたの救い主を思いなさい・・・そして、それがあなたへの愛のためであることを・・・あなたを救うためであることを・・・あなたを彼と共に天国に導くためであることを思いなさい!
これほど甚だしい苦悩に圧倒されて、イエズスは、目覚めて祈れと命じてあった三人の使徒たちのもとにお戻りになります。しかし、彼は彼らが眠っているのを発見なさいます! 苦悶するイエズスを慰める一つの言葉さえありません・・・同情の感情の一つさえありません! 遺棄の苦さの中で、彼は悲しげな視線をあなたに向けます。ああ、敬虔なる霊魂よ、彼は、あなたの心の中に同情と感謝の念があるかどうかを見ようとしてそうするのです。
さあ、あなたはどうですか? あなたは善きイエズスにかけるべきたった一つの言葉さえ持っていないのですか? もしあなたが彼の御苦悶の夜に本当に彼のお傍にいたとしたら、あなたは彼に何と言って差し上げましたか? ああ! あなたの心を開き、その時あなたがしたであろうことを今して下さい。というのは、それは彼にとって喜ばしいことでしょうから。彼は御自分に忠実な者たちの心から来る愛情表現を常に喜びをもってお受け取りになりますから。(沈黙の内に黙想)
「わたしの魂は悲しみのあまり死ぬほどである!」
死の痛みに比較し得るもの以上の苦しみはないというのは本当です。今、私達の救い主、不謬の真理であられる救い主は、ゲッセマニに入られ給うた時に彼を圧迫し始めた苦しみの甚だしきを私達に理解させようと、彼の魂は大きな悲しみの下に押し潰されている、彼の堪えている苦悶はあまりに厳しく、彼に死を引き起こすほどである──「わたしの魂は悲しみのあまり死ぬほどである!」──と言われます。そして、そう言われてから更に園の奥に進み、かつて祈りの内に夜を過ごすことに慣れていた場所に至り、彼の忠実な使徒たち(彼の苦しみの証言者とするために園にまで伴い給うた人達)に目覚めつつ彼と共に祈れと勧告なさいます。次いで、彼らから石を投げて届くあたりに退かれ、最も痛ましい、またそれと同時にかつて地上でなされた祈りの中で最も寛大な祈りを始められるために跪かれます。
イエズスの御悲しみの第一の原因は、大嵐に襲われた海の凄まじいうねりのように短時間の内に彼の上に殺到した、侮辱と激怒の恐ろしい塊でした。
事実、彼は、間近に迫った御自分の受難──使徒の内の一人による裏切り、恥辱、嘲り、中傷・・・更に、彼をまさにその骨に至るまで裸にせんとするほど残酷な鞭打ち──の痛みと流血の全ての恐ろしき情景が御自分の心に映じた時、その最愛の使徒たちの傍を離れることがほとんどおできにならないほどでした。しかしこれだけではありません。彼の神聖なる御頭は茨の冠で苦しめられねばなりません。それは彼の死に至るまで彼の御頭に押し付けられたままでなければなりません。更に、殴打、つば、嘲り。しかしこれだけではありません。彼は法的非難の悪名を運ばねばなりません。そして御自分が御自分の民の内の重要な人物たちによって、また御自分の人々によって忌み嫌われるのを見なければなりません。
そして、それほど甚だしき苦しみによって瀕死となりながら、彼は引き裂かれたその御肩に十字架を担い、そのあまりの重みに半死半生の体で何度も倒れながら、犠牲の山頂まで御自分を強いなければなりません。彼は苦い胆汁を飲まなければなりません。無礼な群衆の只中で衣を剥がされなければなりません。御自分の御手と御足に釘が打たれるのを許さなければなりません。三時間もの間、それらの鉄釘によって吊るされ、人類の罪を言語に絶する苦しみによって贖うため、天国と地上の間に宙吊りにされたまま、そこに放置されなければなりません。しかしまだこれだけではありません。これらの恐ろしい痛みの上に、最もひどい嘲り、最も心を切る侮辱と愚弄が加えられなければなりません。身を焦がす渇きは酢によって更に大きな苦しみとならなければなりません。御父からの遺棄、最愛の御母の果てしなき悲しみ、もの凄き、寂寞たる死!
贖われた霊魂よ、イエズスの残酷な苦痛によって買い戻された霊魂よ、苦しみの深い穴に押し倒されたあなたの救い主を思いなさい・・・そして、それがあなたへの愛のためであることを・・・あなたを救うためであることを・・・あなたを彼と共に天国に導くためであることを思いなさい!
これほど甚だしい苦悩に圧倒されて、イエズスは、目覚めて祈れと命じてあった三人の使徒たちのもとにお戻りになります。しかし、彼は彼らが眠っているのを発見なさいます! 苦悶するイエズスを慰める一つの言葉さえありません・・・同情の感情の一つさえありません! 遺棄の苦さの中で、彼は悲しげな視線をあなたに向けます。ああ、敬虔なる霊魂よ、彼は、あなたの心の中に同情と感謝の念があるかどうかを見ようとしてそうするのです。
さあ、あなたはどうですか? あなたは善きイエズスにかけるべきたった一つの言葉さえ持っていないのですか? もしあなたが彼の御苦悶の夜に本当に彼のお傍にいたとしたら、あなたは彼に何と言って差し上げましたか? ああ! あなたの心を開き、その時あなたがしたであろうことを今して下さい。というのは、それは彼にとって喜ばしいことでしょうから。彼は御自分に忠実な者たちの心から来る愛情表現を常に喜びをもってお受け取りになりますから。(沈黙の内に黙想)
奉 献
聖なる御父、あなたは受肉されたあなたの御子を犠牲とし給うほどに世を愛されました。贖われた全ての者の名のもとに、私はあなたのこの無限の慈悲の御行いの故にあなたに感謝申し上げ、これへの返礼として、あなたの御一人子の最も完全なる聖性と御功徳とをあなたにお献げいたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)[3]
聖なる御父、あなたは私達を永遠の破滅から救うために、私達の罪の全ての重荷をあなたの御一人子の崇むべき人性の上にお置きになりました。私はあなたに、ゲッセマニのイエズスの御苦悶をお献げし、彼の言語に絶する御苦しみの果〔み〕を永遠に享受する御恵みを私にお与え下さるよう嘆願いたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)
聖なる御父、あなたは有罪の人類とあなたの侮辱された御稜威とを和解させるために、あなたの最も罪なき御子を容赦なき正義の厳しさに服従させ、私達の罪に相応した苦痛を彼の上にお置きになりました。私はあなたに、ゲッセマニのイエズスの最も愛すべき服従をお献げし、全ての罪人の回心と救いとを嘆願いたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)
聖なる御父、あなたは私達を永遠の破滅から救うために、私達の罪の全ての重荷をあなたの御一人子の崇むべき人性の上にお置きになりました。私はあなたに、ゲッセマニのイエズスの御苦悶をお献げし、彼の言語に絶する御苦しみの果〔み〕を永遠に享受する御恵みを私にお与え下さるよう嘆願いたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)
聖なる御父、あなたは有罪の人類とあなたの侮辱された御稜威とを和解させるために、あなたの最も罪なき御子を容赦なき正義の厳しさに服従させ、私達の罪に相応した苦痛を彼の上にお置きになりました。私はあなたに、ゲッセマニのイエズスの最も愛すべき服従をお献げし、全ての罪人の回心と救いとを嘆願いたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)
二度目の15分間
イエズスは人類の罪の重みの下で苦しみ給う
夜の暗闇の中で、また彼の最愛の弟子たちからの遺棄の中で、イエズスの御苦悶の長い時間が既に過ぎました。彼を待ち受ける容赦なき非道行為の数々についてのまざまざとした予見が、彼の聖なる御霊魂の内に恐怖と不安を広げました。彼は今、世界の救い主たる御自分の使命の巨大な重みを、これまでよりも遙かに強く感じておられます。彼は御自分の犠牲の時が来たことをお悟りになります・・・天国、地上、そして地獄は、既に彼に対して武装しています。彼は大いなる戦いを続けなければなりません。そこでは全ての殴打が彼にだけ加えられます。
イエズスは何をなさいますか? 青ざめ、震えながら、御自分の父を仰ぎ、謙遜に叫ばれます、「父よ、もしできるならば、この杯を私から取り除けて下さい」。天主の息子のこの謙遜な祈りはどのような答えを受け取るでしょうか? 天国は閉じられています・・・何の答えもありません! 彼は、私達に、祈りの内における謙遜な忍耐を得させようとして、たとえ天国が私達の嘆願に対して閉じられているように見えても絶えざる忍耐を持つことを覚えさせようとして、この苦しみにも堪えたいと望まれます。ああ、善きイエズス! あなたが味わった苦しみの中で、私達のための励ましと模範とならない苦しみなど一つとしてありません。
ああ、私の霊魂よ、イエズスに倣いなさい。彼は愛に急き立てられ、悲しみの道を更に更にと進まれます。あらゆる罪の恐るべき行列が、アダムの子孫らのあらゆる犯罪の恐るべき行列が、彼の心に自らを現わし、彼の心を切り裂きます。それでも彼は、自分の上にこのゾッとする重荷を引き受けなければならないと、そして罪の汚らわしさに覆われながら御父の至聖なる御目の前に進み出なければならないとお思いになります。イエズスの聖なる、最も罪なき御霊魂が今苦しまれている酷い拷問を理解することは、あるいは想像することさえ、人間の心にとっては不可能なことです! 彼は既に、預言者の口を借りて悲しげに嘆き訴えておられたのです。
「邪悪な者は私の背中に鋤を当てた!」「ああ、愛すべき救い主はどれほど多くの罪の重みの下にどれほど酷く圧迫されることか!」
しかし、人間によってこのようにたびたび侮辱されている神の正義に対して自らを犠牲にしようとしておられる神の子羊、その彼が、世の罪を取り除くために御自分の貴い生命を絞首台の上に犠牲として差し出し、人類の罪のための償いを果した後で、少なくとも彼の運んだこれほどの利益を知っている者たちが永遠に罪と手を切り、自分を永遠の死から救うためにこれほど苦しまれた彼に対して常に忠実に留まろうとすることを期待できないなどということは、果してあり得ることでしょうか?
ああ、お気の毒なイエズス! そのようであったなら! しかし、現実はそうではなく・・・これまでよりももっと恐ろしい光景が彼の御心の前に広がるのです。彼は、これほどまでの苦しみによって人類を贖なった後でさえ、地球を彼の御血で洗った後でさえ、御自分の信者に聖霊を吹き込んだ後でさえ、そして御聖体を通して地球を恵みのパラダイスに変えた後でさえ、その恐ろしい光景を見るのです。
ああ! これほど多くの溢れる御慈悲の後でさえ、彼はまだ、罪が世界を支配しているのを見ます。彼は、彼の聖なる法が踏みつけにされているのを、彼の教会と聖職者が虐げられているのを、彼の恵みがなおざりにされているのを、そして彼の愛が軽んじられているのを見ます・・・そして涙ながらにこうおっしゃいます──「私の血に何の意味があるのか? なぜ私は私の血を流し尽くすのか? もし人がこれほどの恵みにも感謝せず、後で悪魔の軍勢と永遠の滅びに自分自身を引き渡すなら、なぜ私は絞首台の苦悶の内に死ぬのか? この世界で、いつになったら罪の支配は終わるのか?」
そして、来たるべき全ての時代の上にその一瞥を投げ給う善きイエズスは、来たるべき全ての世紀の内に、来たるべき各年に、毎日に、そして各瞬間にも、罪があるのをご覧になります! そして、それらの罪の重さが彼を酷く圧迫し、彼にこう繰り返させます──「邪悪な者は私の背中に鋤を当てた! 彼らは彼らの不正を延長した!」
私の霊魂よ、あなたはまだ、罪の鎖を延長して、保証された回心を繰り返し延期する人々の間に己が身を置いて、イエズスの聖心をひねり上げ、それを正義の悲しみでいっぱいになった泣き声にさせようというのでしょうか? ああ、罪は、天主がそれを消して下さるためにその御血を流し給うた後では、何と恐ろしいものでしょう! ああ、神の御血によって既に潔められた霊魂の内にある罪は、何と恐ろしいものでしょう! ・・・御聖体拝領によってイエズスの聖心と結ばれた霊魂たちの内にある罪は! ああ、最も苦しまれた救い主、あなたが嘆き、泣かれるのも、全くもって、実にもっともなことです!
しかし、一般に、贖われた者たちの罪のためにイエズスがお泣きになるのは至極もっともなことだとしても、中でも特に、彼の親友たち──彼に奉献された霊魂たち──の罪を彼が予見なさる時、どうしてお苦しみにならないでおられましょうか?「おお、最愛の霊魂たちよ!」と彼は叫ばれます、「わが平和の霊魂たち、わが心の親友たち、わが家に住み、わがテーブルでわがパンを食べ、それによって自分を養っている者たち、あなた方は何故、罪によってわが心を刺し貫くのか? わが心の人達、私が今まであなた方に何をしたというのか? 私が何をしてあなた方を悲しませたというのか? 私はわが恵みである天国の水をもってあなた方の渇きを癒して来た。それなのに、あなた方は私に胆汁を与えて来た! 私はわが肉の貴重なるマンナをもってあなた方を飽かして来た。それなのに、あなた方は殴打と鞭打ちとをもって私を攻撃して来た!
ああ、わが人々よ、私が今まであなた方に何をしたというのか? 私が何をしてあなた方を悲しませたというのか? 私はあなた方のために天国に玉座を用意して来た。それなのに、あなたは私に絞首台を贈って来た! わがブドウ園の親愛なる霊魂、わが心の最愛の者よ、私がしなかったが本当はあなたのためにもっとできた事というのが何かあるか? 私がしなかったがわがブドウ園のために私がすべきだった事というのが何かあるか? それなのに、それほどの愛のためにあなたが私に返すものといえば、茨と棘なのだ!」(沈黙の内に黙想)
夜の暗闇の中で、また彼の最愛の弟子たちからの遺棄の中で、イエズスの御苦悶の長い時間が既に過ぎました。彼を待ち受ける容赦なき非道行為の数々についてのまざまざとした予見が、彼の聖なる御霊魂の内に恐怖と不安を広げました。彼は今、世界の救い主たる御自分の使命の巨大な重みを、これまでよりも遙かに強く感じておられます。彼は御自分の犠牲の時が来たことをお悟りになります・・・天国、地上、そして地獄は、既に彼に対して武装しています。彼は大いなる戦いを続けなければなりません。そこでは全ての殴打が彼にだけ加えられます。
イエズスは何をなさいますか? 青ざめ、震えながら、御自分の父を仰ぎ、謙遜に叫ばれます、「父よ、もしできるならば、この杯を私から取り除けて下さい」。天主の息子のこの謙遜な祈りはどのような答えを受け取るでしょうか? 天国は閉じられています・・・何の答えもありません! 彼は、私達に、祈りの内における謙遜な忍耐を得させようとして、たとえ天国が私達の嘆願に対して閉じられているように見えても絶えざる忍耐を持つことを覚えさせようとして、この苦しみにも堪えたいと望まれます。ああ、善きイエズス! あなたが味わった苦しみの中で、私達のための励ましと模範とならない苦しみなど一つとしてありません。
ああ、私の霊魂よ、イエズスに倣いなさい。彼は愛に急き立てられ、悲しみの道を更に更にと進まれます。あらゆる罪の恐るべき行列が、アダムの子孫らのあらゆる犯罪の恐るべき行列が、彼の心に自らを現わし、彼の心を切り裂きます。それでも彼は、自分の上にこのゾッとする重荷を引き受けなければならないと、そして罪の汚らわしさに覆われながら御父の至聖なる御目の前に進み出なければならないとお思いになります。イエズスの聖なる、最も罪なき御霊魂が今苦しまれている酷い拷問を理解することは、あるいは想像することさえ、人間の心にとっては不可能なことです! 彼は既に、預言者の口を借りて悲しげに嘆き訴えておられたのです。
「邪悪な者は私の背中に鋤を当てた!」「ああ、愛すべき救い主はどれほど多くの罪の重みの下にどれほど酷く圧迫されることか!」
しかし、人間によってこのようにたびたび侮辱されている神の正義に対して自らを犠牲にしようとしておられる神の子羊、その彼が、世の罪を取り除くために御自分の貴い生命を絞首台の上に犠牲として差し出し、人類の罪のための償いを果した後で、少なくとも彼の運んだこれほどの利益を知っている者たちが永遠に罪と手を切り、自分を永遠の死から救うためにこれほど苦しまれた彼に対して常に忠実に留まろうとすることを期待できないなどということは、果してあり得ることでしょうか?
ああ、お気の毒なイエズス! そのようであったなら! しかし、現実はそうではなく・・・これまでよりももっと恐ろしい光景が彼の御心の前に広がるのです。彼は、これほどまでの苦しみによって人類を贖なった後でさえ、地球を彼の御血で洗った後でさえ、御自分の信者に聖霊を吹き込んだ後でさえ、そして御聖体を通して地球を恵みのパラダイスに変えた後でさえ、その恐ろしい光景を見るのです。
ああ! これほど多くの溢れる御慈悲の後でさえ、彼はまだ、罪が世界を支配しているのを見ます。彼は、彼の聖なる法が踏みつけにされているのを、彼の教会と聖職者が虐げられているのを、彼の恵みがなおざりにされているのを、そして彼の愛が軽んじられているのを見ます・・・そして涙ながらにこうおっしゃいます──「私の血に何の意味があるのか? なぜ私は私の血を流し尽くすのか? もし人がこれほどの恵みにも感謝せず、後で悪魔の軍勢と永遠の滅びに自分自身を引き渡すなら、なぜ私は絞首台の苦悶の内に死ぬのか? この世界で、いつになったら罪の支配は終わるのか?」
そして、来たるべき全ての時代の上にその一瞥を投げ給う善きイエズスは、来たるべき全ての世紀の内に、来たるべき各年に、毎日に、そして各瞬間にも、罪があるのをご覧になります! そして、それらの罪の重さが彼を酷く圧迫し、彼にこう繰り返させます──「邪悪な者は私の背中に鋤を当てた! 彼らは彼らの不正を延長した!」
私の霊魂よ、あなたはまだ、罪の鎖を延長して、保証された回心を繰り返し延期する人々の間に己が身を置いて、イエズスの聖心をひねり上げ、それを正義の悲しみでいっぱいになった泣き声にさせようというのでしょうか? ああ、罪は、天主がそれを消して下さるためにその御血を流し給うた後では、何と恐ろしいものでしょう! ああ、神の御血によって既に潔められた霊魂の内にある罪は、何と恐ろしいものでしょう! ・・・御聖体拝領によってイエズスの聖心と結ばれた霊魂たちの内にある罪は! ああ、最も苦しまれた救い主、あなたが嘆き、泣かれるのも、全くもって、実にもっともなことです!
しかし、一般に、贖われた者たちの罪のためにイエズスがお泣きになるのは至極もっともなことだとしても、中でも特に、彼の親友たち──彼に奉献された霊魂たち──の罪を彼が予見なさる時、どうしてお苦しみにならないでおられましょうか?「おお、最愛の霊魂たちよ!」と彼は叫ばれます、「わが平和の霊魂たち、わが心の親友たち、わが家に住み、わがテーブルでわがパンを食べ、それによって自分を養っている者たち、あなた方は何故、罪によってわが心を刺し貫くのか? わが心の人達、私が今まであなた方に何をしたというのか? 私が何をしてあなた方を悲しませたというのか? 私はわが恵みである天国の水をもってあなた方の渇きを癒して来た。それなのに、あなた方は私に胆汁を与えて来た! 私はわが肉の貴重なるマンナをもってあなた方を飽かして来た。それなのに、あなた方は殴打と鞭打ちとをもって私を攻撃して来た!
ああ、わが人々よ、私が今まであなた方に何をしたというのか? 私が何をしてあなた方を悲しませたというのか? 私はあなた方のために天国に玉座を用意して来た。それなのに、あなたは私に絞首台を贈って来た! わがブドウ園の親愛なる霊魂、わが心の最愛の者よ、私がしなかったが本当はあなたのためにもっとできた事というのが何かあるか? 私がしなかったがわがブドウ園のために私がすべきだった事というのが何かあるか? それなのに、それほどの愛のためにあなたが私に返すものといえば、茨と棘なのだ!」(沈黙の内に黙想)
奉 献
ああ、私の悩まされし救い主、私はあなたに、あなたの無限の愛に何とかお報いしようと、私の心と、完全な愛の焔で燃えている全ての人々の心とをお献げいたします。私は、私の冷淡と他の人々の冷淡を悲しみつつ、おお、善きイエズス、あなたに、古の太祖たちがあなたの来臨を憧れるにおいて持っていた聖なる熱情と、あなたの使徒たちがあなたの御名を世界中に広げんとして持っていた聖なる熱意とをお献げいたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)
ああ、私の聖なる贖い主、私はあなたに、あなたの汚れなき御母、悲しみの剣でその御霊魂を刺し貫かれたあなたの御母が、あなたの苦しみを見てあなたにお献げしたところの、完全で最も優しい同情をお献げいたします。そして全人類のために、彼女があなたの贖いの利益を知ってあなたに感謝し、あなたを讃美し、あなたを祝福したところの、最も完全な感謝をお献げいたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)
私の悩まされしイエズス、私、たとえそう望んでもあなたに慰めを与えることのできない被造物である私は、あなたに、あなたがそのような苦しみとそのような愛とをもって贖いの偉大なる御業をを成し遂げられた時に聖三位と天国の天使たちが受け取ったところの喜びをお献げいたします。またそれと同時に、全ての買い戻された者たちがこの無限の愛の神秘をよく理解させて頂けますよう、あなたに嘆願いたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)
ああ、私の聖なる贖い主、私はあなたに、あなたの汚れなき御母、悲しみの剣でその御霊魂を刺し貫かれたあなたの御母が、あなたの苦しみを見てあなたにお献げしたところの、完全で最も優しい同情をお献げいたします。そして全人類のために、彼女があなたの贖いの利益を知ってあなたに感謝し、あなたを讃美し、あなたを祝福したところの、最も完全な感謝をお献げいたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)
私の悩まされしイエズス、私、たとえそう望んでもあなたに慰めを与えることのできない被造物である私は、あなたに、あなたがそのような苦しみとそのような愛とをもって贖いの偉大なる御業をを成し遂げられた時に聖三位と天国の天使たちが受け取ったところの喜びをお献げいたします。またそれと同時に、全ての買い戻された者たちがこの無限の愛の神秘をよく理解させて頂けますよう、あなたに嘆願いたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)
三度目の15分間
偉大なるフィアット
よくお考えなさい、おお、贖なわれた霊魂よ、あなたの救い主がどのようにその御心を人類の忘恩によって刺し貫かれ、苦悩しつつ地面にうつぶせに倒れられるかを。かつて、弱き者、苦しむ者に御手を差し伸べることを断わらなかった彼が、更に、御自分の胸を、疲れた使徒がその上に頭を置く休憩所とすることさえ断わらなかった彼が、今は孤独で、助ける者もなく打ち捨てられています!
立ち上がりなさい、忠実な霊魂。苦しまれるイエズスに愛の返礼をする時が来ました。もしあなたが御受難の夜に、ゲッセマニに、苦悩されるイエズスのお傍に居たなら、あなたはどうしたでしょうか?
私の最愛の主、私はあなたを地面から引き起こして差し上げたい・・・私の心をあなたに差し上げ、その上であなたの力なく垂れ給う御頭を休ませ、そしてあなたにとって慰めとなるだろう一言を申し上げるために。私の最も甘美な救い主、私はあなたを愛します、あなたを愛します、あなたを愛します! 私はあなたが愛されているのを見たい。あなたを愛させたい。全ての人にあなたを愛させたい。私は、あなたを愛させるために、大いに愛させ、常に愛させ、あなたが贖なった全ての人々にあなたを愛させるために、私の生命そのものを消費したい。
私の甘美なイエズス、私は、自分はあなたを愛させるために命さえかけます、そのために犠牲をいたします、それがどんなに大きくても、と申しました。けれども、私は、ごく僅かな反対でさえ、ごく些細な屈辱、拒絶、叱責、不親切でさえ、それらに出会った時、堪えられるでしょうか? 私は本当に犠牲を愛するでしょうか?・・・私は、自分の感情における屈辱をあなたにお献げすることができる時、それを喜ぶでしょうか?・・・善きイエズス、私はこれに答えることをためらいます・・・しかし、私の甘美な主、今、あなたのお傍で、ここ、苦しみと愛の学校で、私は全てにおいて、あなたへの愛のために、自分を懲らし、自分を犠牲にすることを学びたいと思います。
一方、イエズスの大いなる御苦悩の時は彼のためにゆっくりと流れます・・・彼、天地の神は、地面に伏せたまま弱られます。そして、彼のことを気に留める者は誰もいません。しかし、弟子たちは何をしているのでしょうか? 彼らは眠っています!・・・ああ、イエズスは、この御受難の夜に、彼にとって親愛な者たちからさえ遺棄されるという痛みをも経験しなければなりませんでした。彼はその全ての苦さを御心に感じたのです! その悲しみを、しかし彼はそれを受け入れ、更に望みさえしました。しかし今は、彼はもはやそれをお望みではありません。むしろ彼は、彼によって贖われた者たちが彼のお傍で祈りに徹し、彼の御受難を黙想することを望んでおられます。
しかし、現実はその反対で、非常に多くの者が恩知らずの眠りを眠っています。私達を愛し私達を益してくださる主のことについて、無頓着なのです。
ああ、忘恩と無情がどれほど溢れていることでしょう! ああ、善きイエズス、あなたは知られていないのです。なぜなら、もし私達があなたのことを知ってさえいたら、私達は常にあなたのことを思い、私達の心臓はあなたのため以外には鼓動しないでしょうから。
イエズスが独りぼっちで悲嘆に暮れ、地面にうつぶせになっておられる時、見よ、一位の天使が彼を励ますために訪れます。イエズスは従順な息子の謙遜によって、その御父の使者を迎え、御父の御命令を受け入れる心の準備を固められました。その天使はイエズスを力づけるために来たのであって、彼を慰めるために来たのでも、彼の苦しみを軽くするために来たのでも、彼の手から苦いカリスを取り除くために来たのでもありませんでした。まことにその天使は、イエズスが行なわなければならないその戦いに堪えるよう、そして天国と世界と地獄がイエズスに投げつけるであろう打撃を勇敢に受けるよう、イエズスを励まします。
なぜ天国かと言えば、御父の永遠の正義はその時、人類の全ての罪をイエズスにおいて罰しようとされていたからです。なぜ世界かと言えば、世界は神の御子の神聖さに耐えることができず、彼のために十字架を用意していたからです。そしてなぜ地獄かと言えば、地獄は聖人の中の聖人に対する憎悪によって、イエズス・キリストの敵どもをより大きな残虐行為とより悪意ある非道行為に向けて蜂起させていたからです。それ故に天使は、いわば彼が私達のために呪われた者のようになるために、神の復讐の全ての重みを背負うために、人類の罪の不快なカリスをまさに底まで飲み干すよう、イエズスに強く勧告します。
一方、神の正義と御慈悲はイエズスのフィアットを待っています、それによって両者は永遠に和解するでしょうから。天国もそれを待っています、それによってそれはやがて聖なる人々でいっぱいに住まわれるようになるかも知れませんから。地球もそれを待っています、初めの罪によってもたらされた呪いが神の贖い主の貴い御血によって消されるのを見たいと切望しながら。アブラハムの懐の中にまさしく閉じ込められている人達もそれを待っています、それによって彼らは再び神の子供となることができるかも知れず、そして天国の門が再び開くのを見ることができるかも知れませんから。
しかし、このフィアットはイエズスにとってどれほど高くつくことでしょう。彼、この最も罪なき人、彼、この神聖で汚れなき人は、罪人の着る嫌な服、邪な者たちの着る汚らわしい服を身にまとわなければなりません。彼は有罪の者として見られなければならず、私達の罪を自分のものにしなければなりません。このことが彼に引き起こす苦悩はあまりにも大きく、彼は「このカリスを私から取り除けて下さい!」と繰り返されます。しかし同時に彼は理解なさいます、もし彼が私達の受けるべき罰を身に引き受けなければ、もし彼が懲罰人による鞭打ちに同意しなければ、そしてもし彼の血をもって私達の罪を洗わなければ、その時私達は滅びるだろうと・・・それ故にイエズスは、その英雄的な愛の最も寛大な爆発をもって彼の崇高なフィアットを発音します。
彼はフィアットを言い──「あなたの御旨のままに」──、これによって私達皆の悪行を背負うことに同意されます。そして、あたかも御自身がそれらに責任があるかのように、その恐ろしい罰を受け入れ、更に御自分の上に引き寄せさえなさいます。そのようにして彼は、私達の悪い考えを償うために茨に対してフィアットを、私達の好色の罪を身に代えて罰するために鞭打ちに対してフィアットを、私達のプライドの罪を償うために侮辱と唾と殴打に対してフィアットを、私達の数え切れない言葉の罪と大食の罪を償うために酢と胆汁に対してフィアットを、私達の不従順を償うために十字架と釘に対してフィアットを、私達の全ての傷を癒すため、私達の悪さを直すために十字架上での涙と共なる御苦痛の三時間に対してフィアットを、そして、私達に永遠の命を与えるために御自身の死に対してフィアットを言われます! おお、天国を歓喜させ、世界を救い、地獄を屈服させる貴いフィアット! 数多の鎖を断ち切り、数多の涙を乾かすフィアット! あなたに感謝します、おお、善きイエズス。これほどまでに寛大なフィアットに感謝します。私は全ての人類の名においてあなたを讃美し、あなたに感謝します。(沈黙の内に黙想)
よくお考えなさい、おお、贖なわれた霊魂よ、あなたの救い主がどのようにその御心を人類の忘恩によって刺し貫かれ、苦悩しつつ地面にうつぶせに倒れられるかを。かつて、弱き者、苦しむ者に御手を差し伸べることを断わらなかった彼が、更に、御自分の胸を、疲れた使徒がその上に頭を置く休憩所とすることさえ断わらなかった彼が、今は孤独で、助ける者もなく打ち捨てられています!
立ち上がりなさい、忠実な霊魂。苦しまれるイエズスに愛の返礼をする時が来ました。もしあなたが御受難の夜に、ゲッセマニに、苦悩されるイエズスのお傍に居たなら、あなたはどうしたでしょうか?
私の最愛の主、私はあなたを地面から引き起こして差し上げたい・・・私の心をあなたに差し上げ、その上であなたの力なく垂れ給う御頭を休ませ、そしてあなたにとって慰めとなるだろう一言を申し上げるために。私の最も甘美な救い主、私はあなたを愛します、あなたを愛します、あなたを愛します! 私はあなたが愛されているのを見たい。あなたを愛させたい。全ての人にあなたを愛させたい。私は、あなたを愛させるために、大いに愛させ、常に愛させ、あなたが贖なった全ての人々にあなたを愛させるために、私の生命そのものを消費したい。
私の甘美なイエズス、私は、自分はあなたを愛させるために命さえかけます、そのために犠牲をいたします、それがどんなに大きくても、と申しました。けれども、私は、ごく僅かな反対でさえ、ごく些細な屈辱、拒絶、叱責、不親切でさえ、それらに出会った時、堪えられるでしょうか? 私は本当に犠牲を愛するでしょうか?・・・私は、自分の感情における屈辱をあなたにお献げすることができる時、それを喜ぶでしょうか?・・・善きイエズス、私はこれに答えることをためらいます・・・しかし、私の甘美な主、今、あなたのお傍で、ここ、苦しみと愛の学校で、私は全てにおいて、あなたへの愛のために、自分を懲らし、自分を犠牲にすることを学びたいと思います。
一方、イエズスの大いなる御苦悩の時は彼のためにゆっくりと流れます・・・彼、天地の神は、地面に伏せたまま弱られます。そして、彼のことを気に留める者は誰もいません。しかし、弟子たちは何をしているのでしょうか? 彼らは眠っています!・・・ああ、イエズスは、この御受難の夜に、彼にとって親愛な者たちからさえ遺棄されるという痛みをも経験しなければなりませんでした。彼はその全ての苦さを御心に感じたのです! その悲しみを、しかし彼はそれを受け入れ、更に望みさえしました。しかし今は、彼はもはやそれをお望みではありません。むしろ彼は、彼によって贖われた者たちが彼のお傍で祈りに徹し、彼の御受難を黙想することを望んでおられます。
しかし、現実はその反対で、非常に多くの者が恩知らずの眠りを眠っています。私達を愛し私達を益してくださる主のことについて、無頓着なのです。
ああ、忘恩と無情がどれほど溢れていることでしょう! ああ、善きイエズス、あなたは知られていないのです。なぜなら、もし私達があなたのことを知ってさえいたら、私達は常にあなたのことを思い、私達の心臓はあなたのため以外には鼓動しないでしょうから。
イエズスが独りぼっちで悲嘆に暮れ、地面にうつぶせになっておられる時、見よ、一位の天使が彼を励ますために訪れます。イエズスは従順な息子の謙遜によって、その御父の使者を迎え、御父の御命令を受け入れる心の準備を固められました。その天使はイエズスを力づけるために来たのであって、彼を慰めるために来たのでも、彼の苦しみを軽くするために来たのでも、彼の手から苦いカリスを取り除くために来たのでもありませんでした。まことにその天使は、イエズスが行なわなければならないその戦いに堪えるよう、そして天国と世界と地獄がイエズスに投げつけるであろう打撃を勇敢に受けるよう、イエズスを励まします。
なぜ天国かと言えば、御父の永遠の正義はその時、人類の全ての罪をイエズスにおいて罰しようとされていたからです。なぜ世界かと言えば、世界は神の御子の神聖さに耐えることができず、彼のために十字架を用意していたからです。そしてなぜ地獄かと言えば、地獄は聖人の中の聖人に対する憎悪によって、イエズス・キリストの敵どもをより大きな残虐行為とより悪意ある非道行為に向けて蜂起させていたからです。それ故に天使は、いわば彼が私達のために呪われた者のようになるために、神の復讐の全ての重みを背負うために、人類の罪の不快なカリスをまさに底まで飲み干すよう、イエズスに強く勧告します。
一方、神の正義と御慈悲はイエズスのフィアットを待っています、それによって両者は永遠に和解するでしょうから。天国もそれを待っています、それによってそれはやがて聖なる人々でいっぱいに住まわれるようになるかも知れませんから。地球もそれを待っています、初めの罪によってもたらされた呪いが神の贖い主の貴い御血によって消されるのを見たいと切望しながら。アブラハムの懐の中にまさしく閉じ込められている人達もそれを待っています、それによって彼らは再び神の子供となることができるかも知れず、そして天国の門が再び開くのを見ることができるかも知れませんから。
しかし、このフィアットはイエズスにとってどれほど高くつくことでしょう。彼、この最も罪なき人、彼、この神聖で汚れなき人は、罪人の着る嫌な服、邪な者たちの着る汚らわしい服を身にまとわなければなりません。彼は有罪の者として見られなければならず、私達の罪を自分のものにしなければなりません。このことが彼に引き起こす苦悩はあまりにも大きく、彼は「このカリスを私から取り除けて下さい!」と繰り返されます。しかし同時に彼は理解なさいます、もし彼が私達の受けるべき罰を身に引き受けなければ、もし彼が懲罰人による鞭打ちに同意しなければ、そしてもし彼の血をもって私達の罪を洗わなければ、その時私達は滅びるだろうと・・・それ故にイエズスは、その英雄的な愛の最も寛大な爆発をもって彼の崇高なフィアットを発音します。
彼はフィアットを言い──「あなたの御旨のままに」──、これによって私達皆の悪行を背負うことに同意されます。そして、あたかも御自身がそれらに責任があるかのように、その恐ろしい罰を受け入れ、更に御自分の上に引き寄せさえなさいます。そのようにして彼は、私達の悪い考えを償うために茨に対してフィアットを、私達の好色の罪を身に代えて罰するために鞭打ちに対してフィアットを、私達のプライドの罪を償うために侮辱と唾と殴打に対してフィアットを、私達の数え切れない言葉の罪と大食の罪を償うために酢と胆汁に対してフィアットを、私達の不従順を償うために十字架と釘に対してフィアットを、私達の全ての傷を癒すため、私達の悪さを直すために十字架上での涙と共なる御苦痛の三時間に対してフィアットを、そして、私達に永遠の命を与えるために御自身の死に対してフィアットを言われます! おお、天国を歓喜させ、世界を救い、地獄を屈服させる貴いフィアット! 数多の鎖を断ち切り、数多の涙を乾かすフィアット! あなたに感謝します、おお、善きイエズス。これほどまでに寛大なフィアットに感謝します。私は全ての人類の名においてあなたを讃美し、あなたに感謝します。(沈黙の内に黙想)
奉 献
聖なる御父、あなたは私達の反抗と不従順の償いとしてゲッセマニのイエズスの寛大なるフィアットによって誉れを帰されることをお望みになりました。私はあなたに、あなたの崇むべき御稜威が私の反抗的で頑固な自由意志から受けた全ての罪の償いとして、イエズスのそのフィアットお献げいたします。そしてその同じフィアットの御功徳によって、私に完全なる従順と服従の恵みをお与え下さいますよう嘆願いたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)
聖なる御父、ゲッセマニのイエズスの寛大なるフィアットがあなたのために獲得した栄光によって、私はあなたに、私の反抗と不従順の全ての過ちを御容赦くださり、今より後、私があなたへの愛故にあなたの聖なる御意志と私の長上の意志に完全に従うことを愛する恵みを与え給わんことを、嘆願いたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)
聖なる御父、ゲッセマニで発せられたフィアットがイエズスに課した甚大なる御苦闘と御苦悶とにより、私はあなたに、私と、あなたに奉献された全ての霊魂たち、そして全てのクリスチャンに、あなたの栄光のために献げられるどのような犠牲も軽いと考える寛大さと結びついた、聖なる堅忍不抜の精神をお与え下さるよう嘆願いたします。 (主祷文、天使祝詞、栄唱)
聖なる御父、ゲッセマニのイエズスの寛大なるフィアットがあなたのために獲得した栄光によって、私はあなたに、私の反抗と不従順の全ての過ちを御容赦くださり、今より後、私があなたへの愛故にあなたの聖なる御意志と私の長上の意志に完全に従うことを愛する恵みを与え給わんことを、嘆願いたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)
聖なる御父、ゲッセマニで発せられたフィアットがイエズスに課した甚大なる御苦闘と御苦悶とにより、私はあなたに、私と、あなたに奉献された全ての霊魂たち、そして全てのクリスチャンに、あなたの栄光のために献げられるどのような犠牲も軽いと考える寛大さと結びついた、聖なる堅忍不抜の精神をお与え下さるよう嘆願いたします。 (主祷文、天使祝詞、栄唱)
最後の15分間
イエズスの御血とその果〔み〕
私のイエズスは今、その偉大なるフィアットを発せられました。しかし、その御苦闘は再び彼を地面の上に倒れさせます。彼は、御自分の上に自ら背負われた巨大な重みの下に押し潰されます。他方では、イエズスを全ての罪とその罰と結びついた万人のための犠牲とみなす神の正義によって圧迫されます。そしてまた他方、世界の贖い主としての神聖な使命を果そうとする御自身の無限の望みによっても圧迫されます。その望みは彼のために、彼が心から願う血の洗礼を用意しています。
ああ! まことに、善きイエズスは、今、二つの石臼の間で挽かれた小麦のようです。そして、ブドウ絞り器の中で踏まれた甘いブドウのようです。まことにこのようなことは、聖心を激しく圧する苦悶です。彼は、彼の体の全てから、その甘美な御血を流し始められます。そして、それは非常に夥しい、地面にしたたるほどに夥しいものです! おお、その偉大なるフィアットは、イエズスにどれほどのものを課したことでしょう! おお、彼は私達の罪の債務者となるために、どれほどのものを苦しまなければならなかったことでしょう! そして、最も小さな犠牲でさえ嫌がる私にとって、私の神が私に対する愛から全く自由に犠牲になり給うたことを見ることは、どんなに恥ずかしいことでしょう。「彼は自らの自由意志によって捧げられた。」
しかし、何故、甘美なるイエズス、何故あなたは、このような計り知れない痛みによって御自分を拷問にかけられるですか? あなたは、ただ一つの祈りによっても、ただ一つの溜め息によっても、ただ一つのあなたの心臓の鼓動によっても、世界を救えたはずではありませんか? しかし、預言者は昔から語っていました、イエズスの贖いは豊かな贖いであろうと。そして、まことに、彼が行なったそれは豊かな贖いです。何故なら、私達はそれによって、純潔な人、正しい人、そして聖人たちが与るところの栄光にまで回復されるのですから!
神だけが、これほど偉大な御業を果すことがおできになります!
しかし、イエズスはまだ満足しておられません。彼の計り知れない愛において、彼は、そこでの彼の苦しみによって、彼の御功徳の尊い宝が、なにか完全に私達のものででもあるかのように、私達の手の内に置かれるようになるのをお望みになります [2] 。それによって私達が、至高の場所からあらゆる善いものを受け取ることができるようにと。
これ以上何を望むことができますか? それはあまりにも偉大であるため、それまで人間があえて求めようとすることもできず、あるいはそれを手に入れることができると考えることもしなかった、そのような恵みです。しかし、私達の聖なる救い主の無限なる御慈悲は、それについてお考えになるのです。そして、その御血に濡れた御声をもって、その悩まされた聖心の溜め息をもって、彼は私達に、御父から、神性を抱擁するという高みにさえ私達を引き上げるという、最高の恵みを得させて下さるのです──彼がその同じ夜に御制定になった御聖体の秘蹟によって。
そして、あたかもこれだけでは限りを知らぬ御慈悲を満足させるには不十分であるとでもいうかのように、彼は、彼の霊──神の弁護者〔聖霊〕──が私達の霊魂の内に注がれ、そこに永遠に留まることをお望みになります。「私は御父に頼むだろう」と、彼は同じ夜に使徒たちに言われました。「私は御父に頼むだろう、そして御父はあなた方に聖霊をお送りになるだろう」と。そして今、ここゲッセマニで、彼は苦しみつつ、御血を流しつつ、私達のために、神の弁護者の注入に値する約束を果たされるのです。
イエズスは今や、私達のためにできるこれ以上のことをお持ちではありません。しかしそれでも、彼の内にもう一つの望みが残っています。彼は、彼の御父が彼にこう言われたのを思い出します、「求めよ。そうすれば、あなたの相続分としてその国々を与えよう」。そして彼は御血に濡れた御顔を天国に向けられ、彼の相続分として彼に約束されたそれらの国々の中から、彼の御心の最愛の者になるであろう娶られた霊魂たち、そして彼の模範に忠実に倣う弟子たちなどを彼が選び出すことができるよう、そしてまた、それらの人々の上に、彼がこれほどの苦しみによって獲得した膨大な恵みを更に注ぐことができるよう、御父にお求めになります。「私に霊魂たちをお与え下さい、霊魂たちをお与え下さい、おお、父よ、それ以外のものは全てあなたに差し上げます。彼らのために十字架上で完成される私の命までも。私に霊魂たちをお与え下さい。」
そして、それら全ての霊魂の中から、イエズスはあなたの霊魂をもお求めになります。涙ながらに御父にそれを望み、それを欲し、それをお求めになります。そして、特にそれのために、御自身を御父に献げることと、全ての果てのない苦しみとを再開されるのです。私の霊魂、私の霊魂、あなたは何とその神によって愛されていることか! 彼は血を流しながら、あなたを選び、あなたを欲し、配偶者としてのあなたを抱擁なさったのです!
そして、まさにほんの僅かの時間を捉えて、イエズスは十字架の上から、御自分の御母に言われます、「ご覧なさい、彼があなたの息子です」。そしてヨハネをその代表として、贖われた全ての人を彼女に託されます。それは彼がゲッセマニで御父に向かって言ったようにです──「あなたの子供たちを御心に留めて下さい。私、生まれながらにあなたの息子である私は、罪人が居るべき場所につきます。
それによって罪人たちが私の場所にいることができ、恵みによってあなたの子とされるように。私のためには、おお、父よ、苦しみを。罪人たちのためには、赦しと平和を。私のためには、死を。彼のためには、命を。私のためには、遺棄を。彼のためには、あなたとの完全な、祝福された、永遠の結びつきを。・・・御心に留めて下さい、あなたの子供たちを御心に留めて下さい・・・彼らを抱きしめて下さい。私の血は彼らを、潔く、美しく、あなたにとって価値あるものとします。父よ、私は望みます(イエズスはそれまでは一度も “私は望む” とは言われませんでした。しかし今は言われるのです)、私は、あなたが私に下さった霊魂たちが、私とあなたのように、私達と一つとなり、私達に結ばれることを望みます。おお、父よ、私が自分自身を人間にまで引き下ろしたことを思い出して下さい。それは人間が全永遠にわたってあなたの栄光の内に支配する神の位置にまでも引き上げられるためでした。」
人間のために御血を流し給う神の聖心の内で働く愛の計り知れない神秘に目をお留めなさい! イエズスの御血の讃えるべき果〔み〕に目をお留めなさい! 沈黙、讃美、そして大いなる愛、これらは──おお、贖われた霊魂よ、人となった神に娶られた霊魂よ──あなたが、その偉大なる、聖なる、そして無限なる愛である御方、あなたのために御自身を犠牲とされた御方のもとに戻るための、唯一の道です!(沈黙の内に黙想)
私のイエズスは今、その偉大なるフィアットを発せられました。しかし、その御苦闘は再び彼を地面の上に倒れさせます。彼は、御自分の上に自ら背負われた巨大な重みの下に押し潰されます。他方では、イエズスを全ての罪とその罰と結びついた万人のための犠牲とみなす神の正義によって圧迫されます。そしてまた他方、世界の贖い主としての神聖な使命を果そうとする御自身の無限の望みによっても圧迫されます。その望みは彼のために、彼が心から願う血の洗礼を用意しています。
ああ! まことに、善きイエズスは、今、二つの石臼の間で挽かれた小麦のようです。そして、ブドウ絞り器の中で踏まれた甘いブドウのようです。まことにこのようなことは、聖心を激しく圧する苦悶です。彼は、彼の体の全てから、その甘美な御血を流し始められます。そして、それは非常に夥しい、地面にしたたるほどに夥しいものです! おお、その偉大なるフィアットは、イエズスにどれほどのものを課したことでしょう! おお、彼は私達の罪の債務者となるために、どれほどのものを苦しまなければならなかったことでしょう! そして、最も小さな犠牲でさえ嫌がる私にとって、私の神が私に対する愛から全く自由に犠牲になり給うたことを見ることは、どんなに恥ずかしいことでしょう。「彼は自らの自由意志によって捧げられた。」
しかし、何故、甘美なるイエズス、何故あなたは、このような計り知れない痛みによって御自分を拷問にかけられるですか? あなたは、ただ一つの祈りによっても、ただ一つの溜め息によっても、ただ一つのあなたの心臓の鼓動によっても、世界を救えたはずではありませんか? しかし、預言者は昔から語っていました、イエズスの贖いは豊かな贖いであろうと。そして、まことに、彼が行なったそれは豊かな贖いです。何故なら、私達はそれによって、純潔な人、正しい人、そして聖人たちが与るところの栄光にまで回復されるのですから!
神だけが、これほど偉大な御業を果すことがおできになります!
しかし、イエズスはまだ満足しておられません。彼の計り知れない愛において、彼は、そこでの彼の苦しみによって、彼の御功徳の尊い宝が、なにか完全に私達のものででもあるかのように、私達の手の内に置かれるようになるのをお望みになります [2] 。それによって私達が、至高の場所からあらゆる善いものを受け取ることができるようにと。
これ以上何を望むことができますか? それはあまりにも偉大であるため、それまで人間があえて求めようとすることもできず、あるいはそれを手に入れることができると考えることもしなかった、そのような恵みです。しかし、私達の聖なる救い主の無限なる御慈悲は、それについてお考えになるのです。そして、その御血に濡れた御声をもって、その悩まされた聖心の溜め息をもって、彼は私達に、御父から、神性を抱擁するという高みにさえ私達を引き上げるという、最高の恵みを得させて下さるのです──彼がその同じ夜に御制定になった御聖体の秘蹟によって。
そして、あたかもこれだけでは限りを知らぬ御慈悲を満足させるには不十分であるとでもいうかのように、彼は、彼の霊──神の弁護者〔聖霊〕──が私達の霊魂の内に注がれ、そこに永遠に留まることをお望みになります。「私は御父に頼むだろう」と、彼は同じ夜に使徒たちに言われました。「私は御父に頼むだろう、そして御父はあなた方に聖霊をお送りになるだろう」と。そして今、ここゲッセマニで、彼は苦しみつつ、御血を流しつつ、私達のために、神の弁護者の注入に値する約束を果たされるのです。
イエズスは今や、私達のためにできるこれ以上のことをお持ちではありません。しかしそれでも、彼の内にもう一つの望みが残っています。彼は、彼の御父が彼にこう言われたのを思い出します、「求めよ。そうすれば、あなたの相続分としてその国々を与えよう」。そして彼は御血に濡れた御顔を天国に向けられ、彼の相続分として彼に約束されたそれらの国々の中から、彼の御心の最愛の者になるであろう娶られた霊魂たち、そして彼の模範に忠実に倣う弟子たちなどを彼が選び出すことができるよう、そしてまた、それらの人々の上に、彼がこれほどの苦しみによって獲得した膨大な恵みを更に注ぐことができるよう、御父にお求めになります。「私に霊魂たちをお与え下さい、霊魂たちをお与え下さい、おお、父よ、それ以外のものは全てあなたに差し上げます。彼らのために十字架上で完成される私の命までも。私に霊魂たちをお与え下さい。」
そして、それら全ての霊魂の中から、イエズスはあなたの霊魂をもお求めになります。涙ながらに御父にそれを望み、それを欲し、それをお求めになります。そして、特にそれのために、御自身を御父に献げることと、全ての果てのない苦しみとを再開されるのです。私の霊魂、私の霊魂、あなたは何とその神によって愛されていることか! 彼は血を流しながら、あなたを選び、あなたを欲し、配偶者としてのあなたを抱擁なさったのです!
そして、まさにほんの僅かの時間を捉えて、イエズスは十字架の上から、御自分の御母に言われます、「ご覧なさい、彼があなたの息子です」。そしてヨハネをその代表として、贖われた全ての人を彼女に託されます。それは彼がゲッセマニで御父に向かって言ったようにです──「あなたの子供たちを御心に留めて下さい。私、生まれながらにあなたの息子である私は、罪人が居るべき場所につきます。
それによって罪人たちが私の場所にいることができ、恵みによってあなたの子とされるように。私のためには、おお、父よ、苦しみを。罪人たちのためには、赦しと平和を。私のためには、死を。彼のためには、命を。私のためには、遺棄を。彼のためには、あなたとの完全な、祝福された、永遠の結びつきを。・・・御心に留めて下さい、あなたの子供たちを御心に留めて下さい・・・彼らを抱きしめて下さい。私の血は彼らを、潔く、美しく、あなたにとって価値あるものとします。父よ、私は望みます(イエズスはそれまでは一度も “私は望む” とは言われませんでした。しかし今は言われるのです)、私は、あなたが私に下さった霊魂たちが、私とあなたのように、私達と一つとなり、私達に結ばれることを望みます。おお、父よ、私が自分自身を人間にまで引き下ろしたことを思い出して下さい。それは人間が全永遠にわたってあなたの栄光の内に支配する神の位置にまでも引き上げられるためでした。」
人間のために御血を流し給う神の聖心の内で働く愛の計り知れない神秘に目をお留めなさい! イエズスの御血の讃えるべき果〔み〕に目をお留めなさい! 沈黙、讃美、そして大いなる愛、これらは──おお、贖われた霊魂よ、人となった神に娶られた霊魂よ──あなたが、その偉大なる、聖なる、そして無限なる愛である御方、あなたのために御自身を犠牲とされた御方のもとに戻るための、唯一の道です!(沈黙の内に黙想)
奉 献
聖なる御父、私は全く感謝に打ち震える心をもって、あなたが私達に、これほど善く、これほど寛大な贖い主を与えて下さったことを、全人類の名において感謝いたします。私達は、その御方によって、その御方の無限の御功徳によって、原罪によって失われていた祝福を取り戻すことができました。私はあなたに、贖われた全ての者の救霊のため、彼の流し給うた御血をお献げいたします。そしてあなたに、その贖いそれ自体の豊かさと同じほどに豊かな贖いの果〔み〕がもたらされんことと、善きイエズスが、アダムの全ての子孫らにより、全永遠にわたって知られ、愛され、讃美されんことを嘆願いたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)
聖なる御父、私は、あなたの御慈悲から、カトリック教会の発展と増大を、信仰なき者、異教徒、罪人の回心を、義人の忍耐を、そして煉獄の霊魂の解放を引き出さんため、あなたにイエズスの尊き御血をお献げいたします。私はそれを、私の長上及び私の全ての愛する者たちのために、あなたにお献げいたします。更に、私はそれを、私の霊魂の潔めのため、そして(ここで希望する全ての恵みを請願する)のために、あなたにお献げいたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)
聖なる御父、あなたはあなたの御一人子を大いなる犠牲にするほどに世を愛されました。願わくは、世界が只今、心から彼を愛し、心から彼に感謝し、彼を誉め称えますように。そして、彼と完全に結ばれ、彼に常に忠実である霊魂が増えますように。そしてその中に、私の哀れな霊魂も数えられますように。聖なる御父、私はあなたに、あなたが全てのクリスチャンの心の中に贖いの誉むべき神秘への信心を最も生き生きと再び呼び覚まして下さいますよう、またそれと共に、犠牲へと向かう真実で寛大な精神が、人をイエズスと全く似たものとしますよう、ゲッセマニのイエズスの溜め息、祈り、そして御苦悩を、そしてそれと共に彼の流し給うた御血を、お献げいたします。 (主祷文、天使祝詞、栄唱)
聖なる御父、私は、あなたの御慈悲から、カトリック教会の発展と増大を、信仰なき者、異教徒、罪人の回心を、義人の忍耐を、そして煉獄の霊魂の解放を引き出さんため、あなたにイエズスの尊き御血をお献げいたします。私はそれを、私の長上及び私の全ての愛する者たちのために、あなたにお献げいたします。更に、私はそれを、私の霊魂の潔めのため、そして(ここで希望する全ての恵みを請願する)のために、あなたにお献げいたします。(主祷文、天使祝詞、栄唱)
聖なる御父、あなたはあなたの御一人子を大いなる犠牲にするほどに世を愛されました。願わくは、世界が只今、心から彼を愛し、心から彼に感謝し、彼を誉め称えますように。そして、彼と完全に結ばれ、彼に常に忠実である霊魂が増えますように。そしてその中に、私の哀れな霊魂も数えられますように。聖なる御父、私はあなたに、あなたが全てのクリスチャンの心の中に贖いの誉むべき神秘への信心を最も生き生きと再び呼び覚まして下さいますよう、またそれと共に、犠牲へと向かう真実で寛大な精神が、人をイエズスと全く似たものとしますよう、ゲッセマニのイエズスの溜め息、祈り、そして御苦悩を、そしてそれと共に彼の流し給うた御血を、お献げいたします。 (主祷文、天使祝詞、栄唱)
結 び
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おお、私の霊魂、おお、イエズスの愛と痛みの的である霊魂よ、ここでもう一度、あなたのイエズスに目を向けなさい。ゲッセマニでの長い御苦悩の時間は既に過ぎ、今や非道の一日に、そして十字架上の拷問の最後の三時間に場所を譲っています。
ユダが彼を裏切りに来たのをご覧なさい・・・そしてイエズスがおとなしい羊のように彼に近づくのを! ああ、私のイエズス、私は裏切り者の腕の中にいるあなたを見なければならないでしょうか? ああ、何という! むしろ私の抱擁の中においで下さい、否、私の心そのものの中においで下さい。おお、善きイエズス、私はもうあなたを侮辱したくありません。ただいつもあなたをお愛し申し上げたいのです。
ユダが彼を裏切りに来たのをご覧なさい・・・そしてイエズスがおとなしい羊のように彼に近づくのを! ああ、私のイエズス、私は裏切り者の腕の中にいるあなたを見なければならないでしょうか? ああ、何という! むしろ私の抱擁の中においで下さい、否、私の心そのものの中においで下さい。おお、善きイエズス、私はもうあなたを侮辱したくありません。ただいつもあなたをお愛し申し上げたいのです。
聖時間から獲得されるべき果〔み〕
1)己が心の上にイエズスの数々の御苦しみを刻印すること。そして、しばしばそれらについて黙想すること。
2)イエズスへの大いなる愛に自分を奮い立たせること。そして、彼に犠牲(を献げること)を拒否しないこと。
3)イエズスはもはや地上では、苦しんでおられず、また愛の奉仕を必要としておられないけれども、しかし彼は私達に、彼の代りに〔彼の場所に〕苦しむ人々を残したのだ、と考えること。つまり彼は、私達が私達の隣人に、彼が御受難の時に放棄した(より苦しむために)同情と援助を与えることをお望みである、と考えること。そして、彼は、私達が同胞に対してすることは彼御自身に対してすることだとみなされる──「何故なら、何であれ、あなた方が他の人々に対して為すことは、すなわち私に対して為すのである」──と確信すること。このことをよく思い巡らすことで、私達の内に慈悲が増加するでしょう。
(了)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
管理人注
[1]
他の人々の罪を償うために彼女自身を犠牲としてささげるようにとイエズスに願われるという大きな恵みを受けたのは一八九九年の聖木曜日の夜だった。ジェンマが長く病床についていたとき、聖ジタ学院のシスター・ジュリア・セスティーニは毎木曜日の夜、イエズスのご受難を記念して聖時間をするようにとジェンマにすすめた。
『ジェンマ・ガルガーニ』(聖母文庫)46-47頁
[2]
非常に「念のため」に言えば、ここで「手による聖体拝領」を連想しないでください。
[3] (主祷文、天使祝詞、栄唱)は文語なので(主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、栄唱)の
口語文を唱えてもよい。
2)イエズスへの大いなる愛に自分を奮い立たせること。そして、彼に犠牲(を献げること)を拒否しないこと。
3)イエズスはもはや地上では、苦しんでおられず、また愛の奉仕を必要としておられないけれども、しかし彼は私達に、彼の代りに〔彼の場所に〕苦しむ人々を残したのだ、と考えること。つまり彼は、私達が私達の隣人に、彼が御受難の時に放棄した(より苦しむために)同情と援助を与えることをお望みである、と考えること。そして、彼は、私達が同胞に対してすることは彼御自身に対してすることだとみなされる──「何故なら、何であれ、あなた方が他の人々に対して為すことは、すなわち私に対して為すのである」──と確信すること。このことをよく思い巡らすことで、私達の内に慈悲が増加するでしょう。
(了)
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管理人注
[1]
他の人々の罪を償うために彼女自身を犠牲としてささげるようにとイエズスに願われるという大きな恵みを受けたのは一八九九年の聖木曜日の夜だった。ジェンマが長く病床についていたとき、聖ジタ学院のシスター・ジュリア・セスティーニは毎木曜日の夜、イエズスのご受難を記念して聖時間をするようにとジェンマにすすめた。
『ジェンマ・ガルガーニ』(聖母文庫)46-47頁
[2]
非常に「念のため」に言えば、ここで「手による聖体拝領」を連想しないでください。
[3] (主祷文、天使祝詞、栄唱)は文語なので(主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、栄唱)の
口語文を唱えてもよい。
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