乳がんが見つかった妻と家族の物語

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2020/9/9(水)肺MACの手術

2020-09-09 03:41:00 | 日記
今年も早いものでもう9月。
ブログをしばらくお休みしている間に、
世の中は新型コロナウイルスにより、年初には想像できないような日々に変わっている。

インターナショナルスクールを選択したので、2月生まれの息子は、6月まではプリスクールのクラスに在籍(登校は2日のみ。週に1時間のオンライン授業で3カ月を過ごす。)その後サマースクールを経て、9月からやっと小学生?になった。楽しそうに通ってるので一安心。在宅勤務が中心ということもあって、送り迎えも余裕があり、いろんな発見があるが、それはまたの機会にしたい。

さて。今年の夏も妻にとってはつらい夏となった。昨年から薬の治療をすすめていた肺MACは、なかなか改善しないため、8月7日に肺の一部を切り取る手術をした。

手術前。手術が近づくたびに、妻は不安を感じていた。医師からは妻が経験したこれまでの手術の中では一番大変かもと聞かされていた。それでも息子が超未熟児で生まれたときの、どうなるかわからないことへの不安に比べれば大したことはない、そう自らに言い聞かせていた。

それでも気にしていたのは、手術前になって息子が急に妻に甘え始めたこと。あまりの甘えっぷりに、大丈夫かなぁ。私死ぬのかなぁ。と笑えない冗談を言っていた。

手術当日。手術は朝始まり昼に終わった。
医師からの術後説明で見せられた切り取られた肺は、肺のイメージとは違って内臓そのものだったのだが、手術は無事に終わり、手術前から乳がんの薬タモキシフェンをやめていたせいか、生理がやってきて、病院にいると落ち着かない妻は入院5日で逃げるように退院した。妻とタモキシフェンの力は偉大などと笑って話した。

麻酔で気持ち悪いなど、本人は大変だったが、ここまではまあ想定内。しかし問題は退院6日目に起きた。ちなみにこの間、私と息子は福岡に旅行中(コロナ渦では帰省とは呼ばない)で、16日の午前中に帰宅することになっていた。

8月16日3時45分。携帯電話がなる。
電話の向こうからは、息が苦しそうな妻の声。空気が漏れてる音がする、どうしたらいいか、とかなり混乱している様子だった。病院の救急に電話をしたが、あまり真剣に取り合ってもらえなかったという。(心配ならどうぞ、みたいな)

術後はかすれていた声も、退院後は日に日によくなり、前日も元気そうに話していたので、一体何が起きたのか混乱した。薬の影響で錯乱しているのか、本当に何か想定外のことが起きているのか、電話では判断できなかったが、とりあえずタクシーで病院にいくように伝える。

6時すぎ。再び電話。病院で待たされているが、とりあえず病院に着いた報告だった。様子を見ずにすぐに病院に向かったことが正解だったこと、これから緊急手術のための検査をするという。私は息子と9時の飛行機で東京に戻り、羽田から病院に直行。病院で義母に息子を預けて集中治療室ICUへ向かった。

前回手術の担当医が状況を説明してくれた。その服装からは休みの日に急遽かけつけた様子がうかがえた。空気が漏れていること、8月7日に手術した場所は問題なさそうだということはある程度確認したが、何が起きているかは実際に切ってみないとわからないとのことだった。空気が漏れている場所が特定でき、限定された範囲であればそこをふさぐ。それが広範囲だと肺をさらに広範囲で切ることになる。その場合は、手術の時間も長くなるとの説明だった。

ベッドでは点滴の針をさされながら、妻が痛いと叫んでいた。痛みの原因がわからず、医師や看護師たちも少し困った様子だった。妻はようやく辛い手術を終えたのに、わずか1週間あまりでまた同じ辛い経験をしなければならないことに、ショックを受け、苛立っていた。そして何より痛がっていた。体内に漏れた空気が原因のようだった。私はとりあえずそばにいて、大丈夫と声をかけることしかできなかった。

手術室に向かう直前に、ザ教授的な、一番偉い医師が現れて妻の手を握り、「大丈夫。大丈夫だから。」と声をかけた。
こうして14時に始まった手術は事前に医師が説明した範囲の中では一番良いほうで、17時すぎには終わった。

原因は、手術をした近くの気管支に穴が空いたことことだった。入念に塞いだこと、医師たちもまったく想定していないこと、前回の手術のビデオを何度も確認したことの説明を受けた。夜中異変を感じてすぐに病院に来たのがよかったとのことだった。(救急の電話対応の方、夜中にいろんな方の電話を受けて大変だと思いますが、あなたの電話の対応が人の命を左右するかもしれないのだから頼みますよ。)

熱が出たり、なかなか食べられないことを除いては、今回も術後は順調に回復した。ただ2週間で2度も体にメスを入れて(メスが正しいかはわからない)、傷も体力も回復してない中での2回目の手術だったこと、妻に退院を促す強い動機となる生理はなかったことから、今回は1週間入院し、その週末に退院した。

こうして妻にとっては去年の帯状疱疹に続き今年も病と過ごす夏となった。息子にとってもまた父親とずっと過ごす夏休みとなった。こうしてバタバタと新学期が始まった。










2020/1/6(月) 山あり谷あり

2020-01-06 21:54:00 | 日記
前回は妻の帯状疱疹により、夏休みの沖縄旅行が父子ふたり旅になった話をした。
その後。妻の帯状疱疹は、思っていたよりも長引いたものの、11月には普段の生活を取り戻した。
そして12月。夏のリベンジ旅行を実行することに。今回は絶対行くと誓った妻は、とにかく体調管理を徹底し、無事に家族3人で沖縄へ。昼間は20度を超える陽気で、息子も前回行けなかったお母さんとの旅行に楽しそうだった。




こうして病気に振り回されたが2019年が終わり、2020年を迎えた。
その2日目。妻はインフルエンザを発症し、また父子だけの年始を過ごすことに。今年も病気との付き合い方が試される1年となりそうだ。


2019/9/9(月)夏休みのできごと

2019-09-09 11:43:00 | 日記
8月のおわり。
今年の夏休みは、家族3人で沖縄旅行を予定していた。
ところが出発2日前。妻が背中の痛みを訴える。
思い当たるのは、1週間ほど前に、ぐずる息子を抱きかかえたことくらいという。
出発まで様子をみたが、痛みはおさまらない。
沖縄へは息子と2人で向かい、妻は良くなったら後から追いかける、ことにした。

1日目。2日目。妻の様子はいっこうに良くならない。
そして3日目。妻は帯状疱疹を発症した。
背中の痛みは、帯状疱疹の前兆だった。
結局、5泊6日の沖縄旅行は、想定外の父子2人旅となった。

免疫力が低下するといろんな病にかかる。
ガンの薬、肺MACの薬、そして帯状疱疹の薬。
おばあちゃんの薬箱には入りきらなくなった。

でも生きてることがもうけもん。病と付き合っていくしかない。






2019/5/9(木)おばあちゃんのクスリ箱

2019-05-09 08:45:19 | 日記
昨日は妻は病院へ。
先月の検査入院の結果を聞くためだ。
結果を先に言うと、肺の影の正体は、非結核性抗酸菌症。MAC(マック)だった。

以前このブログで書いたが、結核でなければ、
可能性として一番に挙がっていたマックなので、
特に喜ばしい話ではないが、想定の範囲内。
今回の検査で原因がわからなければ、また検査になるので、とりあえずほっとした。

大量の薬を処方され、「おばあちゃんみたい」と困惑していた。がんの治療のためのタモキシフェンひとつですら、飲み忘れることがあり、1錠ずつ番号をつけていたくらいなので、毎日何種類もの薬を食前、食後と飲み分けられるのか。しかも2年ほど続くらしい。

とりあえず適当な空き箱をクスリ箱として、プレゼントした。

大量の薬


番号をふったタモキシフェン

2019/4/19(金)再検査入院。その日の出来事

2019-04-20 12:59:37 | 日記
肺の影の原因を調べるため、妻は今日から1泊2日の検査入院。
とはいえ、朝から何か特に変わったことがあるわけではなく、7時までしか食べられないらしく、妻がいつもより早起きして朝食を食べていたことくらい。
私はいつもどおり息子と家を出て保育園に送り届けた後、出勤し、妻は遅れて家を出て、会社ではなく、病院へ向かった。

妻の様子も気になりながら仕事をしていたが、午後1時すぎに、スマホにひとつのニュースが表示された。

池袋で乗用車とゴミ収集車が衝突して、歩行者が巻き込まれた、といった内容だった。

現場は、家からも保育園からも近い。まあでもまさかね。念のため保育園に電話し、無事を確認する。あとで報道で知るのだが、乗用車が暴走したのは保育園の前の道で、時間帯によっては本当に危なかった。

重体と報じられた母子は間もなく亡くなった。

帰宅前に現場の交差点に花を手向けた。

入院した妻はというと、麻酔の量が多すぎたらしく、夜中ずっと吐いていたらしい。本人の想定よりもハードな検査となった。それでも影の原因がはっきりすればいいのだけど。

検査の結果は10連休のあと。


写真は翌日の現場。献花台も置かれていた。