今年も早いものでもう9月。
ブログをしばらくお休みしている間に、
世の中は新型コロナウイルスにより、年初には想像できないような日々に変わっている。
インターナショナルスクールを選択したので、2月生まれの息子は、6月まではプリスクールのクラスに在籍(登校は2日のみ。週に1時間のオンライン授業で3カ月を過ごす。)その後サマースクールを経て、9月からやっと小学生?になった。楽しそうに通ってるので一安心。在宅勤務が中心ということもあって、送り迎えも余裕があり、いろんな発見があるが、それはまたの機会にしたい。
さて。今年の夏も妻にとってはつらい夏となった。昨年から薬の治療をすすめていた肺MACは、なかなか改善しないため、8月7日に肺の一部を切り取る手術をした。
手術前。手術が近づくたびに、妻は不安を感じていた。医師からは妻が経験したこれまでの手術の中では一番大変かもと聞かされていた。それでも息子が超未熟児で生まれたときの、どうなるかわからないことへの不安に比べれば大したことはない、そう自らに言い聞かせていた。
それでも気にしていたのは、手術前になって息子が急に妻に甘え始めたこと。あまりの甘えっぷりに、大丈夫かなぁ。私死ぬのかなぁ。と笑えない冗談を言っていた。
手術当日。手術は朝始まり昼に終わった。
医師からの術後説明で見せられた切り取られた肺は、肺のイメージとは違って内臓そのものだったのだが、手術は無事に終わり、手術前から乳がんの薬タモキシフェンをやめていたせいか、生理がやってきて、病院にいると落ち着かない妻は入院5日で逃げるように退院した。妻とタモキシフェンの力は偉大などと笑って話した。
麻酔で気持ち悪いなど、本人は大変だったが、ここまではまあ想定内。しかし問題は退院6日目に起きた。ちなみにこの間、私と息子は福岡に旅行中(コロナ渦では帰省とは呼ばない)で、16日の午前中に帰宅することになっていた。
8月16日3時45分。携帯電話がなる。
電話の向こうからは、息が苦しそうな妻の声。空気が漏れてる音がする、どうしたらいいか、とかなり混乱している様子だった。病院の救急に電話をしたが、あまり真剣に取り合ってもらえなかったという。(心配ならどうぞ、みたいな)
術後はかすれていた声も、退院後は日に日によくなり、前日も元気そうに話していたので、一体何が起きたのか混乱した。薬の影響で錯乱しているのか、本当に何か想定外のことが起きているのか、電話では判断できなかったが、とりあえずタクシーで病院にいくように伝える。
6時すぎ。再び電話。病院で待たされているが、とりあえず病院に着いた報告だった。様子を見ずにすぐに病院に向かったことが正解だったこと、これから緊急手術のための検査をするという。私は息子と9時の飛行機で東京に戻り、羽田から病院に直行。病院で義母に息子を預けて集中治療室ICUへ向かった。
前回手術の担当医が状況を説明してくれた。その服装からは休みの日に急遽かけつけた様子がうかがえた。空気が漏れていること、8月7日に手術した場所は問題なさそうだということはある程度確認したが、何が起きているかは実際に切ってみないとわからないとのことだった。空気が漏れている場所が特定でき、限定された範囲であればそこをふさぐ。それが広範囲だと肺をさらに広範囲で切ることになる。その場合は、手術の時間も長くなるとの説明だった。
ベッドでは点滴の針をさされながら、妻が痛いと叫んでいた。痛みの原因がわからず、医師や看護師たちも少し困った様子だった。妻はようやく辛い手術を終えたのに、わずか1週間あまりでまた同じ辛い経験をしなければならないことに、ショックを受け、苛立っていた。そして何より痛がっていた。体内に漏れた空気が原因のようだった。私はとりあえずそばにいて、大丈夫と声をかけることしかできなかった。
手術室に向かう直前に、ザ教授的な、一番偉い医師が現れて妻の手を握り、「大丈夫。大丈夫だから。」と声をかけた。
こうして14時に始まった手術は事前に医師が説明した範囲の中では一番良いほうで、17時すぎには終わった。
原因は、手術をした近くの気管支に穴が空いたことことだった。入念に塞いだこと、医師たちもまったく想定していないこと、前回の手術のビデオを何度も確認したことの説明を受けた。夜中異変を感じてすぐに病院に来たのがよかったとのことだった。(救急の電話対応の方、夜中にいろんな方の電話を受けて大変だと思いますが、あなたの電話の対応が人の命を左右するかもしれないのだから頼みますよ。)
熱が出たり、なかなか食べられないことを除いては、今回も術後は順調に回復した。ただ2週間で2度も体にメスを入れて(メスが正しいかはわからない)、傷も体力も回復してない中での2回目の手術だったこと、妻に退院を促す強い動機となる生理はなかったことから、今回は1週間入院し、その週末に退院した。
こうして妻にとっては去年の帯状疱疹に続き今年も病と過ごす夏となった。息子にとってもまた父親とずっと過ごす夏休みとなった。こうしてバタバタと新学期が始まった。