社長のブログ

ルイール社長/長沼賢一のひとりごと

グラウンドの中の懲りない面々・・・

2007-12-19 11:33:38 | Weblog
私の時代の高校でも、ほとんどの学校がコンクリートでできていました。中学校はまだまだ木造が普通でしたが、高校にもなるとどうでしょうか(ここのところ、長嶋監督の口真似?)、コンクリートの学校がより多かったのではないでしょうか。
その点、中央大学杉並高校は偉い。まだ、あの温もりを持ったままの木造校舎なのですから。実に庶民的で謙虚な、いわゆる家族的な最後の高校なのでした。
それに見合うには、もちろん校庭も広くてはいけません。まるべく小さいほうが家庭的です。運動部はお互いに譲り合いの心を持った、清く正しい青少年ばかりなのです。
今日グラウンドを使用するのはどこかなどは、予め割り振りをして使っているのです。お互いに仲良く、場所争いなどは決していたしません。
と、言うより、今までの対外試合の実績がものをいうのですけれど。
しかし、何といってもまだ4年目の学校ですから、どこが凄いクラブか、まだ決着がついてはいません。
野球部が使うには狭すぎるので、野球部は吉祥寺の北の郊外にある、西武線の伏見の中央大学のグラウンドがあいている時に、ちょこっと借りて練習をしていました。これでは中々強くは、というか強くはなりません。
ボート部は、戸田に行って練習をしろ、といつも言われます。それはそうです。皆が見ているボート部の練習風景は、ただもくもくと走っている姿だけなのですから。
室内で行う、卓球部、またプールが確保されている水泳部は、自分たちの練習場は確保されていますから十分な練習ができていますから、順調に成果を上げていったようです。
同じ室内で行うスポーツでも、剣道部、柔道部、バスケット部、バレーボール部は、やはり順番に練習していましたので、大変だったようです。
グラウンドで十分に練習ができていたのは、女子ソフトボールだけです。あのボールはあまり飛ばないですしね。東京都の中でも、けっこう強かったようです。松渓中学で同期だった石田さんは可愛かったな。ショートカットで、少年のような顔とあの凛々しさ、運動部員の注目の的でした。確か、先輩に好きな人がいるという噂を聞いたことがありました。うーん、青春時代が香ってくるようです。
陸上部も、このグラウンドでは狭すぎるらしく、どこかのグラウンドに遠征(練習で遠征という言葉は間違っているのでしょうが、陸上部はそう言っていました)
この時代、サッカークラブはどの学校にもある、というものではありませんでした。中大杉並にサッカー同好会が出来たのは、私が2年生になってからだと、記憶に残っています。
同じD組の本郷君が音頭を取り、サッカー同好会を立ち上げたのです。人数が3人しか集まらず、それで同好会となってしまったのです。練習も他のクラブに隠れるように、片隅でドリブルやシュートの練習をしていました。
ボート部の皆は非常に好意的でした。私たちのクラブも遊びだと思われていましたので、同病相哀れむということでしょうか、ね。
そんな中、私以外にも、そこにいた皆が格好いいと思った、本郷君のあるプレーがありました。砂場の所での練習風景のことですが、そこでオーバーヘッドシュートを決めて見せてくれたのです。
あの本郷君、今のサッカーブームをどう見ているのでしょうか。