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司一町会の宮入りです。
司町一町会は、江戸時代には商人や職人の家が立ち並んでいた町でした。時代を経てもそれは変わりなく、呉服関係、印刷、製本などの職人たちが多く住み、とくに建築関係では、町内の職人だけで家が一軒建てられた、といわれています。また商店も大きな店ではなく、生活に必要な八百屋や魚屋などが多く、人情味豊かな町でした。
明治に入ると、「三河町(みかわちょう)二丁目、皆川町(みながわちょう) 、蝋燭町(ろうそくちょう) 、旭町」に再編されました。さらに関東大震災後に四つの町が合併し「司町一丁目」が誕生しました。
司町の名前は神田神社の平田盛胤宮司(ひらたもりたねぐうじ)の命名によるもので、「司」は「者の頭領なれば、未来永劫栄ゆること疑いなし」という意味を持つことから名付けられました。昭和22年、神田区と麹町区が合併して千代田区が成立したときに「神田司町一丁目」となり、さらに昭和41年に内神田一丁目と、内神田二丁目となり現在に至っています。
町名は「内神田」になりましたが、住民組織である町会では「司」の名前を引き継ぎ「司一町会」として存続しています。今ではオフィスビルが多くなりましたが、人情味豊かなとても楽しい町会であることに変わりはありません。
町会の該当区域は美土代町及び内神田一丁目9~11・16~18番地及び内神田二丁目10~12・15番地となっています。