goo blog サービス終了のお知らせ 

魂の綱渡り

まだ文学を読む感性が自分にはあるのかな、という興味でブログを始めてみました。

本上まなみと私のうつ

2007-04-01 | Weblog

私には軽度のうつ症状がある。うつ症状にも色々あるのだが、私の場合は体の不調が主で、まあ「雅子妃と同じ」だと思ってもらえば簡単である。世の人は雅子さんが、公務はできないのに遊びに行ったり笑ったりしているから「仮病じゃないか。なまけじゃないか」と思っているかも知れないが、それはまるで違う。公務はできない。なまけてもいない。この病気になった人間か、よほどの専門医じゃなければその辺は理解できないだろう。

精神性の疾患には偏見をもつ人が多い。けれど大丈夫である。うつ病というのは第三者にとってはそんなに危険な病気ではない。たとえば人を殺したり犯罪をおかしたりということもほとんどない。犯罪をおかすというのは凄いエネルギーのいる行為で、うつ病というのは心のエネルギーが不足した状態だから、犯罪なんて凄いことできない。家族や友人にとっては陰気な厄介者であろうが、第三者にとっては陰気なおとなしい人間にすぎない。

こんなこと書いたのは本上まなみの「ほんじょの眼鏡日和」という本を読んだからで、もうちょっと詳しく書くとその中に「中島らも」への追悼文が載っていて、中島らもがひどい躁うつ病であったことを知ったからだ。

本上さんの文をまともに読むのははじめてだ。「自然の綺麗さ」とか「人のこころの温かさ」とか「どうしてメンチカツが好きか」が沢山書いてある。

こういう文は普段はまず読まない。ちなみに一緒に借りてきたのが「龍之介地獄変」という小説。小沢さんという人が書いている。龍之介が死後に霊界と現世をさまよう、って内容らしい。普段はこういうのを主に読む。

本上まなみさん、というこの美しい女性は人間だろうかとふと思う。顔が綺麗でスタイルがよくて、心が綺麗で感性が豊かで。龍之介は僕の範疇では人間なのだが、本上さんのような存在はどうにも人間とは思えない。

しかもどうやら彼女は耽美派の谷崎純一郎や躁うつ病で酩酊してなくなった中島らもが好きらしい。

そういう文学に接して、なおも暗いものに引きずられないのは何故なのだろう。

中島らもさんは、麻薬で捕まって、躁うつ病がひどくなって、酒びたりになって、階段から落ちて、頭を強く打って亡くなった。

そういう中島らもへの追悼文を本上まなみさんは「明日もまた会おうね」でしめくくっている。理解不能なのだが、どうやっても本上まなみには勝てないというのだけはわかる。龍之介が志賀直哉の文章を見て、どうやっても勝てないと思って泣いたという逸話がある。それに近いのかも知れない。

あ、僕の数少ない友人の方。僕は一滴も酒は飲まないし、龍之介ほど天才でもないのでご安心を。何に対して安心だかはわからないけど、ご安心を。