影巫女の部屋

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御朱印 日本寺

2023-01-06 17:15:00 | 御朱印

本日は千葉県鋸南町にある日本寺に行きました。

日本寺は岩山から掘って作った大仏様や地獄覗きが有名です。

歴史

日本寺は今から約1300年前、聖武天皇の勅詔と、光明皇后のお言葉を受けた行基菩薩によって神亀2年(725年)6月8日に開山されました。
開山当初法相宗に属し、天台宗、真言宗を経て徳川三代将軍家光公の治世の時に曹洞禅宗となり、今日に至っております。
日本寺は開山当時、七堂十二院百坊を完備する国内有数の規模を誇り、良弁、空海、慈覚といった名僧が留錫(りゅうしゃく)したと記録されています。良弁僧正は木彫りの大黒尊天を彫られ、弘法大師(空海)は100日間護摩を焚かれ石像の大黒尊天を彫られました。
仁王門の金剛力士像は慈覚大師の作と伝えられています。

薬師瑠璃光如来は戦傷を癒すと言われており、日本寺を訪れた武将の記録も残されております。
源頼朝は石橋山の戦いに敗れた後、房州に逃れ再起を図った折に日本寺で武運を祈願し、自ら蘇鉄を手植えし、現在も大蘇鉄として境内に残っております。頼朝は鎌倉幕府を開くとすぐに荒廃していた日本寺の全山修工に力を尽くし、養和元年(1181年) 薬師本殿を再建しました。
頼朝により全山修工された日本寺は、その後、鎌倉幕府後期から南北朝時代にかけての続く戦火により再び荒廃しますが、足利尊氏により再び復興されます。尊氏は国家泰平と万民安寧を祈願し、奥の院無漏窟に参籠した事が通天窟前の石碑「房州鋸山日本寺碑」に記録されています。

また、鋸山には多くの文人が訪れ多くの詩歌が残されています。境内には長谷川馬光や小林一茶などの句碑も建立されています。近代文学では夏目漱石が「木屑録」に日本寺を訪れた際の様子を記しています。漱石と交流のあった正岡子規は後日、漱石とは逆ルートで鋸山を訪れ、この旅を「かくれみの」で著しています。

日本寺は鋸山の大半が寺の敷地内になっています。そのため、動きやすい服装に運動靴のほうが良いと思います。

影巫女は、厚底の靴を履いていったのですが、結構きつかったです…"(-""-)"

*参照したもの*

日本寺 ホームページ



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