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教師によるいじめを受けた者からのメッセージ

2006年10月17日 21時19分54秒 | 社会
テレビを見ていたら、いじめを苦にした中学生が自殺をしたとか。
その発端が教師による暴言だったとか。

私も小学校6年生から高校卒業まで、事件のあった福岡県で過ごしました。そして、自殺した彼ほどではないけれど、けっこうないじめを受けました。

福岡に転校する前の学校は田舎だったこともあり、特にいじめられるということもなく、平々凡々と過ごしていましたが、6年生のとき福岡に転校したときからそれは始まりました。

転校した経験のある人ならわかると思うけど、当初は特に社交的で明るい性格でもなかった私は、新しい学校・新しいクラスの雰囲気を伺っていました。

それが気にいらなかったのか、担任の女教諭から「お前は馬鹿だ、頭が悪い」といったことをクラスのみんなの前で言われました。当時の私は決して優秀ではなかったけれど、馬鹿呼ばわりされるほどではなく、テストの点がたまたま悪かったと記憶しています。とちり性の私にはよくあることでした。

そういうことも知らないくせに、いきなりそんなことを言う担任教諭に心を開くわけがありません。それからも教諭からの攻撃を受け続けました。両親がともに働いていたためPTAの役職をもっていなかったことも原因でした。私は孤立感を覚えました(実際には少数ながら友達もいたので孤独ではなかったのですが、そう思い込んでしまいました)

教諭によるその発言をきっかけにして、クラスのみんなからさげずまれはじめました。幸い、1年で卒業したので、深刻な事態にはなりませんでした。中学のときは小学校当時のことを知るものからやられましたが、当時は校内暴力が大流行のころ。悪ガキたちの矛先は教師や学校に向けられ、今で言ういじめのような陰湿さはありませんでしたので、何とか耐え抜くことができました。中学校の教師に変な人がいなかったことも幸いしました。

30年近くも前の話ですので今の学校とは比較できないけれど、私はこの時に「耐える」ことと「人間の痛みを知る」ことを学んだ気がします。自殺した彼もしばらく、あと1年半の間耐えてほしかった。今でも多くのいじめられっ子の多くは耐え忍んでいるはずです。
高校に入れば、よほど馬鹿ばかりの高校でなければ、普通に過ごせるはずです。それには、ひっそりとでもいいから自分のレベルを上げる必要があります。

私がそう思ったのは、あるとき父がつぶやいた一言でした。

「学校教師なんて、東大にも九大にも行けなかった連中なんだよな。たいしたことないくせにえらそうにしやがって」

これが転機になりました。確かにそのとおり。急に気が楽になったことを覚えています。どうせ大したことないやつらなんだ。こんなやつら以上の人間になればいいんだと。


それから数年。私は人並み以上の成績になり、教育学部ならどこでも楽勝で行けるほどになりましたが、まったくその気はありませんでした。なにもそんな低レベルのところに行く必要はなかったし、小学校の経験から人間としての度量があまりにも不足している連中の塊である教員の世界に行く気も起こりませんでした。

そして学校に行く子供を持った今、成績でも収入でも人間としても教師なんかよりも上にいる自信を持ち続けています。逆に言えば、教師なんて完全に見下ろしています。

今いじめられている人たちも、将来まで悲観する必要はありません。きちんと実績を残して、大いに見下ろしてやればいいのです。教師なんて所詮偏差値62程度のやつら。頭がいいわけでもないし、社会にもまれたわけでもない。縁故採用で教員採用試験に合格したやつらは理念なんて持っていませんし、大したことはできません。(この年代は教師が余って縁故以外はほとんど採用されなかった時代)

どんな分野でもいい。きっちりと実績を残せば自信もつくし、周囲も認めてくれます。ただし、自己中心はだめです。最近のいじめられっこは自己中が原因で無視されていることが多いそうだから。そういう場合は自分自身に問題があります。

また、いくら教師の発言がきっかけだったとはいえ、調子に乗っていじめていたやつら。私の感覚で言えば、こいつらの罪は教師以上に大きい。なぜパンツまで脱がせる必要があるのか?こいつらは快感を得ることが目的のはず。その代償が彼の自殺ならば、こいつらにも相応の賠償をさせなければいけない。それが社会のルール。大人としてこいつらの教育をしなければならない。その結果、こいつらの家庭が崩壊しようも、こいつら自身の命を絶たれることがあっても。

テレビや新聞の報道を見ていると、相変わらず一面的な切り口で教師批判ばかりしているが、いじめた経験こそあれ、いじめられた経験はないだろうことは明らかだ。いじめなんてそんなものじゃない。原因はいじめる側、いじめられる側、教師のいずれにも存在する可能性がある。これはケースバイケース。よく考えないと問題の根の深さに気づくことはできない。


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