ねこ様ショッキングな記事を目撃してしまった。
来年の4月1日から、児童虐待防止法案の新法案が施行されるという。
その内容というのが、児童に対する体罰をすべて禁止、もしした場合は法に問われるという法案らしい。
細かい内容がまだ開示されていないが、手を出せば問答無用で逮捕される法案と取ってよろしいようだ。
しかしながらねこ様、暴力を擁護するわけではないが、この法案に物申したい。
ねこ様も昔は親に叱られた際、体罰を受けた覚えはある。
当時は体罰に不当を抱いていたが、今となっては自分が悪かったせいで叩かれていたのだと納得さえしている。
理不尽ではない体罰は、時を返せば自分の行いを振り返り、同じことを
しないようにしようと考えさせられるいい思い出である。
何より体罰を受けることの痛みを、ほかの誰かが受けたとき痛いだろうなと考え、自分はそれを他にしてはいけないという自尊心を育てるものだと思っている。
だからなのだが、理不尽な体罰は許せない。
でも、自身が悪いことをしたときにある痛みは必要だと思う。
人は自身が知らないことに対して非常に無頓着である。
例えば、人を殴り殺した、刺した、など人を死に至らしめる行為。これに対し、人を刺してみたかった、殺してみたかったなどと発言している人がいる。
持論でしかないのだが、こういった手前は自身が痛い思いをしたことがないのではないか?と考えてしまう。
ねこ様
子供のころ親にぼこぼこに殴られたことがある。すごく痛かった。
でも痛いと思ったからこそ、叩いたり、殴ったりしたら痛いんだろうなって思う。
だから、暴力はだめだって言える。
そう思わないから、簡単に人を傷つけたり殺したりできるのだろう。
痛みを知らないから、他人が苦しんでいても気が付かないのだろう。
そう思っている。
今のこの世の中が、過保護な時代が、人を傷つけ、殺しているんだろうと。
日本だって、戦争で痛い思いをしたから、戦争反対、戦争しないぞって言ってるんだし。
それを繰り返してはいけない、そういった痛みだったはず。
確かに、理不尽な暴力は悲しみと憎しみしか生まない。
今は過保護になりすぎてその線引きができていない。
親が、そういったことを教えることができていない。
だからその子供が、しつけと暴力をはき違える。
そういった悪循環が今の世の中だ。
この法案が施行されればこの世の中が痛みを知らない人間だらけになる。
そして痛みに耐えられない人間ばかりになる。
昔は、親に叩かれて、友達と殴り合いをして、外で怪我まみれで遊び、心身共に強く成長してきた。
今はどうだろうか?
親は放任、子供は引きこもり、外では遊ばない、ちょっと怪我でもしようものなら過保護に守ろうとする。
挙句しつけと暴力をはき違え、罵声や暴力におびえる子供を作る。
近年未成年の殺人や非道が増えているのは、実はこの辺にあるのではないのだろうか?
猫は子供のしつけのために親は子を噛む。自然界で当たり前のように行われていることが、今問いただされている。
人が言葉だけで改心するのなら、少年院や刑務所は必要ない。
誰にも覚えがあるのではないだろうか?
親に宿題をしろ掃除をしろと言われて反発した経験や、しぶしぶやった覚えを。
言葉だけで聞かないから叱られる。
押すなと言われると押したくなる心理。
人間とはあまのじゃくな生き物だ。
言葉だけで人が言うことを聞くのであれば苦労しない。
それができるのなら、道徳の授業だけで、みんなハッピー
戦争を経験したことがない人間が、その状況を聞いたところで、当時の惨状や飢餓そういった痛みなどわかるはずもない。
どこか他人事だ。今の若者が、自殺者を動画で撮ったり、いじめを撮影したりするのは、他人事だからだろう。
体罰なんてしなくても言い聞かせればいいなんて言っている人はよほど説得に自信があるのだろう。
そういう人間は保母さん向きだ。足りないからみんな就職してやれ。
子供がどれだけいうこと聞かないか、実感できるだろう。
無論くどいようだが、体罰を推奨、斡旋しているわけではない。この点に関してはき違えないでほしい。
あくまで、人として間違っていることをしている。世の中を生きていくうえで大切であることに対して痛みとして自信が覚えていなければならないということでの体罰のみ許容であるというだけ。
むかつくから、なんとなく、イライラするからなどという、理不尽な体罰はなくなるべきだ。それはただの暴力。
ねこ様は、こう思う。
自分の子供が他人を傷つけた。そういったことに叱れない親は親ではない。
それを相手のせいにして責任転換するのなんてもってのほかだ。
自分のしたことに反省無く、相手を思いやれないのであればそれは育てた親の責任だろう。
そんな時は、相手はこんな痛い思いをした。傷ついた。と叱責し、頬の一つでも引っぱたいてやるべきだろう。
子供はそこで相手の痛みを初めて知るのだ。
無論、それだけでは、相手の痛みと同等ではないかもしれない。でも、自分のしたことに、自分も痛みを覚えたことが大事なのだと思う。
それを優しく、厳しく教えてあげるのが、親のあるべき姿ではないだろうか?
この法案で誰かれかまわず。叱責での体罰で法に問われることに恐怖し、痛みを知らない子供が他を傷つけその連鎖が延々と続いてしまうといった未来が来ないことを願う。
ねこ様3人の子供がいますが、他人の痛みを知り、自分を大事に、人に優しく生きていくように強く言い聞かせて伸び伸びまったり育てていきたいと思ってます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます