見出し画像

朝の光(聖書の言葉)

8.備える (ぶどうの木) 

8.備える (ぶどうの木) 
 
ルカ3:1-14     
(洗礼者ヨハネ,教えを宣べる)

フィリピ1:3-18   
(フィリピの信徒のための祈り)

 
「主の道を整え,
その道筋をまっすぐにせよ。」
(ルカ3:4)
 
 
 

 洗礼者ヨハネ,教えを宣べる

(ルカ3:1-14)   
 
今日の説教題を「備える」としました。
 

荒れ野で,神様の使者であるヨハネが

「主の道を整え,その道筋をまっすぐにせよ」

(ルカ3:4)

と叫んだことによります。

 
神様が来てくださる,

そのために備えなさい。
 

「主の道を整え,その道筋をまっすぐにせよ」

と叫びました。

 
この荒れ野での叫びは,

「皇帝ティベリウスの治世の第15年,

ポンティオ・ピラトがユダヤの総督,

ヘロデがガリラヤの領主,

アンナスとカイアファとが

大祭司であったときです。」

(ルカ3:1)
 

皇帝,領主,大祭司

と揺らぐことのない

支配体制が造られ,

その支配の下にあった人の中に,

神様の言葉は降って来て,

洗礼者ヨハネは

「主の道を整え,

その道筋をまっすぐにせよ」

(ルカ3:4)

と叫びます。
 

どのようにして,

主の道を整えたらいいのでしょうか。

 
神の言葉を受けたヨハネは,

罪の赦しを得させるために

悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」

(ルカ3:3)のです。

 
人々は皇帝,領主,大祭司という

支配体制に服していました。

 
そして,

その人々の心は権力者に向けられ,

神様へと心が向けられていませんでした。         
 

神様の御心からそれている,

この状態こそが

罪に陥(おちい)っている状態です。
 

まず,罪の赦しに与かり,

心をこの世のことから,

神様の御心へと向きを

変えなければなりません。 

 
そこで神様の御言葉を

いただいたヨハネは,

「罪の赦しを得させるために

悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」

(ルカ3:3)のです。

 
そして,

それと共に悔い改めた者の

具体的な生活の仕方を教えます。
 

それは,

悔い改めにふさわしい実を

結ぶことです。

 
罪の赦しを得させる

悔い改めの洗礼を受けに来た人々に,

ヨハネは次のように言います。

 
「悔い改めにふさわしい実を結べ。
『われわれの父はアブラハムだ』
などという考えを起こすな。
言っておくが,
神はこんな石ころからでも,
アブラハムの子たちを
造り出すことがおできになる。」
(ルカ3:8)

 
ヨハネは,

悔い改めが一人一人の課題であることを

明らかにしました。
 
神様の前には一人一人が立たされ,

それぞれが責任を取らなければなりません。
 

その答えを受けて,

群衆

「では,わたしたちはどうすればよいのですか」

(ルカ3:10)と尋ねます。


 
すると,ヨハネは

「下着を2枚持っている者は,
1枚も持たない者に分けてやれ。
食べ物を持っている者も同じようにせよ」
(ルカ3:11)

と言います。

 
隣り人を愛する生活を教えます。

 
徴税人も洗礼を受けに来て,

「先生,

わたしたちはどうすればよいのですか」

(ルカ3:12)

と尋ねます。

 
するとヨハネは

「規定以上のものは取り立てるな」

(ルカ3:13)

と言います。

 
不正を戒めた言葉であす。
 
兵士

「このわたしたちは

どうすればよいのですか」

(3:14)と尋ねると,

ヨハネは

「だれからも金をゆすり取ったり,
だまし取ったりするな。
自分の給料で満足せよ」
(ルカ3:14)

と言います。
 

自分たちにゆだねられた

力や役目を利用して,

暴力を振るったり,

不正を行うなと言います。

 
何も特別なことではありません。
 

これらのヨハネの答えは,

すべてイエスさまの

「隣り人を愛せよ」(マタイ22:39)

という言葉にまとめることができます。
 

悔い改めて,罪赦され者の生活は,

神様を愛し,隣り人を愛する生活です。
 
 

 フィリピの信徒のための祈り

(フィリピ1:3-11)
 

今日は待降節第2主日で,

「主の道を整え,

その道筋をまっすぐにせよ」

(ルカ3:4)

と主を迎えるために備えています。
 
今日の聖書箇所は,

パウロの手紙で,次のように祈ります。

「知る力と見抜く力とを身に着けて,
あなたがたの愛がますます豊かになり,
本当に重要なことを見分けられるように。」
(フィリピ1:9)

 
まさに,

情報が氾濫している現代に生きる

わたしたちに向けられた祈りです。

 
悔い改めて洗礼を受けた者の生活,

それは神を愛し隣り人を愛する生活です。


その愛の生活を豊かにするのは何かが,

この祈りの言葉を通して示されています。

 
愛は,

「知る力と見抜く力を身に着ける」

(フィリピ1:9)ことによって,

豊かになります。

 
知る力とは知識力,

見抜く力は洞察力です。

 
愛は知識力と洞察力を

身に着けることによって,

ますます豊かになり,

本当に重要なことを

見分けることができるようになります。

 
だから,

パウロは愛するフィリピの信徒のために

「あなたがたの愛がますます豊かになる」

(フィリピ1:9)ようにと祈りました。

 
わたしたちがキリストの愛を知り,

悪を見抜く力を身に着けることによって,

わたしたちの愛もますます豊かになります。
 

そして,神様を迎え,

クリスマスを迎える備えを

怠りなくできるようになります。
 

「知る力と見抜く力とを身に着けて,
あなたがたの愛がますます豊かになり,
本当に重要なことを
見分けられますように。」
(フィリピ1:9)
 

わたしたちも,

隣り人のためにこのように

祈る者でありたいと思います。
 
 
 
 
 
(2003年12月6日 待降節第2主日)
 
松隈貞夫牧師

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「説教」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事