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水簾洞

 

同性婚合法化に反対します

2022-06-28 17:27:00 | ノンジャンル
大阪地裁が同性婚を求める訴えを退けた件。ネット世論ではこの判決に対して非難轟々だが、僕は支持したい。
そもそもノンケの僕にとっては、こんな事がまじめに議論されること自体がおかしい。同性婚など認めないのが当たり前である。
ただでさえ少子化で喘ぐ日本社会だ。そんなところになにが同性婚だ、いいかげんにしろ。
マイノリティへの配慮だの、ジェンダーレスだの、いつから世の中はこんなにおかしくなったのだ。

同性婚を求める人々の意見を聞けば、日本の法律だけ旧来の古い考え方から脱却していない、だから同性婚を認めろという。
それだけ彼ら、彼女らは古いしきたりに捉われない素晴らしい考えを持った方々なのだから、結婚などという紙切れ一枚のことにこだわらず、好き同士が一緒にいればそれで満足すればいいではないか。古い考えにこだわっているのは一体どちらなのか。

「シン・ウルトラマン」鑑賞

2022-05-22 13:00:00 | ノンジャンル
「シン・ゴジラ」に続く第二弾「シン・ウルトラマン」。制作段階から期待の声が絶えなかったこの新作を観てきた。

初代ウルトラマンへのオマージュが散りばめられており、それは良いのだが、それがこの作品のハンデになっているように感じた。

思えば「シン・ゴジラ」は特に初代ゴジラへのオマージュを感じさせなかったから、数あるゴジラ映画の中の斬新な一作として見ることができた。初代ゴジラという神作品に比べてどうなのかという事は考えなくてもよかった。
「シン・ウルトラマン」は違う。あまりにも初代ウルトラマンに寄せ過ぎており、そのことが「この設定は初代ウルトラマンが好きな者からすると受け入れがたい」という反応を惹起してしまう。「シン・ウルトラマン」が力作なのはわかるが初代ウルトラマンというレジェンドに比べるとどんな力作も勝てようがないのだ。

「シン・ウルトラマン」はやはり庵野秀明らしい難解さがある。「シン・ゴジラ」はその難解さを読み解くと快感が待っていたが、「シン・ウルトラマン」は読み解いてもやっぱり初代ウルトラマンを読み解いた感動に比べるとはるかに小さい。

悪くはないし観る価値はあるが、僕の観たいウルトラマンではない。それが感想。

お犬様へのナンセンスな感情論

2022-04-25 11:32:00 | ノンジャンル
コロナはいつ終息するのかという問題に、「マスコミがコロナネタでは商売にならないと思った時」と答えた人がいる。痛快な答えである。
ここしばらく、ニュースを見てもコロナの話題しかなかった。最近はウクライナの戦争に放送時間を割くことが多くなったので相対的にコロナネタを放送する時間が減り、一頃ほどコロナコロナと世の中がやかましくなくなった。

そのウクライナから、犬を連れて日本に避難してきた人がいる。御苦労は気の毒この上ないが、その犬が問題になっている。
本来は国外から犬を日本国内に持ち込む場合、狂犬病の警戒のため180日は隔離せねばならぬ。その間の世話の費用を件の人は払えないらしく、「こんなことなら犬と一緒にウクライナで死ねばよかった」とまで言い出したものだから、立憲民主党だのテレビ朝日だのといったいつものお笑いサヨク軍団が「可哀想」の大合唱をした結果、特例として入国を認める事と相成ってしまった。

なぜ人はかくも犬に甘いのだろう。
致死率が低いコロナには過剰なほどの警戒をして潰れる店、失業者をバンバン出したのに、犬には可哀想などというナンセンスな感情論で致死率100%の狂犬病への警戒を緩めるとはどういう了見なのか。日本から恐るべき狂犬病を撲滅した先人たちの苦労をなんと心得ているのか。

もし日本に再び狂犬病が蔓延するようなことになったら、岸田内閣、立憲民主党、テレビ朝日はどう責任をとるのか聞いてみたい。

レタスを炒めよう

2022-04-25 11:19:00 | ノンジャンル
生で食うことしか知らなかったレタスだが、油で炒めると美味いということに最近気づいた。
よく考えてみると中華料理屋のチャーハンには炒めたレタスが入っていることがあるので、まったく未知の味だったわけではない。

レタスは平安時代には日本にあり、「ちしゃ」という和名で呼ばれていた。
戦後、進駐軍がサラダを食べるためにレタスをアメリカから輸入している姿を見て、「日本にもあるのにな」と思った人も多かったらしい。
もっとも彼らが日本産レタスを食べなかったのは肥料の問題である。その頃の日本の農業は下肥を使っていたので、生野菜サラダなどを食おうものならあっという間に寄生虫に感染してしまう。僕は戦後のGHQの日本統治にはいろいろ物申したいこともあるが、寄生虫をほぼ撲滅してくれたことは素直にありがたいと思っている。

レタスをちぎって溶き卵と絡めながら炒める。味付けは塩コショウで良いが、カレー粉などがあると味のレパートリーが広がる。

僕の一念多念論

2022-04-01 21:44:00 | ノンジャンル
念仏者にとって必ず一度は突き当たるのが一念多念の問題である。
たった一度念仏を唱えるだけで阿弥陀仏は救ってくださるというのが一念、何度も唱えて極楽行きポイントを貯めないと救われないというのが多念である。

阿弥陀仏の大いなる慈悲を信じるならば一念の方が理に適っているが、しかし法然上人は一日に六万回念仏を唱えていたという。一念で救われるのならなぜそれ以上唱え続ける? ……では多念が正しいのかと言われるとそうも言っていない。
およそ念仏宗では信と行が二本柱となるが、「信を一念に置き、行を多念に励むべし」という玉虫色の教えだけが残っている。

浄土真宗ではこの問題、一念を唱える気になった時に救いが成立する、その後の念仏は阿弥陀仏への感謝の表現という理論で見事に解決しているのだが、他の宗派の思想も比べてみるとなかなか勉強になる。

いま浄土宗と呼ばれる宗派は正確には鎮西義白旗派を指す。その教えは完全な多念義であり、何回念仏を唱えればいいかはその人の素質によって違うからとにかく命ある限り念仏を唱えまくりましょうという。
僕が最近注目しているのは同じ鎮西義でも名越派なのだが、こちらは一念での極楽往生決定を説く。ただし純粋な一念義のようにその後の念仏をするなとか必要が無いとは言わず、救われた後も念仏を唱えることを勧める。

僕の出した結論は、「一念で往生は決定する。その後の念仏は信の相続のため」というものだ。実はこの結論を出したのとほぼ同時期に名越派を知り、自分の思想とピッタリなので驚いた。
そのうえ名越派は善光寺・聖徳太子信仰とも深い繋がりがあるのだから、ますます僕にピッタリではないか。

名越派と白旗派はかつては激しい論争もしたが、今は合併して一つの「浄土宗」である。名越派とて知恩院や増上寺を本山と仰ぐ。白旗派の思想には賛同しづらいが知恩院や増上寺や徳川家が好きな僕には嬉しい。