綴り箱

今、そして思い出綴り…

夏休み3…In 三島…三島大社

2014年08月21日 | 日記
主人とお休みが重なった夏休み

息子と3人で、静岡県の東部散策行ってきました

沼津に5年程住んでいたこともあって、東部は、懐かしい場所です

息子は、1歳9ケ月まででしたので、記憶ってほとんど無いです

里帰りで出産し、1ケ月半で帰宅

初宮参りは、娘の3歳の七五三と合わせました

お参りしたのが、三島大社です


桜の季節は、この参道は桜のトンネルなんでしょうね



そんな縁の地である三島大社は、北條政子の縁の地です

彼女の名言…歴史上で、男を動かした名言ですね

この名言の背景は、

1219年3代将軍源実朝が甥の公暁に暗殺され、鎌倉殿の政務は頼朝正室の北條政子が代行し、執権である弟の義時がこれを補佐することとなった。
この時朝廷の財源である荘園に幕府の地頭が置かれるようになり、朝廷と幕府の緊張は次第に高まり、後鳥羽上皇は討幕の意志を固める。
後鳥羽上皇は諸国の御家人,守護,地頭らに義時追討の院宣を発する。

朝敵となった幕府の御家人の中には動揺が走るが、北條政子は

「故右大将(頼朝)の恩は山よりも高く海よりも深い、逆臣の讒言により不義の宣旨が下された。秀康、胤義(上皇の近臣)を討って、三代将軍(実朝)の遺跡を全うせよ。ただし、院に参じたい者は直ちに申し出て参じるがよい。」

涙ながらの名演説を行ったことにより、幕府側の意思は一つにまとまり、上皇側に圧勝。
北条政子の演説がなければ、鎌倉幕府は滅亡し、平家全盛時代以前に戻った可能性もあるという。

承久の乱(1221年)の時の一言だそうです

厳島神社は、三島大社の鳥居をくぐって最初の池です


夏の昼下がりは、ほのぼのカメさんの甲羅干し


天然記念物の金木犀


樹齢1200年超え、時を見守ってきたことでしょう



機会があれば、満開の金木犀を満喫したいなって思います

本堂へお参りして、息子はおみくじひきました

今年の初詣のおみくじは、末吉
迷いがあるとのことでした

今回は、大吉
しかも、的射がでてきました

内容も、志の方向性は間違えていない。いずれ成就する。
難関の目標でも努力せよ。

思わず

よし!

顔見合わせて、笑顔がこぼれたひと時でした



初宮参りのときも、シカさん達にご挨拶したね

夏の午後のひと時、約19年ぶりの三島大社

パワースポットそのものでした







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