蘇芳の空間

関心空間の備忘録(2016年10月まで)
よって、その部分の写真リンクは切れております。

そのころの家の中(震災日記・2)

2009-01-15 23:37:51 | 震災
ちなみに、1月17日は、母方の祖父の命日で
直前の15日に3回忌と墓参りを済ませておりました

なので、地震直後
「おじーちゃんが向こうで暴れたんちゃう」
などと母と言ってました

後になって
「おじーちゃんが守ってくれたんやろなぁ」
と言い直しましたが(笑)


そんでもって、数日後にどどーっと書いたメモがあるんで
それを見ながら、記憶を掘り起こして書いてます
忘れてることとかもあるもん


さてさて、
こんな状態だと、おなかが空いてるんだかよくわからないもんですが
幸いなことに、直前にご飯が炊きあがってました(多分5時30分ぐらいに)
炊飯器は流しにダイブしていましたが、蓋が閉まっていたので、ご飯は無事でした
なので、お昼はそれをお握りにして食べました

まだまだ余震も続いているけど
とりあえず家の中の動線確保というか
あんまりひどいから、足の踏み場ぐらいつくろうってことで

カセットとかCDとか、とりあえず棚に突っ込んで
本は横にのけて、2階の通路は確保
ついでに、当時勤めていた会社の人たちの住所録を掘り出したり
ハンカチとかティッシュとかペンとか、要りそうなものを拾い出したりしました

机は折り畳み型だったんだけど、支えの部分がうまいこと飛び出てたんで、壊れずにすみました
本棚の上乗せの棚は、落っこちてましたね
もし、日中、その部屋で本なんぞ読んでたら、どうなってたことやら

布団をあげて
あいたところに、空の本棚を移動させたりしてました

台所は
レンジはひっくり返ってるし
冷蔵庫の中はぐちゃぐちゃで
卵が1つ飛び出して、床で割れてました
食器棚は
観音開きの上部は全開で、中のものは9割方、外に飛び出して、しっかり割れてました
「コーヒーカップは2個だけ残して全滅、きれーなカップも湯のみもスパ皿もパアよ、パア」 とメモってます、私

そのかわり、普段使いのものは、その下の左右にスライドする扉の中に入れてたので、そっちは全部無傷でした
急須とかも無事だったんで、当面の生活に必要なものはオッケーと

こういうときって、壊れてもいいようなものは壊れずに
壊れてほしくないものに限って壊れちゃうんですよねー
会社の後輩の子のお姉さんは、綺麗な食器をコレクションしていたそうですが、全部割れちゃって、もう集めないと嘆いていたそうです

割れたものは、しょーがないので、ため息つきながら紙袋へ

三面鏡の正面の鏡が外れて落ちてたり(割れてはなかったけど)
タンスの真ん中の飾り棚になってる部分は
スライド扉になってる片方のガラスが外れて割れてました
中のものも、人形は落ちて散らばってるし、陶器でできた白馬は割れてました
そのタンスの上に乗せてたビデオ(昔のホームビデオ、テレビの人みたいに肩にかつぐようなでかいやつ)も落っこちてました
でも、これも壊れてなかった

2階のテレビは、台からずれていたものの、踏みとどまり
1階のテレビは前のめりに落ちてたけど、これも無事

風呂場は
鏡が取り付けてたタイルごと落ちてて
ほかにも何カ所か、タイルが落ちてました
ふたは湯船の中だったしね
トイレ流すのに残り湯使おうとして踏み込んだら
バキバキいってました

トイレは
壁やタイルにちょっとひびが入ったりしてましたが
中の惨状的には、一番ましでしたね

2階の両親が寝てたところでは
3段重ねの造りになったタンスが分離して
両親の上に1つずつ乗っていたようで
一番下の部分のみ、元の場所にありました。
両親の布団の上に鎮座ましましていたタンス(分離済み)を見て
よく無事だったなと思ったものです

幾ら軽いからとか分離してたからって、
打ち所が悪かったりしたら、けがじゃ済まないこともあるわけですから

寝るところに余り物を置いてはいけないってことはよく分かってます
よ~く分かってますけど
今でも、やっぱり置いてます
しかも、上に物まで乗ってます
だめだめですね、我が家 
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