社長のブログ

ルイール社長/長沼賢一のひとりごと

ボート部・・・③いざ、出陣

2007-12-17 11:48:29 | Weblog
毎日、毎日走ったり、鉄棒での前懸垂、後ろ懸垂(背筋を鍛える)、腕立て伏せ、カンガルー飛び(今は禁止されていますが、この頃は兎飛びのより強いバージョンとして、バーベルの重りを持って飛ぶことをしていたのです)などの基礎体力造りばかりしていたのですが、日曜日になるとやっとこさボートが漕げるのです。
気合の入ったときには、たまに土曜日に行く場合もありますが、ほとんどはありません。そんなところが、ボート部なのです。
もちのろん、中大杉並校でボートが漕げるわけはありません。そうですよね。
埼玉県の戸田ボート場まで行かなければなりません。
今でしたら、新宿から埼京線に乗れば早いのでしょうが、あの頃はバスを乗り継いで行ったのです。時間はかかるのですが、安い料金で行くことができたのです。
まず高円寺から関東バスに乗って大和?というところで降り、少し歩いた所にある西部バスに乗り継ぎ、戸田公園駅まで行くのです。そこからは歩いて2~3分で中央大学ボート部の合宿所に着きます。
大体午後1時過ぎに着き、大学の合宿所で着替え、1時30分から軽いマラソンを行った後にボートを漕ぎ、3時30分から4時には返ります。
なんて早い練習時間だ、と、思うでしょう。
とんでもない、これが中々つらいのです。
700mから1,000mを休みなく漕ぎ、そこから折り返し少し休んだら、200mから300mをライトパドル、パドルと漕ぎ数を上げていき、そこからまた折り返し、と何度も繰り返すのです。
運が良いときには、そこで合宿所に戻り家路にと向かいます。
ところが、です。
間々あるのですが、大学生の先輩と会うともういけません。大学生は日曜日はお休みなので、ほとんどの人がでかけているのですが、たまたまでかけていない人がいるのです。1年生、2年生の人たちなら、私たちの気持ちを理解してくれますので、ただのつまらない会話で終わるのですが、3年生の次期キャップテン候補の人か4年生のキャップテンの場合はもういけません。
懸垂50回を3セット、腕立て伏せ100回を3セットするまでは返してはくれません。最初は地獄でした。でも、いつかは慣れるものなのです。そのうちにこなせるようになったから不思議です。
そして、キャップテン、キャップテン候補はとても尊敬できる人でした。この人たちは、練習には厳しい人でしたが、食事を作って食べさせてくれたり、お菓子パンを買ってくれたりしたのです。私たちは、この2人の手の中でコロンコロン転がらされていたのです。
そんなキャップテン候補が男泣きに泣いたことがありました。親父さんが突然亡くなり、学校を辞めて、急遽田舎(青森)に戻り、親父さんの仕事の後を継がなければいけなくなったのです。
この人はコックスといって、シェル(ボートの早く漕げる種類、高校で使うボートはナックルといって本体が重い種類)の漕ぎ手ではなく、ボートの一番前に座って、掛け声をかけてスピードの上げ下げをしたり、両手で握っている紐でコースの真ん中を保つことをするのです。
もしもこの人がキャップテンになっていたら、中央大学のボート部で始めての、コックスからのキャップテンだったのです。
どうしても漕いでいる人の立場が強いわけですから、他の大学でもコックスがキャップテンにはなっていないのではないのでしょうか。
それだけ、この3年生の先輩は凄い指導力のある人だったのです。
この話を聞いたときには、ボート部の全員が悲哀に包まれ、最後のお別れ会では全員泣かなかった人はいなかったそうです。