投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

篠山 土居の内



昼前に思い立って篠山へ。土居の内という遺構を見に行った。神戸市内の雪は消えてしまったが三田から篠山へと近づくにつれ雪景色。おまけにカーナビの設定を一般道路にしたら雪が溶けていない真っ白な、ここどこ?というような山道の峠越えをさせられる羽目になり、FR2.5L 1.8トンの重い車でスタックする姿が頭をよぎり何度もJAFを呼ぶ覚悟をした。

土居とは土で作った土塁、城壁。大きなものならば都市を囲む。京都に今でも秀吉が作ったものが残っている。これは京都の市街を囲んでいた。

中世日本、下っても秀吉までは人々は武装して住んでいた。地侍の住居は土塁で囲まれていたものも多い。秀吉以降でも甲賀あたりは大名の支配が弱くしょっちゅう小集団の小競り合いが絶えなかったため土地の有力者の住居は土塁や堀で囲まれていた。そういう絵を本で見たり、土地の利用形態の図面を見るたびに、なかなか小ぶりでキリッと切れ味の良い姿で描かれており、本物が見えないのが残念だと思っていたのだが、なんのことはない篠山に実物が残っていたのだ。早速見に行って来た。

土地の利用内容は変われど、その形はなかなか変わらないもので、昨今の耕地整理のおかげでほとんど破壊されかけてはいるが、中世の館跡の土地がそのまま住居や耕地に変わって残っていることもある。篠山の土居の内もその一つなのだが、カーナビを頼りに集落の中の細い道をたどって行くと突然小さな城跡のような風景が現れ車を止めると、そこが土居の内だった。300坪程の土地を高さ2m程の土塁が囲みその外を掘が囲む民家。1000年近く、もっと短いか、しかしどう考えても秀吉以前からの土地の姿を保ったまま住み続けておられることに感心。そして思っていた以上にきれいな姿で残っていたので驚いた。しばし雪の中で寒さも忘れて見とれてしまった。



河内辺りの豪農や庄屋の住居だと土地の周りを高い塀で囲みその外を堀が囲む洗練された姿なのだが、ここの土居の内はもっと野趣溢れる鎌倉時代の侍館の風情がある。











上の写真、中世の侍館が目に浮かぶだろうか。
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