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神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

内神田美土代町会

2009-05-10 16:03:14 | 平成21年 神田祭
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内神田美土代町会は、江戸時代は武家地と町人地でした。
武家屋敷としては五代将軍徳川綱吉の側近として活躍した柳沢吉保が屋敷を構えていました。その他、老中や若年寄を輩出した由緒正しい武家の屋敷が軒を連ねていたと言われています。
一方、武家屋敷だけではなく、商人や職人が住む町屋もありました。江戸時代の美土代町周辺は重要な武家屋敷地でありつつも、新たな風俗・流行を生み出すこともできる、懐の深い町でした。

町名の由来は、この周辺に伊勢神宮に捧げるための稲を育てる水田、「みとしろ」があったことに因んで生まれたものであるとも、「神田」を訓読みすると「みとしろ」になるため「美土代町」としたとも言われています。

昭和10年(1935年)の区画整理により、周辺が「美土代町」となりました。明治期の美土代町は、一~四丁目まである広大な町域を持っていましたが、時代を経るに従い、その範囲は狭くなっていきました。現在の千代田区神田美土代町が誕生したのは昭和22年(1947)のことです。

町会の該当区域は神田美土代町及び内神田一丁目2~4・12~15番地となっています。


宮入には総勢300名の担ぎ手により、賑やかに楽しく担ぎ上げます。見物人の方々にも当町会の和気あいあいとした雰囲気が伝わると思います。
小川町交差点及び、当町会の神酒所前での神輿振りは必見です。屋根唐破風型神輿の大神輿は、昭和28年、宮本 重義の手により生まれました。特徴のあるデザインが魅力です。



淡路町一丁目町会

2009-05-10 15:52:01 | 平成21年 神田祭
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江戸時代の初め、この地には「西福寺」「西念寺」という、将軍家と関係が深い寺院が、観音坂を下りきったあたりに位置していました。
西福寺は慶長3年(1598)、徳川家康が故郷の三河から呼び寄せた寺です。

神田淡路町一丁目と名付けられたのは明治5年(1872年)になってからです。
この名前は、鈴木淡路守の屋敷があったことから名付けられたという「淡路坂」に由来しています。

当町会は、昔からのしきたりを尊重し大切に守る町会です。

町会の該当区域は淡路町一丁目の奇数番地となります。


当町会の神輿は、昭和40年に、宮本重義により作られました。
小型の神輿ではありますが、担ぎ手衆の迫力と技に御注目下さい。



須田町一丁目南部町会

2009-05-10 15:41:35 | 平成21年 神田祭
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江戸時代の須田町は、現在の神田須田町一丁目とほぼ同じ範囲でした。
江戸期の町内には、菓子屋や薬屋、塩や油を扱う問屋、神具や仏具を売る店など、さまざまな商品を扱う店があったと言われています。
現在の町内にも、東京都選定の歴史的建造物に指定されるような老舗の商店が数多く営業しています。
 
かつて、須田町交差点の一角で、銀座線の入口近くには「立花亭」という寄席がありました。
この寄席は震災では焼けましたが、戦災はまぬがれて、昭和29年に幕をおろすまで、書物にもよく取り上げられるほどの東京でも有数の寄席の一つでした。
 
町会の該当区域は須田町一丁目5・7番地及び16~34番地までの偶数番地となっています。

当町会の神輿の大きさは他の町会と比べると小ぶりですが、彫刻の手の凝りようではどこにも負けないと思います。中神田十三ケ町連合の一員として宮入りします。当町内には、老人病院があります。病院前で神輿を練るときは入院患者のご老人の方々をはじめ、病院スタッフにも大変喜ばれています。



多町二丁目町会

2009-05-10 15:29:49 | 平成21年 神田祭
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多町二丁目は神田青物市場、別名神田田町市場として有名です。

明暦の大火(1657)の前には、青物問屋の数は80軒以上にも増えたと言われています。大火後に連雀町、佐柄木町の問屋は多町に合併され、神田多町市場と呼ばれるようになりました。

多町一、二丁目の起立時の町の形は昭和8年の住居表示変更まで約330年続きました。以前は、「田んぼ」の「田」の「田町」でしたが、いつ頃に「多い」の「多」の「多町」へ変わったのかは定かではありません。
多町市場に住む人や出入りする人が多くなったこと、また流通する品物や物資が多くなったことなど、町の繁栄とともに「多町」と呼ばれるようになったと言われています。 
 
町内には歴史のある神社と稲荷が祀られています。松尾神社は江戸時代初期の頃から、この地にあり、多町市場の発展とともにその歴史を刻んできたと言われています。
もう一つの一八稲荷は徳川三代将軍家光が眼病を患ったときに、乳母の春日局が湧き水を汲みに来たと伝えられています。
 
町会の該当区域は多町二丁目全域になります。


当町会の現在の神輿は、昭和54年に新しく作り直されました。
旧神輿は大正9年に製作したものでした。
現在は、東京国立博物館に展示されています。
大きさは2尺8寸になり、胴が締り、大きな作りとなっています。



須田町中部町会

2009-05-10 15:20:15 | 平成21年 神田祭
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須田町中部町会は「神田青物市場」発祥の地として有名です。
水運を利用して神田川沿いの河岸や鎌倉河岸から荷揚げされた青物が、15,000坪(約4万9500㎡)におよぶ広大なこの青物市場で商われていました。

江戸、そして東京の食生活を支え続けたこの市場は、昭和3年には秋葉原西北に、平成2年には大田区へと移転しました。
それでも、現在の須田町町内には、東京都の歴史的建造物に指定されるような老舗商店が数多く営業しています。
須田町は江戸から続く、活気あふれる商いの伝統が今だに息づく町です。
 
町会の該当区域は須田町一丁目2~14番地までの偶数番地となっています。


当町会の神輿は元祖女神輿です。
昭和52年より女性のみの女神輿を続けてきました。
女性ならではのきらびやかな神輿担ぎをどうぞ、御覧下さい。