聖書の言葉 永遠のいのち
イエス・キリストを信じる者は,
どのような恵みを受け,
どのように生きたらよいのでしょうか。
聖書のことばから学びました。
永遠のいのち
(ヨハネ3:16)
「神は,実に,
そのひとり子をお与えになったほどに,
世を愛された。
それは御子を信じる者が,
ひとりとして滅びることなく,
永遠のいのちを持つためである。」
永遠の命とは,神の命です。
神が御自身の内に持っていて,
キリストによって
わたしにも与えられます。
わたしたちが
イエス・キリストを信じたとき,
神の救いを得ると同時に,
神の霊とイエス・キリスト御自身,
永遠の命を与えてくださいます。
みことばの乳
(1ぺテロ2:2)
「生まれたばかりの乳飲み子のように,
純粋な,
みことばの乳を慕い求めなさい。
それによって成長し,
救いを得るためです。」
イエス・キリストを信じた者は,
乳飲み子のように,
みことばを読むことが必要です。
みことばを読むことによって
乳を吸収するように,
聖霊によって神の愛を知り,
生きた神との交わりが出来るのです。
(詩篇119:11)
み言葉をたくわえる
「あなたに罪を犯さないため,
私は,あなたのことばを
心にたくわえました。」
私たちは,霊的な存在です。
ですから,
聖書のことばが
供給されることが必要です。
聖書自身が,
聖書のことばを覚えることを
勧めています。
(ヘブル11:1)
「信仰は望んでいる事がらを保証し,
目に見えないものを
確信させるものです。」
この言葉は信仰の本質が
語られています。
信仰とは
「目に見えない」者の実態を示して保証し,
それをただの希望としてではなく,
すでに現実として見ているかのように
「確信」することです。
信仰とは,
神がすでになしてくださったこと,
約束してくださったことを
受け入れることです。
信仰はわたしたちの考え,
力が中心ではありません。
信仰はみことばを
成就する神の忠実さと
力によっています。
神が約束され,私たちが信じると,
約束は神が成就させてくださいます。
それが,信仰だと言っています。
みことばの力
(ヘブル4:12)
「神のことばは生きていて,
力があります。」
イエス・キリストが
成してくださったものを,
与えてくださるのは,
わたしたちの信仰を通してです。
わたしたちが,
神に従順であるなら,
聖霊を通して,
神の望むことを得ることが出来ます。
それは,みことばが私たちのうちに,
神の力として働くからです。
すべてのものを受ける
(ローマ8:32,34)
「私たちすべてのために,
ご自分の御子をさえ惜しまずに
死に渡された方が,
どうして,
御子といっしょにすべてのものを,
私たちに恵んでくださらないことが
ありましょう。」
神は,御子と一緒にすべてのものを
与えてくださいます。
イエスの明け渡し
(テトス2:14)
「キリストが私たちのために
ご自身をささげられたのは,
私たちをすべての不法から贖い出し,
良いわざに熱心なご自分の民を,
ご自分のためにきよめるためでした。」
イエス・キリストがご自身をささげたのは,
「イエスの明け渡し」と
呼ばれることがあります。
イエス・キリストが
ご自身をささげられたのは,
御自身のいのちを
わたしたちのために
捨ててくださったことによります。
イエス・キリストは,
わたしたちのために,
御自身を与えられたのです。
それは,私たちが私たち自身を
イエス・キリストにささげるためでした。
イエスが御自身の命をささげ,
私たちに与えてくださったので,
わたしたちはイエスのいのちを
受けることが出来ます。
それは,わたしたちが
きよめられるためです。
わしの翼
(出エジプト19:4,5)
「あなたがたは,
わたしがエジプトにしたこと,
また,あなたがたをわしの翼に載せ,
わたしのもとに連れて来たことを見た。
今,もしあなたがたが,
まことにわたしの声に聞き従い,
わたしの契約を守るなら,
あなたがたは
すべての国々の民の中にあって,
わたしの宝となる。
全世界はわたしのものであるから。」
神は,イスラエルの民を脱出させ,
カナンの地に救い出してくださいました。
そして,
イスラエルの民は
神の宝となると言います。
神の子ども
(ヨハネ1:12)
「この方を受け入れた人々,
すなわち,その名を信じた人々には,
神の子どもとされる特権を
お与えになった。」
神の祝福は,
イエス・キリストを通して与えられます。
イエス・キリストを信じる者は
神の子供として,
イエス・キリストとイエス・キリストにある
すべてを受け取ることが出来ます。
主に献げる
(2コリント5:15)
「キリストがすべての
人のために死なれたのは,
生きている人々が,
もはや自分のためにではなく,
自分のために死んで
よみがえった方のために
生きるためなのです。」
わたしたちは,
イエス・キリストに従い,
イエスに仕えるために
自分を明け渡すように,
パウロは言います。
(2コリント8:5)
「そして,私たちの期待以上に,
神のみこころに従って,
まず自分自身を主にささげ,
また,
私たちにもゆだねてくれました。」
罪からの救い主
(1ヨハネ3:5,6)
「キリストが現われたのは
罪を取り除くためであったことを,
あなたがたは知っています。
キリストには何の罪もありません。
だれでも
キリストのうちにとどまる者は,
罪のうちを歩みません。
罪のうちを歩む者はだれも,
キリストを見てもいないし,
知ってもいないのです。」
わたしたちは,
イエス・キリストを
信じることによって,
罪が赦されるだけでなく,
罪そのものから解放されます。
イエス・キリストは,
罪を赦してくださる方,
罪から解放してくださる方で
あると理解して,
わたしたちは
イエス・キリストのもとにでて,
罪を告白し,
わたしたち自身を明け渡せば,
わたしたちの罪は,
イエス・キリストの血潮に
よってきよめられ,
十字架によって解放されます。
罪の赦し
(マタイ9:2)
「イエスは彼らの信仰を見て,
中風の人に,
『子よ。しっかりしなさい。
あなたの罪は赦された。』
と言われた。」
神はわたしたちが
イエス・キリストを信じることによって,
罪を赦し,
イエスの義が与えてくださいます。
そして,わたしたしを
神が愛する者に変えてくださいます。
罪のきよめ
(1ヨハネ1:9)
「もし,
私たちが自分の罪を言い表わすなら,
神は真実で正しい方ですから,
その罪を赦し,
すべての悪から
私たちをきよめてくださいます。」
神はわたしたちの罪を
取り除くことの出きる唯一の方です。
イエス・キリストを信じたとき,
罪が赦されるとともに,
わたしたちの罪はきよめられます。
「罪を赦し」とは,
罪人に下された無罪放免です。
「きよめ」は,
信じる者の身に起き,
実際に経験されるものです。
「きよめ」は,
わたしたちを不義,汚れ,
罪の働きなどから解放する神の力が
わたしたちの心に働かれるものです。
♪ 「告げよ主に」(聖歌423)
1.
告げよ主に
告げよ今 内にある悩みを
御恵みに富める主は
聞き給わん親しく
(くり返し)
主の許に 降ろせ
汝が 重き荷の全てを
御恵みに 富める主は
取り給(たま)わん 残らず
2.
告げよ主に
友にさえ 語り得ぬ事ども
御恵みは 深き海
飛び込みて 清まれ
(くり返し)
3.
試みを 受けし主は
罪人の友なり
試むる者 何処
仇よ 疾く退け
(くり返し)
4.
告げよ主に 告げよ今
慰めは 主にあり
力ある御手を伸べ
主は支えん 汝が身を
(くり返し)
聖め
(1コリント1:30)
「しかしあなたがたは,
神によって
キリスト・イエスのうちに
あるのです。
キリストは,私たちにとって,
神の知恵となり,
また,義と聖めと,
贖いとになられました。」
きよめとは,
わるいものが取り去られること,
(罪からの解放)ですが,
聖めとは,良いもの,
神聖なもの,神聖なもの,
イエス・キリストの性質に
満たされることです。
宮が聖所とされたのは,
神の内住によったように,
私たちは聖霊によって
神がキリストの内に住まわれます。
わたしたちの内にある
キリストのいのちが,
わたしたちを聖めてくださいます。
公義,誠実,へりくだり
(ミカ6:8)
「主はあなたに告げられた。
人よ。何が良いことなのか。
主は何をあなたに
求めておられるのか。
それは,ただ公義を行ない,
誠実を愛し,
へりくだって
あなたの神とともに
歩むことではないか。」
ミカ書には,
救いの実を3つの事柄があります。
イエスを信じる者の
新しい生活があります。
神との関係では義を行ない,
隣人との関係では
誠実を愛すること,
自分との関係では
へりくだることです。
義
(ローマ3:22)
「イエス・キリストを信じる
信仰による神の義であって,
それはすべての信じる人に与えられ,
何の差別もありません。」
イエス・キリストを信じる者は,
キリストの義を無償の贈り物として
受け取ることが出来ます。
信仰によって受け取った
義によってのみ
神の前に義とされます。
神との関係が正しくされ,
それによって義人の命が
人の内に植え付けられ,
義人として生きるようになるのです。
義の衣を着る
(エペソ4:24)
「真理に基づく義と聖をもって
神にかたどり造り出された,
新しい人を
身に着るべきことでした。」
愛
(ヨハネ13:34,35)
「あなたがたに
新しい戒めを与えましょう。
あなたがたは互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように,
そのように,
あなたがたも互いに愛し合いなさい。
もしあなたがたの互いの間に
愛があるなら,
それによって,
あなたがたが
わたしの弟子であることを,
すべての人が認めるのです。」
私たちが
兄弟を愛することが出来るのは,
イエス・キリストが
わたしたちを
愛してくださったからです。
わたしたちが
互いに愛し合う基準と法則は,
イエスの愛の内にあります。
イエスが愛したように
わたしたちが互いに愛することが,
私たちの真実の救いです。
謙遜
(マタイ11:29)
「わたしは心優しく,
へりくだっているから,
あなたがたも
わたしのくびきを負って,
わたしから学びなさい。
そうすれば
たましいに安らぎが来ます。」
わたしたちの最も
大きな危険な敵は,
自分を高くすること高慢です。
イエス・キリストは模範として,
謙遜を示してくださいました。
イエス・キリストにある命の霊は,
わたしたちがへりくだり,
謙虚にさせてくださいます。
つまづき
(マタイ5:29,30)
「もし,右の目が,
あなたをつまずかせるなら,
えぐり出して,捨ててしまいなさい。
からだの一部を失っても,
からだ全体ゲヘナに
投げ込まれるよりは,
よいからです。
もし,右の手が
あなたをつまずかせるなら,
切って,捨ててしまいなさい。
からだの一部を失っても,
からだ全体ゲヘナに落ちるよりは,
よいからです。」
主は,あなたを守る方
(詩篇121:5,7)
「主は,あなたを守る方。
主は,あなたの右の手をおおう陰。
主は,すべてのわざわいから,
あなたを守り,
あなたのいのちを守られる。」
イエス・キリストを信じる者は,
イエス・キリストが
受け入れてくださるだけでなく,
守ってくださいます。
私たちが主の前に
問題を持っていくなら,
主が問題を解決してくださいます。
弱さの中の力
(2コリント12:9,10)
「しかし,主は,
『わたしの恵みは,
あなたに十分である。
というのは,わたしの力は,
弱さのうちに
完全に現われるからである。』
と言われたのです。
ですから,
私は,キリストの力が
私をおおうために,
むしろ大いに喜んで
私の弱さを誇りましょう。
ですから,私は,キリストのために,
弱さ,侮辱,苦痛,迫害,
困難に甘んじています。
なぜなら,私が弱いときにこそ,
私は強いからです。」
わたしたちは,
全くの無力であることをみとめて,
神により頼むまで
神の業はなされません。
わたしたちの無力さの中に,
イエスの力が働きます。
信仰による歩み
(2コリント5:7)
「確かに,
私たちは見るところによってではなく,
信仰によって歩んでいます。」
私たちは見るところによってではなく,
信じることによって救われ,
救いの中を歩んでいます。
それは,見るところだけでなく,
わたしたちのうちにある感情に従って
あゆんではいないのです。
感情は,私たちが主を信じ従がうとき,
後からわいてくる喜びです。
喜びは,神を信じ,従がうとき,
わたしたちのうちに与えられます。
聖霊
(ガラテヤ4:6)
「そして,
あなたがたは子であるゆえに,
神は「アバ,父。」と呼ぶ,
御子の御霊を,
私たちの心に
遣わしてくださいました。」
天におられたイエスが,
いまわたしたちの内に,
聖霊を通して住んでおられます。
聖霊の導き
(ローマ8:14,16)
「神の御霊に導かれる人は,
だれでも神の子どもです。
あなたがたは,
人を再び恐怖に陥れるような,
奴隷の霊を受けたのではなく,
子としてくださる御霊を受けたのです。
私たちは御霊によって,
『アバ,父。』と呼びます。
私たちが神の子どもであることは,
御霊ご自身が,
私たちの霊とともに,
あかししてくださいます。」
イエス・キリストを信じる者は,
イエス・キリストの内にある
いのちの御霊によって成長します。
父なる神が与えてくださる聖霊が,
神の知恵と力をもって,
わたしたちの生活を
導いてくださいます。
聖霊を悲しめること
(エペソ4:30)
「神の聖霊を
悲しませてはいけません。
あなたがたは,
贖いの日のために,
聖霊によって証印を
押されているのです。」
私たちがイエス・キリストを信じ,
聖霊を受け入れるなら,
私たちは聖霊を経験します。
それは,内なる聖霊によって,
喜びに満ちた確信と,
神の子とされた祝福を
もつことが与えられます。
肉から御霊へ
(1コリント3:1)
「さて,兄弟たちよ。
私は,あなたがたに向かって,
御霊に属する人に対するようには
話すことができないで,
肉に属する人,
キリストにある幼子に
対するように話しました。」
キリストを信じるものも,
信じていないものも
一つの問題があります。
それは肉のあつかいといいます。
ローマ書7章の状態です。
(ローマ7:14)
「私たちは,
律法が霊的なものであることを
知っています。
しかし,私は罪ある人間であり,
売らて罪の下にある者です。」
(ローマ7:18)
「私は,私のうち,すなわち,
私の肉のうちに善が
住んでいないのを知っています。
私には善をしたいという
願いがいつもあるのに,
それを実行することが
ないからです。」
しかし,信仰により神のめぐみにより,
聖霊によって自由にされた者として
生きるようになります。
(ローマ8:2)
「なぜなら,
キリスト・イエスにある,
いのちの御霊の原理が,
罪と死の原理から,
あなたを解放したからです。」
(ローマ8:13)
「もし肉に従って生きるなら,
あなたがたは死ぬのです。
しかし,もし御霊によって,
からだの行ないを殺すなら,
あなたがたは生きるのです。」
信仰による生活
(ハバクク2:4)
「見よ。
心のまっすぐでない者は心高ぶる。
しかし,正しい人は
その信仰によって生きる。」
救いは,信仰によって得られます。
ハバククのこの言葉は
それ以上の意味を含みます。
義人は信仰によって生きるのであり,
生活全体がたえず信仰によって
導かれないといけないといっています。
2015.5.22