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朝の光(聖書の言葉)

私の好きな聖書の言葉 Ⅲ O.M 

私の好きな聖書の言葉 Ⅲ 

O.M

   


 強く,また雄々しくあれ

 

(ヨシュア1:9)

「わたしはあなたに命じたではないか。

強く,また雄々しくあれ。

あなたがどこへ行くにも,

あなたの神,主が共におられるゆえ,

恐れてはならない,

おののいてはならない。」

 

 

  神はわたしたちに「強くあれ」,

「雄々しくあれ」,

「恐れてはならない」と言います。

 

 

(詩編31:24)

「すべて主を待ち望む者よ,

強くあれ,心を雄々しくせよ。」

 

 

(イザヤ35:4)

「心おののく者に言え,

『強くあれ,恐れてはならない。

見よ,

あなたがたの神は報復をもって臨み,

神の報いをもってこられる。

神は来て,

あなたがたを救われる』と。」

 

 

 

 

海の源まで行ったことがあるのか

 

(ヨブ38:16)


「あなたは海の源まで

行ったことがあるのか。

深い淵の奥底を

歩き回ったことがあるのか。」

 

 

  神のヨブへの問いです。

 

その問いに,

ヨブは次のように答えます。

 

 

(ヨブ42:1-6)

   そこでヨブは主に答えて言った,

「わたしは知ります,

あなたはすべての事をなすことができ,

またいかなるおぼしめしでも,

あなたにできないことはないことを。

『無知をもって神の計りごとをおおう,

この者はだれか』。

それゆえ,

わたしはみずから悟らない事を言い,

みずから知らない,

測り難い事を述べました。

『聞け,わたしは語ろう,

わたしはあなたに尋ねる,

わたしに答えよ』。

わたしはあなたの事を

耳で聞いていましたが,

今はわたしの目で

あなたを拝見いたします。

それでわたしはみずから恨み,

ちり灰の中で悔います」。

 

 

 

 

 

 

神の救い

 

(イザヤ52:10)


「主はすべての国々の目の前に,

聖なる御腕を現した。

地の果て果てもみな,

私たちの神の救いを見る。」

 

 

  イザヤに与えられた預言です。

 

「地の果て果てもみな,

私たちの神の救いを見る」とは,

 

イスラエルの民のバビロン捕囚からの

回復するという希望の預言です。

 

それは,わたしたちにとっては,

キリストの再臨による

希望をも告げています。


 

 

 

 

主に帰ろう

 

(ホセア6:1-3)


「さあ,わたしたちは主に帰ろう。

主はわたしたちをかき裂かれたが,

またいやし,

わたしたちを打たれたが,

また包んでくださるからだ。

主は,ふつかの後,

わたしたちを生かし,

三日目にわたしたちを立たせられる。

わたしたちはみ前で生きる。

わたしたちは主を知ろう,

せつに主を知ることを求めよう。

主はあしたの光のように必ず現れいで,

冬の雨のように,わたしたちに臨み,

春の雨のように地を潤される」。

 

 ホセアにあらわされた,

復活の預言です。

 

神は,イスラエルの民をもう一度,

立たせるといいます。

 

 わたしたちにとっては,

イエス・キリストによって,

信じる者に永遠の命が与えられます。


そして,

信じる者はイエス・キリストの再臨時,

復活するということです。

 

 

(ヨハネ3:16)

「神は,実に,

そのひとり子をお与えになったほどに,

世を愛された。

それは御子を信じる者が,

ひとりとして滅びることなく,

永遠のいのちを持つためである。」

 

 

(1テサロニケ4:16,17)


「主は,号令と,

御使いのかしらの声と,

神のラッパの響きのうちに,

ご自身天から下って来られます。

それからキリストにある死者が,

まず初めによみがえり,

次に,生き残っている私たちが,

たちまち彼らといっしょに

雲の中に一挙に引き上げられ,

空中で主と会うのです。」

 

 

 

 

弱さを誇る

 

(2コリント12:10)


「わたしは弱さ,侮辱,窮乏,迫害,

そして行き詰まりの状態にあっても,

キリストのために満足しています。

なぜなら,

わたしは弱いときにこそ

強いからです。」

 

 

わたしたちは強いと思うときは,

神は働きません。

 

私たちが弱いと思うとき,神が働き,

わたしたちは強くなれるのです。

 

ですから,わたしたちは弱い人を

受け入れなければなりません。

 

 

(ローマ14:1)


「あなたがたは

信仰の弱い人を受け入れなさい。

その意見をさばいてはいけません。」

 

 

 

 

 

愛をもって互に忍びあい

 

(エペソ4:1-3)


「さて,主にある囚人であるわたしは,

あなたがたに勧める。

あなたがたが召された

その召しにふさわしく歩き,

できる限り謙虚で,かつ柔和であり,

寛容を示し,愛をもって互に忍びあい,

平和のきずなで結ばれて,

聖霊による一致を

守り続けるように努めなさい。」

 

 

捕囚の身にあったパウロが,

教会の人々に書いた勧めです。

 

私たちの生き方を示しました。

 

この生き方は,

わたしたちに与えられている

聖霊の実でもあります。

 

 

(ガラテヤ5:22,23)

 「御霊の実は,愛,喜び,平安,

寛容,親切,善意,

誠実, 柔和,自制です。

このようなものを

禁ずる律法はありません。」

 


 

 

 


キリストのために苦しむ

 

(ピリピ1:29 口語訳)


「あなたがたはキリストのために,

ただ彼を信じることだけではなく,

彼のために苦しむことをも

賜わっている。」

 

イエス・キリストは

弟子に次のように言いました。

 

 

(マタイ16:21)


「その時から,イエス・キリストは,

ご自分がエルサレムに行って,

長老,祭司長,律法学者たちから

多くの苦しみを受け,殺され,

そして三日目に

よみがえらなければならないことを

弟子たちに示し始められた。」

 

(マタイ16:24)

「イエスは弟子たちに言われた。

『だれでもわたしについて来たいと

思うなら,

自分を捨て,自分の十字架を負い,

そしてわたしについて来なさい。』」

 

 

 

 

 

主が私の右におられる

 

(詩篇16:8-11)


「私はいつも,私の前に主を置いた。

主が私の右におられるので,

私はゆるぐことがない。

それゆえ,私の心は喜び,

私のたましいは楽しんでいる。

私の身もまた安らかに住まおう。

まことに,あなたは,

私のたましいをよみに捨ておかず,

あなたの聖徒に

墓の穴をお見せにはなりません。

あなたは私に,

いのちの道を知らせてくださいます。

あなたの御前には喜びが満ち,

あなたの右には,

楽しみがとこしえにあります。」

 

「右」とは保護者の位置です。


すなわち,

「主が私の右におられる」とは,

主(神)が私を守っていてくださる

ということです。


主は私たちといつも

いっしょにいてくださり,

私たちを守ってくださっています。

 

ですから,

私たちは恐れる必要がないのです。

 

これは,ダビデの詩ですが,

ペテロがペンテコステの後の

説教の中に引用しています。

 

 

(使徒2;25-28)

「ダビデはこの方について,

こう言っています。

『私はいつも,

自分の目の前に主を見ていた。

主は,私が動かされないように,

私の右におられるからである。

それゆえ,私の心は楽しみ,

私の舌は大いに喜んだ。

さらに私の肉体も望みの中に安らう。

あなたは私のたましいを

ハデスに捨てて置かず,

あなたの聖者が朽ち果てるのを

お許しにならないからである。

あなたは,私にいのちの道を知らせ,

御顔を示して,

私を喜びで満たしてくださる。』」

 


 

2016.10.4


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