10月1日午前2時、父親が永眠いたしました。御年93歳。仕事人生の大半を洋上で過ごし、日本の高度経済成長の血液といわれた石油をせっせと運んでいました。主なフィールドはインドネシアと中近東。いったん日本を出ると、次に家へ帰ってくるのは3か月後とか半年後です。時には石油を降ろしてトンボ帰りということも少なくなく、1年くらい会えないこともざらだったでしょうか。なので、母親は兄と私の手を引いて、たった数日会うために、名古屋から広島県の因島ドックや山口県のコンビナートなどへ会いに行きました。大学生の頃だったか、私は中東戦争に閉じ込められた父をモチーフに『さまよえる母子家庭』という作文を書き、皆の前で朗読したという経験もあります。つらつら思い出話を書き連ねましたが、93歳といえば大往生。浜松の実家がある町内では、90歳以上で亡くなると、身内は『お祝い』と称して近所へお金を配る風習が残っています。最後のひと月、それほど苦しまれた様子もなかったので、心からのお礼を伝えて見送りたいと思います。身近でずっと面倒をみてきた兄夫婦と、病身をおして相模原から何度も見舞いに来てくださった叔母にも、深く感謝しています。また、フェイスブックやメールなどで励ましの声をかけてくださった皆さまに、心からのお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
※写真は小さい頃、父親に連れていってもらった、名古屋の大須観音です。
※写真は小さい頃、父親に連れていってもらった、名古屋の大須観音です。