霊的聖体拝領について(イエズスわれらの御聖体の愛:ステファノ・マネッリ神父著より)
霊的聖体拝領は御聖体のイエズスを愛する者たちにとって常に得られる御聖体の生命と愛の蓄えである。霊的聖体拝領によって霊魂の愛する花婿たるイエズスと結ばれることを望む霊魂の愛する欲求は満たされる。霊的聖体拝領は霊魂とホスチアのうちに在しますイエズスとの間の愛の結合である。この結合は霊的であるが、しかしそれにもかかわらず実在的であり、霊魂と身体との間の結合よりももっと実在的である。「なぜなら、霊魂はそれが生きるところでよりもそれが愛するところでもっと多く生きるからである」と十字架の聖ヨハネは言っている。
【信仰、愛そして欲求】
明らかであることだが、霊的聖体拝領はわれわれが聖櫃におけるイエズスの実在的な存在に対する信仰を持っていることを想定している。それはわれわれが秘蹟的な一致を望んでいるということを意味する。そしてそれはこの秘蹟についてイエズスの贈り物に対する感謝を要求する。
このすべてのことは聖アルフォンソの次の定式において単純にまた簡潔に表現されている:「私のイエズスよ、私はあなたがいとも聖なる秘蹟のうちに実際に現前しておられることを信じます。私はすべてのものに越えてあなたを愛します。そして私は私の霊魂の内部にあなたを所有することを望みます。私は今あなたを秘蹟として受けることができませんので、少なくとも霊的に私の心の中へ来てください - (中断)私はあなたをすでにそこにおられそして私自身を完全にあなたに一致させる方として抱きしめます。あなたから離れることを私に決して、決して許さないでください。」
霊的聖体拝領は、聖トマスと聖アルフォンソ・リグオリが教えているように、それがなされる意向に従って、イエズスが望まれる熱心さの多い少ないによって、イエズスが歓迎されしかるべき注目が与えられる愛の大きい小さいによって、秘蹟の聖体拝領に似た効果を産み出す。
霊的聖体拝領の特別の有利な点はわれわれが好むだけしばしば 拝領することができるということである。- われわれが好むとき - 夜遅くでさえ - そしてわれわれが好む場所で - 砂漠においてさえ、あるいは飛行機の中で空中でさえ - 可能であるということである。
特にわれわれがミサ聖祭に与っていてわれらの主を秘蹟として受けることができないときに霊的聖体拝領をすることは適切である。司祭が彼の聖体拝領をしている間にわれわれの霊魂はイエズスをわれわれの心の中へ招き入れることによって司祭の聖体拝領に与るべきである。この仕方でわれわれが拝聴するあらゆるミサ聖祭は奉献、犠牲の聖別そして聖体拝領を伴った一つの完全なミサ聖祭である。
【二つのカリス】
イエズス御自身がシエナの聖カタリナにある幻視において霊的聖体拝領がどのように貴重であるか語られた。聖人は霊的聖体拝領が秘蹟の聖体拝領には比べられないのではないかと恐れていた。幻視においてわれらの主は二つのチボリウム(聖別された聖体を保存するふた付の容器)を取られてこう言われた:「この金のチボリウムのうちに私はあなたの秘蹟の聖体拝領を置く。この銀のチボリウムのうちに私はあなたの霊的聖体拝領を置く。両方のチボリウムは私にとってまったく喜びを与えるものである。」
そしてかつてイエズスは聖マルガリタ・マリア・アラコックが聖櫃におけるイエズスに切望の嘆息を向けることに没頭していたとき彼女にこう言われた:「私は私を受けたいという霊魂の望みをたいそう愛している、それで私はその霊魂の切望によって霊魂が私を呼び出すときにはいつでも霊魂のところへ急いで行くのである。」霊的聖体拝領が聖人たちによってどれほど多く愛されてきたかを見ることは難しいことではない。霊的聖体拝領は彼らの愛する御方に結びつけられるというあの熱心な望みを少なくとも部分的に満たした。イエズス御自身こう言われた:「われに留まれ、われもまた汝らに留まるべし」(ヨハネ15:4)。そして霊的拝領は、われわれが教会から遠くにいるときでさえ、われわれをイエズスに結びつけられて留まる助けとなる。聖人たちの心のうちに燃えている情け深い憧れを満たす他のいかなる手段もなかった。「おお神よ、私の魂全体はあなたを憧れる。鹿が流れる水を渇き求めるように、私の魂全体は神を渇き求める。」(詩編41:2 )
これは聖人たちの憧れに満ちたため息である。ジェノアの聖カタリナはこう叫んだ;「おお、(私の魂の)愛する花婿よ、私はあなたと共にいる喜びをそのように強く切望しているので、私が死んだとしても、あなたを聖体拝領において受けるために生き返るだろうと思われます。」福者十字架のアガタは御聖体におけるイエズスに常に結びつけられて生きたいというそのように激しい憧れを感じていたのでこう述べた:「もし聴罪司祭が私に霊的聖体拝領をするように教えてくださらなかったならば、私は生きることができなかったでしょう。」
五つの傷の聖マリア・フランセスにとって、同じように、霊的聖体拝領は彼女の愛する主から遠く離れて家に閉じ込められていた時に、特に彼女が秘蹟の聖体拝領をすることが許されなかった時に、彼女が感じた激しい苦痛からの唯一の救いであった。そのようなときには彼女は彼女の家のテラスの上に出て教会の方を眺めながら、涙をためてため息をついた:「あなたを今日祝せられた秘蹟において受けた人々は幸いです。おお、イエズスよ、私のイエズスを守る教会の壁は祝福されています。最愛のイエズスの近くにいつも居る司祭たちは祝福されています。」霊的聖体拝領だけが彼女を少しだけ満足させることができた。
【著者ステファノ・マネッリ神父について】
ステファノ・マネッリ神父は約28年間司祭であった。約10年の間彼は彼が創設した「カーサ・マリアナ」(マリアの家)という修道院の長であった。「汚れなき御方[マリア]の都市」という聖マキシミリアノ・コルベによって示唆されたこの宗教的共同体はアッシジの聖フランシスコの理想と規則にもっと近づいて従おうとしている。
マネッリ神父の「カーサ・マリアナ」の印刷施設とラジオ局は拡大し続けイエズスとマリアがもっとよく知られ愛されるようにするために専ら用いられている。マネッリ神父の指導の下に「カーサ・マリアナ」はフィリピンにもう一つのマリアの家を出発させることによってさらに拡大した。マネッリ神父は1982年にナポリのコンヴェントゥアル・フランシスコ会管区長に選出された。
神学の博士号を持っているマネッリ神父はイタリアではよく知られている。彼の書物「イエズスわれらの御聖体の愛」はイタリアにおいて少なくとも第5版まで版を重ね、10万部以上が印刷されてきた。
彼の他の著作のあるものは他のところで英語で出版されてきたけれども、この非常に信頼できるそして敬虔な著作が北アメリカで出版されたのは初めてである。神父はマリアを通じてキリストの甘美なくびきへと多くの霊魂たちを連れて行くためにマス・メディアを通じてより多くの霊魂たちの手に届くことができることを期待しているので、英語で彼の著作を出版する許可をわれわれに喜んで与えた。われわれはこの書物を出版し、配布することを幸せに思っている。
われらの御聖体のイエズスの神的愛をもっとよく知り、もっとよく愛したいと望むすべての人に対してわれわれはこの非常に力強いそして啓発的な書物を読まれるようにお勧めする。
霊的聖体拝領は御聖体のイエズスを愛する者たちにとって常に得られる御聖体の生命と愛の蓄えである。霊的聖体拝領によって霊魂の愛する花婿たるイエズスと結ばれることを望む霊魂の愛する欲求は満たされる。霊的聖体拝領は霊魂とホスチアのうちに在しますイエズスとの間の愛の結合である。この結合は霊的であるが、しかしそれにもかかわらず実在的であり、霊魂と身体との間の結合よりももっと実在的である。「なぜなら、霊魂はそれが生きるところでよりもそれが愛するところでもっと多く生きるからである」と十字架の聖ヨハネは言っている。
【信仰、愛そして欲求】
明らかであることだが、霊的聖体拝領はわれわれが聖櫃におけるイエズスの実在的な存在に対する信仰を持っていることを想定している。それはわれわれが秘蹟的な一致を望んでいるということを意味する。そしてそれはこの秘蹟についてイエズスの贈り物に対する感謝を要求する。
このすべてのことは聖アルフォンソの次の定式において単純にまた簡潔に表現されている:「私のイエズスよ、私はあなたがいとも聖なる秘蹟のうちに実際に現前しておられることを信じます。私はすべてのものに越えてあなたを愛します。そして私は私の霊魂の内部にあなたを所有することを望みます。私は今あなたを秘蹟として受けることができませんので、少なくとも霊的に私の心の中へ来てください - (中断)私はあなたをすでにそこにおられそして私自身を完全にあなたに一致させる方として抱きしめます。あなたから離れることを私に決して、決して許さないでください。」
霊的聖体拝領は、聖トマスと聖アルフォンソ・リグオリが教えているように、それがなされる意向に従って、イエズスが望まれる熱心さの多い少ないによって、イエズスが歓迎されしかるべき注目が与えられる愛の大きい小さいによって、秘蹟の聖体拝領に似た効果を産み出す。
霊的聖体拝領の特別の有利な点はわれわれが好むだけしばしば 拝領することができるということである。- われわれが好むとき - 夜遅くでさえ - そしてわれわれが好む場所で - 砂漠においてさえ、あるいは飛行機の中で空中でさえ - 可能であるということである。
特にわれわれがミサ聖祭に与っていてわれらの主を秘蹟として受けることができないときに霊的聖体拝領をすることは適切である。司祭が彼の聖体拝領をしている間にわれわれの霊魂はイエズスをわれわれの心の中へ招き入れることによって司祭の聖体拝領に与るべきである。この仕方でわれわれが拝聴するあらゆるミサ聖祭は奉献、犠牲の聖別そして聖体拝領を伴った一つの完全なミサ聖祭である。
【二つのカリス】
イエズス御自身がシエナの聖カタリナにある幻視において霊的聖体拝領がどのように貴重であるか語られた。聖人は霊的聖体拝領が秘蹟の聖体拝領には比べられないのではないかと恐れていた。幻視においてわれらの主は二つのチボリウム(聖別された聖体を保存するふた付の容器)を取られてこう言われた:「この金のチボリウムのうちに私はあなたの秘蹟の聖体拝領を置く。この銀のチボリウムのうちに私はあなたの霊的聖体拝領を置く。両方のチボリウムは私にとってまったく喜びを与えるものである。」
そしてかつてイエズスは聖マルガリタ・マリア・アラコックが聖櫃におけるイエズスに切望の嘆息を向けることに没頭していたとき彼女にこう言われた:「私は私を受けたいという霊魂の望みをたいそう愛している、それで私はその霊魂の切望によって霊魂が私を呼び出すときにはいつでも霊魂のところへ急いで行くのである。」霊的聖体拝領が聖人たちによってどれほど多く愛されてきたかを見ることは難しいことではない。霊的聖体拝領は彼らの愛する御方に結びつけられるというあの熱心な望みを少なくとも部分的に満たした。イエズス御自身こう言われた:「われに留まれ、われもまた汝らに留まるべし」(ヨハネ15:4)。そして霊的拝領は、われわれが教会から遠くにいるときでさえ、われわれをイエズスに結びつけられて留まる助けとなる。聖人たちの心のうちに燃えている情け深い憧れを満たす他のいかなる手段もなかった。「おお神よ、私の魂全体はあなたを憧れる。鹿が流れる水を渇き求めるように、私の魂全体は神を渇き求める。」(詩編41:2 )
これは聖人たちの憧れに満ちたため息である。ジェノアの聖カタリナはこう叫んだ;「おお、(私の魂の)愛する花婿よ、私はあなたと共にいる喜びをそのように強く切望しているので、私が死んだとしても、あなたを聖体拝領において受けるために生き返るだろうと思われます。」福者十字架のアガタは御聖体におけるイエズスに常に結びつけられて生きたいというそのように激しい憧れを感じていたのでこう述べた:「もし聴罪司祭が私に霊的聖体拝領をするように教えてくださらなかったならば、私は生きることができなかったでしょう。」
五つの傷の聖マリア・フランセスにとって、同じように、霊的聖体拝領は彼女の愛する主から遠く離れて家に閉じ込められていた時に、特に彼女が秘蹟の聖体拝領をすることが許されなかった時に、彼女が感じた激しい苦痛からの唯一の救いであった。そのようなときには彼女は彼女の家のテラスの上に出て教会の方を眺めながら、涙をためてため息をついた:「あなたを今日祝せられた秘蹟において受けた人々は幸いです。おお、イエズスよ、私のイエズスを守る教会の壁は祝福されています。最愛のイエズスの近くにいつも居る司祭たちは祝福されています。」霊的聖体拝領だけが彼女を少しだけ満足させることができた。
【著者ステファノ・マネッリ神父について】
ステファノ・マネッリ神父は約28年間司祭であった。約10年の間彼は彼が創設した「カーサ・マリアナ」(マリアの家)という修道院の長であった。「汚れなき御方[マリア]の都市」という聖マキシミリアノ・コルベによって示唆されたこの宗教的共同体はアッシジの聖フランシスコの理想と規則にもっと近づいて従おうとしている。
マネッリ神父の「カーサ・マリアナ」の印刷施設とラジオ局は拡大し続けイエズスとマリアがもっとよく知られ愛されるようにするために専ら用いられている。マネッリ神父の指導の下に「カーサ・マリアナ」はフィリピンにもう一つのマリアの家を出発させることによってさらに拡大した。マネッリ神父は1982年にナポリのコンヴェントゥアル・フランシスコ会管区長に選出された。
神学の博士号を持っているマネッリ神父はイタリアではよく知られている。彼の書物「イエズスわれらの御聖体の愛」はイタリアにおいて少なくとも第5版まで版を重ね、10万部以上が印刷されてきた。
彼の他の著作のあるものは他のところで英語で出版されてきたけれども、この非常に信頼できるそして敬虔な著作が北アメリカで出版されたのは初めてである。神父はマリアを通じてキリストの甘美なくびきへと多くの霊魂たちを連れて行くためにマス・メディアを通じてより多くの霊魂たちの手に届くことができることを期待しているので、英語で彼の著作を出版する許可をわれわれに喜んで与えた。われわれはこの書物を出版し、配布することを幸せに思っている。
われらの御聖体のイエズスの神的愛をもっとよく知り、もっとよく愛したいと望むすべての人に対してわれわれはこの非常に力強いそして啓発的な書物を読まれるようにお勧めする。
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【推薦記事のお知らせ】
『尾崎明夫神父のカトリックの教え(公教要理詳説) 第1版
第1部 信経 : 第2部 秘跡』
従来の「カトリックの教え」を修正・大幅加筆:
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Webカトリック要理(推薦)。
とても役立つ参考書籍などが脚注で多数紹介されています。
信仰上の疑問にぶつかったときなど大きな助けとなってくれるでしょう。
詳細な目次もついてあり、事典としてもお使いください。
第1部 信経
➡https://peraichi.com/landing_pages/view/00hiz
第2部 秘跡
➡https://wnrm0.hp.peraichi.com/
ー以上ー
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