CSO環境よっかいち

四日市公害を教訓にして様々な環境問題について活動するグループ

語り木 NO.1

2015-04-19 13:44:35 | 語り木
公害を見つめてきた街路樹が伐採されつつあります! 沿道では落葉の清掃が大変だから、見通しが悪いなどが主な理由です。こうして手のかかるものを避け、便利さを追求し、心と身体にとって大切なものを失いながら人間はどこへ向かうのでしょうか?


お手数ですが、小さい画像はクリックすると原寸大で見ることができます。



 


これは4月16日に始まった四日市市塩浜街道の街路樹伐採で伐採された姿です

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「『四日市公害と環境未来館』開館のつどい」へのメッセージ

2015-04-16 21:44:38 | 「公害資料館と市民参加」連続セミナー
田中市長のメッセージ
「『四日市公害と環境未来館』開館記念のつどい」のご盛会を心からお慶び申し上げます。
主催される「CSO環境よっかいち」の皆様並びにご来場の皆様に、四日市市長として、メッセージを送らせていただきます。
ご承知のように、かつて四日市市は深刻な公害を経験し、多くの犠牲をはらいました。
その後の市民・行政が一体となった取り組みにより、環境は大きく改善されましたが、四日市公害の歴史を私たちは決して忘れてはなりません。
そして環境改善の歩みから得た教訓を生かし、より良い環境を次の世代に引き継いでいく使命があります。
本日開館した「四日市公害と環境未来館」は、四日市公害について深く学び、未来志向で環境問題を考える拠点となる施設です。
また、当館の開館に合わせ新たにエコパートナー制度も創設し、皆様の環境活動の支援を行うとともに、皆様との協働により、環境学習の充実を図ってまいります。
本日の記念のつどいを契機として、「四日市公害と環境未来館」を有効に活用いただき、環境先進都市を目指す本市のまちづくりに一層のご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げます。    四日市市長 田中俊行
  
原告・野田之一さんからのメッセージ
これまで四日市市は、公害資料館についてあまりに関心をもってこなかったが、ようやく開館となった。本当なら、公害被害地である塩浜地区に置くのが一番ふさわしいと思う。
近頃は語り部として、あちこちの小学校で話してきているが、子どもの方が熱心に学んでくれる。子どもは素直に考える。大人は子どもに見習うべきだ。
原告患者9人の中で、公害資料館を見届けたのは俺だけ。だから、一般の皆さんに「ありがとう」と言うだけではすまん。
俺が死んでも、これから後はあんたらが公害につきあってくれ。おいらに代わって宇宙を公害から守ってほしい。
原発事故は起こったらもとにもどらん。四日市はもどった。けれども現在、大気汚染は世界中で重大な問題になっている。
四日市から世界にのろしを上げてくれ。   (2015年3月12日・15日、粟屋による聞き取り:於県立総合医療センター)

公害犠牲者の魂の拠りどころと再び悲劇をくりかえさない誓いの場 (澤井余志郎:公害を記録する会)
四日市は水俣と並ぶ戦後の公害原点の地、その四日市に「公害資料館」が開館する。このことの意義は重く、日本の公害の歴史に刻まれる意義は深い。 この半世紀前には、なんの責任もない市民が、くさい魚と公害ぜんそくに苦しめられ、漁民一揆や公害ぜんそく裁判を起こすなどをせざるをえなかった。
ぜんそく患者のなかには、あまりの苦しさに耐えきれず自ら命を絶つ市民も出るという悲劇もあり、そうした犠牲のうえで「公害資料館」が発足することになり、文字どおりの「快適環境都市四日市」のシンボルとして、発足することは、そうした犠牲者の皆さんに心安んじていただくことになるものと信じています。
この資料館(四日市公害と環境未来館)がそうした“よみがえりの原点”として活用されれば、公害犠牲者の皆さんも心安んじて見守ってくださると信じます。

広く活かしてゆきたい(塚田盛久:四日市公害患者と家族の会事務局長)
長い年月、市民が要望し続けてきた「公害資料館」が、このたび『四日市公害と環境未来館』として、市行政の理解と、多くの全国有志の方々のご支援を得て、誕生できましたことを、こころから喜びまた感謝しております。
ゆっくり一巡しますと、全国の公害患者救済・公害防止対策の義務化・環境アセスメント実施などへの突破口を開いた「四日市公害裁判」を軸として、その前後も含めた豊富な記録・資料などを音声・動画も加えた最新の手法を駆使して、わかりやすく展示されており、小学生から大人までの熱心な調査研究資料や、地域大学の未来イメージなども加えて、実り豊かな時間を持つことができると存じます。
全国のいろいろな公害に関わっておられる地域の方々、そして公害に直面しておられる諸外国の方々も、ぜひここを活用してください。そしてまず、四日市市の一人でも多くの市民が、来て・見て・聞いて・学んで・考えて、自分たちの足もとを見つめなおし、自分のやるべきこと、できることを実践するスタートポイントに活用してくださることを切望しております。

四日市公害資料館の開館へのお祝いと希望 (宮本憲一:大阪市立大学名誉教授・滋賀大学名誉教授)
水俣病は公害の原点ですが、四日市公害は公害対策の原点です。四日市公害は石油燃焼に伴って、どこにでも発生する普遍的な疾病であり、生活・生産環境を侵害し、四日市型コンビナートは高度成長期には地域開発のモデルとして、全国に広がり、しかも進行形で全地域に被害が増大していました。1963~4年静岡県三島・沼津・清水町で“No More Yokkaichi”というスローガンで闘った市民運動は、日本で最初の環境アセスメントをして初めて政府と企業の計画した地域開発をストップさせました。これ以後全国に公害反対の世論と運動が広がりました。政府と企業はこのままでは経済成長政策が進まぬと考え、最初の本格的大気汚染調査を四日市で行い、ばい煙規制法を適用し、1967年には世界最初の公害対策基法本法を制定しました。しかしこれらの法律は経済成長と生活環境の調和を図るという妥協的なものであったため汚染は広がりました。
この状況を打ち破るために四大公害裁判が起こり、苦闘の末すべて勝訴しましました。特に四日市公害裁判判決が行政に与えた影響は大きく、公害健康被害補償法を生み、SOx,の環境基準の改定、環境アセスメントの導入を進めました。このように四日市公害は全国の公害反対の世論や運動をおこす契機になり、政府・自治体の公害対策を作り出す原動力になりました。しかし地元では他の地域に比べて、その影響は大きいとはいえませんでした。このことは他の公害裁判の地域に比べて、資料館の建設が遅れ、本日判決後43年を経てようやくこのような公害資料館が開館されたことに現れています。
しかし遅れはしましたが、市民の要望で市当局が先行事例を調べ周到な準備をして、ここに立派に開館できたことを喜びたいと思います。この資料館は日本の公害対策の原点にふさわしく、これまでの地元の公害資料はもとより、全国の産業公害対策の歴史的資料の整備を目指してください。今後の環境政策や環境教育の中心になり、市民の交流の場となり、外国の研究者・留学生の学習の拠点となることを希望します。


四日市公害と環境未来館開館に際して (塚田眞弘:新潟県立環境と人間のふれあい館館長)  
開館おめでとうございます。これで俗にいう四大公害病公立資料館が完成したことになったわけです。2013年に私共、新潟水俣病資料館が開館したときに、資料館の役割はただ資料を保管しておくだけの資料館であってはならない。分類・整理・保管・陳列と利用者の閲覧にも配慮されたものでなければならないと考えていました。
残念ながらこのことが完全には出来ていない現状をみると、我々の力のなさを切実に感じざるを得ないところではありますが、ギブアップしないで完成形を目指したいと考えております。
また、公害病は辛い厳しい現実ではありますが、来館された方々が公害病は怖い、暗いものだという印象をもたれるだけでなく、その公害病の闘いの中でも負けない、折れないで生活して来た患者さんの心を是非、感じ取って頂きたいと考えております。
このことと、折角出来た四資料館の役割としては、各地にひろがっている民間の公害等資料館の横の連絡を図り、何処の資料館からでも必要な公害病の情報が入手出来るような体制を図って行きたいと思っております。公害病の闘いはその地域だけのものではなく、広く住民の共通の財産として誰でも好きなときに、何処からでも必要な情報が入手出来るようにすることが公害の抑止という点からも大切ではないでしょうか。


「CSO環境よっかいち」への期待 (鏡森定信:富山県立イタイイタイ病資料館館長) 
学生時代に何度か四日市公害の地を訪れたことのある公衆衛生を専攻した者として、皆さんが長年目標とされてきた、「四日市公害と環境未来館」が、公的な施設として開館したことに感銘を深くしています。また、館名に公害の2文字が入った意義についても深く感じ入っています。
富山のイタイイタイ病資料館では、3年前の開館以来、熊本と新潟の水俣病資料館そして四日市の資料館の皆さんと4大公害資料館の館長等の交流会を毎年開催してきました。
また、それぞれの地から語り部をお迎えして講話をお聞きしました。被害を経験した方々の語りは、公害の歴史的検証のみならず現代に生きる我々への問題提起となっています。
公害裁判訴訟後からでも40年余りが過ぎ、この語り継ぐ活動を継続していくためには、
活動の新たな展開が必要になっています。「CSO環境よっかいち」のみなさんにもこの分野で大きな期待を持っています。
振り向けば未来が見える!を便りに一緒に活動していきましょう

メッセージ  (島田竜守:水俣市立水俣病資料館館長) 
まずは、四日市市に公害資料館である「四日市公害と環境未来館」が開館されましたことを、心よりお喜び申し上げます。
また、「CSO環境よっかいち」及び「中部の環境を考える会」関係者の皆様の活発な取り組みに、深く敬意を表す次第であります。
さて、私ども熊本県水俣市は、平成5年1月に水俣市立水俣病資料館を開館して以来、患者さんなど被害者の方々や関係団体等の献身的な支援を受けながら、水俣病を風化させることなく、その歴史と経験を生かし、水俣病の教訓を国内外に伝えていくという使命のなかで、水俣市の再生も含め様々な情報発信を行ってまいりました。
それは、初期段階での適切な対応が被害の拡大を防ぐためにいかに重要なことであるか、正しい情報をいち早く伝えることがいかに大切か、今ある命と健康、環境を最優先に考え、懸命に守らなければならないということなど、我々地域の者が身をもって水俣病から学んだ貴重な体験でありますし、これらの事柄は、全ての公害地域にも共有するものではないかと考えております。
これからも私たちは、二度と同じ過ちが日本で、また世界で起こらないよう公害の発生地域に住む者の責任として、「命を敬う」「失敗に学ぶ」「強く生きる」ことの大切さなどについて訴え続けなければなりません。
四日市公害と環境未来館を拠点とする活動が、行政と市民の連携のなかで、今後ますます活発化されますとともに、関係各位のさらなる御活躍をご祈念申し上げます。

祝・連帯のメッセージ (高野秀男:新潟水俣病被害者の会・同共闘会議事務局長) 
『四日市公害と環境未来館』の開館、誠におめでとうございます。
皆さんの長年の頑張り、奮闘の賜物だと受けとめています。
新潟では今から14年前に「新潟水俣病資料館」が開館し、昨年12月に来館者が50万人を突破しました。
50万人目の来館者が県内の小学校5年生であったように、新潟では小学校5年生をマキシマムにして大学生まで含め、「資料館」が生徒、学生の学びの場となっています。
建設場所の地元から反対運動が起こり、開館時に会館名に「水俣病」の3文字が使えないなど、公害・水俣病に対する根深さが噴出しましたが、それも「会館での学び」を通して徐々に改善され、今では「語り草」になっています。
発信、受信の根城はできました。問題は、これをどう被害者、関係者、市民の財産として次世代に確実にバトンタッチしていくかだと思います。
新潟水俣病は本年6月に、事件公表50年を迎えます。しかし、いまだに水俣病は終わっていません。
半世紀たっても、二度の最高裁判決が示されても、終わらないということは、この国の社会構造そのものに、大きな欠陥があると言わざるを得ません。
地方から声をあげていく。ときには自治体とも連携していく。
被害者、関係者が一堂に会し、話し合える場ができることは、その意味でも重要です。
これまでの皆さんの奮闘に重ねて敬意を表しますとともに、今後とも、より強く繋がりたいと願っています。
ともに、頑張り合いましょう。

              


              

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