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電気通信の源流 東北大学 13.松前重義の活躍

2023-12-24 23:05:42 | 投稿
電気通信の源流 東北大学 13.松前重義の活躍

 松前重義は明治34年、熊本県上益城郡大島町村長の家で生まれた。曽祖父は熊本藩士であったという。小学5年生のとき熊本市に移ったが、夕刻に町中に電灯が灯ったのを見て電気の勉強を志したというから、かなりの田舎育ちである。
 多くの方は松前重義というと東海大学の創立者だと思う。しかし筆者時代の電気通信技術者はすぐに「無装荷ケーブルの発明者」と頭に浮かぶ。筆者の年代とあえて断ったのは、もっと後の年代になると「装荷」という言葉を教えられることはなく、さらには銅線を使わず光ファイバー通信時代に変るためである。
 装荷というのは、電話信号を伝送するための銅線の対にインダクタンスを付加し、もともとのキャパシタンスを打ち消して、信号が遠距離に伝わったときの減衰量を少なくする技術を言う。コロンビア大学のピューピンにより今世紀初頭に発明された。
 装荷は、音声の減衰を少なくできるが、高い周波数の電気信号が送れなくなる。松前の発明は装荷を止め、抜山教授が研究していた増幅器と濾波器を利用して信号を強くする。高い周波数を送る効果として、音声信号の周波数を高い方に移し、幾つかの音声を重ね合わせ(これを周波数分割多重という)て伝送することが可能になる。
 今から考えると当たり前のことに思えるが、当初「無装荷ケーブル」は、周囲から強い反対を受けた。日本人が考え出した新しいことは誰も信用しない時代だったのである。繰り返し行った試験の結果が逓信省工務局長の梶井剛に認められて、ようやく採用された。梶井は昭和27年に電電公社初代総裁になる方である。
 昭和10年に日本・朝鮮・満州間の無装荷ケーブル建設工事が始まり、14年には東京・奉天間が完成して世間を驚かせた。松前はその功績で電気学会浅野賞を受賞するが、祝金千円をもとに、三鷹の自宅内に私塾「望星学塾」を開設した。早くも教育者としての一面を覗かせたのである。
 昭和12年、工務局に調査課が新設されると松前は初代調査課長となった。5つの係を置いて有為の技術者を集めた調査課は、逓信省の技術参謀本部であった。新技術を開発し、それを電気通信事業の上で活用していく。ここに後の電電公社技術局の雛が誕生したのである。

<12.英国軍が使っていた八木アンテナ
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